第一章 幕間その一 『密談』

 帯剣した男が歩くのは、普通の一般人は立ち入ることができない、とある軍事施設の通路だ。

 名目上、自衛隊の本拠地の中にある施設となっているのだが、ここには防衛庁のメンバーも立ち入りするような特別な施設となっていた。

 そんな中で、帯剣をして歩く桐生を誰も気にはしなかった。

 彼は唯一、銃は持たないが帯剣することを許可されており、それは施設内の人間は誰でも知っていることだった。


 理由は単純に、桐生大我という存在の有用性であった。

 桐生がもしも、スパイ等工作員に闇討ち、不意打ちされた時に失う損失は、この国において計り知れないものだからだ。

 実際に、闇討ちされそうになった事件もあり、体術の心得がある桐生には成す術もなく抑えられたが、白兵戦において桐生に勝てる者は恐らく、この世界にいないだろうとされるほどに、彼は人類の中でも到達点と称される男だ。


 その桐生が何の用でここにきたのか、それは歩く先にある応接室の部屋にあった。


「おい、開けるぞ」


 ノックすることもなく、桐生はドアノブを引いて部屋の中へと入っていった。

 応接室の部屋の中は、かなり綺麗な様式となっている。

 複数に置かれた資料等をまとめた本棚や、高そうな革椅子、後はこの部屋の使用人の趣味か、盆栽のようなものまであった。


 まるで私用の部屋のような雰囲気ではあるが、ある意味間違いではない。

 この部屋は、とある者が個人的な仕事スペースとして活用している場所であった。


「よう、久しぶりだな。風間」


「陸将、をいつも忘れるなよ。あと部屋に入る時ぐらいノックぐらいしたまえ」


 風間と呼ばれるこの男は、陸上自衛隊の中でも将官の位に属している『陸将』の階級の冠を持つ男だ。


「肩っ苦しいのは苦手なんだよ。それで、調査の方はどうなっている」


「以前、変わっていない。世良望の自宅を家宅捜査したが、手掛かりの一つも残っていなかった。碓氷氷華も同じだ」


 御影島での事件以来、桐生は騒動の一端である彼女らの家宅捜索を依頼していたが、どうやら手掛かりの一つもなかったようだ。

 それを聞いて、桐生は舌打ちして革椅子に腰掛けた。


「何もないのか? 御影島でもそれらしい情報はなかったのだろ?」


「ああ、唯一の情報は君たちが持ち帰ったウイルスのサンプルとその情報だけだ。連中にとって、それがバレようが公開されることはないだろうと踏んでいたのだろうね。なにせ、事が国内における発生だ。ヘタをすると国際問題に発展しかねない」


 事の発端は、碓氷氷華が殺人ウイルスの研究を行っていたことにある。

 もしもそれを公開することになれば、諸外国からの批判共々は避けられないのだろう。


「平行線ということか。それで、俺を呼んだのはどういうことだ? まさか、世間話の為に呼んだわけじゃねえだろ?」


 桐生は、目の前にいる風間に呼び出されてここにきていた。

 今は密偵調査の役職に就いており、御影島での騒動を引き起こした名も知らない組織の捜査をしている最中であったのだ。


「君を呼んだのは、密偵調査に関してだ。元々、碓氷氷華の出所を探るために、国外への逃亡を加味して君には海外への調査も依頼していたのだが、それを取り止めてもらいたいのだよ」


「……どういうことだ?」


 ドスを効かせたような低い声で、桐生は目の駅にいる風間を睨みつけた。


「まあ聞きたまえ。正確には国外ではなく、国内を重点的に捜査してほしいということなのだよ。私の主観的な推測でしかないが、今回の一件、敵は国外に逃げたと思われるか?」


「さあな。ただ、足取りが全く取れないことには違和感はある。お前の言いたいことはつまり、敵は国内にいるかもしれないということか?」


「推測と現状の捜査状況を踏まえて、だがね」


 風間はそう言って、束になった用紙を取り出した。

 それを桐生に渡して、乱雑に拝見すると、


「今日までの渡航者の履歴、か」


「もしも、その中に逃亡者がいるのであれば簡単な話だが、密出国される可能性もあるから一概には言えない。だが、現状は容疑者に該当できそうな者は一人もいないという事が問題だ」


「国内に潜んでいる可能性があると?」


「それだけではない。万が一、ウイルスが日本にばら撒かれる可能性を考えれば、君という戦力を他所にやるわけにもいかないのだ。あくまで可能性としか言えないが」


 国内に潜んでいる可能性と、万が一、日本全土が感染地帯になった際の両方の意味での引き留めということだった。

 碓氷氷華がもしも、日本国内に潜んでいれば、何かしらのアクションを起こす可能性は否定はできないことは事実である。


「それと、先の隠密機動特殊部隊の隊員の引き込みについてだが」


「それなら心配いらねえよ。既に四人、候補者は確保している」


「仕事が早くて助かる。彼らを早急に部隊隊員へ昇格させるために、鬼塚隊長へ連絡してほしいのだが」


「……まだあいつらはそこまで使える奴らじゃないぞ。何を急いでいるんだ?」


「それこそ、先程の可能性を踏まえた上でのことだ。いつ、どこで何をするか分からない組織の考えることだ。早急に部隊編成は完了させたい。期間は半年以内で、彼らを動かせるようにさせたいのだよ」


 風間は、訓練生を予定している補充メンバーの部隊隊員入りを早める段取りを組ましたいようだった。

 桐生にとってはあまり好ましく思わない考えではあるが、遅きに失することを考慮してのことであろう。


「分かった。お前の判断を信じよう」


「自衛隊各所の幹部にはこのことは伝えている。この一年は特に、有事に対して即座に動けるよう勧めているよ。隠密機動特殊部隊が揃えば、直ちに君の捜査に加わるように鬼塚隊長には報告しておこう」


 トントン拍子に進む話に、桐生も否定の余地は無かった。

 これから訓練生となる彼らに対して、リスクが高い仕事を振ることにはなるが、お互いに気にしてはいない。

 風間という男は、目的の為ならば隊員を駒のように扱う男だ。

 だが、それが最善手であることを桐生は過去、何度もその判断を信用してきた。

 なので、今回のことも同様だ。


 桐生は何があろうと、風間の意見は尊重して行動するつもりであった。



「それで、作戦開始前からは君と会っていなかったが、実際モルフというウイルスは君からしてどういう風に映ったのか、聞いてもいいか?」


「なぜそんなことを聞くんだ?」


 質問の意図が分からず、桐生は風間へと問い返した。


「いやね、私はこのウイルスについて、報告者の中でしか把握できていないのだよ。そこで、君にとってどれほど脅威に移ったのか、それを知りたい」


「……俺からすれば相手にはならない。世良という『レベル5モルフ』に関して言えば厄介な存在だったが、それ以外は対応はできるだろうな。俺でなければ、話は変わるがな」


「なるほど。つまり、自衛隊員が相手しても簡単な存在ではないということか」


「実戦経験がない奴らに頭や脊髄を撃てなんて命令して、躊躇しない奴が一人もいない方が珍しいだろうよ。まして、それが一般国民となれば尚更だ」


 桐生の返答に、風間は押し黙っていた。

 桐生が実際に見てきたからこそ言えた話であり、信憑性も十分にあることだ。


「その『レベル5モルフ』についてだが、世良以外はなり得ていないとのことだったね。いや、実際には違うが」


「条件があると記述はされていたな。結局それは分からなくなってしまったが、生存者の二人も同様だ」


「ふむ」とわずかに表情を俯く風間に、桐生は何も答えない。

 世良と対峙し、生存した笠井修二と椎名真希も、『レベル5モルフ』に関する情報は地下研究所で回収した実験データと相違はなかった。

 故に、世良が何故『レベル5モルフ』になり得たのか、それは誰にも分からないのだ。


「だが、何かしらの条件をクリアすれば、『レベル5モルフ』になれることは間違いないはずだ。これを量産させられれば、間違いなく人類の脅威になるだろう」


「だろうな。あれは、自然法則を無視したかのような存在だからな」


 己の手を組んで、そう説明する風間に桐生も肯定をして、続けた。


「だが、そう簡単に量産できるかどうかは分からない筈だ」


「ん? どうしてそう思うのかね」


「笠井修二から話を聞くには、籠城場所として確保した教会で、同じクラスメイトである柊という女子生徒が『レベル3モルフ』として相対したと聞いている。聞くには、既に死んでいる筈のそいつが生きているように話しかけてきたとのことらしい。真偽の程は確認しようがないが、その後、世良が言うには『レベル5モルフのなり損ない』と言っていたらしい。もしも、柊が条件を満たしかけていたのだとすれば、その条件は簡単にクリアできるものでは無いはずだ」


 それは、笠井修二が体験した内容であった。

 『レベル3モルフ』へと変貌した柊ルカは、実験データに載っていた情報と合致しなかった。

 通常、『レベル5モルフ』以外の感染段階の者は、総じて死者となってしまうのだ。

 それを、首謀者である世良は『レベル5モルフのなり損ない』と称していたようだが、もしもそうであるならば、柊ルカは条件を一部クリアしていたことになる。

 つまりそれは、完璧な条件をクリアしない限りは簡単に量産することができないという証明にもなるのだ。

 ただし、


「もしも量産を可能とすれば、人類は今までにないほどの窮地に追い込まれるだろうな」


 風間の推測と同様に、桐生も自分の意見としてそう答えた。

 風間は桐生の言葉に肯定するように頷き、


「今回はまだ人口が少ない島の中で起きたことだから隠蔽はできたが、これが日本本島で起きればどうしようもなくなるだろう。まして、情報社会となった今では尚更だな」


「なら、先手を打たれるのを待つだけか?」


「いいや、その為の隠密機動特殊部隊だ。奴らに動かれる前に、こちらから畳み掛ける。国民を守ることが我々の義務だからね」


 あくまでそう主張する風間に、桐生もそれが本心であることは理解していた。

 それ故に、風間が今までに話していたことにも納得をして、反論することもない。


「もう一つ、気になることはある。世良はスペツナズナイフを所持していたが、ロシアが関係している可能性はあるか?」


「難しいところだね。連中の素性がハッキリしない以上、断定はできないが、何かしらの輸入ルートがあることは確かだろう。もっとも、ロシアがそれを把握しているかどうかは分かりようもないが」


 世良が所持していたスペツナズナイフ。

 それは、ロシア軍隊にあるスペツナズ軍が持つ特殊武器だ。

 普通のナイフと違い、刃を相手に向けて射出することができ、遠距離での攻撃を可能とするものである。

 それを世良が持っていたということは、ロシアが絡んでいる可能性を否定できないことになるのであった。


「今の現状を踏まえれば、平行線を辿る他にないということか。ならば、やることは確かに単純だな」


「ああ、まずは奴らの根城を探る。それが次の君の任務だ。任せられるかい?」


 愚問だと言いたげに、桐生は目を閉じたまま革椅子から立ち上がる。

 腰に帯剣した剣に触れて、桐生は薄らと目を開けながら、


「俺にしかできないのならば、俺はその指示に従うだけだ。奴らには必ず報復しなければならないからな」


 桐生が思うのは、失った隊員達だけでなく、御影島で亡くなった人達も含めたことだ。

 もう帰らない彼らのことを思えば、連中のしたことは到底許されることではない。

 芯に秘めるように、桐生はゆっくりと部屋の出口の扉へと向かいながら、


「何か情報が入ればすぐに寄越せ。それがお前の仕事だからな」


「もちろんだとも。頼むぞ、桐生」


 この部屋に入って、初めて桐生の名を呼んだ風間は微笑むように桐生へと託した。

 その言葉に返答は必要ないまま、桐生は部屋を出ていく。

 そして、腰に帯剣をしたままの彼は、その柄の部分を指でなぞりながら思案していた。


「素性も何も分からない組織……。あの男が絡んでいないのならばいいがな」


 それは、桐生にかつて剣の知識を教えた男。

 とてつもなく、計り知れないほどの才覚を持った男のことを思い浮かべながら、桐生は誰もいない通路の中を歩いていく。


 誰もいないそんな通路の中で、桐生は鋭い目をしながらただ真っ直ぐに歩いていく。


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