第一章 第二十七話 『テリトリー』

 来栖が手洗い場から戻ってくるのと、霧崎達が部屋の中の探索から戻ってくるのは、ほぼ同時だった。

 修二は十分に休憩できていたので、いつでも動ける状態だった。

 来栖は涼しげな顔をして、修二の前の椅子に座った。


「どや? この部屋になんか目ぼしいもんあったりしたか?」


「椎名ちゃんが良いものを見つけてくれたわ。恐らく、この地下研究所の見取り図ね」


 霧崎はそう言って、修二と来栖の間に置かれたテーブルに、その見取り図を広げた。

 それは、確かにこの地下研究所の地図のようなものだった。

 地下への入り口からの部屋と、ウイルスサンプルがあった部屋付近の道の形状が同じものだったからだ。


「これは……値千金の情報やないか! これなら出口までの道分かるで!」


「そうね、あなたが手洗い場に篭ってなければ、もっと早く見つけられたかもしれないけど」


 毒を吐くように霧崎は来栖に悪態をつくが、来栖には反論ができない。


「悪かったて、生理現象やねんからそれくらい許してーな」


「……それで、出口までの道のりについてだけど」


 なんだか、いつもと違う霧崎の雰囲気に修二は少し気になってはいたが、今はそれどころではない。

 改めて地図を見直して、今いる現在位置を探した。


「ここが今いる私たちの部屋ね。そこから通路になっているのだけれど、あの資料室があった部屋とは逆方向の道にあるわ。織田が残したマーキングがあればすぐに移動できるのだけど、かなり迷路みたいに入り組んでいるわね」


 地図を見るだけでも、この地下があまりにも壮大なものであることが分かる。

 どういう設計なのか、初見ならば必ず迷うような通路の造りになっていたのだ。

 実際に最初、その通路を通った時もそれは感じていたが、地図を見ればそれはほんの一部分であることも見てとれた。


「とりあえず、この地図があれば出口までは分かりますね。あと、問題はモルフに感染した研究員達……でしょうか」


「ええ、資料室の前にいたモルフ達は副隊長の焼夷手榴弾でなんとかなったとは思うんだけど、実際、この研究所に何人のモルフがいるかは見当が付かないわね。それとやり合えるだけの武器も足りないわけだし、逃げるのが賢明かもしれないわ」


 どうやら、先ほどの黒猫との戦闘でかなりの弾を消耗したようで、残弾数に限りがあるようだ。


 修二は結局、あの場では四発撃ち込み、拳銃に残りは十三発装填されているが、もしもモルフが多数で押し寄せれば確実に弾が足りなくなるだろう。

 父のサブマシンガンも、実際のところどれだけ弾が残っているのかは分からないところではある。


 焦燥感が残る中、作戦を練り直そうとしたところで、来栖はサブマシンガンを持ち上げた。


「現状の再確認も大事やが、考えても今は仕方ないで? あのモルフがさらに変異しだしたら手がつけられんくなる。それまでに脱出すべきやし、今からでももう動くべきやろ」


「時間は有限かもしれないけど、作戦を練ることはデメリットにはならないわ。……何を急いでいるの?」


 銃を持って今にも動きだそうとしている来栖を止めて、霧崎は疑問をぶつけた。

 来栖の言い分も分かるには分かるが、無策で行くよりかは確実に好条件になるはずなのだ。


「急がなあかんのは始めからそうや。のんびりしとったら、副隊長達を殺した奴が何かしでかすかもせんのやぞ? 通路の途中で、出会い頭に会うモルフ共は俺がなんとかしたる。さっきと同じ作戦でいこうや」


 来栖が言う、副隊長達を殺した奴という言葉に修二の心はざわついた。

 確かに、これまで奴は必ず想定外の何かを引き起こし、修二達を混乱させてきた。

 しかし、ならば尚のこと……、


「来栖さん、気持ちは分かります。俺も父を殺した相手が何もしてこないとは思わない。それでも、ある程度の準備はするべきだと思います。奴は必ず、俺たちの想定外を突いてくるはずだと思いますから」


「わ、私も霧崎さんと修二と同じ気持ちです。あのクモのことだって、まだ何もどうするか決めていないのですし……」


 三人共、来栖とは違い、意見が割れることとなった。

 それを聞いた来栖は、仕方ないと悟ったのか、何も言わずにもう一度椅子に座り直す。


「ほな、さっさと作戦練り直すか。皆が生き残って脱出する方法ってやつをな」


 来栖も折れたのか、三人の意見に従うようにした。


 そこから、十分程だろうか。

 地図のルートを皆が頭に入れ、道中に戦闘が起きた際、バラバラにならないよう予め逃走する時の逃げ道を話し合った。

 修二も先ほどと同様、銃を使用して霧崎のサポートという形で継続する方向性となった。


「もう大丈夫そうだけど、次はいける? 今度は猫とかじゃなく、人間を撃つことになるかもしれないのよ?」


「……大丈夫です。俺はもう銃じゃなくてもあのモルフをこれまでに何度も殺しています。殺すって表現も変ですけどね」


 相手はあくまで死人。動けなくなった身体をモルフというウイルスが動かしているに過ぎない。

 これまで、修二はホテルでの職員や、島民、鉄平でさえも手にかけて、前に進んできた。

 今更、銃を撃つことに関しては、もう無問題なのだ。


「そう。でももしキツくなったらすぐに言いなさい。あと、出来る限り弾は節約したいから、撃つべき時に使うこと。いいね?」


 抽象的な言い方をし、修二もそれがどの場面になるかは分からなかったが、極端な話、撃たないと仲間に危険が及ぶ時、ということだろう。

 それは当初決められていたことと変わらない為、特に反論する余地はなかった。


「それで、入り口の前の部屋、巨大クモについての対処なんだけど……」


 言いながら、霧崎は手持ちの武器をテーブルの上に置いていく。

 見たこともない武器が色々とあり、隣にいる椎名も興味深々に見ていた。


「織田と副隊長の分も拝借したのも合わせてこれだけね。手榴弾が四つ、焼夷手榴弾が二つ、意味ないけど閃光発音筒が一つ、擲弾はこんだけだけど、中でも焼夷手榴弾はまだ使えるはずよ。普通の手榴弾も柱に当てなければ崩落の危険は少ないでしょうしね」


「なら、焼夷手榴弾と手榴弾を一つずつ俺が持つわ。残りは霧崎、お前がタイミングを見て使ってくれ」


 来栖はテーブルの上に置かれた擲弾を一つずつ取って懐の中に入れた。


「あのクモが出てきたら、とにかく撃ちまくる。副隊長が撃った時もすぐに隠れよったからな。もしかしたらそれで終わるかもせんし、前の攻撃で死んでるかもせん」


「死んでいる説については期待できないかもしれません」


 修二はそこで間に入って答えた。

 霧崎も、修二の考えていることに気付いたのか、同様に頷いた。


「来栖、この研究所で見たモルフに関する資料を見たでしょう? 驚くことに、奴らには再生能力も有しているとか。もしもあのクモが別の実験でああなったでもない限り、恐らくもう完治しているはずよ」


 修二の言いたいことは霧崎が全て伝えてくれた。

 そう、モルフにはその変異のレベルに関係せずに再生能力がある。

 実際にその場面を見たわけではないが、研究記録に残っていたものだ。

 それは、簡単に無視できる情報ではない。


「せやな、その事は忘れてたわ。ほな、そのやり方でとにかくやるしかないやろな」


 来栖は立ち上がった。


 これ以上ここにいるのは危険だ。

 霧崎も進むことを決めて立ち上がり、修二達も立ち上がった。


「行きましょう。さっさとここから脱出して、帰還するわよ」


 全員がその言葉を受けて、覚悟を決める。

 ーー地下研究所からの脱出を。


 来栖が扉を開け、先の様子を確認した。

 手で合図を出し、誰もいないことがそれで分かる。


 そこは、地図通りの外観だった。

 通路には電気がついており、ライトをつける必要は今回は無さそうではある。

 来栖達は事前に頭に入れていた地図の通りに、通路を進んでいく。


 モルフは音に敏感な性質を持つことを知っていたので、極力音は出さないように忍び足を意識していた。

 武器も通常とは違い、サイレンサーが付けられたものを使用している。


「――――」


 曲がり角の付近に立ち、来栖が止まるよう合図が出た。

 どうやら先にモルフがいるようだ。

 こちらには気づいていないようで、来栖は身体を少し通路から出した状態で持っていた拳銃を構える。


 発砲音は通常とは違い、かなり抑えられていた。

 来栖から合図が出て、安全を確保したのだろう、通路から身を乗り出して先へ進む。

 後に続く形で修二も進んだところ、確かに来栖が見たそれはモルフであることが分かった。

 肩には抉られたかのような傷痕があり、骨が見えていたのだ。

 そんな状態でこのような場所をうろつく生者はいないだろう。

 しっかり頭を撃ち抜かれた研究員らしきモルフは動かなくなっており、もう立ち上がることもないことが分かる。


「――――」


 再び、来栖から合図が出た。

 霧崎が呼ばれるように手で合図を出し、修二と椎名はその場で待機する。


「三体おるな。多分サイレンサー付きのこれで撃っても気づかれる。霧崎、お前二体狙えるか?」


「速射性はあなたの銃のが優れているでしょう? どうして?」


「緊張してるんや。生きるか死ぬかの瀬戸際を今してるんやで? 正直、狙える自信がない」


 霧崎はため息をついて、来栖の方法に了承した。

 修二から見ても、来栖の表情は険しい。

 出口が近いから、集中しすぎているのかそれは分からないが、彼らには見守ることしかできない。


 霧崎と来栖は同時に引き金を引き、二体のモルフの頭を撃ち抜いた。

 その音に反応を示し、グルリと顔だけを来栖達の方へ向いたモルフはこちらに気づき、走り出した。


「『レベル2モルフ』か……! 霧崎!」


 頭を揺らしながら、こちらへ接近するモルフを霧崎は銃口を揺らさずに、真っ直ぐ見据えて撃った。

 眉間に銃弾が当たったモルフはそのまま後ろへと倒れ込み、動かなくなる。


 感慨にふける間もなく、来栖達は移動を開始した。

 修二もその後をついていき、そして、ついに到達した。

 一番始めに、巨大クモと応戦した後に入った部屋があった。

 織田が残したマーキングの跡も残っている。


 この扉の先に、地上への出口がある。

 ついに辿り着いた扉の前で、修二は希望を感じた。


 ここから出られれば、桐生さんと合流して脱出する。

 きっと、皆、桐生さんと合流できているはずだ。

 リク……皆、もう少し待っててくれ。


 今後の展望を考えながら、来栖が前に出て、皆に確認をとる。


「この先が出口の一歩手前や。作戦はさっきの通り、あのクモが出てきたら容赦なく撃ち込むこと。少しでも逃げて隠れたりしたらすぐに脱出や。ええな?」


 こくりと頷き、修二は腰にかけた拳銃を手に持った。

 そのまま、来栖達は扉を開けて中に入った。


 中の様子は覚えていた。

 だが、その部屋は以前通った時と違い、全くと言っていいほど景観が違っていた。


 ありとあらゆる所に、白い粘着性の糸が部屋の中を支配している。

 それは、機材と機材を、床と天井を繋ぐ形で通り道が一定しか残されていない状態になっていた。

 圧巻の様子で、来栖と霧崎だけではない。修二と椎名も驚いていた。


「な、なんやこれは。これ全部糸なんか?」


 あの糸の粘着性は修二もよく知っていた。

 かつて、椎名の靴の裏にへばりついていた時は、ナイフで切らないと切れないほどの頑丈さだったのだ。


「とにかく、急いで進みましょう。どこから奇襲されるかも分からないわ。修二君、椎名ちゃん、絶対に側を離れちゃダメよ」


 この状況に関しては、さすがの修二も何も対案が出ない。

 椎名の手を握りながら、修二達は先行する来栖達の後をついていく。


「床の糸に気をつけるんやで。一回捕まったらかなりのロスになる」


 来栖の言葉を頭に入れつつ、少しずつ前へと進むが、かなり歩きづらい。

 糸は至る所に張られている為に、真っ直ぐに歩くことも困難になっている。

 一番の問題は、出口までの間に一際大きな糸が張られていることだ。

 普段見るような蜘蛛の巣とは違い、糸が断面となって道を塞いでいる。

 扉が見えないので、先がどうなっているかも分からず、それでも真っ直ぐに進みながら、霧崎が口を開いた。


「あの真ん中にあるデカイ糸なんだけど、焼夷手榴弾で焼き溶かした方がいいんじゃない? 他の場所から通るのは、さすがに危険だしね」


「せやな、案外その衝撃であのクモも……っ霧崎! どけ!」


 来栖が突如叫びだし、霧崎を左手で退かして、発砲した。

 足場が悪い中、ふらついた霧崎を修二が受け止めて、何が起きたのか来栖の撃った先を見た。

 そこには、あの黒く巨大なクモではない、一際小さいクモがいた。


 だが、サイズはそれでも規格外に等しい。

 大きさを例えるなら、それはサッカーボールのサイズ程度だ。

 そんなクモは、世界中のどこを探したとしても見つからないだろう。


 来栖に撃たれて、地面に落ちたクモはもがき苦しむように暴れていた。

 それを見た来栖はもうニ発、そのクモに銃弾を撃ち込む。

 ピクリともしなくなったクモを見て、一同は落ち着きを取り戻す。


「こ、これクモよね? どういうことなの……」


「あの巨大クモの子どもってことか? せやったらシャレにならんぞ」


 霧崎と来栖はお互いに状況を分析していたが、時間は待ってくれない。

 物音がし、いち早く気づいた修二が、合図を出した。


「上です! 真上に何かいます!」


 皆が真上を見ると、それはいた。

 一番始めに見た、巨大クモがこちらを見つめていたのだ。

 とっさの反応で来栖が銃を上に向けるが一歩おそかった。

 巨大クモの方が先に動き出し、そのおぞましい口から何かを吐き出してきたのだ。

 それが何かをすぐに察した両隊員は、即座に横に避ける。

 修二も同様に、霧崎が避けた方向へ椎名と一緒に飛び込むように避けた。


 巨大クモから吐き出されたそれが地面に落ちた時、修二はそれが何か分かった。


 白い粘着性の塊、糸だ。はんぺんのような白いその物質に捕まっていれば、抜け出すことは不可能だったであろう。

 避けるという選択肢を選んだのは正解であった。


「来栖さん! 大丈夫ですか!?」


 発砲音が連続して聞こえる。上を見るが、巨大クモに撃ち込んでいるわけではないことは見て分かった。


「クソッ! どういうタイミングか、あの小さいクモがわんさか出てきよったぞ! おい、そっちは無事か!」


「こっちは問題ないわ! それより……」


 状況はかなり深刻だ。

 分断されたこともそうだが、あの巨大クモだけではなく、その子クモらしき生物までもが押し寄せる形となっているのだ。


「霧崎さん! 避けてくれ!」


 修二は霧崎へと銃を向けた。

 霧崎は修二の持つ拳銃の銃口から避ける形で身体を動かし、修二はその瞬間に引き金を引いた。


 霧崎に襲いかかろうと、飛びかかりにきていた子クモが、頭から吹っ飛んだ。

 それを見た霧崎は、一秒を争う最悪の事態であることを察して――、


「修二君! 椎名ちゃんを守りなさい!」


「はい! 霧崎さんは!?」


「私は焼夷手榴弾で糸を燃やしにいくわ! あなた達はとにかく逃げ回るの!」


「そんな! 霧崎さん一人じゃ危険です!」


「ダメだ椎名! 今は言う通りにしよう! こっちだ!」


 椎名の手を掴み、修二は機材と機材の間を走り抜ける。

 そして、背中に掛けていた、サブマシンガンへと手を伸ばし、持っていた拳銃から持ち替えた。

 それをどうするかはもう決めている。

 子クモ達の注意を来栖と霧崎が集めていたので、修二達の方には数匹しかいない。


 その中で、修二は天井に張り付いていた巨大クモを見た。

 巨大クモは、吐き出された糸を口にある鋭利な歯で切り離そうとしていたところだ。


「――今なら奴に銃弾が届く」


 そう感じて、近づいてくる二匹のクモをサブマシンガンで撃ち込み、邪魔者を消した。

 反動が拳銃とは比較にならないくらいにキツかった。

 初めて扱う銃火器でもあるが、その連射性は確かに便利であることに違いはない。



「椎名、周りの警戒を頼む。俺はあの巨大クモを撃つ」


 そう言いながら、修二はサブマシンガンの銃口を巨大クモの方へと向ける。


 笠井修二は目が良かった。生まれつきだが、視力は両目共に2.0とある。

 その両目で天井に張り付いている巨大クモを見た時、気づいた。


 巨大クモのその眼光が、真っ直ぐこちらへと向いていることを。


「マズイ!!」


「えっ!? ど、どうしたの!?」


 巨大クモはそのタイミングを図って、即座に糸を切り離し、修二達の方へと向けてもう一度大量の糸を吐き出してきたのだ。


「椎名! 避けるぞ!」


「う、うん!」


 たまらず、椎名の腕を引っ張る形で修二達は機材の影に隠れた。

 先ほどいた場所は、巨大クモが吐いた白い粘着性の糸の塊が残る形となっていた。


 完全に巨大クモはこちらの動きを読んでいた。

 その知能は、普通では考えられないくらいにだ。


「クソッ! 霧崎さんと来栖さんが今どうなっているかも分からないってのに!」


 足止めを喰らわされ、二人の状況がわからずにいた修二は悪態をつく。

 どうやら完全に、あの巨大クモの術中にハマってしまったようだ。

 一番始めに巨大クモと邂逅した時に、学習したのだろう。

 奴らは必ずここに戻ってくると。


「どうする……! どうするどうする! 考えろ……!」


 どうにかして、あの巨大クモを退けつつ、霧崎さんと来栖さんと合流する、その方法がどう足掻いても思いつけない。

 時間は待ってはくれない。

 こうしている間にも、霧崎達に危険が迫りつつあるのだ。


「修二……これ、使えないかな?」


 椎名が修二の肩を叩いて、それを見せた。

 霧崎達が持っていた手榴弾の一つが椎名の手のひらにあったのだ。


「お前っ、これどうして!?」


「さっき、霧崎さんが糸から避けた時に懐から落ちてたのが見えたの。最初は危ないと思ったんだけど、爆発する気配が無かったから後で渡そうと思ってね」


 あの状況で、椎名はそれを拾っていたのだ。

 修二も大概ではあるが、彼女も相当な胆力を持っている。

 そのことに今は考え込む段階ではないと、修二は椎名の持つ手榴弾を受け取り、


「いや、ナイスだ。これなら、あの巨大クモをどうにかできるかもしれない」


「まさか、これを使うの?」


「ああ、上手くいけば、あの巨大クモを吹っ飛ばせられるかもしれない」


 だが、賭けだ。

 手榴弾なんて、扱った経験もない修二にとって、今考えている方法は危険極まりないことである。


 しかし、今は逡巡している余裕はない。

 機材の反対側から身を乗り出し、様子を伺う。

 巨大クモは先ほどと同じく、吐き出された糸と繋いだ状況でいる。

 このまま同じように銃で狙えば、カウンターのように糸を吐き出してくるだろう。


「椎名、頼みがあるんだが……いけるか?」


 頼みづらそうに、修二は椎名の方へと振り返る。


「いいよ。何でも言って!」


「かなり危険なことをお願いすることになる。それでもいけるか?」


「……皆が頑張っているのに、私だけ何もしないなんて嫌だよ。修二だって、それはわかってるでしょ?」


 椎名は、真剣な表情をしながら修二の左手を両手で掴んだ。

 聞くまでもない、修二は考えていた作戦を椎名へと伝えた。


△▼△▼△▼△▼


 巨大クモは獲物へと放った多量の糸とその口が繋がれている状態を維持していた。

 先ほど、獲物がこちらへと向けていた銃への対抗として、瞬時に糸を切り離し、もう一度糸を吐き出す。

 それをするだけで、獲物は何もできないということ……巨大クモにとって、あの銃がカウンターに弱いことは重々に学習していた。


 機材の裏に隠れた獲物が、もう一度こちらへ銃を撃とうとすれば、同じように糸を切り離して再度糸を吐き出し、捕らえるつもりでいた。


 その顔にある複数の複眼が、この部屋にいる全ての人間の動きを把握していた。

 残り二人の人間は、それぞれ子クモ達に対応するばかりで、巨大クモの方へは見向きもできないでいた。

 今、注意すべきはあの機材の裏にいる二人の人間だと、巨大クモは警戒していたのだ。


 一度目のカウンターから、まるで動きが見えずにいたが、巨大クモはそれでも警戒は解かない。

 ジッと身体は同じ方向へと向けたままだ。


 その時、事態は突如として動いた。

 椎名が機材の裏から飛び出して、修二が持っていた銃を巨大クモへ向けたのだ。


 巨大クモは本能で糸を切り離し、糸を椎名へと向けて、吐き出す。

 勢いよく吐き出された多量の糸を、椎名はまるで分かっていたように銃を撃つことはせずに、横合いへと避けた。


「修二! 今ならいけるよ!」


 椎名の声に反応して、修二が機材から飛び出した。

 修二の右手には、椎名が持っていた手榴弾が握られている。


△▼△▼△▼△▼


「作戦はあくまで単純だ。あの巨大クモは俺たちが攻撃しようとしたら、まず間違いなく反撃で糸を放ってくる。椎名はこの銃を撃たずに、あの巨大クモへ向けるだけでいい。そうしたら、奴は必ずさっきと同じように糸を放つはずだ。椎名はそれを避けてくれ」


 修二は椎名の顔を見ながら、それでいて周りの状況を常に警戒しながら、説明した。


「分かった。修二はどうするの?」


「俺がやることも単純。吐き出した一瞬ですぐにまた糸を切り離してもう一度、なんて奴もできないだろうからな。この手榴弾を奴に投げつけて、あの天井で高みの見物決め込んでやがる卑怯者を引きずり下ろしてやる」


「でも……、手榴弾っていつ爆発するか分からないんでしょ? 本当に大丈夫……かな?」


 椎名の疑問は、修二も当然考えていた。

 映画の中でしか見たことがないが、安全ピンのようなものを外して投げ込むということは分かる。

 だが、どの程度のラグで爆発が起こるのかまでは分からない。

 投げてそのまま落ちて爆発してしまえば、下にいるかもしれない霧崎や来栖が危険だ。


 だが、それは既に想定済みだった。


「そこで、あの巨大クモの力を借りるんだよ」


「え?」と、椎名は首を傾げながら、修二が目の前にある粘着性の糸へと近づいていくのを見た。

 その右手にはナイフが握られており、左手に持つ手榴弾を糸へと付けたのだ。


「これをこうして……っ、やっぱり切れにくいなこの糸……よしっ!」


 ナイフで糸を切断したようで、修二は喜んでいた。


「あとは、これを投げたらオッケーだ。椎名、いけるか?」


 椎名は修二が何をしようとしているのか、すぐに理解して頷いた。


△▼△▼△▼△▼


 修二は左手で手榴弾に取り付けられたピンを引き抜き、即座に振りかぶった。

 巨大クモは何かをしてくると、糸を切り離そうとするが、反撃が間に合わない。

 修二から投げつけられた手榴弾は、巨大クモの足の部分に向かって飛んでいった。

 狙いとしてはやや惜しいところではあるが、修二にとっては上出来だと判断していた。

 そのまま、手榴弾は巨大クモの足の部分にぶつかり、そのまま落ちていくものと思われたが、そうはならなかった。

 手榴弾には、この部屋の至る所に張っていた粘着性の糸が側面に張り付いており、それが剥がれ落ちないようになっていたのだ。

 巨大クモはそれを気にする素振りも見せずに、糸を切り離して、修二達へと警戒の目を向けていた。


「椎名! 隠れろ!」


 椎名の手を掴んで、もう一度機材の裏に隠れたその時、手榴弾の内部にあるヒューズが起爆薬に点火し、巨大クモの足から大きな爆発を引き起こした。


 たまらず、その爆音に修二達は耳を塞いだ。

 幸いに天井から崩落を引き起こすことはなかったが、破片のようなものが、周りに落ちていくのが見えていた。

 修二は状況を確認しようと、巨大クモがいた場所を見たが、そこには爆発の衝撃の跡が残っていたのみで、その姿はもう無かった。


「よしっ! 成功だ! やったな椎名!」


「そうだね! すごいよ修二! あんなこと思いつくなんて!」


「たまたまだよ。あの手榴弾が巨大クモに上手く張り付かなかったら、ある意味詰んでた。成功して本当に良かったよ。さっ、霧崎さん達に追いつこう」


 修二達は笑顔になり、互いの無事を喜び合いながら、霧崎達へと合流をしようとしたその時、近くの糸の塊が爆音と共に燃え上がった。

 何事かと、修二達はその現場へと近づくと霧崎と来栖の姿が見えた。


「修二君! 椎名ちゃん! 無事だったのね!」


 霧崎が、修二達に気付いて、こちらへと走ってきた。

 その姿を見て、怪我がないことを確認できたことに修二もホッとしていた。


「さっきの爆発……まさか、お前らがやったんか?」


「ええ、霧崎さんが落とした手榴弾を、椎名がたまたま拾ってましてね。あの粘着性の糸を利用して、上手く当ててやりましたよ」


「その場で粘着爆弾作ったんか……。どんだけ器用な奴やねん。おかげで、あの子クモ共も引いてったからほんまに助かったけどな」


 来栖は驚きの表情を浮かべながら、修二達の行動に感謝した。

 どうやら、来栖達も子クモの相手に精一杯だったようである。


「あなた達のおかげで、なんとか乗り越えられたわ。正直、全滅も覚悟してたぐらいだったわけだからね……」


 霧崎はそう言いながら、軽く笑みを浮かべる。

 二人共、動き回っていたのか、その顔は汗にまみれていた。

 霧崎達は、糸に絡まない様に子クモを相手にしながら逃げ回っていたのだ。

 修二はその様子を想像して、この人達には敵わないと再確認した。


「とにかく、一刻も早くここから脱出しましょう。もうクモの危機は去ったとしても、長居は無用ですしね」


 修二は、近くに見える地上への出口の扉へと向き直し、霧崎達へと提案した。


「来栖さん、右手、さっきから様子が変だと思ってたんですけど、どうしたんですか?」


 椎名が、来栖の右腕に違和感を示した。

 霧崎も、それに気づいたように、その表情が険しくなる。


「あなた……その腕……」


「な、なんや。右腕がなんか変か? 銃撃ちすぎて痙攣してるだけやってな! ははは」


「ふざけないで!! あなた、まさか黙ってたの!?」


 霧崎が、右手を横に振り払って怒鳴った。

 修二は何が何なのか分からずに、どういうことなのか尋ねようとした。


「ど、どうしたんですか?」


 修二の疑問に、霧崎は答えようとしない。

 いや、答えずらいと言わんばかりに、その表情は曇っていた。


「いつからなの……あなたの様子が変だったのは今に至った時じゃない。あの時、黒猫のいる部屋を突破した後からだった……まさか、あの時に」


 来栖は、霧崎の真剣な顔に思わず目を逸らした。

 否定はしないその仕草に、霧崎は思わずその拳を近くの機材に打ち付けた。

 修二だけではない、椎名も状況が掴めず、緊張だけが走るその場をただ見守っていたその時――、


 来栖の横合いから胴体の半分を失った巨大クモが飛び出して噛み付いてきたのだ。


「きゃあああああああ!!」


 椎名が叫ぶ。

 霧崎と修二は突然の状況に、すぐに助けだそうと銃を構えたが、


「あかん!! お前ら、今すぐここから逃げろ!」


 来栖が、巨大クモに噛み付かれながら、自分を置いて逃げろと言う。


「何を言ってるの! ふざけないで!」


「霧崎! お前はもう分かっとるやろ!? 今ここで俺を助けたところでもう無駄や! ガキ共連れて、早く行けや!」


 来栖の言葉に霧崎は歯軋りする。

 逡巡していたが、霧崎は銃を下ろして、椎名と修二の腕を掴み、出口へと向かおうとする。


「ちょっ! 霧崎さん!? 何を、まだ来栖さんが!」


「黙ってなさい! 早くくるの!」


 修二の言葉を押し切り、その腕を引っ張って無理矢理動く。

 その時、大量の地面を這い回る音が後方から聞こえた。

 大量の子クモが、霧崎達へ目掛けて走り込んできていたのだ。


「っ! 霧崎、いけ! 早く逃げろおぉ!」


 来栖の叫び声に、霧崎は出口を開いて、修二達と共に逃げ切った。


 巨大クモは、依然と来栖の右肩から、その牙を喰い込ませていた。

 噛まれたその先から、痛みが来栖の全身へと駆け巡る。


「へっ、ようやく、二人きりになれたわ。なぁ?」


 苦し紛れに笑みを浮かべながら、巨大クモへとそう言い放った。

 もう、彼の右腕にはほとんど感覚が残っていなかった。

 霧崎達と合流したその時から、彼は意識が明暗としつつあり、死への前兆を感じていたのだ。

 とどのつまり、彼はここが死に場所になると心の底で感じていた。


 巨大クモは胴体を半分失っていても、動く元気は有り余っていた。

 恐らくだが、モルフにとっての致命傷とまでは至っていないのであろう、このまま放置すればまず間違いなく再生してしまうことも来栖は予想していた。


「あのガキにしてやられたのが、そんなにご執心か? なら、もう一発おかわりはどないや?」


 来栖はまだ動く左手で、上着の内ポケットに忍ばせていた手榴弾を手に取った。

 来栖は初めから、この手榴弾の使い道はこの為に使うと決めていたのだ。

 左手に持つ手榴弾の安全ピンを、来栖はその口にくわえた。

 後はこれを引き抜いて、自分の役目は終わりだった。


「嵐さん、織田……今、俺もそっちにいくで……」


 虚とした表情をしながら、来栖は覚悟を決める。

 そして、もうここにはいない、彼らのことを思った。


「霧崎、後は頼むで……絶対に逃げ切れよ……」


 意識が反転しかねるその瞬間、来栖は最後の力を振り絞り、その口で手榴弾のピンを引き抜いた。




 爆発が地下の中を揺るがして、男は最後の責務を果たした。


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