第一章 第二十三話 『絶望を送る者』

 織田がデータを読み上げた後、部屋の中の空気は一変していた。

 静まり返り、沈黙が部屋を支配した中で、笠井修二は怒りに満ちた形相で机を叩きつけた。


「ふざ……けるな……! なんだこのふざけた記録は! 俺たちが実験体!? 皆が死ぬ事も予定調和だったってのか!? 碓氷の野郎、絶対許さねぇ! 必ずぶっ殺してやる!」


 この記録に間違いが無ければ、修二達はいわば実験対象、モルフウイルスとやらの被験者のような扱いにさせようとしていたのだけは理解できる。

 だからこそ、憤るのは当然のことだった。

 あれだけの苦しく、悲惨な体験を目の当たりにして、これが予定通りの展開だということに怒るのは当たり前のことなのだ。


「この記録自体は碓氷が残したものではないが、確かに良い気分にはなれないね。それに、生きた状態でモルフを引き継ぐ存在……か。この情報に間違いがなければ、その『レベル5モルフ』とやらは、この島にまだいるかもしれないということになる」


「絶対にいるはずです。俺たちが工場にいた時のことを説明したでしょう? あの数のモルフが、急に押し寄せてきたんだ。『レベル5モルフ』とかいう奴が、あの化け物を操ったに違いないはずです」


 修二が確信を持つようにそう説明し、心の中で憎しみを溜め込んでいく。

 父になりすまし、笠井修二へと旅行のチケットを手配した者、そいつが『レベル5モルフ』だというのは、ここにいる全員の誰もが疑いようもなかった。


 女性であり、ロシア人であること。誰かは知らないが、それだけ分かれば修二にとっては十分ではある。

 ただ、気がかりなのは、それが碓氷であるかどうかについてだが、これについては現状、答えは出ないのも本音だ。


 だが、工場で竹田を殺した者、美香を殺し、竹田へと口止めをさせた者が同一人物であることから、そいつが『レベル5モルフ』である可能性は間違いない筈であり、それが修二の中で怒りを溜める要因ともなっていた。


 父は頭に手をやり、苦悶の表情を浮かべながら話した。


「だが、マズイな……。今俺たちがさっき相手にしたのは『レベル2モルフ』ということになる。このまま時間だけが過ぎていけば、俺たちがまだ知らない、『レベル3モルフ』の感染段階に移行するのは時間の問題だ。早急に碓氷を捕縛し、記録を回収したいところだが……」


「記録は全て移動させました。ですが、碓氷の捕縛は現状、現実的ではないでしょう。二人の生存者を守りつつ、その脅威に対応するのは厳しいとしか言いようがありません。それどころか、俺たち隊員だけで相手してもどうなるか……」


「それに、まだ『レベル4モルフ』とやらもおるんやろ? そこまで進化した奴がおったらさすがに手がつけられんのとちゃうか? 記録に残せんぐらいの特徴あるやつやろしな」


 隊員達は口々に状況を分析しつつ、そう話し合っていた。

 ここまで、修二達や隊員達が見てきたのは、記録によれば『レベル2モルフ』であることは間違いない。

 しかし、『レベル2モルフ』でさえも、先ほどは大勢で襲われれば苦戦するほどであった。

 これが『レベル3モルフ』や、まだ詳細が明らかにされていない『レベル4モルフ』と遭遇すれば、身の安全は保証しきれなくなるのだろう。

 それこそ、ここにいる部隊のメンバーだけで太刀打ち出来るかどうかは定かではないのだ。


「それに、動物や虫にも試したって……正気の沙汰とは思えないわ。さっきの巨大グモに関しても、あれがハエトリグモってことでしょ?」


「そういうことだろうな。今思えば、酷似点が多い。あれは、そのまま巨大化させたかのような姿だった」


 織田の言う通り、あの広間にいた巨大グモでさえも、この地下施設の連中がモルフウイルスを使ったが故の姿だったのだと、資料から見ても分かることであった。


「せめて、第三区にあるとされるモルフのウイルスサンプルだけでも確保しよう。織田、この記録にある第三区の場所がどこにあるか調べられるか?」


 父の言葉に、織田が再びマウスを動かしてウイルスサンプルの居所を探していく。


「ありました。近いです。この部屋の階段を下って、パスワードを入力した扉の先にある通路を更に進み、左の扉の奥にウイルスサンプルがあるようです。ちょうど、このPCからそこの監視カメラが覗けますね。全員で動きますか?」


「いや、厳重な部屋であることは予想されるだろうし、行くとしても二人までだな。俺と織田が行く。霧崎と来栖は二人を見てくれ。このPCで監視カメラを確認しつつ、もしも誰かが来れば、すぐに連絡するんだ」


「――分かりました」


「……え?」


 ぽんぽんと話が進むことに修二は動揺していた。

 ウイルスサンプルを確保することは賛成だ。

 だが、ここに残るということには修二は反対なのだ。


「待ってくれ父さん! 俺たちも行かしてくれ! 罠があるかもしれないんだろ? そんなの……危険すぎる!」


「言いたいことは分かる。だがな修二、これが最善なんだ。あくまでお前たちは一般人であり、守ることが俺たちの使命でもある。それは分かるだろ?」


「――――」


 父の言葉に、修二は口を噤んだ。

 それは正論であることは間違いない、だが、心配なのだ。今までのことを考えればそれは――。

 この記録を見て、状況は変わってしまっている。


 そんな修二の心配を理解していたかのように、父は薄く微笑んで修二の肩に手を置いた。


「いつか、俺が言った言葉を覚えているか? 大切な人を守る為には、なにをしてでも守り抜けって。

俺は今がその時だと思ってるし、お前も同じだ。

安心しろ、何もないことが一番だが、何があっても死んでやるもんかよ。だから、父さんの頼み、聞いてくれないか?」


「それを……今言うのかよ……」


 それを引き合いに出すのは卑怯だと修二は考えていた。

 だが、否定する理由もない。悔しげに黙って頷く他になかった。

 その修二の頭に手をやり、父は微笑んだ。


「お前は優しいからな。そこはお母さんに似て、可愛いやつだよ」


「うっせ、もういいから早く行けよ」


 恥ずかしがりながら修二は父の手を払い、後ろを向いた。

 こうなれば、父はもう止まらない。

 この中で誰よりも父のことを知っている修二だからこそ、それは分かる。

 ならば、きっと無事に戻ってくると、そう信じて修二は父に想いを託すしかないのだ。


「では、行きましょうか。来栖、今PCと監視カメラを繋いでいる状態だが、音声までは届かない。電源がつく以上、この地下は地上と違って電波が通っているはずだ。何かあればレシーバーで連絡してくれ」


「了解。さっさ終わらして隊長と合流しようや、もう怖いで、この島」


「ビビってんなら先に地上に戻ったらどうだい? 私がこの子たち見とくしね」


「そんなんしたら帰り道のクモに襲われるやつやん、敵わんわ!」


 霧崎の冗談めいた提案に、来栖もたじろぐ始末だった。

 他愛ない話だ。だがそれだけでも、この部隊の信頼関係は厚いことの証明でもある。

 きっと、父も同じで、ずっとこの隊員達と仕事をしてきたのだろう。


 大丈夫だ。必ず戻ってくる、この人たちといれば必ずなんとかなるはずだ。


 そう思い込み、信じる他になかった。

 すると、椎名が突然呆気に取られたように笑い出した。


「ふふっ、なんだか頼もしいね。今までずっと怖い思いをしてきたけど、今だけは本当に安心しちゃった」


「ああ、そうだな。本当に……安心した」


 今までとは状況が違う。

 ここにいるのは、戦闘のエキスパートであって、修二が心配するほど彼らも弱くはないのだ。


 父と織田は手持ちの武器を確認し、部屋の階段を下っていった。ウイルスサンプルはこの階段を下った先にある。

 それを手に入れ、さっさとこの地下から脱出して、皆と合流して日本へ帰るのだ。


 流行る気持ちを抑え、修二は来栖が見ている監視カメラのPC映像を見ていた。


「あー、あー、聞こえますかー。こちら来栖、応答ください、どうぞ」


 気のない喋り方だが、恐らく下に行った父と連絡をとっているのだろう。持っているのはトランシーバーの類だ。


『聞こえるよ。来栖、異常はないかい?』


「なんや、織田が持っとんか。副隊長かと思ったわ。今んところは何も異常はないで。パスワードは分かるんか?」


 PCから映し出される監視カメラには父と織田の姿があった。

 二人とも、階段を下りた先の扉の前にいた。


『パスワードは把握しているよ。これでもハッカーをしていたからね。さっきのPCの中にあったデータに三重に仕掛けられたロックコードは簡単に開けられたよ』


「そんなんできんのはお前だけやわ」


 ハッカーをしていたとの発言で彼らのキャリアを疑いたくなった。

 織田は、扉の前の入力画面をすぐさま打ち込み、ロック解除の音がして、扉が開いた。


『先に異常は?』


「大丈夫やな。罠の危険はあるかもせん、こっからは確認できんけど、ゆっくり行ったほうがええで」


 銃を構えながら、父と織田はゆっくりと一歩ずつ前へ進んでいった。


 監視カメラから見ても分かる、白い通路の先真っ直ぐに向かう道と左へ行く道がある。

 左へと向かった先が、ウイルスサンプルがあるとされる部屋だ。


『赤外線センサーの類はなし、目視でもそうですが、特に罠はなさそうですね、副隊長』


『気を抜くなよ、敵の本拠地であることには変わりはない。何が起こってもおかしくはないからな』


 分かれ道へ入る前のところまで、歩いてきた二人は、十分に注意を払いながら四方を警戒した。

 そして、ちょうど分かれ道まで着いたその時、通路へ入った扉が突如閉まった。


『っ! なんだ!?』


『閉じ込められました! 来栖! 何が起きてる!』


「分からん! 急に何かが割り込んできて……これは、誰かが地下ん中におるんか!?」


 来栖は何も操作していない。

 それなのに対して、突如、織田達のいる地下通路の扉に異変があったとするならば、誰かがセキュリティに割り込んできたとそう考える他にないのだ。


『おい! 来栖! 何が起こってるんだ! 応答しろ!』


「おい……嘘やろ。まさか、こっちの声も届いてないんか!?」


 まるで、来栖の声が聞こえていないかのように織田は来栖へと応答を問いかけようとしている。

 実際、その通りで、織田の無線機には来栖の声は届いていなかった。


 そして、状況は更に予想外の展開へと変わろうとしていた。


「――なっ!?」


 監視カメラを見ていた修二達は、突如、PC画面の監視カメラの映像が途絶え、エラーの表示が映し出されていたのだ。


「父さん! 織田さん! クソッ、来栖さん! 何が起きてるんですか!?」


「分からん! 急に画面が切り替わりよった! 誰かにハッキングされてる!」


 完全に罠であることに、一同が気付いていた。

 どのタイミングで気づかれていたのか、それは分からないが、ウイルスサンプルを奪いにきた侵入者へと、敵が仕掛けてきたということだ。


「っ! パスワードは!? さっき織田が調べてたパスワードを探して!」


 霧崎が大声を上げ、来栖へと指示する。

 焦りながらマウスを操作するが、織田が開いたとされるファイルが見つからない。


「どれや! あの馬鹿、なんでパスワードぐらい教えとかんのや!」


「急いで下さい! 織田さんが……父さんが危ない!」


 椎名は黙って修二の肩を掴みながら、見守っていた。

 ただ、見守るしかできなかった。


△▼△▼△▼△▼△▼


 織田は無線で来栖へと何度か呼びかけるが、それが叶うことはなかった。

 それがどういうことなのか、織田視点からすれば判断することは叶わない状況となっていた。

 下手をすれば、今来栖のいる待機部屋で何かが起きてしまったのではないかと、そう考えさせるほどにだ。


「副隊長! ダメです、来栖と連絡が取れません!」


「周囲を警戒しろ! 今は来栖に構うな!」


 嵐の指示に従い、織田はトランシーバーを腰に戻して、再び銃を構え直した。

 完全に閉じ込められた以上、何かが起きるはずだ。

 ここは狭く、通路となっている場所なので攻められるにしてもその手段は限られている。


 銃を構えながら、その場を動かずに周囲を視界に捉えながら警戒していると、入り口の閉まった扉の逆方向、真っ直ぐ先の扉が開かれた。


 扉の前に、誰かがそこにいた。

 嵐と織田は、すかさず銃をその者へと向け、


「誰だ! そこを止まれ!」


「待て、織田!」


 織田を制止させ、嵐はこちらへと歩いてくる人物を見た。


 女性、いや子どもだ。黒い髪をした女がそこにいた。

 そして、それは――、


「君は……」


 嵐は、銃を下ろした。

 その判断が、致命的だった。

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