第一章 第三十四話 『苦悩の果てに』

 柊の遺体を見届けた後、修二達は霧崎の元へ急ごうと走りだしていた。

 銃声が聞こえないということは、もう決着はついたのかもしれない。

 どうなったのか分からない以上、修二達にはそれを確認する必要があった。


 通路を走り抜け、入り口の部屋へと続く扉の前に立ち、修二とリクはお互いの顔を見合わせる。

 この先、もしも万が一、霧崎が負けて殺されていることがあれば、修二達でなんとかしないといけない。

 柊を倒した時に使ったライターもその手にあり、火をつける準備も整っている。

 万全を期して、修二とリクはお互いに頷いて、その扉を開けた。


 最初にこの部屋から逃げた時の内観と違い、部屋の中は荒れに荒れていた。

 椅子は列に並んでいたものが、あちこちに吹き飛ばされ、破壊されているものもある。

 外へと続く扉の隣は、何があったのか外が見えるほどに壁が破壊されていた。


 そして部屋の中央の付近を見ると、ここで別れた女性が一人、床に倒れているのを見つけた。


「霧崎さん!!」


 修二は走って、倒れている女性、霧崎の元へと駆け寄った。

 彼女が五体満足でいることは分かったが、腹部から大量の血が流れ出ていた。

 意識もないことが分かり、修二は急いで手当てをしようと霧崎の腰にあるケースを開ける。


「クソッ! なにか、なにか血を止めるものは!」


 そこで修二が彼女の生死を確認しなかったのは、現実から目を背けたい無意識の行動だったのかもしれない。

 もう動かない彼女を見て、リクは霧崎の首に指を当てて、目を瞑った。


「修二……霧崎さんは、もう……」


 リクの言葉を聞いて、修二は手当てするその手を止めた。

 間に合わなかったのだ。

 近くには、襲撃してきた『レベル3モルフ』のバラバラになった死体がある。

 上半身だけとなって、その首には木片のようなものが刺さっており、ピクリとも動く気配はない。


 恐らく、霧崎がやったのだろう。

 相打ちとなったのか、その場には生きている者の気配はなく、ただ静かに時が過ぎていた。


「霧崎……さんっ! クソッ、クソッ!」


 地面を殴りつける様に、怒りと悔しさをぶち撒けた。

 それほどに彼女が負けることなど、信じられなかったのだ

 きっとなんとかしてくれると、そう信じた結果がこれだ。

 だが、霧崎がいなければ、確実に修二達は死んでいたのは間違いない。

 彼女は守り切ったのだ。修二を、リクを、そして椎名達を。


「おい、修二……これって……」


 リクが何かを見つけて、それを修二に見せた。

 ストラップのようなものだ。

 霧崎の遺体のすぐ側に落ちていたようで、そのストラップには名前が書かれていた。


 ーー江口真美と。


「そんな。じゃあ、俺たちを襲ったのはマミと、柊だった……てことか?」


 ストラップにはモルフの肉片のようなものとくっついており、ここにいるバラバラになったモルフが身につけていた物ということだ。


「そういう……ことだろうな。二人とも、どこかで感染してあんな姿になったとしか考えられない」



 どうしてこんなことになったのか、修二達には分かりようもなく、ただその現実を直視する以外になかった。

 霧崎が持っていたケースの中には、医療器具だけではなく、地下研究所にて回収した実験記録のデータとそのウイルスサンプルが入っていた。

 この島で起きた最大の原因、その全ての元凶だ。


「っ! こんな、こんなものがあるから!」


 修二はケースの中にあるウイルスサンプルが入った試験管のようなものを取り出して、勢いよく腕を上げる。

 ーーだが、投げ飛ばせない。

 これを割ってしまえば、霧崎達が命懸けでやってきたことを無意味にしてしまうのだ。

 相反する感情が巡り、修二はウイルスサンプルを投げず、その手を下ろした。


「大丈夫か?」


 リクは止めなかった。

 ウイルスサンプルをここで割ってやりたい気持ちは彼にもあったのだ。

 だから、修二の行いには何も言わずにいた。


「ああ……すまん。こんなことをしても、どうにもならないからな」


「いいさ、俺も、そのウイルスには恨みしかないからな」


 腰につけたケースを霧崎から外して、修二は自分の腰につけようとした。

 サイズがあっていないのか、ベルトのように閉めることが難しく留められない。

 仕方なく手で持っていこうとしたが、そこでリクは修二へと手を伸ばした。


「俺が持つよ、修二。お前はこっちを頼む」


 そう言って、リクはさっき、柊がいた部屋で床に落とした拳銃を修二に渡そうとしたが、修二はそれを受け取ろうとはしなかった。


「俺には、もう撃てる気がしない。もう、引き金を引くのも辛いんだ」


「でも、椎名達を守らないといけないだろ? これを撃てるのはお前だけだ」


「リクが、やってくれないか? 俺には、荷が重すぎる」


 修二は、もうほとんど戦意喪失していた。

 今までは、周りを死なせない為に、奮闘してきていた彼であったが、そのほとんどで役に立つことはできなかった。

 もうこれ以上、自分が銃を持っていても意味がないと、そう言いたかったのだ。


「改めて身に染みたよ。父さんもそうだけど、こんなものを撃つなんてどうかしてる。これを使うのは、本当に実力と覚悟を持っている人が使うべきだ。俺みたいなやつが……使うべきじゃない」


 ただの素人に実銃を持たしたところで結果は何一つ変わらないと、修二はそう言い切った。

 所詮、桐生にこの拳銃を渡されたところで何も変わりはしなかった。

 たとえ助けることができても、結果的には皆死んでいく。


 買い被りも甚だしい。

 修二は浅はかな自分の考えを捨てるように、自身が銃を持つことを放棄しようとした。

 そうして、リクから渡される拳銃を、修二は手に取ろうとしなかった。

 だが、リクもその修二の言葉に反して、ずっと拳銃を修二へと渡そうとしていた。


「なんだよ?」


 修二はそれを訝しむように聞いた。


「お前しかいない、お前しかいないんだよ。そうやって逃げて、周りを死なすことになってもお前は平気なのか?」


「っ! もう、死んだじゃないか! 皆、皆死んでいった! 俺は、弱くて、小さくて、何も守れやしない! しなかったんだ! そんなこと、リクが一番良く分かってるだろ!?」


 抑え込んでいた感情が噴き出す。

 今まで溜め込んで、我慢してきたものを吐き出していく。


「何が俺が守るだ! 何が皆を死なせないだ! 結果、どうだった!? 皆、目の前で死んでいったんだ! 笑えるよな!? 俺は結局、何一つ守れやしなかったんだぞ!!」


 それはホテルから脱出して、モルフ達を退けてから決意したものだ。

 これ以上の被害を出さないように奔放して、修二は全力でやってきたつもりだった。

 しかし、結果としてみれば残酷なものだった。

 役に立たないことはなかったのかもしれない。

 実際、霧崎や来栖を感染した黒猫の群勢から助けだせたのも、修二の行いあってのことだ。

 だが、結果としてはもう、彼らは死んでしまっている。

 そんなことを修二が許せる筈がなかったのだ。


「俺がもっと賢くて、強くて、父さんみたいになってたら、こんなことにはならなかったのかもしれない……。結局、俺は自己満足のように右往左往して、周りに迷惑をかけていただけだ! なんで、なんで俺が生き残ってるんだよ……。皆が助かるべきであるはずなのに、どうして!!」


 本当は憧れ、尊敬していた父のように、自分もなれると勘違いした結果だと思い込んでいた。

 誰かを守る為に、どんなことをしてでも守り抜けという父の教えを、修二は何一つ果たせてなどいないと、そう思い込んでいたのだ。


 守る為に死ぬのは怖くはなかった。

 皆が生きて、自分だけ死ぬのならば、それが一番良い結末だ。

 それなのに、


「どんなことをしてでも守り抜くつもりだった。でも、結局それをしていたのは皆の方だったんだ……。スガも鉄平も、白鷺も、皆そうだ! 俺を庇って、守って死んでいった! 自分の命を顧みず、俺という矮小で口だけの人間をだ! 情けないよな……。俺は安全で、守られる側で、何一つ出来やしなかった。それで、結局こんなところまで生き残ってしまった……」


 修二にとって、自分の命を捨ててでも誰かを守るという行いが、どれほど重たいものか理解していた。

 修二自身も、椎名や白鷺を逃がす為に、そうしようとしたことはあったわけではあるが、結果的にそれは修二を守る為に、白鷺は生かされてしまったことに変わりはない。


 それが修二にとっては、痛々しく心に残り続けていた。



「俺は、最低で最悪のクソ野郎だ……。何もできない癖に、何かを守ろうとして、分不相応なことばかりしてたんだ。俺にはもう、この先何も守れる気がしない……」


 絞り出すように声を枯らして、修二は涙で顔を濡らしたままリクを見上げる。

 全部、何もかも自分のせいにしてほしい。

 穿った考えなのは修二にもわかっていた。

 ただ、それでも目の前で大事な人達が死んでいく様を見てきた修二には、もう耐えることができなかったのだ。

 心が折れてしまった修二のその声を、リクは黙って聞いていた。

 その手にある拳銃を未だ下げずに、ただ黙って修二の言葉を聞き続けていた。


「だから、お前じゃないといけないんだよ」


 リクは、最初と同じように重ねてそう言った。

 修二の本音を全部聞いた上で、それでも守れとそう言うのだ。


「お前は分かっていないよ。守るだのなんだの言ってるが、修二、お前がそれで死んでいい理由にもならねえんだぞ?」


 修二の言葉を引き継ぎながら、リクはそう言った。

 リクは、子どもの様に泣きじゃくる修二の肩に手を置いて、


「それにな、修二――」


 咎めようとせず、ただ優しく諭すように。


「お前は、椎名を守れていたじゃないか」


「――――」


 その言葉を聞いて、今ここにはいない椎名のことを思い出す。

 ここまできて、唯一守ることができた幼馴染の存在。

 彼女だけは死なせないと、修二は奔放して足掻き続けてきた。


「でも、それで皆が死んでいい理由には……」


「違う、優しすぎるんだよお前は。それにな修二、お前がいなかったら俺も、椎名達もここには生きていないんだぜ? お前がいたから、俺たちは今まで生きてこられたんだ。椎名だって、絶対そう思ってるはずだ」



 力強くそう言い放ち、リクは修二の目を真剣な表情で見た。

 修二のこれまでの行いを肯定するように、リクは修二のことを否定するつもりはなかった。


「できることを修二はやり切った。それが今の結果なら、もうどうしようもない。残酷なことだけど、今の状況が最善だったんだよ。だから、これからもお前はお前のやり方でやればいいんだ。一人で抱え込まなくても、俺だっている。頼れよ親友、幼馴染だろ?」


 結果を受け入れろと、リクはそう言っているのだ。

 誰も彼も救えなかった修二を、恨む者はいないだろう。

 納得をしきれていたわけではない。

 だが、それが最善でしかないのならば、修二はこの拳銃を手に取る以外に、何も成し得ることはできない。


「やれるかな……、俺に……」


「やってもらわなきゃ困るぜ。その為にここにいるんだろ?」


 リクの言葉は優しく、修二に対して怒ることもなかった。

 それが、修二にとってはなにより心を安らがせてくれた。

 リクはずっと、修二に拳銃を渡そうとしていた。

 それを修二は受け取り、その感触を確かめる。


 やはり重たく感じるそれを腰に直して、前を見る。

 迷うわけにはいかない。

 もうこの先、誰も失わせるわけにはいかないのだ。


「そう、それで良いんだよ。俺じゃあノーコンすぎて当てることもできねえからな」


 ノーコントロールという意味合いだが、たしかにリクは球技が苦手な部類の人間だった。

 射撃には全く関係はないとは思われるが。


「それで、陸上部にいたもんな、そういえば」


「抜かせ、ほらさっさといくぞ。そのケースは俺が持つからな」


 修二が持っているケースを取り上げて、リクはそれを腰に巻きつける。

 準備は万端であった。

 リクから渡された拳銃には、もう残り数発と言うべきほどに頼りないものだが、ないよりかはマシである。

 一刻も早く椎名達と合流し、帰還用のヘリを待たないといけない。


 歩き出そうとしたその時、電話の着信音が足元から聞こえた。

 霧崎が持っていたものか、その黒いガラケーを修二は拾い、画面を見てみる。


「非通知……誰からだと思う?」


「さあな、でも、出てみる価値はあるかもしれない」


 実際、これまで修二はこの島の訳の分からない現象には頭を悩ませてきた。

 自分達の持っていた携帯は電波がなくなり、電話もかけられない状態だったのだ。

 それが、ここでは逆に繋がってかかってくるということは、この事件の黒幕の可能性もある。


 だが、誰にしてもなんらかの手がかりが得られるならば出るしかない。

 修二は、電話に出て、ゆっくりと耳に当てた。


「もしもし、誰……だ?」


 慎重を期すべく、修二は電話の相手の声に集中して聞こうとした。


『ん? 君は誰、かな?』


 野太い声をした男の声が聞こえ、修二は応じる。


「俺は、笠井修二っていいます。この携帯の……霧崎さんに護衛されていました生存者です」


 敵か味方か、分からなかったが故に、まずは自らのことを話した。

 これが敵であれば、情報を探りつつ動こうと考えてはいる。


『生存者……そうか、では御影島は既に……。良く生きていてくれたね。霧崎は、そこにいるのか?』


 言葉の全てを汲み取れないが、味方である可能性が高そうではあった。

 修二は現状の説明をしようと、今ここで起きたことを端的に話そうと試みる。


「霧崎さんは、俺たちを守って死にました。桐生さん以外はもう……」


『……そうか。桐生だけでも生きているというのは幸いだ。君たちは今、島のどこにいるのだね?』


「その前に、あなたは誰なのでしょうか?」


 電話の相手の男から場所を尋ねられたことに、修二は警戒した。

 これが霧崎の味方であろうと、この事件の黒幕ではない確証は持てない。

 迂闊に自らの場所を話すことは得策ではないと考え、まずは電話の主の情報を探ることにした。


『ふっ、警戒心はさすがだね。でも安心したまえ、君たちの安全を確保する者ととっていただいて問題ないよ』


「信用にはまだ欠けますね。せめて、何者かどうかだけでも教えていただけませんか?」


 臆せず、修二は電話の男の正体を暴こうとした。

 少し調子に乗りすぎたかもしれないが、これぐらい言わないと情報は引き出せない。

 電話の主の男は間を空けて、ため息をついて、


『――分かった。話そう。私は陸上自衛隊二等陸佐 多々良平蔵というものだ。君たちの知る非正規非公表部隊である隠密機動特殊部隊の管理を一時的に任されている者だよ』


 突然、自己紹介をしたその男は、あの陸上自衛隊の幹部クラスの人間であることを知り、思わず修二は閉口した。

 いや、それだけではない、偶々か、その苗字には覚えがあった。


『笠井修二君、君は確か、息子の太一のクラスメイトだね? その島にクラスメイトの全員がいることはこちらでも把握している。まさか、高校生を嵌めるようなことをする人間がいるとは、我々も予測の外を超えていたよ』


 多々良平蔵、この男は、あの多々良太一の父親ということだ。

 確かに太一の家系はお金持ちということは噂で聞いていたが、その素性までは修二もほかの皆も知らなかった。

 恐らく、あのリュウですら知らなかったはずだ。


『一つだけ、先に聞いておきたいのだが、太一はそこにいるのか? それだけ、教えてくれないかい?』


「っ、太一は……その……」


 ――もう死んでいる。そのことを伝えることがこうも重たいのか、と修二は胃が重く感じた。

 だが、電話の主の男、多々良平蔵は察したように修二の言葉を区切った。


『……そうか。ありがとう修二君、辛いことを思い出させたね。安心したまえ、奴らには必ず報いは受けさせるつもりだ』


 奴らとは誰なのか、それは分からなかったが修二も聞きたいことはあった。


「多々良さん、一つだけ教えてほしいんです。この事件を引き起こした人間について、一体誰が……こんなことを」


『それについてはもう判明しているよ。それを報告する為に、霧崎に繋ごうとしたのだが、状況はそうはいかないらしい』


 黒幕の名前を知っていることを修二は目を見開き驚いた。

 それは今一番に欲しい情報であり、修二自身が確執していることだ。


「だ、誰なんですか!? 教えて下さい!」


『待ちたまえ、笠井修二君。今、君の側には誰がいる?』


「え? いや、俺の側には、立花陸っていうもう一人の生存者だけですが」


『――そうか、ならば問題ないな』


 息が止まるかのような感覚だった。

 ここにいる可能性を疑ったのだろう、恐らくその者はこの島に未だいるということだ。


 だが、一つだけ気になることがあった。

 リクの名前を出しても問題ないというその物言いは、まるで修二が知っている存在のような気がしたのだ。


『君たちがその島へと連れてこられた要因、つまりは君にその島への旅行券を父に偽装して送りつけた人物だ。そして、それは君のクラスメイトの中の一人であることが判明された』


「クラスメイトの中に……裏切り者が?」


 それは教会の中で修二が密かに推測していたことであった。

 だが、それを当てに推測できる容疑者は誰かまでは分からないでいた。


『落ち着いて良く聞きたまえ。その人間は、まず戸籍を偽って日本に滞在していることも分かっている。本当の国籍はロシアであり、恐らく何らかの諜報員である可能性が高いとされている。そして、その人間は君たちのクラスに溶け込み、この事件への準備を重ねていたのだ』


 次から次へと明らかにされる情報に、修二は困惑した。


 ロシア人? 諜報員? なぜ、そんなものが俺たちのクラスに用があったのかがまるで分からない。


 心臓の鼓動が速くなる感覚を感じた。

 これまでの、この島で起きた軌跡を思い出していき、その人物像を照らし合わせていく。

 そして、一人だけ思い当たる節のある人物がいたのだった。


『君たちのクラスには、一人転校生がいたね? 今から一年前のことだが、それは君も知っているはずだ。なにせ、君もその時同じクラスだったはずだからね』


 息が荒くなり、修二は額に汗を浮かべた。

 それはもう、話をしている場合ではないぐらいに焦っているのだ。


 バラバラになったパズルのピースがハマっていき、全ての謎が解けたかのような解放感。それと共に、尋常ではない焦燥感が身を包み込んでいく。


『その女の名前は……』


「――っ!」


 最後まで聞かず、携帯をリクに渡して修二は走り出した。


「おい、修二!! どうしたんだ!?」


 リクの制止の声も聞かず、修二は全速力で走った。

 目的地は一つ。椎名達のいるヘリポートへと。



△▼△▼△▼△▼△▼


 椎名達は、世良に引っ張られるように走り抜けて、ようやく帰還用のヘリが来るとされるヘリポートへと辿り着いていた。

 この島になぜそんなものがあるのか、どこかの資産家が私用のヘリでも使っていたのか分からないが、ここにいれば、助けがくる筈だ。


「はぁっはぁっ! 世良ちゃん、もう大丈夫だよ。一旦休もう?」


「はぁっ、つか……れた。笠井達は大丈夫、かな?」


 黒木が心配そうにそう言って、修二達の身を案じていた。

 あの化け物は、大門と茅野を切り殺したのだ。

 正直に言って、勝算は薄いだろうと黒木も感じていた。


「大丈夫だよ! 修二もリクも、すごい頼りになるんだから」


 その自信はどこからくるのかは分からないが、実際椎名は修二と一緒にいたのだ。

 拳銃を使ってもいたし、彼にはそれを扱えるほどの実力はあるということだろう。


「でも、今は私達もあの化け物に見つからずにここで待機しないといけないんだよね」


 夜明けが近いことは分かってはいたが、まだ遠くにはヘリの姿が見えない。

 もしも、この間にあの化け物がくればお終いだ。

 その焦りを感じつつ、黒木は海の方角を見続けていた。

 帰還用のヘリの姿は未だ見えない。

 ただずっと地平線だけが見えるのみだった。


「黒木君、君に伝えたいことがあるんだ」


 世良が、いつもとは違う調子で黒木にそう話しかけてきた。

 ここまで全速力で走り抜けてきたわけだが、彼女にはその疲労が感じられないほど、落ち着いている。


「どうしたの? こんな時に」


「感謝しているんだ。あの時、教会で笠井君と話していた時のことをね」


 何を言っているのか、黒木には理解できなかった。

 悠然と立ちすくんでいる世良は、黒木の元へと歩き寄り、その目を見続けている。

 世良のその吸い込まれそうな青き瞳は、宝石のような美しさを秘めていた。


「笠井と話していたこと? それって――」


 言葉は最後まで続くことは無かった。

 笠井修二を疑っていたというあの会話のことだと、脳が理解するまでもなく、世良は遮るようにしてこう答えた。


「――あの時は、笠井君に疑心を植え付けさせてくれてありがとう」


 その瞬間、鮮血がその場を舞い散った。

 黒木は何が起きたのか分からず、自らのその手を見た。


 自分の両手が血に塗れていること、世良の右手にはナイフのようなものが握られていること。

 それを見た時にはもう遅かった。

 力が抜けて、黒木はその場で倒れる。


「――え?」


 椎名は訳もわからず、それを見ていた。

 今、明らかに世良が黒木の首をナイフで切ったのだ。

 世良は何一つ、黒木の様子を気にする素振りもせずに振り返る。


「君も、予想通り、ここまで生き残ることができた素晴らしい女の子だったよ」


 そう言って、世良は怪しげに笑った。


△▼△▼△▼△▼△▼


「はぁっはぁっ!」


 全速力で走る。

 修二は、闇雲に一切の手を抜かず、走った。


「どうして……っ!」


 その疑心は、直接聞かなければ分からないだろう。

 だが、彼女は間違いなく、この島の事件の首謀者であり、皆を殺した元凶だ。


 ヘリポートのある海沿いまで走った修二は、近くにそれがあるのをすぐに見つけた。

 足の疲労など無視して、ただ走り抜けていく。

 そして、ヘリポートの下の階段を登り、その頂上へとついに辿り着いた。


 そして、そこで見たのは首から血を流して倒れている黒木の姿と、椎名の首を腕で後ろから抑えていた世良の姿だった。


「世良ぁぁぁぁぁぁ!!!」



 こちらの存在に気づき、その口元を歪める世良の姿がそこにはあった。


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