第一章 第三十三話 『こロシて』
「ひ、柊……?」
拳銃を下ろし、修二はただ呆然としていた。
それはリクも同様で、ただ声だけを発するその存在を見ていた。
訳がわからなかった。
このモルフは柊の声をして、修二の名前を呼んだのだ。
辻褄が合わない。そう考えていた。
なぜなら、モルフは感染すれば、必ず感染者は死に至る。
そうなれば、もう生きていた頃の意識はどこにも残っていないはずなのだ。
だとするならば、この『レベル3モルフ』は柊の声真似をして、修二達を惑わそうとしているのかと考えてみたが、その答えは出ない。
「どういうことだよ……なあ、修二! 俺たちが倒したのは、柊だってのか!?」
修二は答えることができない。
地下で見た記録にはハッキリと書いてあったはずなのだ。
モルフとなった者は、『レベル5モルフ』を除いて、例外なく死んだ扱いになる。
それを知っていたからこそ、なぜ、柊が生きたままモルフとなっていたのか分かるはずもなかった。
「か……さ……い……くん」
弱々しく、掠れたような声で、モルフはまだ修二の名を呼ぶ。
何かに縋るように、もうほとんど黒焦げになったその身体を震わせながらこちらを見つめていた。
「こ……ロ、シて」
立ち上がりながら、懇願するように柊らしきその生命体はそう言った。
「う、嘘だろ?」
その言葉を聞いて、このモルフが演技をしている訳ではないことを理解した。
声真似などではなかった。そのモルフは間違いなく、柊だ。
自我を失って、修二達を襲いかかってきていたのだ。
柊自身、もうほとんど修二達への脅威とはならないほど、焼け焦げて右腕の刃物もグズグズに溶けている。
その状態はあまりにも生き地獄と称してもいいほど酷い有り様だ。
「柊、どうして……」
修二達にどうしようもできない。
まだ生きているという救いも、目の前の姿を見ればもはや手遅れという他にない。
「こロシて……コロし、て……」
「そんなこと……できない! できるはずがないだろ!? 俺に……お前を殺せだなんて……!」
繰り返し、殺される事を望み、そう言い放つ彼女を修二は否定した。
その痛々しい姿を見て、殺される方が楽だということを分かっていたとしてもそれができない。
まだ、モルフに感染していただけなら簡単な話だった。
ここまで苦しむこともなかった。
鉄平の時ももう意識がなく、死んでしまった彼が襲いかかった時でさえも、修二は覚悟を決めて彼を打ちのめしたのだ。
だが、今回は違う。
生きていた頃の意識があり、それでいて殺されたいと言うのだ。
その無惨な姿にこれ以上、追い討ちをかけることなど、修二達にはできるはずがない。
「なあ、リク……どうしたらいい……? 俺、嫌だよ……柊を助けたい……」
涙を流し、リクに相談するが、そんなことはできないことなど修二自身も分かっていた。
ここまでの酷い姿をした柊が、元の姿に戻るなんてことはもうあり得ないのだ。
「クソッ!! なんで、こんなことに……!」
拳を壁に打ちつけて、リクは怒り、悔しんでいる。
修二は絶望して、何も出来ずに立ち竦んでいた。
「か、さい……ク、ん……おネ……ガい、コロ……して。イタ……いの、クル……しいの。ラくに……して」
モルフとなっていた柊はその言葉を放ち、立ったままこちらへと殺してくれと、お願いし続けている。
もう耳も聞こえていないのか、修二達の言葉には反応も示してはいなかった。
拳銃を握ることができない。
このまま迷い続けていれば、霧崎の命も危ないかもしれない。
だが、どうすべきなのか判断が出来ないでいた。
クラスメイトを殺して、まだ助かる命を助けに行く方が合理的であることは間違いない。
むしろそれが正解であることも分かってはいる。
椎名達も無事であるかどうかは定かではないのだ。
でも、それでも躊躇するのは当たり前のことであった。
どうして、息のあるクラスメイトを殺さなければならないのか。
ただの高校生である修二が、非情に徹し切れるわけがなかったのだ。
「俺が……俺が、やる」
リクが修二の持っていた拳銃を取り、その銃口を柊へと向けた。
その手は震えており、リク自身も覚悟が決まっていないことが分かる。
「リク……やめてくれ、何か手があるはずだ。こんな、こんな残酷なことがあるかよ!」
「ここでモタモタしていたら、他の皆が危ないんだぞ!! 柊だって……苦しいはずなんだ!」
怒鳴り、言い聞かせるようにリクは柊に近づき、その頭部へと確実に命中する距離へと射程を合わせた。
だが、引き金を引けない、
どれだけその引き金が重く感じたのか、照準がブレる程、リクの身体は震えていた。
「ち、くしょう……っ! 俺はまた人を殺さないといけないのかよ……っ!」
また、という言葉に修二は思い起こした。
リクは修二を庇って、モルフとなったスガにトドメを刺したことを覚えている。
あの時、リクが助けてくれなければ、修二は今ここにいるはずはなかった。
自ら嫌な役目を引き受けて、リクは修二を助けたのだ。
なら、今修二にできることはなんなのか、自問自答をしながら立ち上がり、リクが持つ拳銃へと手を置いた。
「リク、貸してくれ。もう、大丈夫だ」
冷め切ったような目で、リクの持つ拳銃を手に取った。
何もかも不条理が過ぎるこの世界を恨みたくなったが、そんなことをしたところで何も変わりなどしない。
修二が今すべきことは、ただ一つしかないのだから。
「柊、ごめんな。俺は弱くて、何も分からないぐらいバカだ。あの時、皆で白鷺を探しにいけば、もしかしたら変わっていたかもしれない。
……全ては、俺の弱い心が生んだ結果だ」
結果論だということは分かってはいた。
それでも、あの時こうしていれば、ああしていればと、今の最悪の結果は避けていたのかもしれない。
でも、そんなことは誰にも分からない。
数ある選択肢の中から、修二もリクも、柊もそれを選んだのだ。
「だから、俺のこの選択も分かってくれるよな?」
目の前にいる柊は立ったまま、こちらを見ている。
炎に焼かれて、目もなく、こちらを見ることなどできないはずだが、きっとそこにいると思っているのか立ち竦んだままだ。
「イタい、いたイイタい痛い!! あああああっ!!」
「柊!!」
苦しみ、喘ぐように柊は慟哭をあげ続けた。
△▼△▼△▼△▼
痛い、苦しい、寂しい。
どうしてこうなってしまったのか、どうしてこんな目に合わなくてはならないのか、彼女は自らの悲劇を呪い続けた。
意識が明滅し、戻ったかと思えば全身に異常な痛みが駆け巡る。
そんな時間を繰り返す内に、もう死にたいとさえ、何度も彼女は思い続けた。
だが、それは叶わなかった。
身体を自分の意思で動かすこともできず、何故か勝手に動こうとするのだ。
せめて誰かに殺されれば、この苦しみから解放されると祈りながら、口だけは動かしてその時を待っていた。
あの時、修二と椎名が白鷺を探しに向かった時、柊はマミと一緒に家の中で籠っていた。
でも、そんな安全な状況は、すぐに絶望へと変わってしまった。
化け物達が家の周囲を取り囲み、柊たちへと襲い掛かりにきていたのだ。
マミは必死に柊を守りながら逃がそうとして、あの化け物に噛まれた。
それでもなんとかしようと、化け物達からマミを引き離して、あの家から全速力で逃げた。
どれくらい走ったのか、今はもう覚えていない。
ただ、マミの様子がおかしくなっていったことは覚えている。
柊は何もなかったのに、マミだけはまるで高熱の風邪にでもなったように辛そうな顔をしていた。
マミは、私を置いて逃げてと言ったが、逃げなかった。
親友を置いて逃げるなど、柊にはできなかったのだから。
海に近いところまで出たのか、波のさざめく音が聞こえた。
外灯が見えるが、近くにあるのは大きな教会と
多数の家が並んでいたぐらいであった。
急いで入ろうとしたが、マミは立ち上がることもできないぐらい憔悴しきっており、力のない私では運ぶこともままならない。
誰か、助けてほしい。そう祈って周りを見渡してみても誰もいない。
あの化け物が周りにいなかっただけでも幸いだったけど、ここに居続けていればいずれ見つかってしまうだろう。
なんとか移動する術を探そうと、周りを見渡し続けていると、何事かマミは立ち上がった。
動けるようになったのか、喜んでマミの顔を見るが、何か様子がおかしかった。
柊の声に何も応えず、こちらを見続けていたのだ。
なによりおかしいのが、その無機質な表情と虚な瞳は、まるで柊たちを襲った島民達のようで――、
そこから先はあまりよく覚えていない。
意識が明滅し、目覚める度に全身をナイフで切り刻まれたかのような激痛が駆け巡る。
右腕と左腕の感覚もおかしい。
まるで、何か別のものに変わってしまったかのように重たい。
これから私はどうなってしまうのだろうか。
もう、元の生活に戻ることはできないのだろうか?
自宅の布団が恋しい。
頭から被って、眠りにつきたい。
そうだ、なんだか眠たいな……。
意識が明滅する。
どの間隔で意識が戻るのか分からないので、時間も分からない。
そうして繰り返すうちに、ある声が聞こえた。
男の声だ。どこかで聞いたことのある声がした。
「か……シャ……い……クん」
ようやく、出会えた。
私を終わらしてくれる人の存在と。
その時だけ、意識だけではなく、身体を動かせる感覚があることを彼女は理解することができた。
△▼△▼△▼△▼△▼
「柊!!」
もうこれ以上は彼女が耐えられないと、修二は拳銃の持ち手を強く握る。
手の震えはもう止まっていた。
撃ってしまえば、柊は間違いなく絶命するだろう。
そしてそれは同時に、修二が人を殺すということにもなる。
先ほどまでの自分は、自分本意な考えで殺すことを躊躇っていた。
すぐに楽にしてやることが、彼女の為になることを分かっていても、人を殺すという行いがどういうことなのか、どれだけ重たいことなのかが分かっている。
迷いを断ち切り、引き金を引こうとしたその直前、柊に変化が起きた。
苦しんでいた先ほどと違い、修二のことを認識しているように、グズグズになった右腕を銃口の先に向けたのだ。
――まるで、撃つのをやめろと言うかのように。
「柊?」
何かを言おうとしていた。
今、彼女の身体を動かしているのは、モルフの意思ではなく、彼女自身であることがわかる。
その口を動かして、無い目からは涙を流しながら、修二達へと何かを伝えようとした。
「ご、めんね、み……んなに、めいわ……くかけ、たよね。も、う……大丈夫……だから」
修二に撃たせないよう、必死にその右腕をこちらへ向けながら彼女はそう言った。
その様子には、もうモルフというウイルスの意識が感じられず、人間の頃の動きそのものだった。
「だ、大丈夫って……お前……」
柊は右腕を下ろさず、そのまま自らの首元にそれをあてがった。
修二もリクも目を見開き、柊が何をしようとしているのかすぐに分かって、
「柊!! 待て、やめろ!!」
言葉を発した同時だった。
柊は自ら首元にあてがった右腕の刃物で――
首を斬って、自害した。
△▼△▼△▼△▼△▼
意識が明滅する。
目が見えない。耳も聞こえない。
でも、身体は動かせることに気づいた。
全身を焼けつくような痛みに晒されながら、ふと柊は夢を見るような感覚に陥った。
そこは、今まで感じていた真っ暗闇の中ではない。
白く眩しい光の中にいるかのような、そんな場所に柊はいた。
――暖かい。
不安と恐怖、痛みもそこでは感じられない。
自宅のベッドの中にいるような、そんな心地良い感覚だった。
ここはどこなのだろうか?
今まで見ていたのはひょっとして悪夢だったのだろうか?
希望を持ちながら周りを見渡すが何もない。
地平線の向こうまで白く、そこにいるのは柊という存在のみだ。
もしかして、ここは天国なのかな?
そう思って、足を前へ動かすと変化が起きた。
目の前の何もない場所が、突如として光ったのだ。
その発光体は人の形をしていき、見知った人物の姿がそこに現れる。
「マミ……ちゃん?」
ぼんやりと浮かび上がる親友の姿に、柊は目を見開いて驚く。
柊の最後の記憶では、マミは柊に襲いかかるその瞬間までであった。
ならば、ここはやはり夢なのだろうか?
「マミちゃん……ここってどこなの?」
目の前にいるマミは、こちらを見て笑みを浮かべるのみだ。
柊の問いには答えず、ただそこに立っているだけであった。
「マミちゃん、ごめんね……。私がドジじゃなかったら、マミちゃんが怪我することもなかったのに、私のせいで、あんなことになってしまって……」
あの時、柊を庇って島民達に噛まれてしまったこと、それを柊は深く罪悪感に苛まれていた。
それを咎められることを柊は望んでいたが、マミは笑みを浮かべながら首を振った。
言葉は発さずに、柊の言葉を否定する。
まるで、柊は何も悪くないと言うかのように。
その瞬間、マミは足元から光るように徐々にその姿を失おうとしていく。
「え、え? 待って! 私、まだ!」
言いたいことはたくさんある。交わしたい言葉もたくさんあった。
でも、親友は待ってくれない。
その姿が少しずつ消えていき、ついに柊の目の前からは消えてしまった。
「マミちゃん……そうだよね。ここが夢だなんて、そんなはず……ないんだよね?」
マミは何の為に柊の元に現れたのか、なんとなく分かった気がした。
今、現実では修二達が変貌した自らと出会っていることも知っている。
あの苦痛から、恐怖から逃れたくて、せめて修二達の誰かに殺されて楽になりたかった。
「でも、そんなこと、そんな他人任せなことしちゃいけないんだよね? マミちゃん」
同じクラスメイトにその責任の荷を負わせることは酷なことだ。
そんなことは、絶対にさせてはならない。
決意を固めたその直後、光の中の世界は暗転し、気づけば最初の感覚に戻っていた。
――身体は動く。
目は見えないままであったが、耳が微かに聞こえるようになってきていた。
「柊!!」
近くから、声が聞こえる。
クラスメイト達が私を呼ぶ声だ。
きっと、私を殺そうとしているのだろう。
……でも、それだけは……ダメ……っ!
身体は動くとはいえ、全身の感覚は鈍い。
それでも最後の力を振り絞って、柊は変異した右腕を目の前へと向けた。
それが何を意味するのか、伝わるかは分からない。
でも、彼らに必ず自分を殺させてはいけないという思いを込めて、震えながらに右腕に力を込める。
「柊?」
やっぱり、目の前にいる。
笠井君の声だ。
声を聞いて、柊は安心した。
ようやく、マミ以外に出会うことのできた友達の声を聞いて、安心することができたのだ。
その心には、もう不安という感情はない。
せめて、今のうちに伝えなきゃいけないことを伝えようと、柊はその口を動かして修二達に話しかける。
「ご、めんね、み……んなに、めいわ……くかけ、たよね。も、う……大丈夫……だから」
途切れ途切れになったけど、ようやく言えた。
後はもう……。
「大丈夫って、お前……」
大丈夫。もう、何も怖くない。
不安も恐怖も寂しさも、全部無くなったから。
だから……
ありがとう。
△▼△▼△▼△▼△▼
鮮血が目の前で飛び散っていく。
柊を止めることに間に合わず、その床へと倒れる様をただ見ていることしかできなかった。
「どうして……」
修二は顔を下へ向け、そう呟いた。
その手に握る感情は怒りか悲しみか、様々な感情が入り乱れていた。
「どうして、いつもこうなるんだ……。皆、皆、目の前で死んでいくんだ……。どうして……」
修二は膝をつき、もう動かなくなった柊を見る。
元の姿の面影はなくとも、柊には違いない。
最後の最後で自ら自害したのは、修二達への重荷にならない為の行動だったのかもしれない。
「修二……、そうじゃないだろ?」
リクが修二の肩に手を置いて、そう言った。
リクも修二と同じ気持ちなのは、修二でさえも分かっている。
「俺も、修二も力不足だった。救う方法はあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。でも、柊自身が選んだ選択を、俺たちがウジウジするのは違うんだ。柊だけじゃない、この島で死んだ皆の為に、俺たちが出来ることはあいつらの分まで生き残ること……そうだろ?」
諭すようにそう言うリクは、修二の肩を持って立たせた。
部屋の中は血の匂いが充満し、鉄臭い匂いだけが残るだけとなった。
その中で修二は、唇を噛み、ただ悔しがることしかできない。
それしか、できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます