第10話 魔女、巨人と疾走する

「よぅし。小僧!デカブツ!どっちも出来た。持っていけ」

 工房に持ち帰ったメネフの義手とテツジのシャベルに、グノーは何か細工を施したらしい。義手には、指環型の部品。シャベルには、持ち手に細い鎖で金属片が固定されている。いずれもその表面に、ドワーフの使う彼らにしか読めない魔刻。

「邪魔にはならねえはずだ」

「しかし爺さん、コイツは一体?」

「さてな。役に立つかどうかは、役に立ってみなけりゃわからねぇ。守り札が何かだと思っとけ、今はな。だがわしの覚えてる通りなら……には確か……」

 グノー親方は、この老人としては極めて珍しく思わせぶりだ。メネフにニヤリと奇妙な笑みを浮かべ、小声で。

「ま、ここじゃ聞かない方がいいぞ小僧。お前がやりにくくなるからな」

 そして老人は横目でテツジをチラリと見る。

(守り札……吸血鬼に効くやつか?だとすれば)

 確かにここで問いただすわけにはいかない。それはまだ巨人に知られては困るのだ。一方そのテツジはと言えば、石巨人のポーカーフェイスは何とも判断し難い。だがメネフにはわかる。

(怪しんでるな。そしてとぼけてやがる。今のも、それにオレがまで多分コイツにはお見通しだ。

 ……構わねぇがな。要はいつバラすか、そのタイミングの問題だけだ……)

「世話になったな爺さん」メネフはさらりと礼を言う、

「オーリィちゃんに頼まれた仕事、良く仕上げてやってくれ。じゃあな。さて、みんな行こうぜ」


 買い物を済ませ、一行は村境の街道沿いまでやって来た。オーリィとテツジの住む山は左、メネフの、すなわちこの国の国主侯爵の城は右。

「コナマさんケイミーさん、これからお城にいらっしゃるのでしたね?ここでお別れしましょう。今日は本当に色々ありがとうございました。またいつか山に遊びにいらして下さいな」

 恩人の二人に愛想よく挨拶する魔女。

「そうね。オーリィも元気でね、またいつか」

 コナマもあくまでにこやかだ。だがそれが芝居であることはメネフにはよく分かっている。

(済まねぇが、負けてらんねぇな。ここからがオレの大芝居だ。みてろよ婆さん……!)

 別れの手を振ろうとしたオーリィに、メネフは素早くこう言ったのである。

「なぁオーリィちゃん?せっかくだ、あんたも城を見に来ねぇか?」

「……坊や?」コナマの顔色が変わる。「ケック!」弾かれたようにメネフの顔を見るケイミー。そして二人は顔を見合わせる。は秘密のはずでは?

 オーリィにはコナマとケイミーの懸念の真の意味はわかっていない。だが、彼の言葉には二人以上に反発した。

「……何を言ってるの?」

 人間の城に魔女を招く。あり得ないことだ。確かに侯爵が異種族にかなり寛容であることはオーリィも話として聞いている。しかし。侯爵の友人であるコナマや、伝書屋として人間の間で便利に働くケイミーとは、自分は違う。人を、そして人が信じる教会の教えを捨て、悪魔に帰依してその加護を得た魔女は、単なる異種族とは決して同列ではない。より深く人間に疎まれ白眼視される存在なのだ。

「わたしは魔女よ?」

「知ってるさ。だが婆さんの知り合いだ。問題ねぇ」

「問題ないですって?そう、でも私の方がお断り。さっきも言ったでしょう?今日のわたしはあくまでコナマさんのお顔を立てただけ。人間の、しかも貴族なんかと!わたしは馴れ合うつもりは無いわ」

 その時。

「お言葉ですがオーリィ様!この招待、お受けになった方がよろしいでしょう。俺はそう考えます」

 割って入った巨人の言葉に、オーリィはむしろメネフの招きの言葉よりも驚く。目を剥いて従者を叱りつけようとしたが、その顔を見て言葉を飲む。

 普段は温和で穏やかな彼の、見たことの無い断固たる厳しい表情。

「オーリィ様。俺は先程聞いたのです。今日が我々と彼らの会う最後の機会になるかも知れない、と。そうでしたね、ケイミーさん!あなたは確かにそう言ったはずだ。『もう二度と会えないかも』と!」

「ケック!えと、あの……クワ~ック?それは一体どういう……」

 しどろもどろに誤魔化そうとするケイミー、その言い訳にテツジは耳を貸さない。

「殿下?そもそも侯爵様はコナマさんに一体何の用事があるのです?あなたは大至急と言っていたが?つまり侯爵様はコナマさんを連れて来させるために殿下、あなたを派遣したんだ。わざわざ?コナマさん、まさかチェスの勝負の誘いなどではないですね?その錫杖は?殿下の誂えたその新しい剣、それと何か関係でも?

 何もかも妙だ……!あなた達は、俺達、いやオーリィ様に何かを隠している。

 お分かりですかオーリィ様?それを聞き出すまでは、我々は彼らと別れる訳には参りません!」

 次々と相手を変え、最後には己の主人まで睨みつけながら、有無を言わさず、一息で決めつけるテツジ。

(思った以上だぜ、コイツ、頭が切れる!だが……)

 メネフはむしろ心中不敵にほくそ笑む。

(この際いっそ有難ぇぜ。要するに釣れたってことだ、針がかかった……!)

 一方、従者のその言葉と、一同が一様に何か図星を突かれた様子を見て、オーリィも俄かに態度を変えた。

「どういうこと?答えなさい!」

 険しい形相でメネフに詰め寄る魔女。だが彼は、ここぞとばかりに言ってのけたのである。

「オーリィちゃん、そいつは城まで来てくれたら答える。

 ……オレがそう言ったら?あんた、どうする?」

「!」

 オーリィの蛇の眼、その縦長の瞳が大きく丸く見開かれる。命をそのまま吸い取るかの様なその恐るべき凝視に、メネフはしかし、いささかも動じない。口元に目尻に浮かべた不敵な笑みで受け流す。際どい視線の鍔迫り合い。

「……いいわ!」ついにオーリィは叫んだ。

「お城、この国の……グラン・ノーザン城!お前、いいえ、殿下とお呼びすればよろしいのかしら?そのご招待、確かにお受けしたわ。ただし!

 魔女を城に招く……どんなことになっても知らないわよ!!」

「望むところさ!よし、話は決まった……ケイミー!先に一っ飛びしてオヤジに伝えてくれ。オレも婆さんももうすぐ着く、多分今日中には。それと変わった客を追加で二人連れていくから、楽しみにしてろってな!!」

 不安に後ろ髪を引かれる顔で飛び立って行く人面鳥。その姿を軽く見送って、メネフは即座に言う。

「お二人さん、ここからは少し急がせてもらう。オレと婆さんは馬で行くが、着いて来れるか?」

「……馬?心配無用。山二つ程の道のりまでならば、人間の乗る馬に脚で遅れを取る俺ではない」

 ほぅと一つ、感嘆とも懐疑とも付かないため息を漏らして、メネフはその場を一人離れた。馬を調達する、そう言って。

「それならテツジ、せっかくお前が作ってくれたものだけれど、輿はここに捨ててしまいましょう」

 するりとオーリィは地に降りる。テツジが惜しげもなく輿を肩からどさりと落とすと、魔女は巨人の背に伸び上がり、両腕で首に抱きつき、蛇の半身で巨人の胸から腰、そして腹を巻いた。

「……この方が走り易いでしょう?」

「お心遣いありがとうございます。これなら存分に。ただ、俺が追いかけると馬が怯えるのが心配ですが」

「それは私に任せて」

 巨人の体に巻き付く半蛇体の魔女。その奇怪魁偉な光景を見上げながら、コナマが言った。

「テツジさん、私は聖職者クレリックなの。馬の気持ちは私が鎮めるわ。思い切り走って大丈夫よ」

聖職者クレリック……」テツジは少しだけ腑に落ちる。ノーム族はその貧弱な肉体に引き換えるように、知性と信仰心、精神力に於いて極めて優れた種族である。古くより神々に仕える神官・聖職者として、ノーム族同士は元より、多種族からも帰依を集める者が多くいた。

 そして初めて出会った時から感じていた、コナマから滲み出る偉大な人格、そのムード。

(この方はおそらく、並大抵の位の聖職者ではあるまい……だが侯爵の求めているのが、この方のその力だとすれば……)

 やはり只事ではない。

 太古の昔から、ノームの高位聖職者が世にあって特に求められるのは。

 あるいは天変地異、あるいは疫病の蔓延、そうしたおよそ神に祈るしか手立てのない事が起こった時ばかりだ。

(つまり今、この侯爵領には、そういう何かが起こっているということなのか……)

「テツジさん、それにオーリィ」

 コナマの再度の呼びかけに、巨人は己の想像を一旦脇に置いて、即座にその場に跪く。自分の背に乗った主人にも、コナマの声を聞かせなければならないからだ。オーリィもまた、巨人の肩越しからぐいと白いうなじを伸ばしてコナマを見つめる。

「坊やが何を考えているのか。私にもようやくわかったわ。でもそうね……それはやっぱり、今は私の口からは言えない。

 これだけは!坊やはきっと、あなた達を大変な事に巻き込もうとしている。でもそれは、無理強いではないと思うの。あなた達は最後には、自分の気持ちで決めることが出来る。私はそうして欲しい……お願いよ」

 オーリィはコナマの黒い目をじっと見つめ返しながら、答えて言う。

「コナマさん。わたしは魔女、いつでも自分の心のままに生きる女です。わたしもコナマさんにお願いします。わたしがどんな決心をしたとしても、それはわたしが勝手に決めたこと。そう思って下さい。あなたがお心を痛められませんように。

 もう一つ、お約束しますわ。お城でどんなことが起こっても、わたしは狼藉は働きません。何を見せられても、何を聞こうとも、決して。

 侯爵様も、あの殿下も、あなたにとって大切な方なのでしょう?」

 二人の交わす目に心の通い合う様を、側目に見てテツジは思う。

(麗しい、母と娘のようだ。何があっても!俺はこの二人を護る!)

 巨人が心静かにそう決意を固めた時。

「みんな、待たせたな」

(それにしても。このメネフという男は……)

 馬を引いて戻って来たメネフ、その平然とした顔にテツジは舌を巻く。

(この3人を、特に今のオーリィ様を前にして、まるでおじけていない。かなりの覚悟を決めて事にかかっているな)

 主人オーリィに対して、あるいは仇を為すかも知れない、この若者。だがテツジは彼に対して感じざるをえない。

 痛快。

(大したやつだ……!俺も見てみたい、お前が何を考えているのかをな)

「さて婆さん」「そうね」

 メネフが自分の背の荷物から取り出したもの。赤子に使う抱っこ紐と、革製の、紐のついた大きな風呂敷のようなもの。メネフは抱っこ紐を身につけ、慣れた手付きでコナマを抱き上げて自分の懐に。そして革の風呂敷で抱いているコナマをさらにつつみ、紐を自分の背で固く結ぶ。

「婆さんキツくねぇか?馬で揺られるから多少は辛抱してもらわないといけねぇが」

「いいえ。しっかりしていて安心。ただいつものことだけど、少し照れくさいわね」

 自分が赤子になったようで、ということであろう。メネフはニコリと無言の笑顔で答えて、馬の背に。

 その時。テツジは自分の胴体を巻いたオーリィの蛇体が、きつく締めてくるのを感じた。そして女主人が何かつぶやいている声が。

「負けない……わたしだって、わたしだって……!」

(……オーリィ様?)

 主人のその言葉の真意は、まだテツジには今ひとつ飲み込めない。だがわかる事がある。オーリィが今メネフに対して抱くのは、どうやら。ならば。

(殿下、まずは脚で勝負だ。オーリィ様の面目もある。これは負けられん!)

「よし、行こう!ついて来てくれ!!」

 メネフは馬を走らせた。街道にはその時、他の人影は無く、速度を出すには絶好だった。たちまち馬は飛ぶように駆けていく。

 だが、その姿が街道のはるか先で豆粒のようになっても、巨人は動かない。

「テツジ!どうしたの、追いかけて!!」

「オーリィ様、ご安心を。それよりしっかりお捕まり下さい。なに、簡単な話です。この位間を空けておかないと……」

 そして彼は息を大きく吸って、おもむろに。

「すぐに追いついてしまうのですよ!!」

 巨人が地を蹴った。途端、オーリィは周囲の景色が後ろに飛び去っていくのを見た。慌てて巨人の首にひしとしがみつく。

 走る、疾る!その恐るべき速さの脚の回転。踏みしめられる大地の、悲鳴のような地響き。崖を転がり落ちる大岩のような巨塊の爆進。その言葉通り、たちまち先行していたメネフの馬に迫る。

(……うおおおお!)

 背後に迫る高波のようなその圧力、メネフは唸り声をかろうじて喉の中で噛み殺す。

(『馬に遅れは取らない』だと?!冗談じゃねぇ、それどころか抜かされちまう!

 それにまさかこの速さのままで?『山二つ程の道のりなら』?

 いや、こいつ、ハッタリじゃねぇ!なんてヤツだ!!

 ……フフフ……本当になんてヤツだ、ハハ!最初はとんだ道草だと思ったが、まさかな、こんなのヤツに出会えるなんて!

 博打を打つならこうじゃねぇとな、しかも俺はついてるぜ、後は勝つだけだ!!)

 巨人の能力をまざまざと目の当たりにしたメネフの驚愕は、彼の中でたちまち、スリルという名の快楽に変わる。これは堪えられない。

(さぁ行くぜ!!)

 手綱を握る彼の手に、一層の力がこもった。

(続)

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