第2話 魔女、立ち往生する

(やはりか……まずいことになった……)

 牧草用の長柄のフォーク、鍬に鋤、そして中には、長年使ったことの無さそうな錆びた槍。粗末な得物をそれでも精一杯かき集めたのであろう、オーリィとテツジ、怪奇な主従を前に村の男達がざっと十数名、山道を降りた村の入り口で立ちはだかっている。

(馬鹿な)

 テツジは黙して思う。

(見て相手の強さがわからないのか?いや、我ら石巨人ストーンジャイアントが滅びたのは遠い昔、無理も無いが……ただの人間がその程度の人数で、おもちゃにもならんような得物を少々揃えたところで何になる)

 この自分がもし、その巨木の幹のような腕を一振りすれば。今彼の目の前にいる者達など、大風の前の木の葉に過ぎない。

(だが、オーリィ様に直に手を下されるよりは遥かにマシだろうが……)

 従者の巨人が心配するのは、ひとえにそこだ。もし彼の女主人の怒りに火が付いたら、ただでは済まない。

(こいつらの命どころか、こんな小さな村などだ……だがもし、そんなことになれば!)

 人間は弱い。しかし、人間は恐るべき存在なのだ。

 その場の人間をただ戦って蹴散らす、それは容易い。テツジ一人で一度に数百人は相手に出来るだろう。だが一度、人間の恨みを買い、人間という種族の敵と認識されたらどうなるか。倒しても倒しても人間の数は尽きることがない。そして彼らの復讐は永遠に続く。昼夜を問わず休むこともなく、何より手段を選ばずに。世界には、知恵においても力においても、人間より優れた種族は幾つもいる、そして。だが、人間の最大の武器は、旺盛な繁殖力と飽くなき強欲と執念深さ。それがいつも最後には、多種族を圧倒する。テツジの種族「石巨人」も、それに滅ぼされたのだ。

 彼の女主人には、断じて同じ轍を踏ませるわけにはいかない。いやもっとも。彼の知る人間の真の恐ろしさ、それはオーリィ自身が肌身で知っているはずなのだ。

 彼女は元はそののだから。

 だが、しかし。

 自らの背に担いだ輿の上のオーリィの、今の顔を思い浮かべて、テツジは、心中で冷たい汗。

(この状況はまずい。オーリィ様という方は……)

 彼の仕える女主人、「沼蛇の魔女」オーリィ。その恐ろしげな二つ名とはうらはらに、彼にとっては実に鷹揚で手のかからない、穏やかな仕えやすい主人だ。家来の彼にわがまま無体な要求など決してしたことがない。それどころか、炊事や掃除なども、身の回りのことはたいてい自分でさっさと済ませてしまう。

「何もすることが無いと、気がくさってしまうの。テツジ、お前は働き者だけれど、わたしの暇つぶしを全部取らないで頂戴。

 そうね、体自慢のお前ですもの、頼みたいのは薪割りと水くみと……お庭の掃除くらいかしら。時々は物置の整理と、模様替えで家具を動かすことと、高いところの物を取ることも。まぁ、どれも適当で構わないわ。お前が自分で考えて、用が足りていると思う程度にね。

 ……わかっているでしょう、お前は体自慢。お前の一番大切な仕事はね、ふふふ……」

 そこでテツジはふとに。頭をぶるると一振りしてその思いを払い落とす。今はを考えている場合では無い。

 そう、オーリィは仕えやすい気楽な主人だ。ただし。

 彼に対しては大したわがままも言わない代わり、どんな小さなことでも、彼女がを、止めたり口出ししたりは厳禁だ。大雨のある日、暖炉に飾る花がしおれたからと、外に花つみに行くと彼女が言い出した時。流石にそれはと止めた彼は、烈火のような叱責を受けた。そして雨具も身に着けずに一人で飛び出した彼女は、全身ずぶ濡れになって戻ってきた。ガタガタと震える手に一束の百合。そして気が済んだのだろう、またけろりと穏やかに微笑んでこう言ったのだ。

「ほら、見て頂戴、きれいでしょう?わたしはきれいなものが大好きなの……ね?」

 怒ってかんしゃくを起こした時の彼女は危険なのだ、むしろ彼女自身にとって。自分の身の安全や保身を一切考えられなくなってしまう。無茶なことを平気でしでかす。

 そう、今の状況は最悪に近い。ただ買い物に来ただけの、上機嫌だったはずの彼女が、こんなところで立ち往生させられているというのは……

 如何にすべきか。

(こちらが逃げるしか無い。間違いなくオーリィ様はお怒りになるだろうが……それなら最悪、俺の命だけでことは済む)

 どのみち彼女に救われた命と、彼は思う。ここで自分が犠牲になっても、主人の今後の平穏な暮らしを守るのが真の忠義。

(肝心なのはタイミングだ……)

 彼がそう心を決め、撤退の呼吸を図り始めた、その時。

「ケック、ケック、クワーーーック!!」

 村人達と主従の間に、一羽の鳥がけたたましい鳴き声をあげながら、空から地面に降り立った。

 恐ろしく大きな鳥。小柄な人間並み。するとその鳥がなんと、村人達に人語で話しかけたではないか。

「ケック!ねぇみんな、一体どうしたの、そんな怖い顔でこんなに集まって!アナタも?何があったのオーリィ?!」

 振り返った鳥は、嘴こそあれ、ほとんど人間の女の顔。


「やれやれ、一体何の騒ぎだ、ありゃあ?」

「ケイミーが見てきてくれるわ。待ちましょう」

「こんなところでまごまごしてる場合じゃねぇんだがなぁ?ようやくを捕まえたんだから。

 ……あのヴァンパイアを、早くどうにかしねぇと」

「わかっているわ、坊や。でもね、あのお神輿に乗ってる子はね?今放っておいたら、そのヴァンパイアと同じくらい困ったことをしでかしてしまうかも」

「……マジかよ?」

 村境での騒動を、街道の横道から見ている二人。

 子供のような小さな体の女と、銀色に光る小手を身に着けた若者は、手持ち無沙汰に知らせを待っている……。


(……ハルピュイア?)

 テツジは目を剥いた。無論、彼もその奇怪な人面鳥達のことは知っている。彼の時代にも数多くいたのだから。

(だがこいつらは人間のいない高い山を好んで棲むはず。こんな人里に?この村の連中をよく知っているらしいが……それに!)

 この鳥は、彼の女主人の名も知っている!

 輿の上から、鳥の問いに答えるオーリィの声がする。

「ああ、ケイミーさん……それが実は……」

 テツジの背後から聞こえるオーリィの声は案の定、怒りに強張りかすれていた。だが意外千万なことに、彼の女主人はどうやら、この鳥に対して礼節を保つ必要があるらしい。言葉付きだけはいたって丁寧、彼は女主人のこんなへりくだったトーンの喋り声を聞いたことがない。だがオーリィが答えを返す前に、その場のただならぬ雰囲気を察した鳥の方から。

「ケックケック!いいよ、何だか分かった、ちょっとだけ待って!今、すぐそこにコナマさんもいるから!連れて来てあげる!

 ……ねぇお願い、みんなも落ち着いて!クワック!」

 鳥は村人達にも声を一つかけて、慌てて来た方角に飛び去った。

(続)

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