第3話 魔女、恩人と出会う

 ケイミーと呼ばれた鳥が去った後の、その場に残った間の抜けた雰囲気。だがそれは今のテツジには有難かった。

(これで少し時間が稼げるか……オーリィ様も少しは落ち着いたかも知れない)

 事態の風向きが変わったことを感じつつ、油断ならじと待ち受けるテツジ。やがて彼の眼前に再び空から現れたあの鳥は、その人物を戻って来た。

 一人の女。だが人間ではない。灰色の肌色、尖った耳、黒目だけの眼球、子供のような小さな体。頭陀袋に穴を開けてそのまま被って首を通しただけのような粗末な服。節くれだった木の根で作られた杖を片手に、背にはゴタゴタとポケットの付いたザック。そのザックの肩ベルトを、鳥が足の鉤爪を使って掴んで運んで来たのだ。

(今度はノーム族、か……)

 ノーム族。洞窟や谷間を好んでひっそりと隠れ住む種族。人間の数倍の寿命を持って生きるが、その体は小さく、そして生涯老いを見せない。その誰もが人間の子どものように見える。

(しかしこいつは?)

 ただ者ではない、テツジはそう踏んだ。もともとノーム族は知恵と信仰心に長けた種族と言われている。テツジもかつて何人かのノーム族と付き合いがあり、長寿の彼らが蓄える豊富な知識とそれを用いる思慮深さを、種族を越えて尊敬していた。だがその彼から見ても、このノームは格別に見える。みすぼらしい見た目と裏腹に、その両目が恐ろしく澄み渡り、そして侵しがたい知性と威厳を放っていたからだ。

 その時。

「……テツジ、私を輿から降ろしなさい」

 女主人がそう言った。テツジは用心深く村人達の様子に目を配りつつ、その場にしゃがみ込んで彼の背の輿を地面の高さに近づける。オーリィはするりと輿から降りると、そのノーム族の前で、蛇の下半身を可能な限り地に這わせ姿勢を低くした。それは人間ならば、「跪く」姿。両手を胸の前で組み、あたかも神に祈るが如き姿をとると、そのまま。

「テツジ、お前もこの方々に跪きなさい」

 オーリィは、ノームの女と、そのすぐそばにいるあの鳥を目で指し示して。

「ノーム族のコナマ様、ハルピュイアのケイミー様、お二人はわたしの恩人よ。わたしはこの方々からかつて、わたしのこの命を三度捧げてもまだ足りない程の御恩を受けたの。

 テツジ、よくお聞き。そして覚えておくのよ。お前が私に忠を尽くすつもりなら。このお二人はお前の主筋、お前はこのお二人にも忠を誓わねばならないわ。それも、わたしに対するより、ずっと深くよ!

 もし。この場の私達が共に苦難に遇い、危険にさらされたとして、お前がこのお二人を救うためにわたしを見殺しにしたとしたら。わたしは地獄の底で霊となって、お前の忠義忠魂を永遠に讃えるでしょう。それこそ真の忠誠、お前こそわたしの真の従者だったと!」

 巨人には一瞬のためらいもなかった。輿のオーリィを地上に降ろすため、彼はすでに片膝を地に着いていたが、即座にもう片膝も地につけ、そして両方の拳を固めて勢いよく大地を突いた。そしてそのまま膝を折り曲げ額を大地に。

 ノームと鳥に対しての、巨人の完全なる平伏。その光景に、村人達はざわめいた。

「ケックケックケック!!ちょっとオーリィ、それに、初めて会うけどおっきな人さん?ダメだよそういうの!オーリィ言ったじゃない、あたしたちだって!!」

 慌てて鳴き出した鳥に続いて。

「そうね。私もそういう堅苦しいのは嫌いだわ。でもケイミー、そのことはあとで二人と話しましょう。

 ……ダットン?これはどうしたことかしら?」

 ノームの女コナマが、村人一同のリーダーと思しき男に向かって、いたって気軽にそう尋ねた。テツジの予想通り、このノームは村人とお互い面識があるだけでなく、どうやらかなりの程度様子。言われた男は、いかにも気まずそうに頭を掻きながら。

「いやそのコナマさん、実はな?コイツが……」問われた男は、傍らにいた別の男を指して言う。

「魔女が村を襲いに来たって、そう言うから……村を守るんだって……それでみんな集まって」

「……まぁ!」コナマは呆れた顔で大袈裟に目を剥き、肩をすくめた。

「そうね、でも確かに。オーリィと彼、二人揃って現れたらびっくりするかも。

 ……石巨人だなんて、私も子供の時に一度見たきり、二百年くらい前だわ。オーリィはこの人をどこから連れて来たのかしら?……いえそれも後の話ね……

 でもダットン?あなたも知っているはずでしょう?オーリィはもう何年もあの山に住んでいて、今までも時々村に用足しに降りて来ていたわよね?この子が村で何か悪いことをしたことがあったかしら?それに。

 三年前の流行り病、覚えているでしょう?国中で人がたくさん死んだわ。でもあの時、この村では誰も死ななかった。私が配った薬のおかげ、と言いたいけれど、あの薬は元々、このオーリィが魔術で錬成した物よ。

 ……魔女から物を受け取るのは、【人間の教会】が禁じている。だから私が仲立ちしたのだけど、そのことはあの時、みんなに私がコッソリ話したわよね?」

「断っておくけれど」オーリィが、憮然とした声で、取って付けたように割って入る。

「わたしはこの村のお前達のことなんて、好きだとも何とも思ってないわ。でもこの村が無くなったら、わたしはお酒も服も買えなくなってしまう。そんな不便はまっぴら!だからあの時は助けた。わたしのために、よ。わたしはわたしの好きなように、のんびり暮らせればそれでいいの。それ以上、お前達人間に余計に関わるつもりはない。攻める?支配する?バカバカしい!そんな面倒はごめんだわ」

(意地っ張りな子だこと)コナマはそうクスリと笑って。

「オーリィ?あなた、今日は何をしに?」

「いつも通りのことですわ、コナマさん。買い物です。砂金が二袋、この通り」

「まぁ、それも今日は結構奮発するつもりのようね!

 ……ねぇあなた?」

 と、コナマは今度は、オーリィの「襲撃」を言いふらした男に向き直る。

「この村では見かけなかった方ね。最近こちらにいらしたのかしら?私はコナマ、薬の行商人よ。ここにはよく来るし、みんなにご贔屓にしていただいてるわ。

 あなた、オーリィのことを聞いていなかったのでしょう?それでは無理も無いわ。でもこの子は確かに見た通り、ラミアで魔女だけれど……悪い子ではないの。ずっとこの村の側で、この村のみんなと、そうね、仲良しではないかも知れないけれど……お互い上手く付き合ってきたの。それにこの子は私によくなついてくれていて、私のいう事ならちゃんと聞いてくれる。この子の事は私が保証するわ。どうか私を信じて、この場はみなさんと一緒に引いてくださらないかしら?」

 コナマの言葉はあくまで丁寧、適度な礼儀と相手に対する配慮があった。今回のこの件はあくまでこの男の早合点、だがそれは仕方のないことだったのだ、と。他の村人に対してこの後、彼が面目を潰さないように、そういう気遣いに溢れていた。

 だが。

「お前を?信じろだって?偉そうに!人間様に向かって、穢らわしいノーム矮人こびと風情が指図するつもりか?」

 コナマは顔色を変えない。だがそれは、彼女の長年の精神修養があって為せること。今の一言で、彼女は男の頭の中があらかた見えた。

(そう……彼は『困った人』なのね)

「人間の教会」の「困った教え」。それを頑なに信じる「困った人」。コナマは彼のような人間を、心の中でそう呼んでいる。

【神はあらゆる生き物の中で、人間を最上の存在として生み出した。人間以外は、たとえ姿が少々似ていても、言葉を用いたとしても、全てただの動物。あるいは神に逆らう悪魔が生み出した、忌むべき魔物】。

 人間の教会の、独善的で傲慢なその教義。コナマは内心でやるせなくため息をつく。

(大昔は、人間もそんな教えを持ってはいなかった。他の知恵ある種族達と、仲良くしていたはずだったのに……)

 人間は、その「恐るべき力」を使って世界に勢力を広げ、多種族を圧倒し、それが驕りを生んだのだろう。やがてその教えが、「教会」が生まれた。

 無論今でも。人間の優しく心ある者達は、多種族と手を取り合い上手く共存している。この村なども、大多数の村人はそんな人間ばかり。ただしそれは、あくまで暗黙の了解の上での話だ。今では「教会」は人間の社会に厳然たる勢力を、「権力」を持って存在している。

「やい、お前ら!罰当たりめ、じゃあ何か?教会に黙って今までずっと、こんなケダモノどもと付き合っていたのか?【教師さま】にお知らせするぞ!」

 他の村人達の困惑する顔。異種族、特に悪魔の申し子と言われる魔女との付き合いがあったことを、教会に公に訴えられれば。

(どうあがいても、最低一人は咎人を出さなければならなくなるわ)

 先に話していたダットンなる男の顔を、コナマは気の毒げにちらりと見る。さては、と思うのだ。コナマが知る彼は、オーリィを白い目で見るような男ではない。しかしこの「困った男」が、教会の名を傘に着て皆をせき立てたに違いない。たとえ彼がこの村では新参者だろうと、その手を使われたら大っぴらに逆らえるものはいないのだ。いや。「困った人」すなわち偏狭な狂信者の中には、その手をわざと使って、他の人間に対して優位に立とうとする人間もいる。教会の威を虎として借りる狐のような、そういう小狡い人間が。そして案の定。

「困った男」がコナマに向ける、してやったりという顔付き。

(そう、全部計算づくなのね。これでは話にならないわ……)

 コナマとて不本意極まりない、だが何より他の村人のためだ。ここはオーリィを説得して山に帰すしかない、と。今度は背後の主従に向き直った時。

 平伏していた巨人が、ゆらりと立ち上がって……

(いけない!)

 コナマの見あげた、その形相。

(この目、正気じゃないわ!昔聞いたことがある、石巨人は穏やかで静かな種族だけど、一度怒ったら……!)

 その身を大地に倒されるまで、あるいは死ぬまで暴れ狂うのだと。

「オーリィ、彼を止めて!!」コナマは叫ぶ。だがそのオーリィは驚愕に身がすくんで動けない。自分のあの大人しい従者の巨人に、こんな貌が、姿があったとは。彼女も知らなかったのだ。

 巨人は一言も発しない。その鋸のような歯列は、燃える怒りに食いしばられている。足は一歩も動かない。その必要は無いのだ、彼の猿臂なら、もう十分

 一塊の岩石のような拳が、風を切ってあの男に振るわれた。

(続)

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