第4話 魔女と、銀の手のヤクザな殿下

 地響きを立てて背中から倒れた、テツジの巨体。その足元に立っている一人の若者。銀色に輝く左手の小手、その甲を倒れた巨人の前にかざしている。

「間一髪ってヤツだな……」

 若者は、不敵にうそぶいた。

 怒りに我を失ったテツジが、「困った男」に振るった豪拳。だがそれは男に届かなかった。まさに間一髪、その場に現れたその若者が、驚くべきことに。

 巨人のあの恐るべき一撃をのであった。


「テツジ!ああ、テツジ!!」

 音もなく、そして一瞬で。オーリィは倒れた従者に這い寄り、その体に縋り付く。

 一方。

「坊や!あなたは無事なの?!」

「へへ、ご存知の通りさ。オレならなんともない。があるからな。確かに際どかったが。

 なんならケイミーの方を見てやってくれ。オレを空から運ぶなんて、無茶しやがったから。そこでへたばってる。あいつが一番お手柄だ」

「クワ〜〜〜ック……お給金の分はちゃんと働くよ……でもコナマさんなら余裕だけど、【メネフさん】は流石に重い……!肩が外れるかと思ったよ、羽ばたくのに!ケックゥ……」

 そう、ケイミーがメネフと呼んだその若者は、コナマと同じように彼女に吊るされて、空からテツジと「困った男」の間に飛び降りたのだ。そして何かを使って巨人を打ち負かしたということらしい。

 若者は倒れた巨人と、おろおろとその体にすがりなすすべなく嘆いている魔女に近づいていく。

「どうだ、大丈夫そうか?」

「お前……テツジにいったい何をしたの!」

 縦長の緑色の瞳を丸く剥いて激昂する半人半蛇の魔女に、若者は一切怖気ない。そして親身な口調で答える。

「すまねぇ。咄嗟の場合だったし、こうするしかなかった。オレのはオレには加減出来ねぇ。そのデカいのが喰らったのは、なんだ。

 ……傷にはなってねぇみたいだが?頼む、婆さん!」

 ケイミーの無事を簡単に確かめた後、コナマが小走りに駆け寄って来た。

「診せて……ああ、これなら!安心して、大丈夫よオーリィ。彼の命の力は弱まっていないわ。傷もどこにもない。軽く気付けをすれば……それ!」

 コナマが巨人の胸を両の平手で軽く叩いた。叩いた場所に、一瞬ふわりと淡い緑の光が閃いて、それが消えると。

 巨体の上半身が、ガバと跳ね起きた。すかさず、その首に魔女が抱きつくのを横目で見ながら、今度は。

「さぁて、問題はそっちのやつだが……おいあんた、大丈夫だったか?」

 あの「困った男」は、その場にしゃがみ込んでいた。

 どうやら。

「腰を抜かしちまったか?まぁ無理もねぇ、あのデカブツにあんな顔で襲われたらな。

 だがこれまた見ての通り、あんたは、今、オ・レ・が!助けた。恩を売りたいわけじゃねぇが、ここは一つ!

 ……あのデカブツと魔女ちゃんのことは、オレに任せて。おとなしく見逃してやってくれねぇか?なぁ?」

「な、な、何を!」立てない自分を見下ろしながら、気軽な調子で話しかける謎の若者に。命を助けられたにも関わらず、恥でもかかされた気分なのだろう。強情なその男は逆に若者に食ってかかった。

「人間のクセに!お前も、あの罰当たりなケダモノどもの仲間か?余所者が余計な口出しをするな!大体、お前はどこの何者だ!!」

 若者は苦笑混じりのため息を一つ。

「チッ……やれやれだな、コイツを見せびらかすのは趣味じゃねぇんだが、仕方ねぇか。

 ……オレか?こういうモンさ」

 先にテツジに対してしたように。メネフは今度は自分の左手の甲を男に向けて構えた。

 銀色に輝く小手。その甲に掘られた、美しい紋章。翼を広げた鶴に薔薇の花をあしらったそれを、この国の人間ならば誰もが知っている。それが庶民には身に付けることが許されない印であることも。

「……ヒェッ!」

 束の間、その紋章を何事かと見ていた「困った男」が、急に頓狂な声で叫んだ。

「で、ででで、殿下?『銀の手の』?!」

「ああ。この国、ノーデル侯国の当代領主、モレノ・ノーデル三世の次男坊、道楽と穀潰しで音に聞こえたメネフ・ノーデル。それがこのオレだ。よろしくな」

「ケック!メネフ殿下の御前である、一同控えおろ…」

 どうやら元気を取り戻した鳥が、ハタハタとメネフに飛び寄って、どこかで聞いたような台詞を自慢げに使おうとするのを、メネフは鼻で笑って頭をコツリ。

「よせコラ!」「クワック、あ痛!」

「ケイミー調子に乗るな、お前はすぐそれだ!

 あ〜……いいからいいから、あんた達、そのままそのまま!な?」

 呆然とする「困った男」、一方、囲む村人達はざわめきつつ一斉に「殿下」を見やる。「道楽者で穀潰し」、風来坊で城に居つかず、庶民の間にうち混ざっては、酒に博打に女遊び。この国の第二侯爵子は確かに、いささかヤクザな変わり者として広く下々の国民にまでその名を知られていた。そして。

 戦で失った左手は今は義手、ミスリル銀で作られたその手甲が彼のトレードマークということも。誰呼ぶとなくついた通り名は、曰く、「銀の手の殿下」。

 彼はその身分には似つかわしくないような砕けた調子で、鳥と束の間、言葉の掛け合いを楽しむと、またしても「困った男」に迫る。

「それとついでに、そこのノームの婆さんだがな?あれはオレの知り合いなのさ。ガキの頃からの、いや。オレはもちろん覚えちゃいねぇが、ゆりかごの中の赤ん坊のオレを、子守唄であやしてくれたこともあったらしい。そのぐらいの古い付き合いだ。

 ……なぁ婆さん?732戦361勝371敗、の10戦負け越しだったよな?」

 不意に話を振って来たメネフに、コナマはくすりと笑って。

「あら坊や?よく知ってるのね?どうして?」

「そりゃそうさ。オヤジのヤツ、あんたの話が出る度にそれだ。『必ずコナマに勝ち越してから、わしは天国に勝ち逃げする。それまでは死ねん』だとよ。

 ……あの婆さんは、オヤジのチェス友達だ、これまた昔からのな。オレのことは今でも『坊や』呼ばわり、グラン・ノーザン城もいつも顔パスだ。

 ええと?何だっけ?ケイミーに聞いたが、あんた確か……『穢らわしいノーム矮人』とか何とか?」

「困った男」には、先程までの傲岸な態度など、もはや見る影もない。

 確かに。教会の権威・権力はこの国にも厳然と存在している。だが王侯貴族の世俗の権力も、また然り。そしてその二つは微妙なバランスで、そして地域ごとにある種の「ムラ」を持って拮抗している。おおまかにいって、教会の発祥地に近い大陸の中心では、教会が貴族達の上に君臨しているが、辺境に近い国は未だに世俗の権力が教会のそれに優越している。それが今のこの世界の実情。そしてこのノーデル侯国は、大陸の北の端。特に当代の領主、モレノ三世は異種族とその宗教・習慣に寛容なことで周辺諸国にも知られていた。

 今「困った男」の目の前にいる若者。侯爵すなわちこの国の領主、その息子。貴族の中でもその位は最上級だ。権威におもねることしか出来ない「困った男」のような者には、その肩書は絶対。メネフの口先だけはフレンドリーな、しかし真綿で首を締めるような言葉の圧力の前に、男は真っ青に青ざめた顔でへどもどするばかり。

「そこでだ。あんたにオレは頼むのさ。実はな?

 今オレはオヤジに言いつけられてる。大・大・大至急で、この婆さんをオヤジのところに連れて行かなきゃならねぇんだ。ところがその途中でこの騒ぎだろ?そこの魔女ちゃんは婆さんの知り合いで、放っておけないらしいや。で、オレ達は足止めを喰らってるわけ。

 つまりだ。あんたがここを見逃してくれないと、そいつはな?

『オヤジの大切な仕事の邪魔』になるんだが……?」

「オヤジ」という言葉にいちいち乗せた、わざとらしい強調アクセント。コナマは下を向いて忍び笑い。

 とうとう居たたまれなくなったのだろう。立たない腰のまま、「困った男」が四つ這いでその場を逃げ去ろうとする、その背中に。

「そうそう、次があったらまた、その調子で頼むぜ?

 ……テメェのツラは、覚えとくからな」

 それまでの軽妙な口ぶりと打って変わって。メネフのその最後の言葉には、抜き放った剣のような凄みがあった。


「貴族!わたしは人間の貴族は、大嫌いなの!!」

(あらあら……本当に、意地っ張りで困った子だわ)

 コナマもいささか呆れ顔。

 魔女と巨人の「保護」と「監視」を請け負って、メネフは村人達に解散を促した。むしろホッとした表情で帰っていく村人達。

 その場に残った一同の中心で、しかし魔女オーリィは一人、未だ怒りを顔に表していた……

(続)

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