第14話 魔女、大いにその威を揮う

 都、すなわちグラン・ノーザン城の城下町を南にやや下ると、その一帯は緑豊かな平原の牧草地になっていた。多くの牧人達が思い思いに馬を、牛を、羊を飼い、時の流れの一際遅いのどかな営みを続けていた、そこに今。

「こんなに突然、いったいどこから……またか!しかしまさか……」

「南から来やがるとはな!まずいぞ兄貴!」

 急使の報告を受け、急遽バルクスは兵を揃え、自らも馬を飛ばす。轡を並べるメネフ、二人の表情は深刻。

 不死怪物の本拠地と目されるテバス州は、ノーデル侯国の北の果て。そして都からはかなり離れている。そう、これまで南方から不死怪物が出現し攻められたことは一度も無かった。従って、バルクスは軍の本隊を、すぐには呼び戻せない都のはるか北に配していたのである。

 それが突然都の南、それもすぐ喉元にあたるような場所に敵出現とは。しかも急使の言によればそれは恐るべき大群であるという。

「取り急ぎ都の守備兵を全て集合させたが……」「足りねぇかもな」

 後続する馬車には、容易ならぬ事態に自ら赴く意を示した侯爵と、コナマ。

「わからぬ。『奴』はどうやって不死怪物を増やしておるのか、それほどの数を、しかも我々に悟られずに……?」

「わからないわね。私にもわからない。確かに私が修行で学び知った高位吸血鬼とは全然違う……」

 揺れる車の中で額を付けるように語る二人も、その顔は固い。

 その馬車の幌の上に止まっているケイミー。ハルピュイアは夜目が利かない鳥、今は思うように飛べない。だが黒雲のように湧く不安と心配に、たまらず着いて来たのであった。振り落とされないように幌を鉤爪でしかと掴み、姿勢を低くしながら幌の中の二人の言葉に耳をすませる。

(クワック……いったいどうなっちゃうのかな……怖いよ……!)

 そしてその後方に、やや間を取って巨人の背に魔女。

 先ほど聞き知ったばかりの、侯爵領に覆いかぶさる脅威。その正体の一端を、これから垣間見ることになる。それは如何なる敵か?思いを馳せながら、二人はただ黙して、馬車に続き宵闇の道をひた走る。

 巨人の表情はあいかわらず岩のようで、まるで心中を読ませない。

 だが魔女の口元には。うっすらと笑みのようなものが浮かんでいる。


「なんという大群……」

 不死怪物を迎え撃つべく、バルクスが率いてきた手勢を配したのは、平原をわずかに離れた小高い丘。晴れた昼間ならば、そこから辺り一面が見下ろせるばずの場所だ。今は夜の闇が辺りを包む、それでも月明かりとこちらの篝火、そして何より、不死怪物自身がその目から放つ青い燐光が、その大勢を誇示している。   

 小さい影もある。それはおそらく犬か猫の死骸。大きな影は、元はこの平原の草をはんでいた、おとなしい牛や馬だったものに違いない。そしてそれらの合間に立つ、ヒョロリと高い二本脚の影はすなわち、元は人間だったもの。

 平原をざわざわと埋め尽くす蠢く影、見えている範囲での怪物の姿の密度と、この平原の広さで推しはかるに、その数およそ数千。

 将軍バルクスの額に冷たい汗が流れる。

(だがこれは兵力としては、数万の人間に匹敵する……)

 不死怪物。命を失った抜け殻の死骸が、悪しき力の支配によって動かされているもの。心を失った代償なのか、生きていた時より力ははるかに強い。牛馬の不死怪物ならばそれは驚異的だ。犬猫も侮れない、それらは力の代わりに素早さを持ち、人の死骸とは違ったリズムと角度で急襲してくる。

 そして何より。不死怪物は痛みも恐れも知らない。人間の兵なら、脚に矢を一本射当てれば止まる、あるいはたとえかすり傷でも一太刀浴びせれば怯む。だが不死怪物は一向に意に介さずそのまま向かってくるのだ。確実に行動不能にさせるためには、その体を徹底的に破壊しなければならない。一対一でも分が悪すぎる、しかしそうしている間にも他の怪物が襲いかかってくる……

 対して。この時バルクスがこの場に集めることの出来た兵は、わずかに六百騎!

「ここでコイツらを全部食い止めろってか……」

 さしもの不敵なメネフにも、今はあの余裕の色が消えている。都はここから目と鼻の先、もう後がない。ここを破られればノーデル侯国は最後だ。

「おのれ、ようやく大師様をお迎えし、これから攻めようという時に!あるいはこちらの目論見が知られておったのか?」

 コナマを胸に抱き、侯爵は歯軋りしながら馬車を降りた。胸元のノームにちらりと苦しい眼差しを向けるが、彼女も同じ苦しい表情で顔を横に振る。一対一で対峙するなら、神裁大師たるコナマの力は絶対だ。かの高位吸血鬼がどれほど恐ろしい妖魔であろうと、必ず対抗できるはず。なればこそと考えたのが、あの古城への奇襲作戦だったのだ。だがこの大群を前にしては、小さなノームである彼女一人では何も出来ない。まさかの蹉跌。

 侯爵はそのまま息子達の元に歩みよる。バルクスがすかさず近づき、厳粛な臣下の顔で無念を顕にしながら。

「陛下、残念ながらとても兵が足りません。申し上げるにも忍びなきことではございますが……この上は!何とぞ、最後のお覚悟をお決め下さい。まずは我らが!」

 自ら剣を抜き、今にも突撃の号令をかけようとするバルクス。

「いや待て兄貴!ここはオレが行く。ここの兵をオレに全部貸してくれ。勝てねぇだろうが……なんとか時間は稼ぐ!兄貴はオヤジと婆さんを連れて城に戻れ、そんで北の兵を大至急呼び戻すんだ!!そうすりゃ……どうにかなる!!」

 本当にどうにかなるのか?無論メネフにも確証は無い。だが彼はそう言うしかなかった。

「無理だメネフ!」

「言い合いしてる時間は無ぇぞ兄貴!!」

 その時。

「ちょっとあなたたち、お待ちなさい。なぁに?これがそんなに慌てるような場合かしら?」

 魔女と巨人がずいと割り込んで来た。そしていたって呑気な調子。

「ねぇテツジ?お前ならどう?」

「奴らが何も考えずに向かってくるなら、そしてこれ以上の増援が無いなら。俺だけで夜明けまでに半分は倒せます。全て片付けるにも昼まであれば充分」

「……何?!」「おい、いくらなんでもそいつは!」

 あまりの言葉に目を剥く兄弟達、だがテツジは至って平静。漁師が投網を打って捕まえた獲物の魚を、網から外しながら数えているような調子。ことさらに驕り高ぶっている様子はまるでない。ちらりと二人を見ると、再び女主人に向かって返事を続ける。

「……ですが、奴らは高位吸血鬼に統率されています。俺だけを相手にする、そんな無駄な真似はしないでしょう。不利と見れば、必ず俺をかわして回り込む。それを全てここで食い止めようと思えば、やはりかなりのノーデルの兵が倒れます。全滅するかも知れませんが、守ってやることは出来ません」

「そうね、いくらなんでもお前だけではそんなものね。

 でもそれにしても昼まで?時間がかかり過ぎよ。とてもそんなに我慢出来ないわ。

 わたしはね?知ってるでしょうテツジ、汚いものは大嫌い!もう見るに堪えないのよ、こんな腐りかけの死骸共なんて。それにおお臭い臭い!ここにいると鼻がバカになってしまいそう!

 いいわ、わたしがやる。テバスの高位吸血鬼さんとやらに、わたしからひとつ挨拶でもしてあげましょう。

 ……侯爵様?牧場の野焼きにはまだ時期は早い?でも害虫があんなに!増えすぎですもの、よろしいですわよね?」

「草を……焼く?魔女殿、一体何を?」

「先程申し上げましたでしょう?『何千何万いようと』って。わたしはそうお約束いたしましたもの、まずは手始め……

 さぁ侯爵様、それに皆様も。この沼蛇の魔女オーリィの魔法の手並、とくと!

 ご覧あそばせ、ご覧あそばせ……ほほほほほ!」

 まるで大道芸人が客寄せでもするかのように、おどけたような調子で一同を見回しながらそう笑うと。

 オーリィは一転冷たい顔色に変わり、そのまま目を閉じる。そして両手を天に向かって伸ばす。

「地の大蛇竜グロクスよ、御身の端女たる我が声に応えよ。我はこれより、御身に贄を捧げ奉る。されば!

 御身の力で天地を覆し、火山の大釜より炎の雨をもたらせたまえ……!」

 オーリィのその祈りの声が、空に吸い込まれ消えていくと。

「おお……」「これは……!」

 一同は思わず天を仰ぐ。日はとうに東に落ち、夜空に星が瞬き始めていた空が、再び茜色に燃え始めたのだ。だがそれは無論、陽の光ではない。やがて見えてくる、その輝く空の面が、ぶつぶつと煮えているのを。そう、火山の山頂から火口を覗き見ればそこにある煮えたぎる溶岩の海、それが今、一面の天の「上」にある。

 天地が、覆された!

「……かっ!」

 そして魔女が声なき叫びと共に、天に掲げていた両手を振り下ろすと、たちまち!

 天から次々と流れ落ちるのは、溶岩が雫となった巨大な火球と、炎の雨!緑なしていた平原はたちまち、一面紅蓮に燃えあがる。逃げ惑い喚き声を上げる死魔の群れ、だが逃れうる場所は無い。灼熱の火球は轟轟と風を切りながら次々と降り注ぎ、落下の衝撃で仮借なくそれら全てを吹き飛ばしては、黒焦げの動かない粉々の骸に変えてゆく。

 侯爵も、バルクスを筆頭とした兵達も、そしてその場に居合わせた者全てが、この世に地獄の現れたようなその光景に息を呑む。何が起こっているのか、彼らにはその光景を形容する言葉は見出せない。

 あるいは。「他の世界」などというものがあったとしたら、その世界の住人はその場の光景をこう見立てるかも知れない。

 大編成重爆撃機編隊からの、焼夷弾による絨毯爆撃。

「何てこった……婆さん、あんた知ってたか?わかってたのか、オーリィちゃんのこの力……?」

 父侯爵の胸元のコナマに、メネフの問う声は喉に絡んでしゃがれている。コナマはゆっくりと首を振った。

「いいえ。私はただ、オーリィの体に満ちているグロクスの加護の形を、聖職者の目で見ていただけ。きっと大きな力を持っている、そう思っていたわ。でも……」

「だろうな、誰にだってわかるわけがねぇ……」

 これほどとは。二人は同じ言葉を飲み込む。

(だからこそ護らねばならない。オーリィ様のこの力が、人間に恐れられ忌み嫌われるようになったら、それは……決して野放図に使わせてはならないのだ)

 そして新たな決意をする巨人の従者。

(ならば、オーリィ様が自ら手を下されるその前に。立ち塞がる者は、今度こそこの俺が全て撃ち倒せばよい。それだけだ!!)

 不死者たちへの裁きの業火の雨。侯爵たちには無限とも思われたそれは、しかし実はほんの一時の間続いたに過ぎない。百数える間もなかったであろう。そしてあれほど群れ成していた不死怪物たちは、すべて炭と灰に変わっていた。平原を支配するのはただ、紅蓮に燃え盛る残り火だけ。魔女はその様子を見届けると。

「このくらいでいいでしょうね。さ、後片付けしましょうか?

 ……グロクスよ、贄の灰と共に、御身より借り受けた炎をお返し申し上げる!」

 その祈りと共に、オーリィが手を天にかざすと、今度は。

 立ち上がったのは凄まじい竜巻。平原の炎と熱を全て巻き込み、すべてが天の火口に吞み込まれるように吸い上がり終わると。

 空は再び星空に戻り、丘の上には夜の涼風。

 今度こそ、どの世界の者にも、魔女のその技とその光景を例える言葉は無い。

「ケーーーーーーック!!」

 凱歌か、それとも悲鳴か。ただケイミーの高く啼く声だけがその場に響いていた。


「ほう?!これは……味な真似をしてくれるものだ」

 テバス古城。姿見の中の映像に、その前に立っているはずのシモーヌの姿は無い。

 そこに映っているのは、一面の燃える平原。

「魔法、それも人間の使えるような術ではないな。

 ……この魔女か」

 姿見の中を探っていたシモーヌが、半人半蛇のその姿を捉える。

「誰かは知らぬが、この私に楯突くつもりか。

 ……で!愚か愚か、身の程を知らぬ。だが面白い、玩具にするには充分だ。ならば迎えてやろう、ここに」

 その時、白魔の心中に聞こえて来た、一つの姿なき囁き声。

〈侮るなシモーヌよ。あの魔女は構わん。じゃがおるぞ、来るぞ、神裁大師が〉

「……?このノームのことか?ふふ、【よだか】よ、相変わらずお前は言う事がくどい。こんな者は造作もなく……ああいい、もういい!わかったわかった!

 ならばこちらも備える、あまりそううるさく言うな!」

 どこからか聞こえて来るその声を、苦笑いで手を打ち振りながら遮ると。白魔はその場にいた、あの縛られたままの女を足蹴にしながら。

「そろそろお前も木偶人形にと思っていたが、そういうことだ。気が変わった。お前は奴らを釣り寄せる餌に使う。

 教皇庁第一聖騎士団長、そして教皇の娘。アグネス・イルド・エリスベルダ……『雌獅子のアグネス』か!

 ハハハ、実にいい餌、いい人質だ!彼奴等に伝えておかねばな……」


 沼蛇の魔女オーリィ。蝙蝠の白魔シモーヌ。

 渦巻く運命は二人の魔女を巻き込み、引き寄せていく。

(続)

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