第二章 魔女相剋編・臨戦
第15話 猟兵ゾルグと彼の奇妙な義弟
死魔の巨群をオーリィが蛇竜の業火で焼き払った、その三日後。
一行が訪れていたのはレーベの港町。目指すテバス古城はこの港が最も近い。
メネフは見回して慨歎する。
(人っ子一人いねぇな。無理もねぇが……)
風来坊の彼は旅路が日常、この港町にもよく滞在したことがある。かたや漁師の海の幸、かたや外国の珍しい品、積み荷で膨れた腹の大きさを競うがごとき船と船の姿は、ここに住む人々にも重なる。豊かで賑やかな町だった。
だが今はこの有り様。不死怪物はまだこのレーベには現れてはいないが、魔に支配された地帯からここはもう目と鼻の先だ。人々は皆早々に逃げ出してしまったのだろう。かつてのあの賑わいは消え、ただ潮騒と海鳥の声が虚しく風に乗っては消えていくのみ。
そして彼は持ち前のシニカルな笑みを薄く頬に浮かべる。
(ま、今までみたいに騒がれないのはいいがな。『控えおろう』はマジでオレのガラじゃねぇ)
魔女、巨人、ノーム、人面鳥。仲間達の居並ぶその姿に、どこに行っても騒ぎが起きた。ここまでの道中、彼は幾度もあの輝く籠手を振りかざして人々をなだめなければならなかったのであった。
(それに他のヤツがいない方が、人探しはし易い……さて?)
今回の戦、何はなくとも必要なのは船。バルクスの配下の者がここレーベに先回りして用意しているという。そしてその者も今度の戦に同行するらしい。
(どこにいる?それにどんなヤツなのか……?)
メネフは、旅立ちの前の兄の言葉を思い出す。
「名前はゾルグ。腕の立つことでは屈指の男だ。操船も出来るし、その他にも色々と器用で役に立つ。お前の手足となって働くよう命じてある。存分に使うといい」
「一つだけ聞かせてくれ。そいつは、兄貴のためなら命も捨てられる、そういうヤツか?」
「その点なら間違いなく我が配下一。並ぶ者のない直属の股肱だ」
「それだけ聞かせてもらえば充分。ありがたく借りるぜ」
「うむ。ただ少々癖の強い男だが……いや?」
そこでバルクスは、珍しくあの謹厳な顔を緩めたのだった。
「メネフ、お前とは馬が合うかも知れんな。それに他の皆とも……」
(兄貴め、最後に妙なことを言ったな)
魔城への強行奇襲作戦。バルクスはコナマの護衛そしてメネフの補佐として、彼の軍団から何名かの戦の手練れを選抜していた。しかし。魔女オーリィと石巨人テツジ、この余りにも強大な加勢を得て、それらの者のほとんどは防備のため国元に残ることになったのだが。
それでもなお一人、兄バルクスが敢えてメネフと共に征かせると決めたその男。
(相当な腕のヤツってことだ。あの二人に負けずに働けるって、兄貴が見込んだヤツだからな。だがどうにも思い当たらねぇ、兄貴の部下はオレもまったく知らねぇわけじゃねぇんだが……?)
メネフがつい、自分の思いの中に没頭していた、その時。
「ケック!危ないメネフさん!!」
ケイミーの鋭い声にはっとしたメネフの足元の地面に刺さった、一本の矢。
「クワックワック!あっちの方!」
ケイミーはその鋭い鳥の目で、矢が飛んで来た方向を捉えていたらしい。メネフのみならず残りの一同もさっと身構えてそちらの方に向き直ると!
「へへへ、メネフ殿下とそのご一行でゲスね?」
ケイミーが指し示したのとまるで反対方向の、建物の間からするりと男は現れた。
「……ケック?えと、あれ?あっちじゃ……ないの?」
いかにも不審な男だった。粗末な毛皮でつぎはぎされた、埃まみれの服。フードの下の頭はすっかり禿げあがっているようだが、老人ではない。それは、昆虫の触角のように尖ったカイゼル髭が全てつややかな亜麻色で、白髪の混じっていないことで知れる。背に矢筒を背負っているところを見れば、謎の射手はさてはと思いたいところだが、肝心の弓が男の手に無い。
「お初にお目にかかりやす。バルクス様からお聞き及びでごぜぇましょう?わっしがゾルグでゲさぁ」
(都の貧民街の訛りだ……こいつが?)
あの常に栄光に包まれ厳粛で威儀正しい兄、ノーデル侯国筆頭将軍バルクスの直属兵とは。メネフにも俄かに信じられない。
(いや、兄貴は確かに上っ面で人を見る男じゃねぇが……何っ!!)
殺気一閃!ゾルグを名乗るその男が、矢筒から抜いたのは矢ではなく小剣。鋭い剣戟を素早く飛び退いて交わすメネフ。
「テメェ!……ん?!」
見れば、男の剣は鞘に収まったまま。そしてそれを自分の背後に投げ捨てると、謎の男はその場で平伏した。
「流石でゲすねぇ、今のは結構本気だったんでゲすが。あっさりかわされちまいやした。バルクス様から伺ってた通りの腕……これならわっしも命を預けられまさぁ」
「オレを試したのか?」
「へぇ。殿下に付いていけとはバルクス様のご命令でゲすが、わっしは命は無駄に捨てないのが持ち前なんで。
ちょいと先回りして死にぞこないの化け物共の巣を覗いてきやしたがね、そりゃあヒデぇもんで。あの中で戦をするってのは大抵の腕じゃ務まりやせん。付いていくならそれだけの方じゃねぇと。
ご無礼、どうかお許しくだせぇまし」
(なぁるほど、兄貴はオレをよく知ってる。こいつは確かに、兄貴の側でお行儀よくとはいかねぇヤツだ。オレに向いてるぜ)
聞いているうちに、メネフの頬に浮かんだ笑み。そしてただ一言。
「頼むぜ」
「へぃ。それと殿下、わっしには連れがありやして」
「連れ?」
バルクスからは、付けた部下はこの男一人と聞いているが。
「ベン!!出てきてメネフ殿下と皆さんにご挨拶もうしあげな!!」
その声と口笛に、これまた物陰から現れた小さな姿。先程の矢が射られた方向だった。
「ケックケック!!そっか、さっきの矢はアナタが!」
「まぁ!」「ほう……これは」「あらあら」
そして、メネフとゾルグのやりとりを緊張した面持ちで伺っていた一同が、一様に虚を突かれたような顔になる。
それは二足で歩いていた。だが体は黒い毛に覆われ、犬のように尖った顔。
「コボルドだわ」好奇心に駆られたのか、オーリィがスルスルと長い体を屈めて覗き込む。
コボルド。半ばは犬、半ばは人のような亜人。だがノームやドワーフのような知恵ある異種族とは異なり、言葉を知らない一段劣った獣の一種とされている。通常は山野に群れをなし、人間とは没交渉な独自の生活を営んでいるのだが。
「へ、蛇のお姉さん、一番偉いひと?」
そのコボルドが言葉を発したのである。驚いたオーリィ、だがすぐに高らかに笑う。
「ホホホ!お前は話が出来るの?とても賢いのね、びっくりしたわ。でも違う。一番偉いのは……」
「こ、こっちの小さな人、かな?」
その返事にオーリィは喜色満面だ。パチパチと手を叩きながらメネフの顔をチラリと見てからかい気味に。
「そうよ!よくわかったわね!この中で一番偉いのはこの人、ノームのコナマさんよ」
「コナマさん、オレ、ベン。よろしく」
あらあら、と目を丸くするコナマ。ゾルグは慌てて、
「おいベン、違う違う、まずはこちらの殿下に……」
「ハハハハハ!いや違わねえ、一番偉いのは婆さんだ。オレ達はみんなで婆さんを守るんだからな!
……面白い連れだな。あんたが言葉を?」
ゾルグは申し訳なさそうにフードの下の禿頭を掻き掻き、
「へぃ、コイツは山で怪我をして動けなくなって、群れに見捨てられたんでさぁ。それをわっしが拾いましてね。最初は猟犬の代わりに躾けようと思ったんでゲすが、下手ながら言葉も覚えるし、かわいいヤツで。
喋るだけじゃありやせんぜ。コイツには技がありまさあ」
「弓か?」
そう、コボルドは片手に手引きの弓を携え、背に担いでいるのは小さいながらバネの強そうなクロスボウ。
「その通りで。空自慢じゃございやせん、このベンの弓矢の腕前はノーデル一で」
国一番の射手。大きく出たな、とメネフの顔は思わず怪訝に。その反応を予想していたのだろう、ゾルグはただ不敵に笑うのみ。
「なぁに、そのうちご覧いただけばおわかりになりやすぜ。とにかくコイツはわっしの一番の相棒で弟分。ゾルグとベン、わっしらは二人で一人の
皆さんにお供致しやす、お役に立ててくだせぇ」
「よ、よろしく」
頭を下げたゾルグに合わせて、ピョコンとお辞儀をするコボルドのベン。野のコボルドの群れは荒々しく時に恐ろしい獣だが、人に慣れたところをみると愛嬌がある。特に短いビロードのような毛並みはまるでぬいぐるみの様。女達はたちまち笑顔の輪になる。
そして側に佇み、巨人はそれを頷きながら静かに伺う。
(だがこのコボルドは、この中で誰が一番強いのか、一目で見分けた。おそらく獣のカンというものだろう。頼りになるかも知れない)
皆が心やすくなったところで、メネフが号令する。
「よし!じゃあ早速だが、船に案内してくれ。用意はしてあるんだろう?」
「いえ?これからで」
「これから?」
「実はね、船は用意するつもりだったんでゲすが、バルクス様が後から急に『ニョロっと長いご婦人が一人と、とんでもなくデカい旦那が一人乗るから、船は大きいものを用意しろ』っておっしゃいましてね。そう言われても、どれだけ長いんだか大きいもんだかわっしにはわかりやせん。会って見てから決めようと。
なあに、慌てるこたぁありやせん。そこにもここにも空っぽの船が停まってるでゲしょう?持ち主はみんな逃げちまったことだし、好きなのをブン獲りゃいいんで。
タダでとは言いやせんぜ?この戦が済んで帰りに沈んでなけりゃ返せばよし、そうじゃなかったら侯爵様のツケで、少々金で色を付けてやりゃあそれで……
これはお国の一大事、そのぐらいはよろしゅうがす」
海賊紛いのことをいけしゃあしゃあと言ってのけるゾルグ。呆れる一同、だが一人メネフは破顔一笑。
「ハハハハハ!上等だ!ならとびきりの船を選んでギッてくれ、頼むぜ!!」
(続)
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