第7話 魔女、買い物をする(その2)

 オーリィが普段住んでいる山の、ふもとのその村。ごく小さな村である。が、すぐ傍に都に続く大きな街道があり、行商人たちの旅の中継地点すなわち取引場所としてにぎわいを見せる。中心に市が常時開かれ、さらにその周囲を商店や職人の工房、宿屋や酒場が囲む。この地域では便利で栄えた村落であった。

「普段の暮らしで大して贅沢もしたいとは思わないけれど、不便なのは嫌。わたしが住処にこの山を選んだのは、ふもとにあの村があるからよ」

 オーリィは以前から、そして山を降りる直前にも、確かにテツジにそう語っていた。その言葉を今思えば、彼女の用事が買い物だという事は自明。すぐにピンとこなかった自分の鈍さを恥じたテツジだったが。

 彼女の求める物が自分への褒美とは?テツジにはそれは少しむず痒い心地がする。

 石巨人という種族は元より物欲が極めて少ない。まず粗食である。その巨体に引き比べ、驚くほど僅かの肉と植物だけで命が繋げる。一日おおよそ鼠か蝦蟇蛙一匹に、木の梢から少々若葉をむしって食べる、それで充分。それ以上をうっかり口にすれば腹がくちくて動けなくなる程だ。そしてその岩の様に硬く分厚い肌は暑さ寒さに強く傷もつきにくい。衣服が要らないのだ。かつて彼らの集落の中では男も女も丸裸、異種族と交際する時だけ礼儀として、申し訳程度に衣服を纏うのみ。今のテツジの腰巻一つは彼にとってはごく自然な姿だ。住居は山の岩肌に浅く掘った窪み、いっそ丸太を枕に大地にごろ寝でもまるで不足不満が無い。すなわち誰もがいつでも裸一貫、財を蓄え己を飾る習慣がほとんどなかったのだ。

 そして何より、テツジがオーリィに抱く忠誠は極めて純粋、全くの無償のもの。報酬や褒美を受けることなどこれまで考えたこともない。

(それはオーリィ様にもよくわかっていただけているはず。今更褒美というのは多分違う。オーリィ様の今の言葉つき……)

 女主人がケイミーに返した返事の、いかにも浮かれたムード。

(オーリィ様はまた何か、いたずらなことを考えていらっしゃるのだ)

「ケック、で、で?ご褒美って何をあげるの?」

 テツジの疑念をケイミーが代弁してくれる。巨人は背後から耳を澄ませている。

「ほほほ、『服と武器』ですの。あれの男っぷりを上げてやりたくて。

 ねぇケイミーさん、テツジったらご覧のとおりでしょう?腰巻一つに丸腰、あれではこの沼蛇の魔女オーリィに扈従するにはみすぼらし過ぎますわ。従者にあんな格好をさせておいてはわたしの沽券に関わりますもの。

 ……それにね?」

 オーリィが背後を振り返ってテツジを見返るその眼の妖しいうるおい。

「あれにあの格好をさせておくとね……ウフフ……困ってしまうの」

(これは……まさか?これはいかん……!)

 すると何としたことか、それを見た巨人は、実に奇妙な反応をし始めた。はたと手で口を抑え顔を半ば隠す。そしてそわそわと左右に泳ぐ視線に、もじもじと乙女のように身をよじるその姿。彼はどうやら慌てているのだ。

「やっ、その、オ、オーリィ様、それは……」

 だがオーリィはテツジの示すその反応に満足の笑み。艶然とした口調でなおも言い放った。

「わたしの方がね、になってしまう……あれにをさせている時のことを思い出して、ね?」

「……ぶっ!」むせるメネフ。

「ケケェックケック!!」目を剥くケイミー。

「……あらあら……」輿の上のコナマはいくらかあきれ声。

 そしてますますうろたえて身を縮めていく巨人の姿を見ながら、オーリィは面白がっていっそういけしゃあしゃあと。

「テツジはね、とても素晴らしいのよ、抱き心地が!体の逞しさはあの通り、それにね、初めて会った時はあの腰巻も無かったわ……あの見事な得物!一目で気に入ってしまったの。館に招き入れて、さっそく夜伽を命じたら、言う事がまた可愛くて。

 ……『どうしたらよろしいのでしょう?私はまだ女と寝たことがありません』。

 ほほほほほ!食べてしまうしかないでしょう、そんなご馳走!!」

「まいったぜこりゃぁ……ハハ、真昼間からまさか、こんなこってりお惚気をくらうとはなぁ」

「ケックケック、もぅもぅ、オーリィのエッチ!アナタはすぐそうなんだから!!」

 おどけて肩をすくめながらニヤニヤと笑うメネフ、羽をばたつかせ跳ねながらプリプリと怒るケイミー。そしてテツジはと言えば、最早身の置き所が無いという風情、両の掌で顔を隠して立ち尽くす。オーリィはいよいよ得意絶頂だ。

「ご免あそばせケイミーさん。でもご存じでしょう、わたしはこういう女ですから。男と女の夜の営みは、最高の命の悦び。それを人間は我慢したりこそこそ隠したり、窮屈でたまらない。だからわたしは魔女になったのですもの。そこはお許しいただかないと。

 ……それでね?それでいざ抱いてみたらね?確かに技はまるでダメだけれど、その勢いといったら!それにいくら続けてもまるでへこたれないのよ……何度も何度も!

 おもちゃにするつもりだったのだけど、おしまいにはわたしの方がもう夢中!!

 おわかりでしょう?あれにあんな格好をさせたままでは、わたしの眼が眩しくて仕方がないの。大切な宝物は隠しておかないと。いざという時のために、ね?」

「はいはい」テツジが担ぐ輿の上から、コナマが手をたたきながら割り込む。

「わかったわオーリィ、でもその位にしておきましょう。あんまりからかっては彼がかわいそうよ。それに、村に入る前にあんな無駄足を踏まされたのですもの。早く買い物を済ませてしまわないと、日が暮れてしまうわよ?」

 穏やかにたしなめるノームの声に、魔女もうっすらとほほ笑んでコクリと素直に頷きを返す。そしてまたするすると市を目指して滑り出した。

(満足したみたいね)

 オーリィの今のいささか露骨な、そしてテツジにとっては災難な暴露。コナマにはわかる、あれはうさ晴らし。何より自由を悦ぶオーリィ、彼女は激しやすいところもあるが、自分の不愉快に自分がいつまでもこだわり、不愉快にまとわりつかれるのはそれも我慢がならない性分。気持ちを切り替えたかったのだろうとコナマは察した。

 そして思う。

(そう、そうなのねオーリィ、あなたの傍に今こんな人が……安心したわ)

 輿の上から巨人の肩を覗き込む。コナマの黒い小さな瞳は、ほのぼのとしていた。

(これで、私は安心して戦に行ける……!)


 テツジの巨体に合う吊るしの服など、無論どこにあるはずもない。半蛇体の魔女と石巨人の巨体を見て腰を抜かしかけた仕立て屋をすかしはげまして、オーリィはどうにか採寸をさせる。

「生地も服の形もそっちのとまるで同じでいいわ。大きさだけ測った通りに。それで今日は取り敢えず一着。大きいから普通より手間は掛かるでしょうけれど、五日もあれば出来るかしら?代金はこの通り……いいものを作ってくれたらこの先もずっとお前に頼むわ。いいわね?」

「へ、へい!お任せ下せぇ……毎度あり!」

 おっかなびっくりだった仕立て屋だが、砂金の袋を受け取った途端、そのズシリとした手ごたえに露骨な愛想笑い。いい商売が出来たと上機嫌で奇怪な客たちを店から送り出す。

「随分気前がいいんだな?」

「ケチケチするのは嫌なの、色々面倒なことになるから……見たでしょう?嫌われ者の魔女が人間と取引するには、高値で釣るのが一番話が早い。それだけよ」

 メネフの一見何気ない問いと、オーリィの素っ気ない返答。そこに小さな駆け引きの火花。メネフの問いの真意を、オーリィはわかった上でわざとはぐらかしている。

【その嫌われ者の魔女が、そもそもその金をどうやって手に入れるのか】。

「オーリィに加護を与えて魔女にしたのは火山の精霊『蛇竜グロクス』、彼は大地の毒を制する力を持っている……だからこの子が魔術で作る薬はとてもよく効くの」

 メネフに根問いしようとする様子は無かったが、その場の妙な雰囲気を察したコナマがすかさず代わりに答える。

「それを私が買い取って売り歩いているのよ。初めはね、恩人の私からは代金なんて受け取れないって、この子の方がごねていたのだけど」

「クワック!お友達の間柄でそんなの、かえって他人行儀でしょう?値打ちのあるモノにはそれなりの値を付けなきゃダメって!あたしがそう言ってオーリィをセットクしたんですよ!!」

「……それまでも人間の薬売りにこっそり流してはいたのだけど、魔女と取引しようなんて商人はやくざ者が多くて。足元を見られるようなわたしじゃないけれど、あいつらと付き合うのはあまりいい気分じゃなかったから。コナマさんのおかげで縁も切れたし、お代も過分にいただける……お金には困ってないのよ、余ってしまうの」

 オーリィはメネフに視線を流してそうつぶやく。

(なるほどな、婆さんが出所の金なら間違いねぇか)

 メネフは心中でそう値踏みしていた。調の結果は合格。

(普段から悪どいことはしちゃいない、と。ま、こうなったら、多少タチが悪ぃ女でも関係ねぇんだが……)

「じゃ、次はあの爺さんのところだな。案内するぜオーリィちゃん?」

「……その呼び方はやめて」


 ドワーフ族の鍛冶屋、グノー老人の工房は村の外れにあった。頑丈な石壁に、分厚く塗り重ねられた壁土。屋根から突き出た煙突からもくもくと湧き上がる黒煙。建物それ自体がまるで炭焼き窯のようだ。そして工房というだけあって大きい。この村の他の民家に比べて倍はあるだろう。だがノーム族ほど小さくはないが、やはり人間よりやや小柄なドワーフの家屋らしく、ドアだけは低く小さい。軽く腰をまげながら、メネフはその低い扉を遠慮会釈なくドンドンと叩いた。

「おーい、親方!爺さん!オレだオレだ、開けてくれ!!」

「……うるせぇ洟タレ小僧!!」

 扉の奥から怒鳴り声。

「気が散る!そこで待ってろ!じきに終わる!!」

 メネフとコナマは顔を見合わせて軽く苦笑い。

「ほほ、グノーったら、相変わらずね」

「相変わらずだ。まぁしょうがねぇ、待つしかねぇや。

 ……ってな?頑固な爺さんだから、仕事中は話にならねぇんだ。悪ぃがオーリィちゃんちょいと待ってやってくれ。だが」

 もう呼び方についてたしなめるのは諦めたのだろう、オーリィが憮然とため息を漏らす顔にメネフは少し真面目な顔に返って。

「ここの爺さん、グノー親方は間違いなく、この国一番の鍛冶屋だ。腕は俺が保証する。あんたがご家来のために何を注文するのかは知らねぇが、待たされるだけの値打ちはきっとあるぜ」

「そうね、その魔刻の小手を作ったのがここの鍛冶屋だと言うなら、腕は確かのようね。面白いじゃない。待つわ、『小僧』さん!」

(おっと)オーリィの思わぬ意趣返し。薄く微笑んだあと、わざとらしくプイとそっぽを向く魔女の顔色を見て、メネフは思う。

(そうそう、この魔女ちゃんはむずがると面倒だからな。そうやって機嫌よくしててくれると助かるぜ……だが問題はここからだ)

「……入れぇ、洟タレ!!」

 扉の奥からまたもや、先ほどよりいっそう大きなどら声が呼ぶ。

(今度はあのクソ爺いの方をどうあしらうか……?)

 メネフが首をひねったのは、入口の狭さ低さのためだけではなかった。

(続)

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