第8話 魔女、買い物をする(その3)

 ドワーフの老人グノーの鍛冶場。頑丈な石壁の上にさらに壁土を塗り重ね、屋根の煙突からは黒煙がもくもくと湧いている。まるで建物それ自体が炭焼き窯のようだ。鍛冶の工房だけあって全体は大きい。屋根も周りの家々より一段高い。この小村ではおそらく一番の建築物だろう。

 だがその入り口の扉は主のドワーフの体格にあわせた大きさ。

 ドワーフ族。人間よりも背が低い。充分に成長した大人であっても、まだ伸び盛りの人間の少年少女ほど。だがその体はしている。極めて筋骨逞しいのだ。肩幅や腿の太さで言えば、特別に鍛え上げられた人間の壮者を平気で超える。 

 すなわちそんな彼らに合わせた扉、幅は人間の住居のそれと大差無いが、高さが寸詰まりでやや正方形に近い。

 先にその小さな戸口にようやく潜り込んだメネフに続いて、こちらは余裕を持ってスイと気軽に続こうとしていたコナマ。だが入りかけてふと背後を見返した。

「そうね、彼はどう考えても無理ね」

 人間として然程大男でもないメネフが窮屈なその入口に、あの巨体のテツジが入れるはずもない。

「オーリィ、グノーを後で紹介するから、彼と二人でもう少し外で待っていてくれるかしら?」

「ケック!コナマさん、あたしも二人と一緒に外で待ってます。あたし暑いの苦手だし。もし何かあったら声をかけますから!」

「?……ええ、わかりましたわ」

 少し小首をかしげながら、しかし魔女は素直に返事をした。実のところを言えば、オーリィは中のドワーフに早く会ってみたかった。あの強力な魔刻の小手を作ったという、この国一の鍛冶屋。メネフの言葉に彼女の好奇心は大いに刺激されていた。

 実際、テツジはともかくオーリィの方は入れないということはない。狭い隙間に這い込むのはそれはむしろ蛇の本領。そしてラミアの彼女の体は長大だが、狭い入口に引き比べ建物の中は大分広い様子、身動きが取れなくなってしまうようなことはないに違いない。

 だが、コナマの言いたいこと、心配はオーリィにも当然わかる。いつ何時、またあの「困った男」のような人間が難癖をつけてこないとも限らない。遠目でもどうにも目立ってしまうテツジを戸外に一人にしておくわけにはいかないのだ。幸いケイミーも共に外にいてくれるという。少しじれったいとは思ったが、オーリィには強く否むべき筋はなかった。

 こくりと頭を小さく下げて背後で自分を見送るオーリィの視線を感じながら、コナマは後ろ手にドアを閉めた。軽くため息をついて。

(グノーと先に打ち合わせをしておかないとね……黙っていてもらわないと)


「来たな小僧。てめぇが来ることはあの鳥から聞いてた。そろそろだと思ってたが。コナマ、お前とも久しぶりだな……だが、お前も行くってのは本当か?」

「ええ。今度はかなりの大仕事なの。とんでもない吸血鬼らしいから」

「ちっ……まったく!おい小僧、お前ら人間は本当にだらしがねぇな?あんな仰山な教会なんてモンどしどし建てやがって、あちこちで威張り腐ってるわりにゃ、肝心の時はコナマみてぇなこんなチビばばぁに泣きつくたぁ……情けねぇ!!」

(これだからな、相変わらず口が悪ぃぜ……)

 メネフは早速ぎゃふんとさせられる。最前まで鍛冶仕事の真っ最中だっただけあって室内はすこぶる暑い。だが彼の額を流れ始めた汗は、幾分かは冷や汗。

 グノーを「老人」と思うべきなのか、実はメネフにも少々怪しい。100歳以上の齢は優に重ねている。頭のてっぺんに鶏の鶏冠のようにちょんと残った髪、あとは見事に禿げ上がっている。裏腹に伸ばし放しの長い顎髭とゲジゲジ眉。それらはいずれも真っ白だ。顔の面は皺とシミだらけ。

 しかし一方で、顔から体に目を移せば。労働の汗の臭いにむせ返る胸板といい腕といい脚といい、はち切れんばかりの筋骨。彼は今まさに「働き盛り」なのだ。

 そして何より。メネフを叱咤するその口ぶりにも睨む両の眼にも横溢する、圧倒的な意志、精神力。少々たじろぎながらもメネフは。

「仰せごもっとも、返す言葉も無ぇぜ。だが婆さんはオレが守る。頼んどいた品は仕上がってるな?」

 おしゃべり男を自認しているメネフ。しかし以前からの付き合いでわかっている、この老人には無駄口は厳禁。単刀直入に切り出す。老人は踵を返すと、室内のテーブル上にあった品を抱えて戻って来た。

「この通りよ。お前の剣に、コナマの錫杖、それと、これがあのひよっこ鳥の爪!あいつも連れてくのか?」

「ケイミーはあれで頼りになる。なにしろ鳥だ、目がいい。それに万一の時は。

 ……あいつがいてくれれば、婆さんだけは逃がせる。爪はその時のためのあいつの護身用だ。まともに使わせる気は無ぇ。切った張ったはオレの仕事だ」

「フン!いっちょまえを言いやがる。どれ、見せてみろ」

 メネフは右手で義手の左の手首をつかみ、つよく捻る。鈍い金属音と共にそれは外れた。無言で老人に差し出す。

「こいつの手入れで最後の仕上げだ。むむ……痛んじゃいねぇな、指の節をちょいと締め直してやるが……おい小僧!てめぇ、『朝日の鏡』の力を使いやがったな?」

 老人が低い、しかしドスの効いた声で唸る。余人が見ても輝く小手に見た目の変化はまるでない。だがこの老人にはどうやら今のそれがだとわかるようだ。

「バカヤロウ!滅多な事で使うなとあれほど言ってあるだろう?」

「それがね、グノー」受け取った錫杖を見分し頼もしそうに頷きながら、コナマがとりなし声で言う。

「今日はその『滅多な事』が起きてしまったの。坊やを叱らないであげて。実はね」

 コナマは先ほどの出来事を手短に伝えた。

「魔女に……石巨人?そいつはたまげた、まだ生き残りがいたってのか。で、そいつらが外で待ってるんだな、わしに仕事を頼みたいだと?」

「そうなの。それで……ああ待って!」コナマの話が終わらないうちに戸口に向かうドワーフ。この老人はどうやらかなりせっかちのようだ。コナマは急ぎ呼び止める。

「お願いグノー、二人にはわたしが戦に、吸血鬼退治に行くことは黙っておいて。オーリィが怒ったら大変なことになってしまうし……心配をかけたくないの」

「ああん?……ああわかった」振り返りざまコナマに二つ返事を返すと、グノー老人は稲妻のような鋭い視線をメネフに向けた。

「いいだろう、わしは黙っておいてやる。!」

 メネフが流した汗は今度はすべて冷や汗。

(カンのいい爺さんだ……)


「魔女か、なるほどお前、グロクスとんだな?」

 屋外で待っていたオーリィとテツジに対面したグノーは、驚きにほんの一時目を見開いたが、すぐに悪びれもなくそう言った。

「……何ですって?」

「ふん、そうカッカすんな。羨ましいと言ってんだよ。火山の地熱を司る蛇竜グロクスは、わしら鍛冶屋のヌシ、守り神みてぇなモンだからな。それだけの加護を受けて見てぇモンだ。だがグロクスは助平神、いい女には甘いがわしら男にゃとんと強面。

 ……で?何を拵えろってンだ?」

 ドワーフの老人の最初の不躾な言葉に一度は柳眉を逆立てたオーリィだったが、彼の言葉を聞くうちに見る間に嬉しそうな笑み。。

(おやおや、ずいぶんちょろいところもあるんだな?)

 メネフはこっそり値踏みを続けている。

「羨ましい」「いい女」の言葉に容易く上機嫌になった魔女は鼻高々だ。誇らしげにその蛇体をすっと高く伸びあがって。

「他でもないわ。ここにいる私の従者、石巨人のテツジ。これにわたしは武器を授けてやりたいのよ。これの姿と力、そしてこれの主人であるわたしの威を示すに相応しい業物を!」

 するとどうしたことだろう、今度は老人の顔色がみるみる不機嫌に染まっていくではないか。オーリィがさらにもう一言何か言おうとしたその出鼻をくじくように。

「くだらねぇ!ダメだダメだ、帰れ!」

「くだらない?わたしの注文の何がくだらないと言うの?」

「話になるかぃ、最初から最後までどこもかしこもくだらねぇ!

 いいかそもそもだ、武器なんてモンは『戦うのに力が足りないから使う』んだ。そこのデカブツ!そいつのその生まれつきのどでかいゲンコツ二つがありゃあ、他に何が要る?小僧の城の城門だろうと一発でぶち破れそうじゃねぇか?!余計なモン持たせりゃ、その分動くのに邪魔になるだけだ。

 それと、言っておくがこのわしはな、『ただの飾り』なんてモンは絶対に作らねぇからな!『役に立つモンを作る』のがわしの、鍛冶屋の誇りなんだ!!」

「鍛冶屋の……誇り?」

「畑で汗を流して働く男どもの使う鋤、鍬、鎌!その嬶どもがうまいメシを煮炊きするための鍋、釜、包丁!それに大工のノミ、仕立て屋のハサミ、木こりの山刀!そういう『命を繋ぐための生きた道具』を打つのが、鍛冶屋の本懐よ。つまりだ、武器なんてモンがそもそも道具としちゃ下の下なんだ。誰かを何かをぶち壊す、ぶっ殺すことしか出来ねぇ、つまらない代物だ。だがまぁ仕方ねぇ……それで助かるヤツもいるなら、わしも嫌々ながら作ることもあるし、いったん作ると決めたら手は抜かねぇ。

 例えばな、そこの小僧の『朝日の鏡』。無茶ばかりするどら息子が、戦でとうとう片腕を無くして帰ってきやがって……その今後の命の心配をして、侯爵様がわしに直々に頭をおさげ下さった、あの親心はとても無碍には出来ねぇ。だから作ったのよ。ま、そんなこともあったが……てめぇの言い草はなんだ!

 ただ家来の見た目を偉そうにするだけのためのお飾りが欲しい?そんなモン、どっかの飾り屋にでも作ってもらえ!そりゃ断じてこのわしの仕事じゃねぇ!」

(この爺さんはこれだからな……)

 技量に於いて勝る者のない、国主侯爵ですらその腕を乞う、国一番の鍛冶屋。本来なら王侯貴族付きの職工としてどんな富貴も望めるはずのこの老人が、この小村で細々とした工房を営んでいる、その理由。あまりにも頑固一徹な職人かたぎ。

(それにしても?こっちは意外だぜ……?)

 最前までの女王様気取りはどこへやら、親に叱られた子供のようにしゅんと塩垂れた魔女の姿。己の言葉の軽率不遜を心から恥じている、そんな風情ではないか。

(おだてに簡単に乗るところといい、案外素直な女なのかも知れねぇな。それとも、爺さんに言われた中に何か急所があったのか?クソジジイめ、余計なことまで言いやがったが……)

 彼の帰りを待ちわびているはずの、父・侯爵。ふいと浮かんだその面影を、メネフはまた胸にしまい込む。

「そうだな親方、あんたの言うことはよくわかる」

 するとテツジがおもむろに両膝を地に付いて、ドワーフの老人に向かって窮屈に身を折りかがみ込む。小さな老人に対する巨人のその姿勢はもはやほぼ平伏に等しい。

「俺も、この俺に武器というのは相応しくない気がする。正直持ったことがない。

 ただ親方、俺に褒美をお賜りくださるという、大恩ある俺の主人、オーリィ様のお気持ちを俺も無碍には出来んのだ。

 どうだろう親方、あんたは「生きた道具」なら打ってくれるだろうか?俺には実は前からずっと欲しいと思っていた物がある。オーリィ様、いかがでしょう?」

「そうね、もともとわたしが勝手に言い出したことだものね。いいわテツジ、お前のための褒美ですもの、お前がお前の好きなものを直に頼んでみたらいいわ」

「ふん?」魔女に対しては憤然と噛みついた老人だったが、巨人のいかにも誠実で丁重な態度と言葉に顔色を改めた。

「言ってみろ。何が欲しい?」

「シャベルだ。この俺の体に見合う、大きくて頑丈なシャベルが欲しい。

 ……聞いてくれ」

 テツジは目前の老人と側の魔女、両方に目配せし、そしてやや遠いところを見るような目で言った。

「俺達石巨人は、生まれながらの『鉱夫』なのだ。山の岩肌を穿ち、地の底から鉱石や宝石などの地下の富を掘り出すのを、太古から皆生業として生きていた。親方、あんた達ドワーフもそうだったな。昔俺達は商売敵でもあり、同じ穴を掘る仲間でもあったのだ。

 そしてそんな俺達石巨人は、ある歳になると大人たちから一本のシャベルを渡される。それが一人前の大人の証しなのだ。それから俺達はそのシャベルを使って穴を掘り、生きていく。無論それから何本も取り換えていくが、常にシャベルは俺達の傍らにあった。手にしていないことはなかった。シャベルは石巨人の男の証しであり、誇りだったのだ。

 だが俺は。その俺のシャベルを失くしてしまった。かつて俺は人間と戦い、ある日石化の呪法を受け石に変えられてしまったのだ。俺にとってはそれは昨日のことのようだが……俺がオーリィ様に呪いを解いていただき、目覚めた時はその場の景色はすっかり変わっていて。

 そして教えていただいたのだ、俺が眠りについてから、およそ300年の時が過ぎていたのだと。もちろん、その場には俺のシャベルは影も形も残ってはいなかった。俺は俺の石巨人の男の誇りを、300年前の世界に置き去りにしてしまったのだ……」

 老人に一喝され頭を垂れながも、蛇体を高くもたげていたオーリィであったが、テツジの話が進むに連れてその顔色を覗き込むように身を沈めて、彼の肩にひしと縋り付いた。

「ああ、テツジお前……そんな事今まで一言も……」

「最初にお会いした時は。俺は俺の持ち物よりも、失った俺の仲間達のことで胸がいっぱいだったのです。そしてオーリィ様にお仕えしながらしばらくたって、ようやくシャベルのない手持ち無沙汰を思い出しました。

 ですが。それはつまらぬ未練だと思ったのです。最早この地上に石巨人は俺の他に一人もいない。ならばその生き方は潔く捨てて、貴女にいただいた新しい命の使い方を覚えるのが何よりであろうと……そう考えていたのです。

 ただこの場で、貴女がこの俺に何かをお賜り下さるとおっしゃるのなら、やはり俺は……」

「ああ!親方、親方お願い、お願いよ!」

「み……皆まで言うなバカヤロウ!」

 その時。巨人の物語に、魔女と老人が示した態度こそ見もの。

 オーリィはもはや限界まで地を這うような恰好、背の低いドワーフをむしろ見上げる形。胸で祈るように手を組みながら、切ない表情で身を揉みながら訴えると。

 グノーはと言えばなんと。くしゃくしゃの顔でポロポロと涙を流し、洟をすすっているではないか。

(効果覿面だぜ……この爺さんはこういう話には滅法ヨワイんだったなぁ?)

(そうね。それにオーリィも……ああいう子なのよ)

 無言で見かわしながら、以心伝心で会話するコナマとメネフ。どうやらケンカは治まったと、一羽安堵の胸をなでおろすケイミー。

「シャベルだな!いいだろう、シャベル、シャベルだったら……

 ついて来い、工房の裏だ!!わしが打つまでもねぇ!!!!」

 自分が言い終わるのを待たず、急に踵を返してドシドシとせっかちな歩を進めて去っていく老人。

「もうある」とは?一同はきょとんとしながら彼を追った。

(続)

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