第19話 開戦(その1)

「おのれ……!」

 魔城の暗闇の一室で、シモーヌは額を押さえて呻き声を一つ。死も痛みも捨てたはずの彼女に、頭を割られたような衝撃。それはであった。

「私の術を破っただと……あのノーム矮人こびとが?!」

〈言った通りじゃろうがシモーヌ、侮るなと。神裁大師コナマ、あたしはあれをよぉく知ってるのさ。あれはな……〉

 シモーヌが「よだか」と呼ぶその声は、そう言ってを妖魔に告げた。

「……何だと?」

〈わかったかいシモーヌ?お前はあたしが精魂込めて産み出した最高の不死怪物アンデッド。この世に今まで高位吸血鬼ロード・ヴァンパイアと呼ばれた者はいくらも現れたが、言い切ってやれる、お前程の力を持つ者は今までに一人もおらん。

 だがね、このあたしはどんな時にも手は抜かないんだよ、どんな時も……そう、もさ〉

 俄かに顔色を変えたシモーヌ。

「そういうことか。いや……構わぬ!いいかよだかよ、お前にとってあのノーム矮人が例えどんな存在だとしても!私の前に立ちはだかるなら、容赦はしない!一度私に力を借した以上、よだかよ、お前は黙って見ていろ。

 私は……何があろうとも、誰にも負けぬ、それだけだ!!」

〈ああ、それでいい。好きにしな。あたしは黙って見ていてやるよ〉

 よだかの声が闇に溶けるように消えると、シモーヌは受けた痛手の血を拭い去るような仕草で、額に当てていた手を振り落として。

「歓迎してやる!まずはこいつらが相手をするぞ、神裁大師コナマ!

 ……そして沼蛇の魔女オーリィよ!どう守りどう戦う?見せてみよ!!」


 テツジの作った壁の裂け目から踏み込んだ一同、周囲に注意を配りながらも足早に、城の正門に向かって歩みを進んでいたが。

「おっと」メネフがむしろ、おどけた口ぶりで額に手を当て遠見の仕草。

「ようやくおいでなすったか。今までずっと静か過ぎてかえって気味が悪いと思ってたとこだ。みんな、仕事の時間だぜ!」

 開いた城の玄関から次々と、あるいは窓を潜り抜けて。蛆虫が這い出るような動きで湧き出る屍鬼グールの群れ。

「どうする殿下?どう戦う?」問うテツジ。

「そういや今まで確認してなかったが、アンタはオレが頭でいいのか?」

「当然だ。俺、いやオーリィ様が殿下、お前について行くと決めたのだ。無論今まで通り、必要だと思う意見はさせてもらうが」

「頼りになるぜ。んじゃ、アンタは正面をいい加減蹴散らしてくれ。取りこぼれと回り込んだヤツらはオレとゾルグで捌く。オレが右、ゾルグお前は左、いいか?」

「ガッテンでゲす。ベンは下げさせて大師様に付けますんで」

「それでいい。オーリィちゃん、アンタも婆さんとケイミーを頼む」

「いいわ!その代わり、腑抜けた戦い方をしてたら後ろから焼くから、覚えておきなさい!」

「おっかねぇな……」

 メネフにもわかっている、本来ならば。オーリィのあの力を借りれば、ちまちまと屍鬼達の相手をしなくとも、いっそ城ごと一気に吹き飛ばせるはず。

 だが、城内にはあの人質がいる。そしてオーリィに好きに戦わせたら、どうなるものかわかったものではない。

(見殺しには出来ねぇからな……)

 メネフは言った、自分の戦いは大義ではなく、家族を守るためのものだと。であるならば、本来なら見ず知らずの娘一人を助けるために危険を冒す必要はない。

 実は。その点はむしろ父侯爵の方が呵責なかった。

「大師様の前では口には出来んことだが……メネフよいか、人質など気にしなくてよい。存分に戦うのだ。

 我がノーデルの民の血は流れ過ぎた。そして聖騎士として自ら進んで戦いに行ったあの娘にも、相応の覚悟はあろう。なれば今更、一人の命を惜しんで何になる」

 白魔とのあの屈辱的な会見の後、兎も角旅路の疲れを取るようにとコナマを先に休ませた侯爵は、彼にそう宣告していたのであった。

 だがさらに、その侯爵が寝室に下がった後に、今度は兄バルクスが。

「陛下も御苦衷であらせられる。確かに教会はあの後何の増援も援助もして来ない。あの娘は実のところ、見捨てられたと言って良かろう。ならば陛下としては、大師様に危険を被らせてまで敢えてお前に何とかしろとは言えん。

 しかしだ。あの吸血鬼を倒して一度は我が国を救えても、あの娘を助けられなかったら。今度は教会が後から今更のように我が国を、陛下を責め立てるであろう。

 メネフ、ここは済まぬが……」

 侯爵の面従腹背は、薄々教会にも知られている。だが辺境なりとも烈々たるノーデルの国力を恐れて、今までは何も言ってこなかったというのがこれまでの実情。そこに起こったこの高位吸血鬼出現という前代未聞の厄災。戦乱で衰えたノーデル侯国を教会が飲み込もうとするのは当然のように予測出来る。

 だがその時、もし人質となったあの教皇の娘を助け出せていたらどうなるか。少なくとも、教会がノーデルを責める口実が一つ無くなる。

(ま、兄貴の言葉の裏を取れば)

 メネフは思う。

(『じゃなかったら助ける意味は無ぇ』って言い草だ。兄貴め、肝が座ってやがる。いざとなったらあの娘を今度はノーデルで人質にする、そこまで考えてるかもな。

 そうだな兄貴、それが国事の大義。まだまだぜ……さぁて)

 メネフはやがて眼前に広がる光景に、己の思いを鎮め振り落とす。


 まずテツジが動く。最初に自分が敵を惹きつけて堰き止め、数を減らす。ただし先行し過ぎればかえって回り込まれてしまうだろう。巨人は他の仲間との距離を測りながら、しかし堂々と真正面に歩を進める

 そして戦端は開かれた。間合いとなるや否や一気に飛び掛かる屍の群れ、それを剛腕の一振りで次々と薙ぎ払っていく巨人。

 彼我ともに一切の躊躇なし。元より不死怪物には己の意志も感情もない。だが迎え撃つ巨人もまた、巌のような無感情。彼の心は醒め切っている。思うところは、ただ効率。一撃一撃でどれだけの数をまとめて潰せるか、それのみ。

(やはりか)

 しかし城内から溢れて出る不死怪物達は止め処もない。城の前庭を埋め尽くすばかりの屍鬼達の中には、テツジを無視して回り込むものが増えていく。

(あの二人は?)

 相変わらずあくまで機械的に戦い続けながら、巨人は冷静に左右の戦況を伺う。

 右のメネフ。

(流石だ。いや、あの時見たよりもはるかに鋭い)

 右に薙いでは返す刀で左。正面を一刀両断、そのまま振り返りざまに背後の敵を逆袈裟。メネフの剣技は風のように速く、水の流れのように自在で無駄がなく、そして獲物を捕らえる鷹のように一刀一刀狙いは正確。それでいて威力も重い。傍目から素人が見れば軽く振っているような切先が、次々と怪物たちの首を刎ね頭を割る。

(本物だ、修練されている)

 そしてなにより、その戦いに臨むメネフの貌。普段のあの軽躁さは影を潜め、代わりに現れたのは、厳しくも気高く、そして気品ある王者の姿。

(これが人間の貴族の血か。この男はまさしく本物だ……!)

 左のゾルグ。

(……何?)

 その奇怪な戦いぶり。ゾルグの背には矢筒、その中にはあの小剣も確かにあったが、その他に数多く矢が入っていた。しかし彼は弓を持っていない。あるいはベンに代わって携帯しているだけかとも思っていたテツジであったが。

 ゾルグはその矢を次々と手に取って、素手で敵に投げつけ始めたのだ。

(だが……よく当たる、それに手が早い!)

 ゾルグが矢を取り投げるその動作の、恐るべき回転の速い連射。なるほど、これは弓につがえて撃つ普通の弓術では到底追いつかない。

(飛距離と威力を捨てる代わりに、近い間合いで数を撃つ。むしろ乱戦のための戦法なのだ。だがどうする?そろそろ矢が尽きるぞ?)

「うじゃうじゃとまぁ!なら今度はこっちで!」

 ゾルグがマントの懐から掴み出したのは投げナイフの束。

(待て?ならば最初からそれを使え!)

 激戦の最中に、思わず気が抜けそうになるテツジ。感心しかけた自分がからかわれているようだ。そして。

「ありゃ?こっちも切れたか。じゃあとっておきの出番」

 投げる物が尽きたと見るや、ゾルグが次に取り出したもの。先端に重い金属の球のついた鎖。敵に投げつけ、振り回して蹴散らす。実に奇妙な武器、だがゾルグは鮮やかにそれを使いこなしている。しかしテツジは思う。

(いや、だからなぜそれを先に使わんのだ!)

「んでもってコイツを抜いて」

 あの小剣を取り出すゾルグ。

(いよいよ剣か?しかしあの小剣、間合いが厳しいぞ。余程自信があるのか?)

「これにくっつけてこうっと!」

 先ほどの鎖の片方の先に抜いた小剣を環でつなぎ、今度はそれを振り回す。

(……そう使うのか……いかん、あいつのことは気にしてはダメだ……!)

 余りにもでたらめ。ゾルグの戦法にテツジは一瞬目がくらむ思い。ともあれ!

 どうやら左も心配には及ばないようだ。テツジはもう一度正面に集中する。


 コナマを守りながら後方で控えていたオーリィ。前方の三人は確実に敵を抑え凌いでいる。だが漏れは当然。バラバラと近づく敵に、彼女の足元で小さなコボルドが弓を構えて、つがえる矢は一度に三本。同時に射た矢が三方に飛び散ったかと思うと、それぞれの方向で別々の敵に同時に命中する。

 そして狙いも正確無比。射た矢は全て怪物たちの頭に命中する。

「不死怪物を動かす呪力は、主にその頭に宿るの。矢で射るなら頭を狙いなさい」

 コナマは聖別を授けながら、ベンにそう教えていたのである。断首が不死怪物に有効なのもそれが所以だと。

 そしてこの小さなコボルドはその教えを違えない。彼の射た矢は命中するとたちまち緑の炎に燃え上がる。それはコナマの神聖力の解放された姿であり、不死怪物の穢れを焼き払う。今やベンの矢は一撃必殺だ。

(すごいわ……)

 魔女は素直に驚く。武芸には疎い彼女にも、ベンの技の冴えは明白。そして彼女も気づく。ベンの持つ小さな弓と短い矢、それはまるでおもちゃのよう。飛距離も威力も当然人間の弓より数段劣るはず。だが彼の技があれば。

(近寄った敵をまとめて倒せる。同じだわ、ゾルグと同じやり方。あの男が教えたのかしら?それとも……)

 オーリィも聞いたことがある。野のコボルド達の武器は石つぶて。

(狩の時に、大勢で石を投げて獲物を獲る。元々「撃つ」ことが得意だったのよ。そのコボルドに弓矢の使い方を教えて、その代わり、ゾルグはベンから物を投げる技を習った……)

 二人で一人の猟兵イェーガー。レーベの港でのゾルグの名乗りを思い出す。

(感心している場合ではないわね。わたしも!)

 オーリィはおもむろに両手を前に肩の高さあたりまで上げ、マリオネット遣いのように十指を扇のように広げて。

「穢れた死骸の分際で、コナマさんに近づく恥知らずは誰!さあ覚悟なさい!」

 オーリィの全ての指先の爪に炎が灯ったような輝きが。そしてそこから豆粒のような光弾が次々と打ち出された。それは敵に着弾すると、あっという間に大きく燃え上がり黒焦げにする。崖下で海面に彼女が撃ち込み大爆発を起こしたあの火球、それをより小さく数多く生み出しているのだろう。そして一度は見当違いの方向に飛んだと見える光弾も、やがて弧を描いて必ず当たる。オーリィは魔女の目でそれらを誘導しているのだ。

「す、すごいや、まじょさま!」

「ベン、いいこと?あなたの技もとても素晴らしい、だけど矢には限りがある。なるべくわたしに任せて、コナマさんの側でいざという時に備えるのよ!」

「ありがと、わかった。オレ頑張って備える」

 コボルドの拙いが健気な返事に思わず頬が緩みそうになるオーリィ。

 だが。

「ケック!オーリィ大変、空を見て!怪物がいっぱい!!」

「何ですって?」

 ケイミーの鋭い叫びにオーリィが空を見上げると、そこに見えたのは。鳥か蝙蝠かあるいは人か、翼で空を舞ながらこちらに急降下してくる不死怪物の群れ。

「空を飛ぶ怪物?あの女、どうやって作ったの?……いえ、それは後の話ね!」

 地上から空に。狙いを変えた魔女の光弾はやはり百発百中、飛行する不死怪物は燃え上がりながら地上に次々と落下する。それはいい、しかし。オーリィは逆に対空攻撃で手一杯になった。地上の敵は三人ではどうしても取りこぼす。

「ベン!ごめんなさい、さっき言ったことは忘れて!わたしが空の敵は抑えてみせる、だから……頑張って!」

 するとコナマが。

「そう、少しだけ頑張って頂戴。私も守ってもらうだけというわけにはいかないわ。今力を溜めているの、もう少しだから!」

「頑張る!」

 ベンがすかさずつがえた矢は五本だった。

(続)

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