第35話 穢霊騎士団(その2)

 一行に先立ち、甲斐甲斐しくも忙しなく、進む先を目でキョロキョロ、鼻でスンスン。慎重に辺りを調べながらも滞りのなかったベンの足取りが、そこでパタリととまる。

「あれ……へ、へんだな?」

 通路は行き止まりなのだ。壁の前でベンはしきりにヒゲを震わせ辺りを嗅ぐ。

「このへん、兄貴の臭いがするんだけど……道が……?」

「ここが行き止まりだったから、あの二人もまた引き返して別の道に行ったんじゃねぇか?」

「ううん、でんかさま、途中で曲がった臭いなかった。へんだな?」

 ベンの言葉に共に首を傾げて思案のメネフに、アグネスが苛立たしげな声で言う。

「だが通れない、ならば別の道を行くしかあるまい?侯子、回り道が過ぎるぞ!

 ……それに何故その二人にこだわる?我らの目的は!あの悪魔を滅ぼすことではないのか?何をグズグズと……」

 チラリとベンの姿を見下ろすアグネスの冷たい視線を、メネフは見逃さない。口ではハッキリと言わないが、彼女はメネフがベン、すなわちコボルドというに、道案内を任せていることが不満なのだろう。

 メネフは噛んで含めるように言葉を選ぶ。

「そうだなアグネス、確かに回り道だ。でもな、その値打ちがある。

 別れた俺たちの仲間はな?……強ぇのさ。頼りになるんだよ。あの二人がいればこの戦は怖くねぇ。俺たちは」

「皆で強くなる。そうだな殿下?」

 メネフの言葉を掬い上げるように、テツジが声を被せる。

「そしてオーリィ様は俺の主、ゾルグはベンの義兄。どちらも簡単に諦めたり見捨てたりは出来ぬのだ。壁か?……ちょっと見せてみろ」

 巨人は壁に向かって一歩進み出ると、両手の掌をドンと壁に突いた。

「む?この壁は動くぞ?わずかだが、ゴトゴト揺れる。殿下、ベン、横の壁や床を……」

「あるな」メネフは巨人にみなまで言わせない。「確かに隙間があるぜ」

「うん、下も。それに壁の向こうから兄貴の臭いが流れてくる!」

「よし、だ」

 巨人が背負っているあのシャベルに手をかけた。それを受けてメネフは頷き、皆を目で促す。

「おい?下がるぞアグネス」

 ベンとコナマは早々とその場から後退しつつあった。彼も早足で二人の後を追いながら、取り残されたようなアグネスに振り向いて一声。

「アイツが一発ぶちかます。危ねぇぞ、もっと離れて伏せとけ!」


 言われるままに床に伏せたアグネス、その頭上に響き渡る轟音。いや、それは音というより、一塊の濃密な衝撃の奔流。それが通路をピッタリ満たして通り過ぎていく。

「!」思わず石畳にかけた指を引き絞る。そうしなければ流されてしまいそうだったから。衝撃をからくもかわし、アグネスがおずおず頭をもたげると、視界にはもうもうたる一面の埃。しばし前方でガラガラと瓦礫の落下音、それもやがて静かに。

「もういいぞみんな、これ以上はどうやら崩れそうにない。戻って来てくれ」

 テツジの呼ぶ声に、顔面にまとわりつくような埃を手で払いながら戻った一同。先程の行き止まりの壁は見事に粉砕され、大穴を開けていた。

「まぁ二度目だし?そりゃテツ、お前ならこのぐらいはな?今更驚きもしねぇと思ったが……ハハ、そうはいかねぇか」

 軽く肩をすくめるメネフ。巨人は澄まし顔、そして目を丸くしてものも言えない様子のアグネスに。

「どうだ、これで回り道ではなくなった。必要ならばこの先も、壁など何枚でも破る。我が主・オーリィ様のためならば、これしきの働きを惜しむ俺ではない。

 そして殿下の言った通り、オーリィ様はお強い。この俺以上だ。この戦にはあの方のお力がどうしても必要なのだ」

 アグネスの顔に別の驚愕。この巨人にかくまで言わせる、彼以上の戦士とは?まるで想像がつかない。

「巨人よ……お前の主、そのオーリィとはいったい……?」

「む、ようやく俺ともまともに口を利く気になったか。ありがたい。だが……殿下どうする?」

「そうだなぁ」一瞬メネフは遊び足りない子どものようないたずらな顔になって、しかしすぐにキリリとそれを改める。

「会うまで内緒にしとこうか迷ってたが、急にバッタリ鉢合わせでもしたらそれもまずいしな。いいかげん頃合いだ、ここでバラそう。

 あのなアグネス?俺たちのオーリィちゃんってのは!

 ……ズバリ、魔女だ」

 最後の一言を、メネフは慎重にゆっくりと、噛みしめるように絞り出す。

 魔女。それは神に背く悪魔の使徒であり、聖騎士すなわち教会の上級聖職者であるアグネスにとっては、まさに不倶戴天の

 なるほど彼女はここまで、渋々ながらもなんとか皆と衝突を起こさずに着いてきた。だが流石に、仲間に魔女がいると聞いたら?そのまま大人しくしていてくれるとは到底思えない。メネフは万一を恐れてここまで一同に箝口令を敷いてきたのだ。

 そして案の定。

「魔女?!魔女だと!!侯子、まさかお前は魔女と手を組んだのか?!」

 たちまち顔色を朱に染めるアグネス。

(……おいでなすった!さぁどうするか……ん?)

 だが奇妙だ。さぞかし大騒ぎを始めるのではないかと身構えていたメネフの前で、彼女ははたと黙り込むではないか。

「そうだ、『オーリィ』!……魔女の名だ……『沼蛇の』……」

「……アグネス?」「むむ?」

 オーリィの事は今まで一切秘密だったはず。なぜその二つ名を、と。メネフとテツジがアグネスの顔を覗き込むと、さらに。

「まさか本当に……あのがこの世に……?」

「何だと!!」驚きに目を見張るのは今度はテツジの方であった。

 オーリィの前身、それすなわち、リンデルの伯爵令嬢。

 己が主に命じられても決して忘れる事など出来ない、侯爵のあの謎めいた言葉が巨人の脳裏で木霊する。

「知っているのか?オーリィ様の名を、その…………」

 サッとコナマが、緊張した面持ちで割って入る。

「そう……アグネスあなた、リンデルの生まれだったのね。訛りが消えているから気がつかなかったわ。

 そしてあなたは『沼蛇の魔女』を知っている、その話を聞いた事がある……?」

 アグネスは険しい声で、しかし面持ちだけは逆に夢見るよう。

「猊下に嫁した母と共に私が教皇府に移り住んだのは六年前、私が十歳の頃だ。そしてがあったのは八年前、すなわちその時私は八つ、ほんの子供だった。だがあれは祖国リンデルでは大事件だったらしい。子供の私にすら噂は聞こえていたし、その後母からも何度も聞かされた……

 だがあんな話が、事実だと?信じられぬ、私は子供の頃から信じてはいなかった!

 おそらく何か噂の元はあったのだろうが、そこにいらぬ尾ひれがついて、つまらぬ与太話になってしまったのだと……そして最近では頭の中から消えかけていた……まさか?」

 まさかまさかを重なるアグネスに、テツジは急きこんでその先を問おうとする、だがコナマが間に入って厳しい眼差しをむしろ彼に向ける。

「テツジさんいけないわ。あなたの気持ちはわかる、でも!この話はオーリィがいないここで、あの子の許し無しに続けるべきじゃない。

 ……ねぇアグネス、あなたもどうかお願い」

 問うなと、黙っていろと、コナマは言う。

「ううむ……!」「……わかった」

(ふん、婆さんめ、な)

 驚き、怒り、当惑、様々な感情を顔の面に残したまま、二人はしかし今、態度だけは大人しくなる。それはこの際いささか不自然だ。人の心を鎮静化するあの力を、コナマが今度は意識して強引に用いたに違いない。

(この場は仕方ねぇ。だがこいつはぞ。オレも考えておかねぇと)

 魔女と再会した、その時に起きる事態への対処。メネフがそっと覚悟した、その時。

「……みんな!何かこっちにくるよ、何かへん、へんなやつ!!」

 ベンが慌てふためき四つ足で、壁の大穴の向こうから来た。


 そう、ベンはその時。なにやら自分にはよくわからない話でもめているような仲間をおいて、一人そっと壁の大穴の向こうへ偵察に赴いていたのだった。

(あった!兄貴のしるし!)

 すぐに目に留まったのは、脇の壁に刻まれた海賊文字の「Z」。自分の感覚に間違いが無かったことに小さく満足し、健気な獣は早速辺りの様子を伺い始める。

(おれ、むずかしいこと、わからない。おれにわかることを、頑張る)

 手にはパチンコ、目・鼻・耳・ヒゲを存分に使い、用心深く先を探る。

(こっちだ、ワナも無い。このまま行けばだいじょうぶ。でんかさまに……)

 戻って道を伝えよう。来た方に振り返った彼の背中の毛が突如、一面逆立つ。

 どの感覚器官でもない、獣の本能が魂に直接伝える危険信号。小さなベンの背筋に走るのは、禍々しい殺気だ。

「……グルルルル!」

 今ではゾルグの忠実な片腕、彼から「弟分」とまで言われるようになったベン。だが、元は野生のコボルドであった彼をここまでにしたゾルグの躾は、実は決して甘いものではなかった。ゾルグとて最初は、このコボルドを単なる一匹の猟犬として仕立てるつもりだったのだから。人に牙を剥き吠えたてるその獣を、ゾルグは最初は何度も打擲し、険しい野生の貌を人前に見せないように躾けていったものだった。

 今では。どんな人間に対しても大人しい子犬のように従順なベン。その姿に当のゾルグですらほだされたし、この道中でも女達にペットの様に可愛がられていた。

 だが今、ベンは久しく忘れていたその野蛮な牙を剥き、背後に迫る敵に唸りを上げる。それ程の本能的脅威なのだ。そしてその目に映った、奇怪な敵の姿。

(……馬?)

 高位吸血鬼シモーヌのための魔城には、火を用いる明かりは無い。だが場内はどこも常に夕刻ほどの薄暗がり。それは築城者ゲゲリの神力によるものか……ともあれ。

 その薄暗がりの中に佇む、そのシルエットは確かに馬のよう。だが目をこらしたベンはすぐに気づく。

(違う、これ人、人のだ!!)

 数人の人間、その胴体をゴタゴタとつなぎ合わせて造った、馬の形。人の脚を数本(四本より多い!)使った脚は、長さが足りなかったのかどれも途中で繋ぎ伸ばされていた。その胴体のあちこちからでたらめに生えている腕、腕、腕。そして前方、丁度馬の首のようにL字に立ち上がった一つ分の人間の胴体にごろごろと鈴なりに付いているのは、人の頭、頭、頭!!

 半分は獣のようなベン、いや、より純真な一匹の獣だからこそ感じる醜悪。生命いのちに対するその限りない凌辱に、喉の奥から催す吐き気。

 しかし彼は小さくとも一流の戦士だ。動揺は一瞬、すぐさま懐から鏃を数発つまみ出し、パチンコで放つ。狙いたがわず全ての弾は、敵のそれぞれの頭に命中!

 だが!!

「ほほほ、見よ犬だ」「犬がいるぞ」「おお、それは」「不埒者どもの飼い犬だな」

 これまで不死怪物たちに致命の一撃を与えてきた、あのベンの射撃が通用しない!鏃は虚しく的に刺さったまま、あの聖なる緑の炎がなぜか燃え上がらないのだ。

ね」「去ね犬め」「我はアグネス様に用がある」「そこを去ね!」

 ベンは本能に従う。この敵には敵わない、ここは退くのみ。そして今出来ることは、仲間に危険を知らせることのみ。

「出来ることを頑張れ」。義兄ゾルグの教えに、ベンは忠実に従った。

(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沼蛇の魔女と石の巨人 おどぅ~ん @Odwuun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ