第36話 穢霊騎士団(その3)
「ゾルグ!聞こえて、今の音?!」
「へい確かに、おっと!魔女様ちょいとお静かに……」
遠く聞こえてきたその音。ゾルグは魔女の興奮を片手で制し、余韻に耳を済ませ、
「ドンと一発、後はガラガラ……石の落ちる音がしやしたね。こりゃ旦那だ、あの壁をぶち破ったんでゲしょう」
突飛な想像ではない。魔城に踏み込む前、まだテバスの古城が形を成していた時。その城壁を一撃で粉砕したテツジのあの姿は、二人の記憶に鮮やかだ。
そう、彼になら出来るし、そうする。オーリィを追うためなら!
「ああ、テツジ……!」
魔女の恋焦がれるようなため息を、ゾルグはここは冷静に聞き流して。
「引き返しやすかい?なに、どうせ回り道は覚悟の上、これで殿下や旦那と一緒になれるんならその方が……」
「戻りましょう!」
魔女に否やはなかった。
「おや?」
姿見を覗き込んでいたシモーヌが、ふいと何かに気づく。
「手鏡はどこだ?おお、あったあった……」
手鏡の置いてあった机を、先程シモーヌは薪にするため破壊してしまった。薪作りに夢中だった妖魔はその時、手鏡を無造作に床に転がしていたのであったが、それを拾い上げて。
「ふむ魔女め、戻っていくな?巨人が壁を破ったことに気づいたか」
(……クワック?)
暖炉の側でうずくまっていたケイミーも、あることに気づく。
(シモーヌはどうやって、城の中のことを?)
鏡を使って見張っている、それはその通り。だが今も、少し前も、妖魔は「何か起こったことに気づいて」から「鏡を使った」のだ。悪魔の魔力、そう言ってしまえばそれまで。だがその千里眼的な知覚には何か秘密があるのかもしれない……
しかしケイミーは、その謎にそれ以上思いを巡らせることは出来なかった。妖魔がただならぬことを口にし始めたからだ。
「しかし魔女よ、お前が戻っては興ざめだ。私は今は教皇の娘と遊びたいのだよ……まずは雑兵を集めて足止めだな。だがあの魔女が相手となると、さて?」
と、小首を傾げること一つ、シモーヌの頬にたちまち、新しい邪悪な笑み。
「そうだ、使えるかも知れぬな、魔女の側にいる小賢しいあの男……!」
(ケック!それって、ゾルグさん?!)
「敵だと?よし……!」
新たに手にした槍をしごきながら、アグネスが一歩前に進み出る。ようやく得意の武器を手にした彼女は逸っていた。己の腕前を一同に見せつけたい、そういう顔色。
だがそれをベンが止めた。
「待って、お、おねえさんはダメ。あいつ、おねえさん知ってる、狙われてるよ」
「何だと?」返事をしたのはメネフ、アグネスはベンをまるで無視だ。
「敵がアグネスを狙ってる?どういうことだベン?」
しかしその問いをも、アグネスはさえぎるように。
「侯子よ構わん!私はここに長く捉えられていた、知られているのは当然。
……狙われている?よい!どんな敵か知らぬが、あの悪魔がその気ならば!返り討ちにして一つ意趣返しするまでだ!」
そしてずんずんと足早に、壁の大穴の向こうに一人消えるアグネス。
「おい待てって!……チッ、みんな!」
手に負えない。メネフは軽く舌打ちしながら振り返り、同じく困り顔の仲間たちを目で促して後を追った。
「こうして……ここの連中も呼んで……」
シモーヌは食い入るように手鏡を覗き込みながら、しきりに指で右に左に指図するようなしぐさ。
「さてと。魔女の方の足止めはこんなところでよかろうな」
妖魔はその操作で、オーリィ達の行く手に何か仕掛けたらしい。
(ケック……?)
姿見とは違い、手鏡の方はケイミーには覗き見ることが出来ない。不安で塗りつぶされるケイミーの胸。そして相変わらず不思議だ。ああして鏡の前でちょろちょろと指先を動かすだけで、一体何が操れるというのか?なにか仕掛けているとして、妖魔はどうやって自分の意思を城中に伝達しているのか?
もどかしい思いのハルピュイアに、今はシモーヌは目をくれない。
「あちらは頃合いを見てまた私が出向かねばならぬが、これでひとまず時間は稼げる。その間に……さぁ、遊びの始まりだ!くくく……」
手鏡を床に置き姿見に向かうシモーヌ、そして妖魔はひときわ冷たく嗤う。
「教皇の娘よ、聖騎士アグネスよ!よい顔で泣いてもらおうか……」
その言葉にケイミーの視線もまた、シモーヌの背後から再び姿見に吸い込まれる。
壁の穴をくぐったアグネス。壁の向こう側の足元には、テツジが粉砕した瓦礫がゴロゴロと転がっていた。アグネスの足には布が巻かれているだけ、小石を一つ踏みつけて小さく呻く。しかしその軽い痛みは、むしろ彼女にとっては喜ばしい。戦に臨む気持ちを引き締めてくれる。
(ふむ、やはり戦うとなれば足拵えはこれでは不足か。気は進まぬが、今度怪物を倒したら)
履物を拾って使うべきだろう。出来れば銅鎧ぐらいは見つけられるか?
(私としたことが)そこで少女は苦笑する。
(まるで追い剥ぎだ……いや、これは悪魔との聖戦、それも止むを得ぬ。神よ、どうかお許しを)
それにしても、どうして自分はこんな気持になったのか。
(この槍のおかげだな)
メネフの挑発に乗せられて、彼女は半ば自暴自棄に魔城に乗り込んだ。正直、どうとでもなれと思っていた。だが使い慣れた得物の手応えが、今彼女の中に建設的な勇気を呼び起こす。この戦に自分も前向きに挑もう、そんな新たな決意。
そしてふと思い出す、槍を自分に差し出した時の、メネフのあの顔。あの真摯な、だが温かな眼差し……
「ええい、私は何を!そうだ、敵はどこだ?」
アグネスはこれまで感じたことのないその迷いを強いて振り払うと、通路の向こうに意識を集中した。
なるほど、確かにいる。何者かの気配。戦士としての肌感覚が、僧侶としての心の目が、伝えてくる危険。だが彼女の歩みはむしろ先に逸る。
(この槍さえあれば!見ていろ侯子!)
脳裏に浮かんだメネフの面影に彼女が奮起した、その時。
「おお……」
「これはこれは……」
「ようやくここまで……」
「参られたか……」
「お待ちしておりましたぞ……」
たちまちアグネスの背筋に走る悪寒。ぎくりと足も止まる。
(この声は!……まさか……)
やがてカツコツと近づく足音。一人分ではない、いやむしろ、一人分であるはずがない!アグネスは彼らを知っているのだから。
「アグネス様」「アグネス様」「アグネス様」「アグネス様」
次々に自分の名を呼ぶ声は、その度ごとに違う声。そして薄暗い魔城の通路に、ついに敵のその姿は現れた。
「おおアグネス様!斯様なところにおられしか。お探し致しましたぞ……!」
五人目の、否、その怪物の五つ目の頭にそう呼びかけられた時。絹を引き裂くような悲鳴が喉から溢れるのを、アグネスは止めることは出来なかった。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「何だ!どうしたアグネス、返事をしろ!!」
アグネスを追って、すぐにでも捕まえたかったメネフ。しかし少しだけ遅れをとってしまった。巨体のテツジが、壁の穴をくぐるのに少々手間取ったから。コナマを守ることを考えれば、メネフは自分だけ先に突出するわけにはいかなかったのだ。
だが、今聞こえてきた悲鳴は到底ただごとではない。
「テツ!ベン!あいつがヤバい!婆さんを頼む!」
ようやく巨人の体が穴をくぐり抜け、すぐに自分を追ってこられるようになったことだけ確認し、メネフは弾かれたように通路を走る。そして見えた!
「アグネス!!」
メネフの胃の腑が凍る。彼女は槍を投げ出し、尻もちをついて床に倒れている。まだ命は無事のようだが到底戦える体勢ではない。そしてその目と鼻の先、息がかかるほどの間合いに、敵が迫っているではないか。
「アグネェェェェェェス!!」
声を限りと再び叫び、アグネスの背を飛び越えるメネフ、宙からそのまま疾風の一太刀!だが敵もすばやく後ろに逃げはね、わずかのところで一撃は空を切る。彼我の並びは入れ替わり、着地したメネフの前に謎の敵、背にアグネス。
まずその緊急の一撃に全神経を集中していたメネフは、ここでようやく敵をまじまじと睨み、
(何だこいつは……人で、人の体で馬を造った?あのコウモリ女め!)
その醜悪な姿に顔を歪めて怒る。
(どこまで人間をおもちゃにするつもりだ!!)
一方その敵はメネフとの間合いを悠々と図るような足取り。
そして。
「むむ小癪な」「現れしか」「我らが
馬の首(のようにしつらえられた一体分の人間の胴体)に鈴なりになっている五つの人の頭。それらが次々と言葉をつなぐ。
(こいつ、いやこいつら……しゃべるのか?)
これまでの雑魚とは違う。今度のこの相手はどうやら、知能が残った高等な不死怪物らしい。警戒を強めるメネフ、剣を握るその手に力がこもる。その様子にしかし敵は怖じける様子もなく、かえって声高らかに。
「アグネス様は」「渡さぬぞ」「アグネス様は」「我らのもの……そう!」
そして最後の首が、聞き捨てならないその一言を放つ。
「アグネス様は、女主人シモーヌにお選びいただいた、我らのための乗り手なれば!
さぁアグネス様……我らの背に乗り、騎士として我らを再び率いられよ!!」
(やろう、今何
はっとして思わず振り返ると、そこには手で両耳を抑え、子供がいやいやをするように首を振るアグネスの姿。その頬には涙、そしてその唇から漏れる嘆きの言葉は。
「やめて、許してくれ……こんなはずでは……なかったのに……許してみんな!!」
「おおアグネス様、何もお嘆きには及びませぬ。この通り、我らは新たな主を得て甦りました。教会の偽りの神に替わって!
すなわち我ら、教皇庁第一聖騎士団改め、大シモーヌ
……我らはアグネス様、貴女を加えてようやく全き姿になるのです……さぁ!!」
「嫌ァァァァァァァァァァァ!!」
「テメェェェェェェェェェェ!!」
アグネスの悲鳴、メネフの怒号。そしてそれらに。
「ああ思った通りだ!あの娘、いい顔で、声で泣く!アハハハハハハハハハハ!!」
姿見の前のシモーヌの哄笑が、どす黒い響きを重ねてゆく……
(続)
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