第37話 魔将軍ゾルグ
さて一方、アグネスとメネフがあの死霊の怪馬と遭遇した、丁度その頃。
「おっとこりゃあ、だいぶ仰山なお出迎えでゲすなぁ」
来た道を急ぎ戻るオーリィとゾルグ。そして辿り着いたのは氷の魔獣と戦ったあの大広間。来た時はがらんどうだったその空間に、今。
「まったくあの女……よくもこれだけ詰め込んだこと!」
真剣な戦の最中だが、二人の言葉の端には滑稽な呆れの匂い。それはそうだろう、大広間を文字通り埋め尽くす不死怪物たちの、その馬鹿げた密度たるや。立錐の余地無し、いや怪物たちはお互いの体が密着してまるで動きの取れない有様。
そして二人から見て入り口、怪物たちから見て出口に当たる広間と通路の境目は、雑に板で隙間だらけに閉ざされている。不死怪物の力なら本来、そんなものは破壊して出てくるのもわけはないはずなのだが、彼らはそこに易々とそこに閉じ込められ鮨詰めになったまま。どうやらシモーヌの指令が無ければその程度の判断も出来ないようだ。
「今度は肉の壁でゲす。ほじくりやすかい魔女様?」
「はぁあ……」と、心底うんざり気味の長めのため息を一つ、オーリィは言う。
「そうね、趣味は最悪だけど!あの女がせっかく用意してくれた
いいわ、なに簡単よ、また【炎の雨】の術で。おおグロクスよ……」
魔女は目を閉じ天を仰ぎ、大広間の天井に両手をかざす。都の南の平原で起こしたあの奇跡を、ここで再現する気なのだろう。
だが。
「え……?」「……魔女様?どういたしやした?」
何も起こらない。
「グロクスが呼べない……どうして……?」
大魔法【炎の雨】。それはオーリィ自身が己の魔力を使う炎熱光弾の術とは違って、その度ごとに蛇竜グロクスの助力を求め神力を借りる「半召喚術」だ。しかし今、オーリィのその呼びかけが、竜に届かない。
(そうだわ)魔女は考える。
(コナマさんがおっしゃっていた。この城は別の神が造ったものだって。つまりここはその神の神域、だから……!)
そしてちらりとよぎる不安。地の大蛇竜グロクス、神と称されるまでの大精霊。そしてその性は暴。なまじの精霊相手なら遠慮も怖気も容赦の心も持たないはず。
(だってあの猫はグロクスの前ではひとたまりもなかった……あれは余程小物だったのでしょうけれど……)
だが、この城を造りここに居るという「大樹霊ゲゲリ」とは?どれほどの威力ある神なのか?もしやそのグロクスですら敬して近づかないほどの?
そして今まさに、その強大な神が、白魔シモーヌの後ろ盾になっているのだ……!
魔女は身震いを一つ、だがその怖気を払いのけるようにきっぱりと。
「いいわグロクス!だったらわたしが自分でやる!ゾルグ、少し後ろに離れてらっしゃい!!」
「殿下!アグネス!どうした、二人とも無事か?!」
後からテツジも急ぎ駆けつけて来た。片方の小脇にコナマとベンをまとめて抱えている。なるほどこの際それが一番安全で速い。仲間達をすばやく、しかしそっと降ろしながら、巨人の目は油断なく状況を見つめる。奥に奇怪な敵が一体、対峙するメネフ、床に座り込んで動かないアグネス。
「殿下?殿下どうした?おい、殿下落ち着け!!」
テツジが最初に気づいたのは、実はメネフの異変だった。
「ウォォォォォォォォォ!くたばれ!こうか!これでもくらえ!!」
怒声を放ちながら振り回す剣。だが狙いがまるで見当違いだ。いや、それどころか敵はそもそも彼の剣の間合いの数歩も先に離れていて、当然かすりもしていない。
「ほほほ」「無様無様」「我らにかかれば」「人間などこの程度」「ささ、踊れ踊れ!」
(むむ、さては何かの幻惑の術か?!)
巨人の脳裏に浮かぶ、侯爵の間でのあの事件。シモーヌの【
「コナマさん!」「坊や!!」テツジが助力を求めたのと、小さな聖者が手を伸ばしたのは同時。
そしてコナマの指先から放たれた緑の光の矢が、メネフの頭を狙いたがわず撃ち抜く!
「うおっ!……なんだ?オレは今どうして……チクショウ!」
一声叫んでたちまち我に返るメネフ。慌てて敵を探す目だ。その様子を怪馬はなおも悠然と。
「むむ残念」「邪魔が入ったな」「さても
と、四番目までが順に言った後、最後の頭が。
「だがまずはこれで挨拶は済んだ。シモーヌ様から今、我らに戻れとの仰せあり。お前達とはまたまみえようぞ……アグネス様、お迎えはその時に。さらば」
そして怪馬の姿は、その場から陽炎の様に揺らめき消えていく……
「ああ、もう!しまったわ!」
大広間にみっしりと詰まった無数の動く屍。オーリィは早速両手に炎を纏わせ、爪からあの小光弾を放った。だがすぐに気づく。
(山なりに撃って、奥の敵から狙えば良かったのね……!)
そう、魔女は余り考えもなく手前の敵を普通に攻撃してしまった。すると、その空間がほぐれて敵にも動く余地が生まれる。出口の詰まりを自ら破壊してしまった魔女に、動きの取れるようになった怪物たちが、文字通り堰を切ったように押し寄せて来たのだ。
無論。こんな雑魚怪物がいくらいても、ものともするようなオーリィではないが。
(これじゃ、全部片付けるまでこちらも動きが取れないわ!)
ならいい、こうなったらとことん付き合うまで。腹を括った魔女だが、一つだけ。
「ゾルグ!なるべくすぐに片付けるわ、だから後ろに注意していて!」
そう、この状態で挟み撃ちにされたら極めて危険だ。無論、彼に抜かりの無いことは魔女にもわかっている。言われるまでもなく既にゾルグはその態勢。挟み撃ちの敵が目前に迫ってからでは間に合わない、全神経を集中し、ゾルグはオーリィの背後、自分の前方の通路を睨み付けていた。
そう。全神経を集中してしまったのだ、迂闊にも!
「……戻ったな?」「御命のままに」「よし」
めらめらと揺らぐ陽炎。怪馬がシモーヌの居室に再び現れた。
「私はこれから魔女のところに出向く。お前達は……」
と、シモーヌはそこで暖炉側にうずくまるケイミーにちらりと目をくれて。
「次に私が命じるまで、この部屋の外で控えていろ。お前達がここにいると……鳥が怯える」
「御命なれば」と五つの頭がピタリと声を揃えて抑揚のない一言を残し、閉まったままの扉を幻のようにすり抜けて、怪馬の姿が消える。その後を追うように部屋を出て行こうとするシモーヌに。
「ケック!シモーヌ待って!!」
ケイミーはようやく声が出せた。
「アナタ……どうしてあたしのことを?」
そう細やかに気遣うのか?いや、そもそも何故自分を捕らえたのか?
そして。
「アナタは、どうして戦っているの?どうしてこんな、ひどい戦いを始めたの?」
シモーヌは足を止めた。だが振り返らない。そしてそのままこう言った。
「鳥よ。お前は、私が恐ろしいか?いや……恐ろしいに決まっているな。
わかっている、お前はただ似ているだけの身代わり。あの子は戻っては来ない……
あの子はもう戻って来ない!!だから私は怪物になった、この戦いを始めた、私も戻らないと決めた、人間の世界には!そして滅ぼす、そう決めたのだ、教会の教えが支配する人間の世界を!!鳥よ、私はな?神が憎いのだ、人間の神が……
私からあの子を奪った教会が!!
鳥よ。私はお前に恐れられても、憎まれても、止まるわけにはいかぬ。
鳥よ。私はお前の仲間たちを、これから倒す。それも無慈悲に、残酷に。私は無慈悲であらねばならぬのだ。
鳥よ。だから私は……お前の笑顔を見ることは……決して出来ないのだろうな……そのために捕らえたはずなのに……」
一度は激したシモーヌの言葉は、しかし最後は消え入るよう。そして閉じたままの扉の向こうに音もなくすり抜けていった。
(クワック、シモーヌ……泣いてた?)
誰もいなくなったその部屋で、ケイミーの脳裏に木霊するその言葉。
……「あの子」。
(やれやれ、まだまだかかりやすかね魔女様)
時間がかかれば、それだけ挟み撃ちの危険は増す。そもそもあの妖魔がこのチャンスを逃すはずがない。
(こりゃここで立ち止まってるより、一度退いた方がいい)
だがそれには、魔女がある程度怪物たちを片付けてからでなくてはどうにもならない。ゾルグはすでにそのタイミングを図っていた。耳で背後の情勢を聞き取りながら、目は鋭く前方を警戒している。
そう、しっかりと目を見開いて……そこに!
「さぁ来るのだ」
何の前触れもなく突然現れたのは、あろうことか!最大最強の敵、シモーヌ自身!
「うぉあ!!」
さしものゾルグもこれには一瞬で肝を飛ばす。万事休す!さっと血の気が引く。
しかし、彼の恐怖は実にその一瞬だけだった。妖魔と視線ががっちりとぶつかり合うと、たちまち彼の全身を満たしたのは、陶酔と歓喜。
もちろん、ゾルグはメネフからもコナマからも聞いていた。妖魔の持つ【魅了】の術、その恐るべき威力。「決して目を合わせては駄目」、そうきつく言われ、前庭で戦った時も彼はその用心を怠ってはいなかった。だが、敵襲にいつもより集中警戒していた今その時、目を逸らすことはかえって出来なかったのだ。
そして無論、白魔の狙いは最初からそれ。
「おいで」
「……ああ、
ゾルグの体内に満ちた愉悦が口から叫びとなって飛び出す。
「……え?!ゾルグ?!」
迫る怪物の群れに夢中で対処していたオーリィの耳に、その声が届く。だが彼女は振り返れない、その暇が無い、そして!
「魔女よ!聞こえるか、私だ!この男は私がもらったぞ!今よりこの男は私のしもべ、他の者にもそう伝えておくがいい!」
「お前はシモーヌ!!そんな……ゾルグまさか?!ゾルグ!!」
「おお女主人、女主人ゥゥゥゥゥ!」
「ゾルグ行っては駄目、ゾルグ!ゾルグ!!待ちなさいシモーヌ!!」
振り返ろうとする、たちまち飛び掛かろうとする怪物、魔女の視線はそちらに奪われる、耳だけが捉える、遠くに消えていくゾルグの声と足音……
ようやく、魔女が全ての敵を倒して振り返った時。そこにあるのは薄暗い通路の虚しい空間だけ。
「ゾルグ……シモーーーーーーーーーヌ!!」
半蛇体の魔女は、うねうねととぐろを巻いて座り込む。膝をついたのだった。
どことも知れぬ魔城の片隅、細い通路の角。シモーヌは恋焦がれるような顔でそこに立ちすくむゾルグの額に指を立てる。だが、ふいと何か思いついたようにその指を使わずに。
「いや、それは台無しか。不死怪物にしてしまうと頭の働きが鈍る。あの馬は何人か固めたから見かけは多少ましだが、それでも所詮は……そうだな、お前は」
「おおシモーヌ様……」
「見ていたぞ?お前は何より妙な技と小癪な知恵が値打ち。このまま軽い【魅了】で操り人形にしておくだけにしておこう。今のうちだけだがな。
……答えよ、名は?」
「へい女主人、ゾルグでさ、わっしはゾルグと申しやす」
いまや唯々諾々とシモーヌに従い、答えるゾルグ。
「よし。これよりお前に、私から怪物共を指揮する権能を与える」
どこからかシモーヌが取り出したのは、短く細い麻縄の切れ端。それを手づからゾルグの頭に鉢巻のように結んで。
「これなるが、我が片腕たる証。今よりお前は……むむむ、そうだな?
……魔将軍!魔将軍ゾルグ、そう名乗れ、彼奴らにそう聞かせてやるのだ!」
「へへ、
……女主人、わっしにお任せくだせぇ。賊どもの首は、必ず!!」
「……指図はせぬ、誰を狙うも構わぬ。好きに働け」
「へい女主人」
ただ一言そう言い残して、さっそくとばかりに魔城の闇にカツカツと消えていくゾルグ。妖魔はその姿を一目見送り、すぐ踵を返す。
「あれが勝つもよし、誰かと相打ちもよし、一人ただ負けても元々私には損はない。そもそもあの時、やろうと思えばあれも魔女も共に片付けられた。だがそれは無興。
あの男が奪われたと知った時の魔女の声、実に
と、いつもの長い嘲笑かと思いきや、妖魔はすぐにしんと鎮まる。
(鳥よ……お前は私を恨むであろうな……だが許しは請わぬ、請えぬ!)
妖魔は何かを見上げるような姿で、たちまちその場から溶けて消えた。
(続)
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