第12話 魔女、侯爵と謁見する

 峠で休息を取っていた一同の前にハタハタと舞い降りたケイミー。メネフがここで休息にしたのは、ここで彼女と待ち合わせをしていたからであった。

「ご苦労ケイミー、オヤジ達には二人のこともちゃんと伝わってるな?」

「ケック、バッチリ。城下町にはバルクスさんが兵隊さんを出してくれてる。騒ぎを抑えて欲しいってお願いしたんだ」

「兄貴に?上出来だ。お前は本当に仕事のことは気が利くな」

「クワック、エッヘン!」

 魔女と巨人。驚くべき客人を、だが城では受け入れの準備を整えているらしい。

(兵、か。用心は必要だな)

 万が一、彼らに攻められることもテツジの覚悟のうちにはある。無論、戦って勝てないということは無い。あの村での騒ぎと同じだ。必要なのは、深入りする前に逃げる算段。

(だがメネフは、俺たちにそれをあからさまにしている)

 一応信用してもよかろう、と。巨人のその心中を知ってか知らずかとぼけているのか、あいかわらずそのメネフは屈託なく彼らに話しかけてくる。

「ところでオーリィちゃん、テツジに乗ったままだが、あんたも降りて一息入れたらどうだ?」

「心配要らないわ」オーリィの口調はよそよそしい。コナマに隠してもらった先程の醜態を気取られないかと焦っていたのだ。話を逸らすように、ぶっきらぼうな調子で不思議なことを言い始めた。

「まだ降りられない。『お城に着くまでは何があっても決してテツジを離さないように』、わたしがわたしの左腕にそう命じたから」

「左腕?」

 そう、メネフは無論、オーリィに会った時から彼女のその奇妙な左腕が気になっていた。飴色の甲羅に覆われた、昆虫の脚のようなその腕と指。それは今、テツジの首にしっかりと巻き付いている。

はわがままなの、わたしよりもずっとね。一度こうしろと言い聞かせたら、わたし自身でもてこでも覆せない。今ここで例えわたしが死んだとしても、わたしのこの腕はテツジを抱き続けるでしょうね……お城に着くまでは。

 テツジ、いいわね?」

「はいオーリィ様。どうぞそのままおくつろぎ下さい」

(……ふぅん?)

 奇妙な話だ。まるで彼女の左腕は彼女とは別の生き物だとでも言うのだろうか。

(まぁ……魔女だからな。オレ達人間にはわからねぇことばかりなんだろうが……?)


 しばしの小休止の後。一行は再び峠を下り始めた。陽はそろそろ西に傾き、空をオレンジ色に染める頃であった。

 一行の先頭に高く翔ぶケイミー。コナマを抱いて走るメネフの馬、そして魔女に抱かれた巨人。急ぐ彼らはついに、都の関を超えて城に続く目抜き通りに突入した。

 道の右に左に、囲む大群衆。響く叫び声は歓声か、はたまた驚愕か。メネフは時折彼の左腕を高く挙げ、あの籠手を誇示する。群衆に敵ではないことを悟らせようとしているのであろう。

(だが俺とオーリィ様の見た目では。まるで自分達の殿下が怪物に追われているように見えるだろうな……兵がよく抑えている)

 そう、群衆がパニックに陥らないのは、道に等間隔に居並び見張る兵達の働きが効いているため。

(よく訓練された兵だ。おそらくこの国の軍は強い)

 三百年の昔、いやテツジにとってはほんの二、三ヶ月前のことのようにしか思えない、かつての日。

(俺は人間たちの軍勢と戦い続けていた。だからわかる。この軍の将は優秀だ。確かメネフは自分の『兄』だと言ったな。名はバルクス……?)


「開門!オレだ、メネフだ!開門しろ!!」

「ケケケーーーック!メネフ殿下のお成りであーーる!殿下のお成り!開門開門!!」

 ケイミーのいささか大げさな口上を、メネフも今は遮らない。城門の番兵が一人、見張り台から城内に降りていくと、しばらくして、門はゆっくりと開き始めた。

 ノーデル侯国主城、グラン・ノーザン。この北国の山岳地帯の特産である白い岩、それを積んで築かれたこの城の姿は、一見優美華麗。だが周辺諸国からはむしろ難攻不落の要塞として名高い。辺境のこの国は幾度も外国から攻められ、時には領土の多くを奪われつつも、最後はいつもこの城を拠点に巻き返してきた歴史がある。

 無論、テツジはそんな人間同士の戦の歴史などは知らない。だが人間の城を間近に見れば、彼にはまた別の感慨がある。

(城、か。我ら石巨人がまるで持たなかったものだ。こんな物を造ることが出来る、それが人間の力……俺たちはそれに負けた……)

 その時ふと感じる、主人オーリィの体の震え、そしてテツジの首筋にため息一つ。

「お城……こんなところに来るとは思わなかった……いまさら……」

 彼女は一体何を思うのか。

「オーリィ様?」

「降りるわ」

 答えはない。女主人の左腕がようやくその片意地を直したのだろう、スルリと巨人の背を滑り降りた。

 馬上のメネフも、今は悠然と馬を歩かせる。

 すると。彼らの目前、まだ少し距離のあるの城の入り口の門が開いて、中から数名の者達がこちらに向かって来るのが見えた。

 警護の兵に囲まれて、背の高い痩せた老人が一人、そして大柄な男がもう一人。

 メネフが顔を緩め、馬上で手を振った。

「オヤジ、兄貴!待たせたな、婆さんを連れてきたぜ!!」

(あれが侯爵、そしてメネフの兄か)

 一度彼らを遠目で見据えたテツジは、次にそっとオーリィの顔を伺う。

 硬い表情であった。


「メネフ、待っていたぞ」

「済まねえ、兄貴。状況は?あれからどうなってる?」

「良くない、中で話そう。まず大師様を」

「おっといけねぇ、婆さん、窮屈だったな」

「大師様。お疲れもございましょうが事態は危急、早速打ち合わせを」

「そうねバルクス、いつもの部屋ね?」

「は!」

(似ていない)テツジは思う。メネフの兄、バルクスという男。

 まず歳が大分離れている、二十は違うだろう。立派な一人前の青年とはいえ、まだ少年の気配も多分に感じさせるメネフに比べ、バルクスはすでにどっしりと風格のある中年だ。スラリとスマートなメネフに対し、牛のような太い首で大柄で恰幅の良いバルクス。その体を分厚いフェルト地のいかめしい軍服に窮屈そうに納めた姿も、旅支度の風に吹かれるような軽快な弟とは対照的だ。話し方も態度も違う。時に軽薄に過ぎるような砕けたメネフに対して、言葉は少なく、響きは深く重く、そして堅苦しい。侯爵家嫡子の威厳という意味であれば、十二分だ。

 そしてバルクスはそのまま、いかにも実務的な態度を崩さずに、コナマとメネフを先導して城内へ。ケイミーも気楽な調子でケックケックと跳ねて付いていく。

 いきおい。オーリィとテツジという二人の奇怪な客人に相対したのは、実に侯爵自身であった。

 モレノ・ノーデル三世。その齢はおそらく七、八十とテツジは踏んだ。侯国の紋章に飾られた鶴のように、首の長い痩身の老人だ。見にまとうゆったりしたガウンは質素で、むしろ身分不相応に思えるほど。

「ようこそお客人。沼蛇の魔女オーリィ殿と、御従者テツジ殿でしたな?メネフからの伝言でお名前は伺っております。わしが城主のモレノ。歓迎いたしますぞ」

 侯爵の態度には、いささかも警戒や怯えの様子はない。むしろ余裕さえ伺える。あるいは、それがオーリィには小癪に思えたのかも知れない。皮肉たっぷりな口調でわざと慇懃な挨拶を返す。

「これはこれは侯爵様、ご丁寧な挨拶を頂戴いたしまして。お目にかかれて光栄ですわ。それにご子息のお招きとは言いながら、わたくしのような下賤な魔女風情がこんな結構なお城に入れていただけるだなんて……」

 だがその魔女の嫌味に、返す刀で侯爵が言う。

「下賤?貴女が?そんなことはありますまい。我がノーデルの南の隣国、リンデルの名門、元アルケーノ伯爵家の令嬢、クロエ・ド・アルケーニュ……」

「……!!侯爵!お前、お前ェェェェ!どうして、どうしてその名前を!!」

「オーリィ様!!」

 突如怒れる鬼女と変貌した女主人の形相に、テツジの鉄面皮にも動揺が走る。オーリィは、確かにコナマには「城で狼藉は振るわない」と言った。だがこの様子で彼の女主人は理性を保てるのか?万が一ここでオーリィが侯爵に手をあげることなどあれば到底ただではすまない。先程彼が見たこの国の兵達と、それこそ戦争だ。

 しかしその侯爵は依然、泰然自若。呑気な口調で。

「出来の良い息子を二人も持ちました。領主などと言っても、今のわしには国事においてはもうやる事などない、任せきりです。暇でしてなぁ……日課は書物を紐解くこと。いにしえの歴史に、諸国の出来事。自然色々頭に入ります。

 ……さ、どうぞ。息子達とコナマが待っております」

 くるりと踵を返す侯爵、その目が振り返り様に一瞬、鋭く光ったのをテツジは見逃さなかった。いや、それを見せたのもおそらくは。

(俺達は試された。モレノ侯爵……そうだ、あの男の父なのだ、ただの枯れた老人などではない……!)

「……テツジ!!」

 従者の物思いを切り裂くように、女主人が叫んだ。

「今聞いたことは、全部忘れなさい!忘れるのよ!いいわね!!!」

 荒げた息をギリギリと噛み締めるように、一息でそう言い放ったオーリィは、侯爵を追って城へと滑っていく。

(伯爵家の令嬢……?オーリィ様の過去か。俺は思えば、何も知らぬ。いや、知ってはならんのか……?)

 頭を一振り、テツジもまた、急ぎ後を追った。

(続)

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