第11話 幕間劇 ムーディ・ブレイクタイム

「止まれ!」

 あの村から脇目も振らずにそこまで駆けて来た一同。街道は一度山道となり、今は下り坂に差し掛かっている。そして小高いそこから、麓に大きく栄えた街が見下ろせる。それが国城グラン・ノーザンの城下町、ノーデル侯国の都だ。

 やや後方に離れて脚を止めたテツジに、メネフは馬上で振り返って言った。

「城はもうすぐだが、ここでいったん休憩だ。流石にこっちは馬が持たねぇ。それに何より、婆さんを休ませてやらねぇとな……どうした?何か具合でも悪いのか?」

「……いや!何も問題ない、大丈夫、大丈夫だ!」

 妙だ。メネフは首をかしげる。

 あの凄まじい爆走で一度メネフの馬を追い抜きそうにまで迫ったテツジは、しかしその後ペースを落とし、馬と一定の距離を保って追走していた。あの時一度追いついて見せたのは「本気になればいつでも抜ける」という巨人のジェスチュア、しかし実際の所、競走は目的ではない。彼の巨体があの速度で馬に近づきすぎるのは当然危険だ。不測の事態で衝突しかねないし、いかにコナマがいるとはいえ馬に恐怖心を覚えさせるかも知れない。賢明な巨人はその後は無理に距離を詰めようとはしなかったし、その意図はメネフにも充分伝わっていた。

 そう、巨人が後方に離れていること、それはいい。だが。

 こうして一時休憩となったのに、なぜかテツジはメネフから距離を置いたまま一向に近づいてこない。城下町に入る前に打ち合わせておきたいこともあるというのに、これでは話がしにくいではないか。

「あんたはまぁ大丈夫そうだが……オーリィちゃんは?」

「いや!大丈夫だ!問題ない!無事だ!心配ない!」

(いやおかしいだろ?なんでそうやって後ろに下がってく?)

 それも、ひどく狼狽した顔つきで。いよいよ首を深くかしげながら、メネフは懐に抱いていたコナマを地に降ろした。うんと一声、窮屈に包まれていた背中を伸ばすノームに、メネフは顎で巨人を指し示す。

「なぁ婆さん、あいつ……?」

 すると。

「ああ、コ、コナマさん!ちょっとその……お願いが!」

 テツジがコナマを手招きし始めたのだ。前方の二人は顔を見合わせた。きょとんと黒目を丸くするコナマに対して、メネフは緊張にさっと顔色を研ぎ澄ませる。

(万が一、ここで婆さんをあいつに連れ去られたら)

 全ては一巻の終わりだ。だがコナマはそんな彼に軽く首を左右に振って見せる。

「彼のあの顔。本当に何かに困っている顔だわ。大丈夫、わたしが話して来る」

(ま、ホントに婆さんが目当てなら、あいつに妙な小細工は要らねぇだろうが……)

 正面からまともに戦って勝てる相手ではない。そこに逆にテツジに対する一応の信用を置きつつ、それでもメネフは警戒心に尖った目で、とことこと一人歩いてゆくコナマの背を見守った。

「テツジさん?どうなさったのかしら?わたしに何か御用?」

「ああ、その……それがその……」

 巨人はいよいよ困り切った顔つきでコナマに目配せし、自分が背負っている女主人におずおずとコナマの視線を誘導する。

(……まぁ、まぁ!)

 途端、コナマは黒目だけの彼女の両の目を、驚きにくりくり見張る。

 そう、その時の魔女オーリィの顔こそ見ものであった。

 額に滲んだ汗。真っ赤に燃える頬の色。締まりなく開いた唇から漏れる荒く、そして切ない吐息。

 テツジの首を抱き体に巻き付いていたオーリィ。大地を揺さぶるあの激走を駆動するべく、巨人の肉体が引き起こした逞しく猛々しく雄々しい律動、それをずっと肌で感じていた彼女は……。

(すっかりになってしまったのね)

 おそらく、一抹の理性は残されている。メネフやコナマがそばにいることをすっかり忘れてしまったわけではなさそうだ。でなければ……だがしかし。

(そうね、彼が困ってしまうのも無理はないわね。もうだもの。

 いつもならこんな野暮なことはしたくないけれど、でも、今は場合が場合!)

 コナマは大きく息を吸い込む。そして頬を膨らませたまま、身振り手振りでテツジに語り掛けるコナマ。巨人はすぐにその意を汲み取り、彼の巨大な掌にノームを乗せて、そっと背後の悩ましき女主人のもとに近づけた。すると。

「……フゥゥゥゥゥゥゥ!」

 コナマはオーリィのその陶然と呆けた横顔に、息を吹きかけた。

 ノームの聖職者は、清めや治癒などの術を施すのにも、人間や他種族のように呪文のようなものを用いない。聖なる力は常に体の中で練られている、それを手で直接触れるか、あるいは息吹に込めて必要な相手に吹き込むのだ。

 たちまち、オーリィはパチパチとまばたき。桃源郷からこちらに帰って来た。

「あ……その……コナマさん……」

 さしもの魔女も、正気に戻ればこんどは恥じらいが生まれる。コナマに気づいて一度は青くなり、そしてまた赤い顔。言葉も消え入るように口ごもった様子に、ノームはあくまで優しくいたわるような声で慰めた。

「大丈夫、坊やにはわたしからうまく言っておくわ。さ、テツジさん降ろして頂戴。坊やが待ってるから、あなたたちも来て」


「……で?婆さん、いったいアイツの用ってのは何だったんだ?」

 オーリィ達をおいて先にトコトコと小走りで無事に戻って来たコナマに、メネフがほっとした顔で問いかけると。酸いも甘いも嚙分けたノームはさらりと言った。

「何でもなかったわ、ただの乗り物酔いよ」

「乗り物酔い?オーリィちゃんが?」

「そう。でもオーリィはね、坊やに弱った顔を見せたくなかったのよ。意地っ張りな子だから。それでテツジさんにぐずっていたのですって」

「はーん……なるほどねぇ……?」

 わかったような、腑に落ちないような。上目遣いに鼻の頭を一掻きするメネフ。心の中でペロリと舌を出すコナマ。巨人はゆっくりとした足取りで(オーリィの顔色が平静に戻る時間を稼ぎながら)近づいてくる。

 そして空に響くあの聞き慣れた鳴き声。

「ケケケケケケケ、クワーーーーーーーック!!みんなーーーー!!」

「打ち合わせどうりだ。アイツは言う事はいつも適当だが、仕事はピシッとしてやがる。これでまた揃ったな」


 ほんの些細な、くだらない旅の一コマ。

 だがオーリィもテツジも知らなかった。このバカバカしくも穏やかな日常に戻れるまでに、これからどれほどの苦難と試練が待ち受けているのかを。

 目指すはグラン・ノーザン城。そして……?

(続)

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