第30話 凍れる鳥籠
「ばかな!これが?この……者たちが?」
「はいエリスベルダ卿。これぞ正に我がノーデル侯国最強の精鋭にございます」
(やれやれ殿下め……)
よくもそういけしゃあしゃあとしていられるものだ、と。あきれ顔のテツジ。
(あのオーリィ様に対しても、この男はこうだったからな。駆け引きを楽しんでいる、そういう顔だ)
ふと足元を見れば。同じ気持ちが雰囲気で伝わったのだろう、コナマが自分を見上げてほろ苦い微笑み。
彼らはシモーヌの魔城、その入り口にほんの一歩踏み込んだところにいた。最前までそこで姿を隠しながら、メネフがアグネスを連れて来るのを待っていたのであった。そして今、誘われたアグネスの面前に居並ぶ自分たち。コナマを中央に傍にテツジ、反対の傍らにベン。
(自分で言うのもどうかと思うが……)
この並びは、ただ一言、異様。
テツジは初めて視線を交わすアグネスというその少女に、大いに同情していた。
(この娘の目にはどっこいどっこいだろうな、俺たちも奴らも。どちらも怪物だ)
そう、少女は絶句したまま、ギョロリと剥いた両目のその視線を忙しく斜めに上下する。巨体のテツジと小さな小さなコナマとベン。同時に同じ視界に納めるのは不可能なのだ。
「……ただこれで全員ではありません。実は仲間があと二人ほど、我らに先行して城中に攻め込んでいます。卿よ、まずは彼女らと合流いたしましょう」
「いや待て待て!侯子、何を言っている?この……者達が?本当に?其方の言っていた
「左様でございます。紹介いたしましょう。
まず右なるは石巨人のテツジ。世にも稀なる剛力無双の戦士にございます。彼一人で一時に数百、いえ千を超える数の不死怪物とも渡り合えます。それも己の両の拳のみで。背負うは大業物『巨人のシャベル』、もし彼があれを抜き、打ち振るえば。万の敵すら恐れるに足りません」
(それに何だ殿下め)テツジはどうにもむず痒い思い。
(その猿芝居のようなセリフは……いや)
メネフは本来、歴とした大貴族。このぐらいの美辞麗句は使おうと思えば使えるのだろう。だがテツジにはもちろん、これまでの無頼で少々軽薄なメネフが彼の本音の姿だとしか思えない。
(人の悪いヤツだ)
すなわち今のメネフは、わざと慇懃に振舞ってアグネスを半ばからかっている。テツジはそう見ていた。
呆然と自分を見上げるアグネスに返す言葉も見つからず、巨人はただコクリと頷きを一つ。
「そして左がコボルドのベン。我が兄、ノーデル侯国筆頭将軍バルクスの片腕たる配下、猟兵ゾルグ……彼は今先行中の我らの仲間の一人でございますが、ベンはさらにその片腕として働く者。卿よ、どうか姿で彼を侮りめさるな。彼こそノーデルが誇る神技の射手!数多の矢を一息で放ち、その一本たりとも外しはいたしません」
「いや、しかし侯子よ、これはコボルドだ、動物では……」
「きょ、きょうのおねえさん?オレ、ベン。よろしく」
「……しゃべった??」
アグネスの声が思わず裏返る。
「そして中央なるがわが父侯爵モレノ・ノーデル三世の旧来よりの友人にして、ノーム族屈指、いや当代最高の聖職者……」
と、メネフがいよいよ名調子になりかかったところで。
「坊や」コナマはアグネスが流石に気の毒になってきたのだろう、静かに目でメネフを制する。叱られた悪戯坊主のような顔でメネフが口を閉じると、穏やかな声でアグネスに。
「私はコナマ。今坊やの言いかけた通り、ノーム族の聖職者よ。そうね……自分のことをひけらかすようで嫌だけれど、これから一緒に戦いに行くのだから。あなたにもきちんと名乗っておかなければね。
私は神裁大師。知っているでしょう?」
途端!戸惑い呆れていたアグネスの顔色が変わる。驚愕、そして。
「神裁……大師……バカな!!嘘を言うな、そんな者は……この世にあるものか!!」
メネフもテツジもギョッと目を見張る。アグネスの声がその時、苦々しい憎悪に満ちていたからだ。
だが当のコナマは動じない。アグネスのその反応を予想していたらしいのだ。寂しげにそっと首を振りながら、なお一層静かに。
「あなたは随分大変な修行を積まれて来たのね。私にはわかる、あなたの神聖力の大きさ、形。その若さでよくもそこまで、とても素晴らしいわ。だから……あなたにも。私のことがわかるはずね?」
「くっ……」
たちまち後退りするアグネス。その顔に重ねて浮かぶのは今度は、どうやら屈辱。
(何という……何ということだ!)
ノーデル侯国は民が愚劣な異種族と交わり背教徒が治める
(だが、これ程だとは!領主たる侯爵の一族までがこのありさま……腐りきっている!!)
それに何よりも。今、彼女の胸を黒く焦がす屈辱の源、それは「神裁大師」コナマの存在。
そう、確かにアグネスは知っていたのである。教皇直属の聖騎士団、その一団を率いる彼女は、高位の聖職者のみが知り、下々の民には漏らしてはならないとされるある秘事を。
曰く。「ノーム族の祭司のみはうかつに侵してはならない。ことに神裁大師なるもの、その存在は格別。一朝事ある時はその助力を仰ぐべきなれば」と。
あらゆる異種族を下等で穢れた動物同然の存在と見做し、迫害も厭わない教会。だが一方でその同じ教会が、自ら手に負えない事態に備えてノームの聖職者、ことに神裁大師と呼ばれる者は保護し利用せよ、そう言い伝えていたのだ。
何たる欺瞞、そして何たる卑屈!!聖騎士に叙階され、はじめてその言い伝えを聞いた時、アグネスは耳を疑い激昂したものであった。だがアグネスは、その話をやがて鼻にもかけなくなっていった。教会のもたらす聖なる恩寵としての破邪の力、それを超える力を持つ者、そんな者が下等な異種族などの中にいるはずがない。ただの御伽噺なのだ……
「
雌獅子は猛り吠える。悲しげな表情でその前に立つノーム。しかし今、二人と余人では見えている景色がまるで違っている。
コナマのアグネスへの称賛は、空虚な世辞ではない。コナマにはわかるのだ、アグネスの聖職者としての実力、若年ながらそれは抜きん出たものであることに。だからこそ、そのアグネスにもわかってしまう。
コナマがその小さな身体に湛える神聖力は膨大、実に大海の水。対してアグネスのそれはそこに落ちて漂う一枚の木の葉のようなはかなさ。
彼我のあまりに絶対的な力の差。
「そんな馬鹿なことが!」
「お、おねえさん?だいじょうぶ、だいしさま、やさしい人。こわがらないで」
「……!!」
驚きに撃たれ、弾かれたようにベンに視線を向けるアグネス。獣に己の心を見透かされた……!
すかさず。
「さぁて!!」穏やかならぬ気配を察して、メネフが割り込む。
「アグネス?あんたも丸腰ってわけにはいかねぇだろ?ろくなモンが無くて悪ィが、チョイと拾ってある。マシなのを選んで使ってくれ」
先程前庭で戦った
「む……」
憤懣やるかたない顔は変わらないまま、しかしアグネスもコナマとの対峙から離れることが出来て内心、安堵したのだろう。案外素直に武器の品定めを始めた。
(ん?)(ほう……)
そしてメネフもテツジも気づいた。アグネスは武器の山から、剣を除けて槍ばかり取り上げていることに。だがどうやら、どれも気に食わないようだ。
(槍か……そうだな、確かに一応拾ってはみたが、槍は特にロクなのがなかったからな。剣の方なら多少はマシなのがあったが……)
「これでいい」
大きく溜息をついた後、いかにも渋々ながらという風情で、一本の剣を取り上げたアグネス。細身だが刃渡りは十分長く、そのガラクタの山の中では一応まだ、サビの回りも刃こぼれも少ないもの。アグネスの武器を見る目は確かなようだ。
「すまねぇな、しばらくはそいつで凌いでくれ。道中もっといい奴が拾えるかも知れねぇし。婆さん頼む!」
「いいえ坊や。彼女の剣には私の聖別は必要無いわ。彼女は自分で出来るから」
メネフはヒュウと口笛一つ。
「そいつは便利だな。てこたぁ、オレたちみたいに力が擦り切れたらまた婆さんに頼むってのも要らないんだな?聖騎士か、なるほどな!
……じゃ、改めて頼むぜアグネス。多分オレたちのことは色々気に食わねぇンだろうが、文句なら後でいくらでも聞いてやる。今は、全ては。あのコウモリ女をブチのめすために!あんたの力を貸してくれ。あんただってアイツが一番気に食わないはず、そうだろ?」
「無駄話はもういい」憮然としたまま、アグネスはただ一言。
「先に進め。私も征く」
「よし。みんなも頼むぜ、行こう!まずはオーリィちゃん達に追いつくとこからだ」
(オーリィ?)アグネスがふと首を傾げる。
(そうだ、『仲間があと二人』。一人はバルクス将軍からの貸与の兵だと言っていたが、あとの一人か。女の名……
何故だ?確か何処かで聞いたことのあるような名だが……?)
「おお、鳥よ、お前は何?どうしてそんな姿を?さぁもっと顔を見せて、声も聞かせておくれ……!」
シモーヌの人が変わったような甘やかな猫撫で声、だがそうは言われても。およそこの世の中にこんな邪悪がいるとは知らなかった、その怪物にまさに抱かれているというこの状況!ケイミーはすくみ上がって息をするのも苦しいと思うほど。
「鳥よ……!」答えの無いことを、シモーヌはどうやら問題にはしていない。そのまま、ケイミーを抱く腕をさらにひしと巻きつけてくる。その冷たさはケイミーをますます震えあがらせるのだったが。
突然。
「……何?!」シモーヌの視線が宙を睨み跳ね上がる。慌ただしい様子で、ケイミーをかろうじて静かに床に放つと、駆け寄った部屋の一方の壁には、大きくヒビの入った姿見。シモーヌが覗き込むと、室内の様子とは違う別の場所の映像が。
(あっ!)
ケイミーにも見えた。それはテツジやメネフたちの姿。
「よだか何故だ?!何故奴らがこの城に入った?!城を引き上げなかったのか?!」
〈ようやく勘付いたかい。何簡単さ、あたしはコナマに用があるんだよ〉
(ケック?誰?)
よだか、すなわち大樹霊ゲゲリ。ケイミーはその名を知らないが、その声はケイミーにも聞こえる。
「神裁大師に?馬鹿な!よだかよ、私の邪魔をする気か?!」
〈邪魔なんかしないさ。お前はお前の好きなようにやればいい。あたしゃ確かにそう言った。嘘じゃないよ。ただね、あたしにゃあたしの用事がある。だからあたしも勝手にやるってことさ。お前のためにあたしが何かを我慢してやる、そう言った覚えはないよ。
いいさ?お前にとってコナマが邪魔なら。さっさと自分で片付ければいいじゃないか?そうだね……その鳥の顔!そいつをよぉく見な。そして思い出しなよ、お前は何のためにあたしを頼って、何のために不死怪物になったんだい?どうしてこの戦を始めたんだい?忘れたわけはあるまいね?
——だったらグズグズしないこった!〉
「何の……ためにか!!」
青白い炎の灯ったような険しい目で、ケイミーの顔を見直すシモーヌ。
「ああ、わかったよだかよ!!ならば私の思い通りやらせてもらう!!むむ……」
シモーヌは姿見に鼻の頭を擦り付けるように映像を凝視して。
「おのれあの巨人め、神裁大師から治療を受けたか。彼奴がいるなら、並大抵の怪物ではダメだ、相手にならぬ。用意には時間がかかる……まずは足止めに何か……ふむ?」
やがてシモーヌの頬に浮かぶ歪んだ笑み。
「教皇の娘。連れて来たのか、ならばよい。一つ趣向を思いついた!
……だがそれにしても?魔女は?何故彼奴らと一緒にいないのだ?」
シモーヌは姿見から離れると、別の壁際に置かれた机に早足で駆け寄る。机上には小さな曇った手鏡。
「ふむ……魔女め、ここにいたか。別の手を回さねばならんな。
……いや待て!」
何かを思いついたのか、シモーヌの視線が再び、部屋の隅でじっとうずくまっていたケイミーに。
「鳥よ?ここは……寒いのだな?そうだな、寒かろうな。暖炉も薪もあるが、必要なのは種火。ふふ……火なら、あの魔女がいつでも持っている。
……待っていておくれ、鳥よ」
それだけ言い残して、シモーヌは扉に向かう。それを開かずに、しかし妖魔の体はするりとその向こうに消えた。慌てて追うケイミー、もちろん扉はがっちりと閉ざされていた。
震えるハルピュイア、そう、その部屋はまるで凍りついた鳥籠。だがその震えの源は無論、寒さのためだけではなかった。
(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます