第31話 氷獣強襲(その1)
「こりゃまぁなんとも……魔女様、火の玉の術も凄いでゲすが、石にする術とはね!」
白い彫像のように固まった不死怪物の体を、コツコツと剣の先で突きながらゾルグが感嘆を漏らす。
シモーヌの魔城、その通路にはそこかしこに不死怪物の群れがうろついていた。しかしどうやらそれらは配置を定められて城を守っているというわけでもないらしい、ただの放し飼いのよう。そして今、またもや通路の影から現れた二、三体の怪物を、オーリィがその魔術で石化させたところ。とは言え、傍目から見ていて魔女が何か特別にしたようにはまるで見えない。そう。
「ジロリと睨むだけであっという間に!」
驚くゾルグに、答えるオーリィは淡々と。
「この城のどこにケイミーさんがいるかわからないでしょう?下手に炎を放ちたくないのよ。だからやってみたの。ただこの力は、テツジの前では使いたくないのだけれど……今はね」
「?」
何故テツジに見せては駄目なのか?ゾルグは魔女と巨人の間柄についてまだそう深くは知らない。だがもちろん、そんな相手のデリケートな機微に、迂闊に踏み込むゾルグではない。ここは黙ってただ、まだ何か言いたそうなオーリィの顔色を伺う。
「それにしても変ね」そして魔女は言うのだ。
「コナマさんに教えていただいた通りなら確か、不死怪物には石化の魔力は通じないはずなのだけれど……?」
石化の魔力、それを用いた魔術。生物からその生命力を一気に蒸散させ、その反動で肉体を結晶化させる。ただしその原理からいって、元から生命力を持たない動く死体である不死怪物には効果はない。まだ不死怪物というものを間近では見た事がなかったオーリィのために、船の中でコナマがそう教示してあったのだ。ただケイミーを気遣ったオーリィは、駄目で元々という気持ちで今それを試してみたのだが、案外の好結果にむしろ不審な気持ちだったのである。
そうと聞いたゾルグは首を一つ軽く傾げてから、カイゼル髭を指で一捻りの思案顔。
「ふぅん?そりゃねぇ魔女様、もちろんわっしには魔術なんてものは皆目わかりやせんが、そいつはこういうことじゃねぇですかねぇ。きっとコイツらは、不死怪物としても『生煮えの出来損ない』なんでさ」
「生煮え?」
「左様で。あのコウモリ女め、とんでもない早さで手下の怪物共を増やしてやすが、その分仕事は雑なんじゃねぇですか?……だから、コイツらの体にゃ魔女様がぶんどれる命のカスがまだまだ残っていて、それで」
「そうね、そうかも。そう言えばなんだかこの死骸たち、石に成り切っていない気もするわ。わたしの術も生煮えで、中途半端にしか効いていないのかも。
あのねゾルグ、わたしもね?グロクスに授かったはいいけど、この術をそんなに使ったことはないの……だってこんな術、炎と違って普段、使い途が無いわ。台所で小蝿が湧いてうるさかったり、鼠を見つけた時とか……」
咄嗟に退治するのには便利だったけれど、とオーリィは言う。こんな物騒な技をそんなことに……という呆れ顔は、ゾルグはおくびにも出さなかったが。
「虫や鼠はもっとカチカチになった気がするのよ。軽石とか炭みたいに。ご覧ゾルグ、この死骸は蝋燭の塊みたいだわ」
「なぁるほど……確かにまだ脂っ気が残ってるような感じでゲすな。だったらちょいと念の為」
相槌を一つ、ゾルグは不死怪物たちの固まった死骸を鉄球で打ち砕いていく。万一また動き出したら面倒、と思ったのだろう。オーリィも何も言わずそれを首肯する。コナマの言葉に凡そ間違いは無かろう、ならば今起きたことは誰にとっても不測の事態、用心に越したことはない。
「でも嫌ね、こんな……いいえゾルグ、お前に怒っているわけじゃないの。いつだって悪いのは全部あいつだものね。でも……」
砕かれバラバラの破片となった死骸から、オーリィは嫌悪となぜか、悲しみの目で顔を逸らす。
無論、ゾルグはまた、その顔の理由は問わなかった。
「よだかーーーーーーーーーーーーー!!」
小さな部屋にけたたましく、ケイミーの甲高い鳴き声。
「よだかよだかよだかよだかよだかよだか、よだかーー!!
聞こえてるんでしょ返事しなさいよ、よだかーーーー!!」
〈ええい、うるさいね!このひよっこハルピュイアめ!!〉
とうとう虚空から聞こえてきた返事。
〈たかが鳥の分際で、この大樹霊ゲゲリを呼び捨てかい?何様のつもりだい!〉
「ギュゲーイ!アンタが誰とか知ったコッチャないわよ!!シモーヌは何しに行ったの?とっとと答えなさいよ、よだか!!」
翼をバタバタ、蹴爪で床に散らばるガラクタを蹴り跳ねながら、中空どこからか聞こえてくるよだかの声に、わめき鳴き散らすケイミー。
〈お前?自分の今の立場がわかっているのかい?お前はあのシモーヌに捕まってるんだよ?どうなっても構わないのかい?〉
「ギィ!構わないわよ!!あたしは……もうどうなったって。アンタ『よだか』だよね?鳥なんでしょ?だったら知ってるわよね?ハルピュイアは……死ぬのはいつだって怖くない!!」
〈ふん……鳥の神、大翼鳥ギクゥイーク。死んだらあいつの空の国に行けるから、だね?〉
「そうだよ!……ってちょっとぉ!ギクゥ様を呼び捨てって、アンタこそ鳥のくせに生意気でしょ?!不敬不敬ギュゲゲーイ!!」
〈やれやれ……あたしゃ鳥じゃないよ。いつも生き物と話すのによだかの体を借りてるから、シモーヌがそう呼ぶだけさね。
あたしはゲゲリ。古い森の古い古い樹の神さ。ギクゥイークかい?あいつなら、ヒヨコの頃から知ってるよ〉
「はぁあ?!ウソウソ!!アンタなんかがそんなに偉いワケないでしょ?!あんな……あんなシモーヌなんかに手を貸すヤツが!何が古い古い神よ!!」
〈まったく……話にならないね。フン、まぁいいさ、お前があたしのことを知ったこっちゃないなら、あたしも同じことさね。
お前はシモーヌの弱みになる。コナマの側に置いといたら邪魔だったんだよ。だからシモーヌにお前を捕まえさせた。この後あいつがお前をどうしようとそりゃ、シモーヌの勝手だしあたしゃ知るもんかい〉
「え?ケック、何それ?あたしがシモーヌの?弱み……?」
〈おっと!〉慌てて口をつぐむ風情のゲゲリ。ケイミーが実は案外冷静で、自分たちの情報を集めようとしていることに気づいたのだ。
〈余計な口を聞いちまったよ。いいからお前は黙って見てりゃいいのさ。
そうだね、あんまりうるさいのも困るからどうでもいいことは教えてやるか。お前聞いたね、シモーヌが何をしに出てったのかって。
火だよ。シモーヌは、不死怪物は火を嫌う。火を起こす事が出来ないんだよ。だから、あの魔女のところに火を取りに行った。魔女に火を着けさせるつもりなのさ。
……お前のためにね。やれやれ、困ったもんだよ、あいつにそんな気持ちが残っているのは。いや……〉
と、ゲゲリの言葉は急に重くなる。
〈消せるわけもない、か……いいからもう騒ぐんじゃないよ、ひよっこ!!〉
最後にそう言い捨てて、ゲゲリの声と気配はその場から消えた。
「クワック?あたしのため?」
そしてケイミーもゲゲリを呼び止めない。渦巻く疑問に喉を塞がれて。
「おっと、こいつは妙だな?……こりゃまずいですぜ」
元来た道を辿り戻っていたはずの二人、だが。用心深くしかし迷いなく歩を進めていたゾルグが、前方の行き止まりの壁に手を突いて、魔女に向かって振り返りざまに。
「魔女様この壁は、前はここにはありやせんでした。床をご覧下せぇ」
ゾルグの指指す床の一点、その壁が床に接するところ。そこに。
枯葉が一枚挟まっている。
「上から降りて来たんでしょうな、この壁が。奴め、わっしらを道に迷わすつもりでゲすよ」
「もう一度上げることは……?」
とうっかりそう聞いて、オーリィはすぐに愚問と悟る。どこかに仕掛けはあるのだろうが、シモーヌがそうと図って作動させたものであるなら、如何に抜け目のないゾルグとて簡単にわかるはずもないだろう。
「殿下たちもそう遠くにはいないはずでゲす。わっしらの通った跡を追いかけて来てると思いやすが……いや?」
ゾルグは難しく眉をひそめる。そう、こんな仕掛けがあったのでは、彼らも真っ直ぐに追ってくるのは不可能かも知れない。
「どう致しやす魔女様?ここで待ちますかい?」
「いいえ。こうなったら他に道を探して進むしかないわ。わたしも、殿下やコナマさんたちも、目指しているのはあいつのいるところよ。目的地が同じなら……」
「へい、それしかなさそうでゲすな。ただし、慌てずゆっくりじっくりと。よろしゅうございやすね?」
オーリィは自分の顔を覗き込むゾルグに、また黙って頷く。今は彼女自身が、怒りと焦りにかられて軽率に先走った無謀を後悔していた。進むにしても、ゆっくりなら後続の彼らがどこかで追いついて合流できるかもしれない。
「ま、ここまで来た印は残しておきやすよ。あっちにはベンがいる、わっしの跡はあいつが嗅ぎ分けてくれまさぁ」
ガツガツと剣の柄の先で壁に傷をつけるゾルグ。書いたのは見慣れない文字一つ。
「昔テバスを襲った海賊共の使ってた字だそうで。知ってるのはこの一文字だけでゲすが。ハハ、ゾルグの『Z』でさ。こいつはベンにも教えてありやすんでね!
さ、まいりやしょう……何だぁ?!」
来た道を戻ろうと振り返った二人の耳に、轟いたその咆哮、そして近づいて来る、重い地響き。何か大きな物が、前方遠くから近づいてくる気配。先程の迷い屍鬼とは段違いの脅威の予感。
「いけねぇ魔女様、ここは袋小路だ!戦り合うにゃ具合が悪いですぜ?」
「急いで前に進むしかないわ!確か途中に十字路があったでしょう?あれを右か左に……来るやつより先に!」
「顔を拝んでから曲がって逃げる!ようがす魔女様!」
駆け出す猟兵、急ぎ滑る魔女。前方からはいよいよ大きくなる敵の叫び、足音。
そして薄暗い魔城の通路の先、十字路の十数歩手前でついに見えたその姿。
「こいつは……熊だ!!ドでかい獲物でゲすよ!」
おちゃらかしているようなゾルグ、だが声は緊張しきっているのがわかる。熊の屍鬼、大型猛獣の不死怪物。その戦闘能力はおよそ計り知れない。
でもここにテツジがいてくれたなら、何も怖れることは無かったものを、と。ふと胸中に湧きそうになった弱気と後悔を、オーリィは即座に強いて打ち消す。
「どっち?!」「右で!!」「いいわ!!先に曲がって伏せていなさい!!」
さらに速力を増し、脱兎の勢いで十字路の右に飛び込むゾルグ。そして背後の十字路を振り返りながら、言われたとおりに床に伏せると。左から右に貫いて輝き飛ぶのはオーリィの放つ炎熱光弾。たちまち右の通路があかあかと輝き、鳴り響く炸裂音、野獣の咆哮!
「……やったか?」ゾルグは一瞬安心しかけたが、慌てて自分に向かって通路を滑り込む魔女の顔に驚きを隠せない。
「ゾルグ!逃げるのよ、術が効かない、こっちに来るわ!!」
あのオーリィの火炎の術が効かないとは?!
「石にする方はどうでゲす?!」
「まるでダメ!こいつは念入りに作られてるみたいよ!!」
かくなる上は迷っている暇はない。すばやく行く手の通路の床・壁・天井を舐めるように見通す。逃げた先に罠があったら最後、だがさしものゾルグも今は落ち着いて全部暴くわけにはいかない。すなわちこれは一つの賭け。
(だがこっちならまるであてが無いわけじゃねぇ、
走ることわずか数歩、ゾルグの唇にはまたあの不敵な笑みが戻っていた。
(堪えられねぇ、まったく、戦ってのはなぁ!!)
追いすがる獣に何度も振り返り、牽制の光弾を浴びせながら、魔女もゾルグに追いついた。そこは大きな広間。
「魔女様、ここなら!」
そう、狭い逃げ場のない通路であの獣と戦うのは極めて危険だ。だがここなら対峙しても間合いも取れるし身をかわす余地も十分。反撃に絶好だ。
(ゾルグ、お前……)
先ほど迷いなく「右へ」と彼が言ったのは、ここに開けた場所があるのを見て知っていたのだろう。
(さっきちょっとあの十字路を通り過ぎただけのはずなのに……)
なんて頼りになるのかしら、と。ならば今度は自分が。魔女は奮起する。
(でもあいつ、わたしの術を受けてどうして?)
それを確かめるには、そして間合いをとるためにも。魔女はさらに光弾を放ったが、やはり結果は同じ。オーリィの光弾は命中すれば爆発する、その衝撃で獣は確かに怯む(というより物理的に弾かれ押し返される)し、間合いを取ることも出来る。が、その体は決して燃え上がることはなく、炎はシュンと虚しい音を立てて消えてしまうのだ。何度か繰り返して、オーリィにもわかってきたこと、どうやら。
「ゾルグ!あいつは……凍ってるわ!凍ったまま動いてる!!」
「凍ってる?そいつはいったい?!」
「不死怪物は冷気に強い、なじむのよ!コナマさんが!!」
船の上で。コナマは様々なことをオーリィに教示していたのである。不死怪物には石化は効かないこと、そしてその他にも。
「不死怪物は命の無い動く屍、だから活動するのに命の暖かさが要らないの。
オーリィ、ちょっと手をかざしてみて」
コナマが指先に灯した神聖力の緑の光。蝋燭の炎にするようにオーリィが両手でそれを包む。
「ああ……コナマさん、とても暖かいですわ」
「でしょう?命の力はぬくもりなの。そう、あなたが操る炎は、わたしの使う聖なる力に実はとてもよく似たものなのよ。だから不死怪物は炎を嫌うし、炎がよく効く。これはあなたにとって有利なことね。
でも。オーリィ覚えておいて、熱を嫌う不死怪物は、その分冷気凍気を好むの。そして高位の不死怪物はそれを自分の力として使いこなすことも出来る……あなたと正反対の力を。あの偉大なグロクスの加護のあるあなたなら、跳ね返すことは出来ると思うけれど……どうか油断しないで頂戴ね」
正直、それは文字通り老婆心というものだと、オーリィは思っていた。敬愛してやまないコナマの言葉として馬鹿にはしていなかったが、まさか自分の炎熱の魔術が通用しない相手など、この世にあるものだろうか?
(そうですねコナマさん)目の前の驚くべき事実に魔女はむしろ、昂然と。
(認めます、こいつは手強い!おっしゃる通り少々の火炎では通用しませんでしたわ。でも、だったら!!)
「ゾルグ!!」魔女は叫ぶ、「術を大きくするわ、目一杯よ!離れて!!」
(続)
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