第32話 氷獣強襲(その2)

(さぁこいつは大変だ)

 広間の隅に向かって大急ぎで後退するゾルグ。並の光弾が効果の無い凍結魔獣に対して、オーリィは更に大きな力をぶつけてみるのだと言う。だがあの怪物を屠れる程のその火力、その爆発力、それはいかほどのものか?巻き添えを食ってはひとたまりもない。そして彼の退避が済んだことを見計らって、まず魔女が撃ち出したのは三発のやや大きめの光弾。

 連続して命中するも、やはり敵は燃え上がることはない。だが魔女は言う。

「ゾルグ!今のはよ!本番はこれから!」

 時間差で当たった光弾は、怪物を大きく後ろに弾き飛ばしでいた。再び魔女の両手に、今度はこれまでにない大きな、そして激しい輝きの魔力の炎が灯ってゆく。

。となりゃあ……)

 次の一撃は。

(……来るぞ!)

 身構えたゾルグ。魔女は大きく広げた両腕を伸ばしたまま、体の前で勢いよく揃える。火球をまとったままの左右の手のひらが打ち合わされ一つに、そして。

「かっ!」オーリィの声なき叫びとともに、燃え盛るそれは魔獣に向かってついに解き放たれた。

 だが、ゾルグはさらに驚くべき光景を目撃する。

 それまで無闇にこちらに向かってくるだけだった魔獣は、その時急に棒立ちになると、大きく体をのけぞらせ、胸と腹をふくらませたではないか。命なき不死怪物は呼吸もしない。だがその動作は明らかに息を吸い込んでいる時のそれ。魔女の火球がいままさに魔獣の体に炸裂しようとした瞬間!

 熊の長い鼻面、その口から吹き出された、真っ白な呼気。

(……そんな!?)(何だとぉ!?)

 魔女の炎熱火球が宙で消滅する、吹き消されたのだ。

 呆然とする二人、だがゾルグの方が一瞬早く正気を取り戻す。

「いけねぇ魔女様!お逃げなせぇ、早く!!」

「……!」

 そのまま魔獣はオーリィに突進していたのである。ゾルグの叫びに魔女はかろうじて寸前で身をかわす。振り返りざまに小火球、それでまた少しは間合いが取れた。

(だがこれじゃキリが無ぇ、いつかは!)

 オーリィがつかまってしまう。強力な魔女である彼女、だがどう考えても相手は彼女が格闘で倒せるような敵ではない。

(何か手は?)

 ゾルグの頭脳が回転を始める。

 あの恐るべき冷気を放つには、魔獣の方にも若干の予備動作はいる。だからオーリィが小さい火球を素早く撃っている分にはそれらを消すことは出来ない。ただし当たりはするが、効果は皆無。

(……いいや?)

 ゾルグは自分の思考が冷えていくのを感じる。恐怖ではない。危機が迫るほど、彼の精神は研ぎ澄まされるのだ。さらに。

(クク……だったらこうだ、ここはオレ様の出番……ハハ!ゾクゾクするぜぇ!!)

 ついには唇に喜悦の笑みさえ浮かべる。戦がもたらすその精神の高揚こそこの男、猟兵ゾルグの生きがい。何を思ったか、たちまち彼は着ているフードつきのマントを脱ぎ、2つに切り裂いて自分の両足に巻き付けた。そして。

「……魔女様!」ゾルグは叫ぶ、「わっしの言うとおりに!撃つのはうんと小さい球!その代わりうんとたくさん!狙いは……」

 高位の例外者をのぞき、知性の無い不死怪物は、体の動作そのものはともかくそのは緩慢。今彼らが相対しているその脅威の凍れる大熊も、どうやらオーリィしか目に入っていない様子。そうとみたゾルグはすばやくその背後に駆けつけ、まずその両足に鎖をからめる。一瞬もたつき倒れた魔獣、その背にゾルグは猟犬のように飛びついて、そして!

「狙いは!!」

 飛びつきざまにゾルグがその剣を突き立てたのは、大熊のうなじ。

「こいつの首を落とすんでさぁ!!剣と、炎で!!」

「ゾルグ!!」

 オーリィに彼の意図が真に伝わったかどうか。それは定かでは無かった。だが彼女はゾルグのその底しれない闘志に、あるいはに惹かれ取り憑かれた。言われるがまま、魔女の十指から連射される小光弾。小さいとはいえ一発で通常の不死怪物なら丸ごと焼きこがせるその火力、そして魔女の眼がもたらす必中の精度。余すことなくゾルグの剣に熱は注がれる。剣は光弾を受け止める度に一瞬赤く灼熱するが、すぐに冷たい鉄の色に。だが無駄ではない。冷えるという事はすなわち、敵に熱が伝わっているということ。そして魔女は連続で無尽蔵の熱を供給しているのだ。そう、やがて剣を突き立てたそこから白い湯気がたちこめ、次いで腐肉の焦げる異臭。氷に突き立てた焼け火箸のように、ゾルグの剣は魔獣の首をじわじわとうがっていく!

 さらに。

「魔女様、一発二発にも撃ってくだせぇ!!!」

 魔獣の首に剣を突きつけているゾルグ、もがく相手に取り付くためにその太い胴体を両足で抱き挟んでいる。引き裂き巻いたマントはまずは断熱材、そして最後は燃料。

「……長くは持ちやせんがね!」

 いかにも無謀、危険。だがオーリィは逆らわない。この一瞬が勝負の分かれ目なのだと、彼女にも本能でわかる。放たれた光弾を受け、たちまち燃え上がるゾルグの両足。

「ありがてえ!!」

 これでさらに、ほんの少しだけ時間が稼げる。いまゾルグの剣先は魔獣の脛骨に到達していた。ここを貫くことが出来ればあとは……

 だが。魔獣は己に致命の一撃が加えられつつあるのをようやく悟ったのか、これまでにないすばやい勢いでもがき、ついにはね起きた。

「チキショウ!!」

 奮戦むなしくも、流石にたまらず振り落とされるゾルグ。剣は魔獣のうなじに突き立ち残されたまま。そして倒されたまま見上げる視界に、魔獣が自分に踏み降ろそうとしている大足。相変わらず、この男の中には恐怖は無かった。だが負けた、その屈辱が胸中を塗りつぶす。ゾルグの形相が苦々しく歪む。

「逃げて!」

 ゾルグを踏み殺そうとする魔獣に、オーリィは横から拳大の火球一つ。ごろごろと横転して距離をわずかにとるゾルグ。火球で魔獣が押し飛ばされる衝撃を伏せたままやりすごし、すぐさま飛び跳ね起きて安全圏へ。オーリィは敵の動きに警戒しつつ、彼の元に滑りよる。

「どうなの……無事?!」

「いえ魔女様、まるで無事でもありやせんが、体はまだまだ利きまさぁ。ただ……」

 打つ手が尽きた、ゾルグはそう言いたいのだろう。ギリと悔しそうに歯を食いしばる彼に、しかしオーリィは。

「……そうでもなくてよ」

「魔女様?」

「今お前はよくやってくれたわ、本当に!おかげでわたしも!あとはまかせなさい。さぁ!そこのケダモノ!!」

 魔獣に向かい蛇の眼をくわと見開いて、魔女は叫ぶ。

「お前の相手は、私のこの……左手がするわ!」

(……左手?魔女様?)

 ゾルグの目の前で、魔女のあの飴色の鞘に覆われた昆虫のような腕が、さっと魔獣に向けて真っ直ぐに差し出された。魔女はさらに咆哮する。

「……かかっていらっしゃい!!」

(続)

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