第33話 氷獣強襲(その3)

「魔女様!どうなさるおつもりで?!」

「まずはこうよ!!」

 あの左手を、まるで狙いを定めたように凍れる魔獣に向けたまま、まずオーリィは右手に拳大の光弾を燃やし、放つ。一発、二発、三発、さらに数発。むろん効果は今まで通り、魔獣には何のダメージもない。だが断続的に放ったそれらは、その爆発力によって今までにない大きな彼我の距離を稼いだ。

(ここまでは今まで通りだが……)

 緊張の面持ちで両者の動きを睨むゾルグ。そう、問題はこの後だ。

 最後の一発を浴びてのけぞっていた魔獣、たちまち猛々しく吠えると、再び魔女に駆け寄ろうとする。

(大分間が開いた、さっきよりもずっと!さては魔女様?)

 先ほどよりもさらに巨大強力な火球を生み出すつもりなのだろうか?なるほど、あの魔獣の吐く凍気にもその威力には限界があるだろう、それを上回れば確かに今度こそ……だが。

(魔女様?そいつはちょいと博打ですぜ?)

 しかもかなり歩が悪い、ゾルグはそう見ていた。そもそも同じ手を繰り返すということが戦いにおいては愚策。

 そして次の一瞬、ゾルグは驚かされる。

「……魔女様?魔女様?!」

 オーリィが、ただ立ち尽くして動かない!!猛り狂った魔獣はたちまち魔女に向かって猛突進、せっかく稼いだはずの間合いを潰す。彼我およそ人間の十歩、三と数えれば激突が避けられなくなったその時。

「それからこうよ!!」

 左手を前に差し伸ばしたまま、次にオーリィが右の爪から放つのは今度は、無数の光弾が糸となって連なり生じた光線。そして狙いはすべて魔獣の喉!

 まさか?ゾルグが蒼白になる。つもりなのか?

「そりゃ無理だ!よせ!!」

 小光弾は確かに魔獣に消されはしない。的への狙いも魔女の術なら完璧だ。熱の威力を敵の弱点に集中する、それだけなら確かに悪い手ではない。だが問題は、小光弾には爆発力が伴わず、敵の突進は止められないこと……

 そう、今のそこからでは!余りにも距離が無さ過ぎる!!

「ダメだ逃げろ、逃げろぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 ゾルグの悲痛な叫びとは、はたしてどちらが先だったか……!!


「片付いたぞ殿下」

 いったいこれで幾度目か。またもや物陰から不意に現れた不死怪物を、だがテツジはこともなげに一撃で打ち払って。

「なんのつもりだ、あの悪魔め。こんな雑魚ばかり、しかもちびちびとこんな数を。少しはまとめておけば足止めにもなるだろうに」

 あきれたような、嫌気のさしたような声でそう言う。

「そうだな。こりゃどうも、オレたちを待ち構えてるってわけでもねぇな。ただの放し飼いだ」

 応えるメネフの声もうんざり調子。確かに戦いを楽に済ませられるならそれに越したことはない、そうは思いながら。

(楽ってーかよ、こんなのはただのだぜ。胸クソ悪い!)

 行く手を阻む怪物、しかしそれらは元はといえば罪なき人々の亡骸なのだ。一同にとってそれらを破壊することに生理的な嫌悪感や一抹の罪悪感が無いはずはない。それでも手強い敵で分厚い障害だというなら戦うことに無論異存も無いが、今彼らの行っているのはただの無意味な作業であり、顧みれば人の尊厳に対する凌辱であり、すなわちただただ不快。

「ちっとは代わるか?こんなことお前ばっかりにやらせちゃ……」

「かまわん。殿下たちはコナマさんを守っていてくれ。俺はそのほうが安心だ。ただ後ろにだけ気をつけてくれ」

 気遣うメネフ、ぶっきらぼうに答えるテツジ。しかし巨人の気持ちは伝わる。彼は他の皆に汚れ仕事をさせるのが忍びないらしいのだ。

「……済まねぇな」「なに何でもない。前はまかせろ」

 最後はお互い、苦笑いも少々含みながら目を交わして頷きあう。男たち二人はすっかり肝胆相照らしているようだ。

 そしてその様子を、最後尾から悩ましげに伺うのはアグネス。

 彼女が初めて垣間見た、石巨人の驚くべき戦闘能力。彼が最前から次々と、畑で朽ちた案山子のように易々なぎ倒してきた不死怪物。だが彼女は知っている、それらは本来、恐るべき敵だったはずなのだ。

(ばかな……)

 アグネスの胸をまた屈辱が焦がす。先に彼女が僧兵団を率いて戦った時には、確かにそれらの怪物に遅れをとることはかろうじてなかった……。だがその一群一群を倒すのに、毎回どれほどの厳しい戦いを強いられていたことか。

(やがて我々は……なのに!)

 あんな見たこともない醜い異種族に、と。

 偉大な神の使徒たる自分たちが劣るのか、と。

(ばかな……!)

 ばかな、そう思う。だがそれは紛れもない事実。口惜しさに彼女が握りしめる剣は、メネフに言われて渋々選び携帯したものだが、まだ一度も振るわれていない。

 そう。城に踏み込んでからここまで、自分がまるで用無しとは!確かに後ろに備えろと聞いてはいる。だがそれはすなわち、あの巨人に守られているということではないか……?!

「……待て!」アグネスの口から思わず言葉がほとばしる。

「私が前に立つ!」


「こいつは……スゲェ!!」

 立ち込める、もうもうたる水蒸気と異臭。地に倒れ伏しているのは、巨獣の首の無い骸と、床に転がる頭。その傍らに、今は静かに立つ魔女。

 そして見よ、あの飴色の左腕が燃えているではないか。焔に投じられ十分に火の入った薪のように。

 激突の瞬間。魔女はその身だけをよじり交わしながら、魔力の火炎に包まれさながら焔の槍と化した己の左手で、魔獣の首を貫いたのだ!

「ゾルグ。命じたのよ、私が、私の左手に。『決して折れずにそのまま貫きなさい』って……」

 無論、熱線は魔獣の弱点を少しでも脆くするため。ゾルグの攻撃で首の後ろにもダメージはある。

「でもあの熱線で倒せるとは思ってなかった。あれはエサ。ひきつけてから撃てば、あいつが逆にかさにかかってくると思ったのよ。その勢いをそのまま使って、止めは……これは強情なの。とても強情なのよ、わたしよりもずっと!だから貫けた!」

 魔女が用意した最後の武器は、己の左腕で創った焔の槍と、魔獣自身の突進力!

「冗談じゃねぇ!そんな無茶な!」

 噛み付くような声で批難するゾルグ。だが魔女はさらりと、そしてどこか浮かれたように。

「あら言ったでしょう?わたしはただ、お前の無茶を見習っただけ」

「何だとオ、この!いい気になりやがっ……」

 思わず激昂したものの、途中でゾルグははたと気付いて口をおさえて。

「おっとこりゃあ……魔女様申し訳ありやせん、つい……」

「ほほほほほ!」魔女は笑い飛ばす。

「お前にそんな顔が出来るなんて思わなかったわ。いいのよ、気になんかしてない。わたしはね?正直者は好きよ。それに……心配してくれたのでしょう?

 ありがとうゾルグ。先に進みましょう、よろしくね」

「……へい」サッと頭を下げたのは、詫びもさりながら、これ以上間抜けな顔を魔女に見せない用心。

(そいつはお互い様でさ。魔女様、あんたにそんなお優しい顔が出来るなんて、ね……)


 魔獣と闘う臨時のコロシアムだったその大広間を、静々と抜けて行く二人。二人とも気付かなかった。背後に揺らめく陽炎のような空間の歪み、そしてその中から現れた妖魔シモーヌの姿。

 今その手には、赤々と火の灯る松明が。

「魔女よご苦労だった。思った通り、良い種火をくれたものよ」

 魔獣との激闘の最中、数限りなく放たれたオーリィの炎熱光弾から、妖魔はいつの間にかその炎を掠め取っていたのである。二人には見えない空間を広間の一部に作って、そこに隠れて。

「炎か……今となっては私には疎ましいものだが……」

 不死怪物の常として、やはり炎はシモーヌにとっては不快なのだろう、手をいっぱいに伸ばし顔から避けながら、それでも。

 その顔には穏やかな柔らかい笑み。もしあの二人がこの場に残っていたならば、揃って驚き言っただろう。

「お前にそんな顔が出来るとは思わなかった」と。

「さぁ鳥よ!今帰る、待っていておくれ!!」

 妖魔とともに松明がその場から消えると、広間は再び裏暗がりに閉ざされた。

(続)

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