第25話 大樹の魔城

 ……ガシン、ガツ、ゴツ……

 何かを叩く音がする。もやの彼方から響いて来るようなそれは執拗に続く、そして段々と近く、明瞭な響きに。

 どうやらそれは、鉱物を金属で打ち砕く音だ。そして、それに混ざって新たに聞こえてきた声。

(岩鬼どもめ!さんざてこずらせやがったが、こうなっちまえば!)

(親父の、兄貴たちの、村のみんなの敵だ!どうだ思いしれ、罰当たりな怪物が!)

(ふん、ヤツはまだ首までは固まってねぇか。だがもうじきだ。しぶといヤツだったが……ザマはねぇ)

(どうだ、どんな気持ちだ?目の前で気分ってのは!今のうちによく見てろ、その目の開いてるうちになぁ!)

 悪態を突きながら、男達が大槌とたがねで砕いている物。大きな岩の彫像……いや違う、それは、それは……!

「止めろ、止めてくれ!!アア、ウォワァァァァ!!」

「テツジ!!」

 目を開いた巨人。震えるその体は、地に横たわっている。視界に覆い被さったのは、憂いと悲しみに眉をよじるオーリィの顔。

「またあの夢を見たのね?可哀想に……ああテツジ!」

 あの巨大な不死怪物になすすべなく打ちのめされ、意識を失い、古城の前庭で倒れていたテツジ。次に声をかけてきたのはコナマだ。

「気がついたわね。ああ、駄目よ!起きては駄目、まだそのまま!

 あなたの傷を癒すには、もう少し時間がいるわ。そのままで、ね?」

「オーリィ様……コナマさん……俺は、生きて……」

 そこまで呟くと、テツジは気がついた。今おのれの両目が、涙に濡れていることに。巨人は恥じて狼狽し、すぐさま腕で顔を拭おうとしたが。

「ぐっ……!」一声唸ったまま、腕は上がらない。

「こんなに痛めてしまったのですもの。腕を動かしては駄目よ。無理をしたのね、みんなのために。すぐ治してあげるから、今はじっとしていて。その涙は流れるままにしておきなさい。ね、オーリィ?」

 魔女はコクと頷き、自らの服の袖口でテツジの顔をそっと拭う。ハッとした顔の巨人が女主人に何か謝ろうとするのを、彼女は目で制して。

「いいの、わたしのことは。そのままコナマさんのお言葉をよく聞くのよ」

 その言葉と眼差しに頷きを返して、コナマはテツジに語る。その声はそよぐ風のように穏やかで、しかしはっきりと巨人の耳に流れこむ。

「そうね……あなたの言ったこと、『戦いは体の大きさでは決まらない』、それは間違いではなかったと思うわ」

 横たわるテツジの巨体の、脇腹の辺りに手を添えていたコナマ。あの巨大怪物の一撃で受けたであろう臓器のダメージ、それを確かめながら、癒やしの力を送り込んでいたのである。ただしどうやら、テツジの強靭な肉体に対しては、あの怪物も致命的な深手を与えることはできなかったのだろうと、コナマは言う。

「私はびっくりしているの。これっぽっちの治癒で目を覚ましてくれるなんて。それにあんなに打たれたはずなのに、骨にひび一つ入っていない。もしあなたが、いつものように元気な時にあれと戦ったのだとしたら。きっと勝負は違っていたはず。

 ……でも!」

 賢明なノームは、なぐさめだけでは終わらせなかった。

 巨人が倒れたのは、獅子奮迅によって己の限界を超え、我知らず自らの肉体に大きな疲労とダメージを蓄積させてしまったことと、もう一つ。

「シモーヌのあの言葉……そうでしょう?」

 巨人のかすかな無念のうめきに、コナマは答えるように。

「あなたに昔……私達にとっての昔、何があったのかは私はまだ知らない。でも。

 同じ石巨人の仲間がみんないなくなってしまった。それが悲しいことでないはずがない。あなたには今まで、つらいことが沢山沢山あったはず。

 あなたは、あの崖の上でこう言ったわ。自分の心は死んでいるのだって。ちっとも動かないのだって。だから戦が平気なのだって。

 それは嘘。強がっているだけ。そうしなければ平気でいられないだけ。でなければ、今のそのあなたの涙は何かしら?そしてシモーヌは、そんなあなたの心の脆いところを突いた。だから……

 でもねテツジさん、聞いて。涙は弱虫の流すものかしら?そうね、そういう時もあるかも知れない。でも私たちはこれから、それこそ!涙を知らないあの悪魔と戦わなければならない。私たちは断じて、心の凍り付いたあの悪魔と同じになってはならない。死んだ心のままでは、きっとあの悪魔に打ち勝つことも、いいえ、立ち向かうことも出来ない。私たちは!

 ……涙を流せる、優しい心のままで強くなりましょう。弱虫だからこそ、手を取り合うことの出来る私たちに。テツジさん、あなたがもう一度立ち上がれるように、今は私たちが力を貸してあげる。だから次はあなたも、私達に……どうかしら?」

 オーリィの濡れる服の袖は、しかし、漏れ出るテツジの嗚咽を隠すことは出来なかった。


「やどうも、こういうのはおにゃ向ねぇ……ベン!」

 一人その場を離れていくのはゾルグだ。キョトンとした顔でゾルグを見返すベンに。

「旦那は皆さんが看いて下さるから、おたちに今は用は無ぇ。おは、今のうちに矢を探して拾っと。おの働き、魔女様がえらお褒めなって。だら次もお役に立て。出たらおのも頼む、ついででな」

 ベンと二人だけで話す時、ゾルグの言葉には貧民街の訛りが強く出る。ベンの言葉は拙いが、実はよほど上流の響きだ。相手に応じて言葉を使い分けることが出来そうにないベンを、ゾルグは貴人に相対する時のためにそう躾けてきたのだろう。

「わかった。けど、兄貴は?」

「チッと城中を探ってくる。何、一人ででぇ丈夫だ。そんなおぐまでは行ねぇ。

 ——テバスのお城、か。生きてるうちにも一度入るなんざ、無ぇと思ってたが……ちぃ、とんだ里帰りになったモンだ」

 彼の皮肉な口調の底に、他に人有れば或いは、密かな憧憬を見出しただろう。だが彼はその甘い感傷を今は脇に置き、孤独に敵地の偵察に赴く。用心深い足取りで音もなく、開け放たれた城の玄関に近づき中を覗き込む……

「ひゃぁぁぁぁぁ!!」

 途端、大きな悲鳴を上げ、背後に尻餅を突いて倒れるゾルグ!

「どうした!!」

 いち早く駆け寄ったのはメネフだ。あのいつも大胆不敵なゾルグのその様子、只事では無い。

「ゾルグ!!どうした、大丈夫か?!」

「で!ででででで、殿下!し、城が、城の中が!」

「城?城がどうした?」

「し、んで!!」

「??」

 不可解。メネフは一瞬首を傾げたが、すぐに。

「よし、オレも見てみる。大丈夫だ、迂闊には踏みこまねぇ。覗くだけで分かるんだな?」

「へい殿下、でもお気をつけて!」

 心配そうなゾルグの視線を背にしつつ、同じく城の入口に近づき覗きこんだメネフ。そしてたちまち。

「うぉぉぉぉ!何だコリャあ!!デケェ!城より、中の方が広い!!コイツはどうなってんだ?!」

 そう、まるでゾルグの言葉通り。メネフも同じ言葉で驚くより他は無い。城の入口から覗き込んで見える城内の様子。途轍もなく広大な大広間は、しかも天井も遥かに見えない吹き抜け。そう、広さも高さも、外から見えるテバスの小さな古城が、おそらくすっぽりと収まって余りある程だ。

 己の目を疑い、何度も城内を覗いては急いで外に退き、見比べるメネフ。だが何度見ても、外は小さな古城、内部は大伽藍。それも、仮にも貴族の御曹司として周辺諸国の大建築物を見物したこともあまたある彼が、一度も見たこともないような。

(コイツは……!)人智では到底計り知れない事態。そう悟ったメネフは、ゾルグと共に急ぎ皆の元に戻る。その報告に、暗い真剣な面持ちでコナマが答えを返す。

「そう……それはね坊や、それにみんな、さっきシモーヌが言っていたでしょう?今見えているあのテバスのお城は、自分の城のって。シモーヌは、自分の本当の城を『世界の裏』に隠してある。今のテバスのお城はそこに繋がっているだけの、なのよ」

 世界の裏。コナマの言葉はしかし、皆にとっては不可解だ。

「難しいかしら。そうよね、今はもっと簡単に、いっそこう考えて。今見えているあの小さなお城は幻、その幻に隠されたシモーヌの城は、ぜんぜん違う姿なんだって。ゾルグ、坊や、二人が見たのが、本当の景色……」

「マジかよ……で、つまりオレ達はあの中に踏み込まなくちゃならねぇってか!まいったぜ。覚悟は決めてきたつもりだったんだがな。

 ……もう一度決め直さなきゃならねぇか」

 メネフはあくまで冷静だ。いや、己の中に沸き起こる恐怖、それを率直に認めつつも、抑え込もうとする意思は折れない。厳しい自制のこもった目で、さっと仲間たちの顔を見やる。そんな話を聞けば誰しも明るい顔など出来るはずもない、だが、皆の心はどうやら自分と同じ。

「……頼むぜ」

 彼の唇からは、ただ一言。それを受けたコナマが皆に代返するかのように。

「最後の準備をしておきましょう。まずはテツジさんの傷を癒す。彼の力が無ければ、この先には到底進めない。どうしても必要なことよ」

 申し訳なさげなテツジの視線を、その言葉で穏やかに、しかしきっぱりと遮り、さらに。

「その後でみんなの武器にもう一度、私が聖別を施すわ。城に入るのはそれから。オーリィ?」

「はいコナマさん」

「その間にまた奴らが攻めてくるかも知れない。そうなったら、あなたには大変なことをお願いしなければならないけれど……」

「わかっています、おまかせくださいませ、わたしが必ず。

 殿下そういうことよ。あなたたちには城の中に入ってから存分に戦ってもらう。それまでは無用な手出しはしないこと。いいわね?」

 そう言って立てたオーリィの指先に一つ、灯る炎。魔女の戦意のディスプレイに、ゾルグが感に堪えない顔で。

「へへ……こいつは頼もしいでゲす魔女様!お陰様で、潰した肝が元に戻りやしたよ」

「礼なら城の中で、体の働きで返しなさい。わたしだって、これからきっとみんなの力を借りなければならないのだから、その時に……お願いねゾルグ」

「ひゃっ、こりゃあ……へい魔女様、それに皆さま、かしこまりやした」

 オーリィの思いもよらない丁寧な物言いに一瞬驚いたゾルグだったが、彼もまた彼らしく無い素直な口ぶりで返事を返し、頭を下げる。

(いつの間に?)メネフは思う、二人の間にこんな会話。オーリィにしろゾルグにしろ、人に馴れ合うというのは想像しにくい人物なのだが。

(いや、馴れ合いじゃねぇ)

 厳しい戦いを一つ、共に乗り越えた者同士に生まれた、それは信頼。

 すると。

「兄貴、拾ってきた。全部じゃないけど」

 自分の矢筒と両手にいっぱいの矢と投げナイフを抱えて、ゾルグの元に戻って来たベン。

「よしよし、仕事が早ぇな。これだけ見つかれば上出来だ。おれは矢の痛みを直す。お前はナイフを拭いといてくれ」

「わかった」

 ベンのための短い矢を一本一本、鋭い目で点検するゾルグ。痛みのひどいものには見切りをつけ、鏃だけを外してベンに渡す。

「これは次にパチンコの弾に使え。大師様にお力を込めていただけば、拾った石よりやつらにずっと効くだろうよ。あとのは少し整えればいける、今直す」

「うん。ありがと兄貴」

(こいつらは元からだが、いいコンビだな)

 そこにケックと跳ねて近づいたケイミー。テツジの様子が大分落ち着いたとみて安心したのだろう、持ち前の好奇心で、猟兵二人の作業に惹かれたらしい。手元を覗き込むような顔。すると。

「ケイミーちゃん、どんぐり、好き?あげる」

 ベンが懐からゴソゴソと木の実を取り出した。

「どんぐり?好きだけど……あたしはいいよ。だってそれはベンのおやつでしょう?お腹が空いて力が出せなくなっちゃったら、困るよ?」

「大丈夫。いっぱいあるから。オレ、ケイミーちゃんにあげたい」

「ケック、ありがと。じゃあせっかくだから、一個だけちょうだい」

「えと、これが大きいかな……あ、これダメ、虫が入ってる」

 ヒョイとつまんだだけで、どんぐりの虫喰いがベンには分かるらしい。ケイミーは一瞬驚いて、すぐに目を輝かせる。

「ケックケック、だったらあたしそれがいい!」

「これでいいの?虫がいるよ?」

「だってあたし鳥だもん!どんぐりの虫は大好物だよ」

「そうなの?じゃぁ、ハイ……」ベンが差し出したどんぐりを、すかさずパクリと咥えるケイミー。嘴で器用に殻を割ると。

「クワック!すごいねベン、ほんとに虫が入ってたよ!よく太ってて甘かった。ごちそうさま、なんだか力が湧いてくる気がするよ。ありがと!」

「よ、よかった」モジモジと下を向いてそれだけ呟くベン。どうやらはにかんでいるらしい。ケイミーはその様子ににこやかな顔。そして見れば。

 そんな二人を、ゾルグもまた穏やかな顔で眺めている……

 あちらも、こちらも。仲間たちの間に結ばれていく心の繋がり。

(いける。なら、この先も!)

 メネフは一人、多いに勇気づけられたのであった。

 だが。彼はまだ知らない。その仲間たちとの繋がりに、これから運命は大きな楔を一本、打ち込もうとしていたことに……

 そして、まさにその時。その場の皆が弾かれたように周囲を見渡した。

 地面が揺れている。そして急に激しく吹きすさぶ、冷たい風。天は灰色の雲に包まれいよいよ暗く……

 違う。皆が感じたのはそれら全ての、明らかな五感で感じ取れる変化だけではなかった。理由なき、ただならぬ脅威の予感、それが何よりも本能に迫る!

「……見ろ!!」

 メネフの叫びは、皆の耳に届いていたのだろうか?それは定かではない。だが、皆は同時にそれを見た。

 その大異変。テバスの古城が、ひとりでに粉々に砕けていく!

 古城の破片はそして、目に見えない竜巻に巻き込まれるように宙に舞っていったかと思うと、次々に虚空で消滅していく。それとともに、古城のあった場所に闇が深まる。世界の裏側からぼんやりと姿を現して来る巨大な黒い影、あらわれたのは。

 はるかに天を突く、一本の巨木であった。いや、枝を上天あらゆる方向に伸ばした、巨樹の姿をした石造りの塔。ただひたすら巨大。人智人力をもってしては到底建築することなど叶わないような……

「これが?」「シモーヌの魔城!」「バカな!!」誰が呟いたのか、誰が息を呑み言葉を失ったのか?だがようやく一人。

「へっ……とうとうやりやがったな、あのコウモリ女め!テバスのお城が、お城が消えちまった、壊れて消えちまったよ……ちくしょう……

 魔女様、申し訳ありやせん。やつを地獄送りにしても、わっしがお約束したその後のお城の宝探しは、どうにもご案内出来なくなりやしたでゲす……!」

「そうね……とっても残念ねゾルグ。でも謝らないで。悪いのはお前じゃないわ」

 彼の言葉の端に浮かぶ言い知れない悲しみを、魔女は引き受けて返す。

「わたしの喜びを一つ奪ってくれたのですもの……その報いは、あの女から!十倍にして払ってもらうわ、お前の分もよ、必ず!!」

 そしてもう一人。心に驚きを包み隠す者、それはコナマだった。

(この城の姿…………まさか?どうして?が?)

 震えるノームの唇からは、しかし声は漏れない。硬く拳を握りしめて。

。やっぱりこの私が確かめるしかない。そして決着をつけるしか。

 迷ってはいけない……私を守ってここまで来てくれたみんなのためにも)

 やがて。皆がそれぞれの決意と共に見上げるその魔城の梢から。

 あの白い妖魔が再び降りて来たのだった。そして妖魔は、小脇に布で包まれた細長く大きな荷を抱えている。

(ありゃあ……!)

 メネフは身構えながら観察する。それはおそらく、人間の体。

(続)

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