第21話 白魔顕現

 不死怪物よりむしろ、巨人のまき起こした殺戮の大渦を避けるため、メネフとゾルグはオーリィ達の元まで後退した。

「ちょいとでもかすったら、こっちの命が無ぇからな。だがあれなら前はもうあいつ一人に任せられる。ゾルグ、俺たちは」

「ガッテンで。空からくるやつらを魔女様と一緒に片付ける、でゲしょう?」

「よし、抜かるな。いくぞ!……と、おおおお?!」

 しかし二人が空を見上げた時、驚くべきことが起こっていた。

 宙に吹き上がる何百もの光線の軌跡、それがもつれる糸玉のようにくるくると、まるで揃わない弧を描きながら空一面に広がり伸びて、そして。

 光線はあの無数の空の不死怪物たちを次々に捉え、その全てに着弾し焼き焦がしていくではないか。立ち向かうはずだった二人はむしろ、燃え落ちる屍を避けるのに右往左往。

 それは、意気消沈していたはずの魔女オーリィの、思いがけない突然の再起と猛攻だった。

「ひゃあ!こいつはたまらねぇでゲすよ、前は旦那がブン回す、後ろじゃ……」

 冷や汗をごまかすように軽口を聞こうとしたゾルグ、その声が喉の奥に飲み込まれた。彼が見た魔女の姿。

 天を突いて伸ばした両手の先が、それぞれ一抱えもありそうな火球に包まれている。そこから打ち出される小火球は無数、一瞬たりとも途切れない。一弾の残光が尾を引いて、そこに次が続く。もはや人の目には光が溶け合い区別も定かでない。速瀬の奔流が天に駆け上っていくよう。

(殿下に伺っちゃいたが……)

 彼は平原でオーリィが起こしたあの奇跡を見ていなかった。船の調達のためいち早くレーベに発っていたからだ。

(驚ぇた、魔女様、これがあんたの本気でゲすかい……!)

「いったいどうした、何が起こった?オーリィちゃん!」

 一方のメネフ、彼とて驚かないわけではない。だが一度経験済みの彼にとっては、むしろ最前のオーリィの不調とこの復活の方が気になる。すると。

「でんかさま?」足元で子供の言葉のように拙く敬称を重ねながら、ベンが首をかしげつつメネフに声をかけてきた。

「不思議。ケイミーちゃんの中にまじょさまがいる」

「何?ケイミーがどうしたって?」

 そう。見れば火柱を打ち上げる魔女の足元で、ケイミーが座って天を見上げているではないか。

「おいケイミー、お前……」

「ほほほほほほほほ!!素晴らしいわ、なんて素晴らしいの!!」

「??」

 声高らかに笑い始めたケイミー。いや違う。声だけは人面鳥のやや甲高い声だが、言葉つきがいつもと全く違う。

「ああ、ケイミーさん!思った通り!あなたの素晴らしいこの眼、こんなに広く天高く、空がどこまでも見渡せる見通せる!これなら……どんなに撃っても外さない!!」

「……オーリィちゃん……なのか……?」

「そうよ坊や」答えたのはコナマだった。

「憑依の術よ。今オーリィの魂がケイミーの体を借りているの」

 憑依。他人の体を乗っ取り操る、魔女の精神術。オーリィは魔女となった時から、その力もグロクスから授けられていることを知っていた。

 だが使ったのは実にこれが初めて。オーリィはこの術を忌み嫌っていたのだ。

(この術は私には要らない、使いたくない、わたしはずっとそう思ってきた。他人の体の自由を奪い操る……卑怯で醜い術。

 例え穢れた魔女にこの身を堕としても、これを悦んで使っていた心賤しくて狡い、その同類には、わたしは絶対になりたくなかった……でも、今だけは!!)

 虚空から襲い来た無数の不死怪物、それを撃ち落とすには魔女の眼をもってすら到底追いつかなかった。だが。ケイミーは高い空をその主なる住処として生きるハルピュイア、その視力は人間とは桁違いだ。それを借りることが出来たら?オーリィの考えは見事に図に当たった。今や魔女の打ち出す光弾は、その数最前の数十倍、そしてその全てが必中の精度を取り戻したのだった。

(ケイミーさん……あなたのお許しをいただいて、お体と眼をお借りして。

 今はただ、あの悪魔の手先を打ち払うためだけに!わたしのこの力を!

 ……使わせて下さいませ!!)


 ケイミーは。オーリィの力に支配され動かせない体を、しかし恐れなく魔女にゆだねて。眼は共に同じ空を見る。

 それは、獲物を追いつめる猛禽の眼。

(あたしは今、オーリィと一緒に戦ってる。あたしが、何にも役に立たないと思ってた、このあたしが……)

 元よりケイミーは、自分は変わり種だと思っていた。高山に住み人間を嫌い、避けて生きるのが人面鳥ハルピュイア。だが自分は違った。

 夜目の利かない仲間たちが、静かに木の枝に翼を休めるのみの漆黒の夜に、人里に煌めく灯りにふと心惹かれた彼女。ある夜、墜落の危険を顧みずケイミーは降りて行ったのだ。そして覗いてみた。薄く開いた窓の隙間から、ほのかな暖炉の炎に照らされて、質素な夕餉を囲む人間の人群れ。男、女、老人、子供。ひそやかに囁き笑いあうその姿、その声。何もかも珍しく、そして彼女には心地よかった。

(あれからあたしは人間が気になって気になって仕方がなくなった。他の人面鳥のみんなから嫌がられながら、嫌われながら、しょっちゅう山を降りて人間に近づいて。

 とうとうあたしは群れを出て、山を降りて、人間の側で暮らすようになった……)

 奇怪な人面鳥に対して、人間もまた嫌悪の目で迎えた。ある時は棒で、ある時は石を投げられて。追い払われてもその度にまた戻って来ては。ケイミーは人間の声を聞き、その言葉を覚えた。

(そしてあの日、コナマさんに出会って……侯爵様に紹介していただいて。あたしはノーデルのお国公認の伝書屋になった。色んな人に手紙を運んで、伝言を伝えて。そうしてだんだん、人間のお友達も出来たんだ。メネフさんも……オーリィも!)

 皆と離れたくなかった。戦の役には立たなくとも、傍にいたい。その一心でこの戦について来た。

(そのあたしが……こうしてみんなのために戦える!アナタのおかげだよオーリィ!!)

 ケイミーの中に目覚め湧き上がる、誇らしさと、使命。

(あたしも……一緒に戦うよ!!)


「またまたわっしらは出番無しになりやしたでゲすねぇ、殿下?」

「うるせぇ、いちいち言うんじゃねぇ」

 ゾルグの軽口に、苦笑いで返すメネフ。そう、もはやこの場は天も地も魔女と巨人が完全に制していた。

(あとは……)と、メネフが心に思ったちょうどその時。

「みんな!」コナマの声、子供のようなその体のどこからあふれるのか、大音声がその場を圧する。

「力が満ちた!今からわたしが術を使う!大きな術だけれど、生きている人や生き物には決して害は無いわ、みんなそのままで!」

 その恐るべき攻撃の手を緩めず、ただ心中で頷きを返す巨人と魔女。一方、他の者たちは固唾を飲んでコナマを見つめる。

「……うぅん!!」

 地に片膝、片手で錫杖を地に突いたそのままの姿勢で、コナマは息吹と共にもう片方の掌を大地に叩きつけた。

 たちまち。コナマの突いた掌からテバス古城に向けて走る、土竜の通り道のような細い地割れ。ついにそれが古城の門前で大回転を続けるテツジの足元をくぐり、城の直下に届いたかと思うと。

 一瞬にしてテバス古城を遥かに高く貫き、地から天に立ち上った光り輝く聖なる力の柱。初めは細く一筋、やがてそれは見る間に太さを増し、古城を丸ごと呑み込む。そして天で今度は広く枝を張り、空を包み込んで。

 あたかも緑成す一本の大樹のように姿を変えたそれ。やがて音もなく静かにその光景が消えると。

「やった……やったぜ婆さん、怪物どもが!」

 城から、虚空から無数に湧き出していた不死怪物が、ピタリと姿を現すことをやめた。メネフの歓声。

「城が、止まりやがった、スゲェぞ婆さん!!」

 ゾルグも一息ついた顔、こうなると黙ってはいられないのがこの男、またもや。

「ま、ヤツラは始めっから生きちゃおりやせんでゲしたが、殿下?」

「ハハハ!混ぜっ返すなこの野郎!!」


「むむ……!」

 コナマが再び起こした奇跡の光景を目の当たりにしても、テツジの回転はしばし止まらなかった。だがその腕に怪物たちの砕ける手ごたえが消えたことにようやく気付いて、巨人は自身の勢いにブレーキをかけた。

(これは……やり過ぎたのか……)

 およそ疲れを知らぬ石巨人。だが今、彼の両腕は燃えていた。筋肉に走る稲妻のような痛み。ついに得物を取り落とすと、それを再び持ち上げることは出来なかった。

 巨人のシャベル、その凄まじい重さと、長さが生み出す慣性力。ただシャベルとして穴掘りに使うならば、テツジの力と体にピタリと見合ったそれ。だが一度許された使い方を違えれば、それは石巨人の強靭な肉体の限界をも超える。

(我らは……武器というものを知らなかった、持たなかった。『武器を揮う」ということは、こういうことなのか。

 人間達は武器を作り、それを揮うために己を鍛えて技を磨く、ありとあらゆる方法で力をつけていく!ただ生まれたままの力を使うだけだった我ら、人間の弱い体も力も見下していた……いつの間にか追い越されるとも知らず……驕っていたのだ!

 何故だ?何故今更?)

 それに気づかされるのか、と。テツジは思う。かの過去のあの日々、これを知っていたならば。

(我らは、むざむざと滅ぼされはしなかったものを……!)

 この場で偉大な戦果を収めたはずの巨人戦士の、孤独な、苦い悔恨。

(いや未練だ。今は、俺は。それだけだ……!)

 テツジは一人、その場の地に崩れ落ちるようにどっと尻を着いた。


「きれい」「そうね、とっても」

 天に立ち昇った緑の大樹、その姿。見とれてつぶやくベンに、ケイミーの中から返事を返すオーリィ。きょとんとした顔のベン。

「……まじょさま?ケイミーちゃん?」

「いけない!」

 問われて慌てて術を解くオーリィ。ケイミーの首が一瞬がくりと傾いたかと思うと、たちまち右に左にキョロキョロと見回して。

「ケック!体が動く!元に戻った!」

「ああケイミーさん!大丈夫ですか?お体は?」

 初めて憑依の術を用いた魔女。ケイミーの体に何らかの悪影響を残していないか、不安顔で問う。

「全然!別に何ともないよ!ケックケック、声もちゃんと出るし!クワック!

 ……オーリィ、ありがとう」

「……え?」

「あたし、オーリィのおかげでみんなの役に立てたよ?オーリィの不思議な力のおかげ。魔女だから穢れてるとか、卑怯な術だとか、そんなことないよ。だってオーリィ、全部アナタだから。あたし、アナタがお友達でよかったよ、ケックケック!」

 魔女の暗い心中に木漏れ日が差し込むような、ケイミーの言葉。オーリィはひしとケイミーの体を抱きしめたのだった。


 その場に訪れた静けさ。一様に安堵の色を浮かべる一同の中で、だがコナマだけただ一人、険しい眉を結んでいた。

 そして視線をあの古城から一時も外さず、皆に警告する。

「みんな、聞いて!油断しては駄目。今のわたしの術は、多分……だけ。あの怪物は、まだ……」

 コナマがそう言いかけた、その時。

「門か!アハハ、その通り!私はここにいるぞ!」

 古城の玄関、その前の虚空から。ジワリと滲み出るように現れたその姿。

 それはまごうことなき、あの日鏡の中でどすぐろい嘲笑で皆の心を塗りつぶした、蝙蝠の白魔。羽ばたくこともせず、そのまま宙に留まる怪物の首魁の姿を、驚き見上げる仲間たち。一人コナマはその出現を予知していたかのように。

「吸血鬼……シモーヌ!やっぱり!」

 穏やかなこのノームが、かつて誰にも見せたことのない厳しい眼差し。見上げるコナマと、口元に嘲笑を浮かべて見下ろすシモーヌ、その視線がぶつかり絡み合う。

「『生きていたのか』か?さてな、それはどうか……アハハハハ!

 だがなるほど?かつてここに来たなまくらの僧兵どもとはやはりまるで違う。鋭いな神裁大師よ、お前の言葉通りだ。他の者も聞け!

 今お前達の目に見えているこのテバスの古城……こんなものは!こんなちっぽけな城など、我が魔城のに過ぎぬ!

 なに、すぐに見せてやろう、我が城の真の姿を。だがその前に……一つ余興だ」

 シモーヌは視線をやや下に落とす、その先には。

 城の一番近く、すなわち今やシモーヌの足元で座り込んだままのテツジがいた。

「巨人よ。お前には礼をくれてやらねばならぬ……先ほどの痛みの礼をなぁ」

 思い出したかのように、自らの額に手を添えるシモーヌ。

「今までのクズ共では、さぞや手ごたえが無かったろう?用意したぞ、お前にふさわしい相手を。もう一度戦ってもらおうではないか……お前に!」

(続)

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