第22話 魔獣の罠(その1)
「俺に相手をしろ、だと?いいだろう……」
彼の頭上にシモーヌが現れたその時もなお、テツジは半分放心していた。後悔に打ちのめされた彼にはその時、何事にも真剣に立ち向かうための気力が欠けていたのだ。普段の彼には似合わぬやや捨て鉢な気持ちで、それでもようやく立ち上がると、テツジは目前の中空で彼を見下ろす妖魔に答える。
「……叩きのめすだけだ」
「巨人よ」シモーヌが問う。
「だが私は先に聞いておこう。お前は、何だ?私はかつてお前のような者を……モノを!見たことが無い。さてはあの魔女に飼いならされた獣か?それとも造られた使い魔の類か?そも、名は何と言う?答えよ」
「くだらん。問答など無用、違うか?」
にべもなく吐き捨てる巨人の言葉に、妖魔は一瞬苦虫を噛み潰したような顔。だがすぐに残酷な笑みを浮かべ直して。
「……ふん!それもそうだな、確かに!これからすぐ弄り殺すモノの名に用など無いか。愚問であったことは認めてやろう。
……ただし!この私を侮辱した代償はきっちり払ってもらう!さぁ、とくと見よ!!」
虚空に留まったまま、左腕を肩から外に大きく開いて、妖魔は自分の隣の空間に指を指す。その場所が陽炎のように歪んだかと思うと。その虚空から、何かがこちらに向かって突き出て出現してくる。
それは、一頭の大きな体の牡牛。そしてどうやら。
(不死怪物だな……奴の手先か)
遠目でも、生きた牛の溌剌とした生命力は明らかに見受けられず、そして虚空に浮いているという極めて不自然な状態においても、その牛は暴れる気配を見せない。すでにそれが妖魔の眷属であることは明白。あれと戦えと言うのだろうか?
(だが、あんなものは)
なるほど、あの大きさの不死怪物化した牛なら、普通の人間には脅威の敵だ。十数名で立ち向かっても簡単には倒せない。だが石巨人の自分にとっては、逆に何頭この場に呼び出されようともものの数ではないだろう。そしてそれは姿を隠してすべてを見ていたはずのシモーヌなら、わからないはずがないのだが。
今更何故、とテツジが思ったその時。
シモーヌがさっとその牛に近づき、首に嚙みついた。そして、すぐさま揮われた妖魔の手刀。牛の首は刃物を入れられた柔らかい果実のように、いとも簡単に切断されて地に落ちた。
「私の『穢れ』、これまでも度々これに与えてきたが……今最後にもう一度与えた。もうよかろう、充分熟した。さぁこれも!」
シモーヌはその言葉と共に、宙に浮いていた牛の胴体を地に蹴り落とした。
無残にただ屠られただけのその不死怪物、空しく転がっているだけの首と胴。
せっかく呼び出した自分の眷属を何故、と。テツジをはじめ一同が、妖魔の不可解な行動につい釣り込まれて目を奪われると。
「そしてこれが仕上げだ!」
何かの力を込めるのか、シモーヌは開いた掌を牡牛の屍に向かって突き出した。
すると!
地に虚しく転がるだけだった首と胴体が、ゴトゴトと動き始めた。そしてさらに驚くべきことが起きる。最前テツジによって粉砕された不死怪物達の破片、彼の足元の至る所に散らばっていたのだが、それらがバラバラの肉塊のままでミミズのように蠕動し、そして牡牛の首と胴に向かって集まり始めたのだ!
テツジの足元で、うねる濁流となった肉塊の群れ。それらは牡牛の残骸を包み込み一塊になって、やがて何かの形を成していく。ついにその場に立ち上がったもの。
牛頭の巨人。
当たり前の人間に倍するテツジの巨体、それをさらに人一人分凌駕する上背。すなわち、それに見合う凝集した肉塊の質量は莫大だ。滅茶滅茶に打ち砕かれた屍を元にしたそれの表面には皮膚はなく、赤黒い血の色が剥き出し。不規則にただ絡み合っただけの骨と肉は、自然の獣の筋肉が持つ美しい構造の均衡も無い。両腕両脚の長さも歪。だが、目の当たりにすれば一目で測り知れる。
それが持つであろう、圧倒的な暴力量。
「ふむ?ま、こんなものか。空からも材料を撒いたはずだったが、焼かれてしまった分は使えぬからな。これでよかろう。さぁ存分に戦え、巨人よ。
……檻の中でな」
「いけない!」「檻だと!しまった!」
コナマとメネフが叫んだのは同時、間髪入れず放たれたオーリィの火球は、怪物に届かず、手前で砕け消える。
最前テバス古城を包んでいた、あの見えない壁。それが今、テツジと牛頭怪物を覆っているのだ。シモーヌはいつの間にかそれを張り巡らせていたらしい。
「他の者は手出し無用。黙って見ているがいい」
妖魔は、今は嗤わない。ただ低く冷たく宣告するのみ。
(続)
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