第23話 魔獣の罠(その2)
(閉じ込められた、か……)
目の前には、石巨人の彼もおよそ見たこともない、巨体の敵。だがこの期に及んでも、まだテツジは口元に捨て鉢な苦い笑みを浮かべるのみ。
(くだらん!)
そして吐き捨てるように言い放つ。
「この残り滓を固めたクズで、この俺を?舐めるなシモーヌ!戦いは、図体の大きさで決まるものでは無い!!」
であればどうして、とテツジは思う。
(我らは滅んだのだ?小さな人間に負けて!)
巨人の咆哮に、冷や汗をかいていた顔を少し明るくするゾルグ。
「『デカけりゃ強いわけじゃない』?ひゃあ、やれやれ……よりによってそれを旦那が言いやすかい?殿下、どうやらこりゃ安心かも?」
「いやまずい、ヤバいぜ……!」
すかさず断じるメネフ。
「おかしい、何か変だ、あいつらしくねぇ!」
石巨人テツジ。メネフが彼を認め頼もしく感じて来たのは、その総身の力以上にその精神の方だ。如何なる時も動揺せず、事態を広く鋭く洞察する、その胆力。
メネフは感じる。今それが、大きく損なわれている!
「婆さん、今アイツ一人で戦わせるのはヤバい!どうにかならねぇか?!」
だがコナマは苦悶の顔で首を横に振る。
「さっきの術で私は力をかなり使ってしまったわ。今集め直しているけれど、時間がかかる……」
「チキショウ、奴め狙いやがったな!ゾルグ、婆さんを頼む!」
前に剣をかざしながら、テツジに向かって駆け寄るメネフ。たちまちあるところで、彼は見えない壁に剣を弾かれる。
テツジまではおよそ三十歩、そのさらに同じほど奥に、あの巨大不死怪物。まだ両者は動かない。
(オレにもやれるか?)
先に見た、あの奇跡の光景。テツジのシャベルは、城を覆っていた見えない壁を打ち砕いたではないか。あの壁は今の壁よりはるかに大きかったはず。
ならば。同じコナマの聖別を受けた自分の剣なら、あるいは?
メネフは空間に上段斬りで振り下ろす。剣の止められたところで閃く、あの緑の聖なる光。だが!
「……通らねぇ!そうか力が……足りねぇのか!」
メネフの剣に込められたコナマの神聖力、それもまた、先程までの数多の不死怪物との戦いで著しく消耗していたのだ。今、テツジと巨大怪物を包んでいる壁を突破するには、到底足りないらしい。
「……オーリィちゃん!!」
いや、魔女には助力を乞うまでもない。最前からオーリィは怪物に向けて熱弾を放ち続けていたのだ。だが全て宙で阻まれ、虚しく散り消えるばかり。
すると。
「魔女よ?迂闊は止せ、教えてやるからよく考えよ。
……私の作った檻は、鉢を伏せたようなものだ。ならば?下はガラ空きではないかな?」
なぜシモーヌは自分にそんなことを、と、魔女の疑念も一刹那。
「シモーヌ!!とっとと来るなら来い、でなければ俺から行くぞ!!」
テツジの更なる咆哮が、皆の視線と心を奪う。そしてシモーヌは冷たい無表情のまま宙で手を一つパチンと叩いた。
途端!!
ただ棒立ちに立ち尽くしていた牛頭の巨大怪物がテツジの眼前に飛び込んで来た。速い、その巨体からは想像も出来ない速さ!人間の測るおよそ数十歩、それをほんの一瞬で詰めたのだ。そしてしまったと思う間もなく、怪物の揮う巨大な拳が空を斬り、その一撃はテツジの胸板に直撃した。石巨人のあの巨体が宙に舞う、悪夢のような光景。見えない壁一枚を隔てて、テツジはメネフのすぐ傍に落下した。
(……速い、それになんだ、この力……?!)
からくも立ち上がり直すテツジ。だが彼の巨木の幹のような逞しい脚が、今がくがくと震えている。牛人がただ一撃で彼に与えたダメージは、とてつもなく重い。そして吹き飛ばされたとはいえ、あの怪物の脚力を持ってすれば、今、彼我の間合いなど無いに等しい。
(馬鹿な……)
「馬鹿な、とな。巨人よ、お前は今思っている。違うか?」
テツジの心中の驚愕を、見透かすように言葉を重ねるシモーヌ。
「お前は言った。『残り滓を固めたクズ』だと。『体の大きさで強さが決まるわけでは無い』と。ああ、そうだろうな。お前が潰した不死怪物の残骸、それだけなら。いくら集め固めたところでクズはクズ、お前の相手にはならなかっただろう。
だが私は授けた。あの牡牛に私の穢れを、不死怪物の力の源を!たっぷりとな。
わかるか?図体の大きさではない。それはそもそも質が違うのだ、質が!
巨人よ、お前は。それの大きさだけを見てかえってあなどったのだろう?大きいだけのうすのろの木偶の坊だと。私はそうと謀って、それをその大きさに造ったのだ!
……愚か者。ああ愚か愚か、愚か者はすぐ驕る!そして驕って滅びるのだ!!」
愚か者は、驕って滅びる。
今のテツジにとってシモーヌのその言葉は、受けたばかりの怪物による一撃よりも遥かに重く、心を砕くに足りた。姿勢を保つ力が途切れる。思わず首を垂れ、視線が地に落ちた、その時。
怪物の更なる強襲。
「来るぞ!構えを、守りを固めろ!……おい!!」
見えない壁を背にした今のテツジに逃げ場は無い。だがせめて備えをすれば。メネフはそう声を張り叫び訴えた。しかし、テツジは力無く立ち尽くすのみ。その無防備のままの巨人に、怪物は踊りかかった途端、今度は大振りの平手打ち。
悪夢再び。テツジの巨体がくの字になったまま宙を舞い、そしてあるところで見えない壁に激突し、地に落下する。豪壮無敵と思われた巨人の無残な姿、仲間たちの胃の腑が凍る。ことに。
「ああ、テツジ!テツジ、どうして?!いったいどうしたの?!」
オーリィは激しく動揺した。するとシモーヌが再び。
「『地に伏せた鉢』だ、魔女よ……?」
(伏せた鉢……そうだわ!!)
藁にもすがる思いのオーリィ、それが最も憎むべき敵からの有り得ざる不自然な助言であることも、一時失念してしまう。何を思いついたのか、魔女は両の手をだんと地に突いた。何かを始めようとしたその姿に、しかし。
「オーリィ駄目!それは駄目よ、奴の罠だわ!!」
コナマが鋭く制する。
「あなたの火炎の力を地面の下から送り込む、それは駄目!テツジさんまで蒸し焼きになってしまう!!奴はそれを狙っているの!!」
はっと蒼白になった顔で、オーリィは触れてはならないものに触れたように、弾かれたかのように地から両手を引き離した。
地面を融解させ、あの怪物を屠ることが出来る程の炎熱。オーリィならそれを送り込むことは容易い。だが、『伏せられた鉢』の密閉空間からは、その熱が逃げる場所が無い……
「ハハハ、流石にかからぬか!……魔女よ、わたしの一番のお気に入りはお前だ。とっておきの顔が見られると思ったのだがなぁ?とりあえずその
だがそれならそれで、私はあれに巨人を弄り殺させるまで。待つのは長くなかろう、お前の悲鳴はいずれすぐ聞ける……アハハハハ!」
一転、仮初の平静を脱ぎ捨て、オーリィにあの冷酷な嘲笑を浴びせるシモーヌ。
「……シモォォォォォォォォヌ!!」
オーリィはその声にだんと両拳で地を叩き、宙のシモーヌに向かって光弾を放つ!
だがそれは、シモーヌの体をすり抜けて虚しく遥か先の宙に消えていく。
皮肉な嗤いを唇に浮かべ続ける、それは妖魔の幻影。
「ようやく気付いたか、私を先に始末すればいいことに。忘れられているのかと思った……ちと寂しかったぞ魔女よ。だがお生憎だ、私はここには居ない。
慌てるな。私はな?お前が一番のお気に入りなのだ。だから。
……他の無粋な者を始末してから、ゆっくり相手をしてやる。一人づつ、な?まずはそのむさくるしいだけの、図体だけの木偶の棒から!
さぁ!!」
無駄と知らされながら。オーリィが駄々をこねる子供のような顔で幻のシモーヌに放ち続ける光弾。それをそよ風のように浴びながら、妖魔の幻影は手でさっと指図する。
牛頭怪物の猛攻再び。立ち上がることも叶わないテツジ、辛うじて地に膝をついていいるその体に容赦なく浴びせられる蹴り。テツジの体は今度は低く一瞬宙に浮くと、すぐに落ちて、大岩のようにゴロゴロと転がった。
すると、何たることか。
巨人の転がっていったすぐ傍に、あのシャベルが落ちているではないか。
「しめた!取れ、そいつを取って戦うんだ!!」
今のテツジの惨たる劣勢。しかし彼のあの得物さえあれば!これは挽回のための千歳一隅のチャンス、メネフにはそう見えた、思えたのだ。
メネフは知らない。この戦いが始まる前から、テツジの両腕からはその武器を取り上げる力が失われていたことを。
(俺の……俺のシャベル……いや……これは本当に俺のものなのか……?)
地に伏せ、低いうめき声をあげながら。テツジは朦朧とし始めた目だけを、同じくただ地に転がるだけのシャベルに向ける。
(あれは、あの鍛冶屋の老人の祖父が、かつて違う石巨人のために打ったもの。俺はそれとたまたま出会い、一時自分の手にしただけ。
きっと、俺は。あれを使うに値する男ではなかったのだ……愚かに驕ったこの俺では……!)
見えない壁に沿いながら、テツジに駆け寄るメネフ。だが彼の見たものは、巨人の濁った瞳の色。死んではいない。だがそこにはもはや完全に戦意を感じ取ることは出来なかった。
「どうした!!どうしてだ、どうして取らない?!」
「取れるわけがない。その木偶の坊は最初から腕を痛めている。私はな?
……そうと知った上で、今そこにその木偶の棒の体を転がしてやったのだ。
侯爵の子メネフ。たかが人間の分際でこの私に挑む、お前も大層な愚か者だ。私は、愚かなお前がつかの間、ぬか喜びするところが見たかったのだよ。
わかったか?その巨人はもうおしまいだ。生憎だったなぁ?」
「……!!!」
屈辱に食いしばったメネフの口からは、妖魔に返す言葉は出てこない。先のオーリィ同様に、シモーヌは今度は自分をおもちゃにしたのだ。怒り、それは当然、さりながら、メネフの心に入り込もうとするのは絶望。
それでも彼は必死に考える。ここで自分まで折れるわけにはいかない。
「チキショウ!このままじゃ……何か無いのか?何か、この壁を破れる物……
そうだ、ゾルグ!!」
急ぎ駆け戻るメネフ。
「お前、持ってないか、もう持ってないのか?まだ一度も使ってない武器は!!」
「使ってない武器でゲすか?いや、それは……!」
メネフの問い、だが答えに窮するゾルグ。
メネフの言いたいことはわかる。見えない壁を破るには、コナマの聖別を受けた武器、それも神聖力の消耗していないものが必要なのだ。先にコナマが皆に聖別を施した時、ゾルグが携帯していた様々な武器、その数の多さ。
「どれか一つでいい!」
「それが……殿下、もう一つも……!」
「ケック!!あるよ!!」
その時、返事を返したのは、まさにケイミーだった。
「メネフさん忘れてる!あるよ、あたしの爪!爪だよ!!」
この妖魔征伐のために。ドワーフの老人、鍛冶屋のグノーにメネフが依頼し打たせたもの。彼の剣、コナマの錫杖、そして、ケイミーのための「爪」。人面鳥の足の指に取り付ける、小型のナイフを束にしたようなそれは、コナマからやはり聖別を授けられていた。だがメネフとしては、その爪をケイミーに使わせるつもりはなかった。それはあくまで、あの想定しうる最悪の事態に備えた、その時のためのケイミーの護身用。そう考えたメネフは、聖別された爪をケイミーに渡していなかったのである。
すなわちそれは当然、コナマのあの神聖力をその刃に湛えているはず。
そして、人面鳥は気高くいなないた。
「あたしが行くよ!クワァック!!」
(続)
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