第三章 魔女相剋編・深淵

第27話 動揺

「ケックケック、コナマさん、あれ!あそこに何だか大きな蛇?みたいな人?がいますよ?」

「まぁ……あれは魔女よケイミー。精霊の大きな加護の力を感じるわ」

「魔女?ケック、すごぉい!あたし魔女って会うの初めて!でもどうしたのかな?こんなに雨が降ってるのに、あんなところにしゃがみ込んで」

「そうね。何か事情があるのではないかしら。声をかけてみましょう」

 。冷たい雨のそぼ降る、そこはリンデルとノーデルの国境に近い山道。久々にノーデルの都から遠出の行商に出たコナマ、これまた南部地方の代官宛にバルクスの書簡を届けに来たケイミー。旅先で偶然出会った二人はしばし同道しようと考えていた。お互い道草になるが、遅れはケイミーがコナマを掴んで飛べはすぐ取り返せるから、と。だが折しもの雨、ケイミーは飛ぶことが出来なくなった。こんなこともあるわね、と。ちょっと申し訳なさげだったケイミーをコナマは軽く慰めて、とぼとぼと二人で山道を進んでいると。

 その人影、すなわち魔女が雨の向こうに見えてきたのだ。うねうねとつづら折れに曲がりくねったその道のカーブが、南に向かって大きく張り出したその場所で、魔女は道端に座りこみうなだれて、眼下に南の山裾をじっと見つめているようなのだ。

「ケックケック!ねぇアナタ?魔女さん?そんなところでどうかしたの?」

 余程何かに夢中だったのか、あるいはすっかり放心していたのか。ケイミーの地を跳ねる音は先程からパシャパシャと大きな水音を立てていたはずなのだが、そう声をかけられるまで、その魔女はまるで気が付かなかったらしい。

「!」

 弾かれたようにキッと声に向き直った魔女は、そこにいた人面鳥に大いに驚かされた。思わず伸び上がったのは、人間ならば棒立ちというところか。

「大丈夫よ、落ち着いて。私はノーム、この子はハルピュイア、見ての通り二人とも人間ではないわ。だから、魔女を嫌ったり苛めたりはしない。あなたを咎めたり争うつもりはないの。声をかけたのは、こんな雨の中で、あなたが一人で……泣いていたから。そうでしょう?それに……」

 ケイミーに続いて魔女の前に進み出たコナマは、穏やかな声で、しかしこう尋ねたのだった。

「あなたが胸に抱いているその亡骸。それは一体どなた?」

 そう、魔女はその時。ずぶ濡れのその胸に、白いしゃれこうべを三つ抱いていた。

「もしかして、あなたのではないの?」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「殿下!コナマさん!こんなところでグズグズしている暇は無いわ!」

 とうとう、じれきったオーリィの辛抱の緒が切れた。

「どうしてその娘を?早くテツジを治して、あの城の中にいかないと!!」

 困った顔を見合わせる、メネフとコナマ。メネフの視線を受けてコナマは言葉を選びながら。

「オーリィ、ケイミーが心配なあなたの気持ちはわかるわ。でも、どうか落ち着いて頂戴」

「だって!もしあの城が消えてしまったら!……もうケイミーさんを助けに行けなくなってしまう!あのシモーヌを倒すことも!そうでしょう殿下!!」

 オーリィは敢えてコナマではなくメネフに言葉を返す。

「どうなの?!そうでしょう!!」

 シモーヌがケイミーを連れ去り、代わりに置いていった教皇の娘、アグネス。

 彼女がシモーヌに敗れ、拘束幽閉されていたのはおよそ十日程にもなる。かの妖魔がその間、彼女を人間らしく扱うはずもない。そもそもシモーヌはアグネスのことも近々不死怪物に変えてしまうつもりだったのだ。しばらく生かしておいたのはきまぐれにおもちゃにしたかっただけ、そしてたまたまオーリィ達が攻めてくることを知り、ちょうどいい人質と身分が変わっただけ。あるいはそう思って水ぐらいは与えていたのかも知れないが、それにしても。

 彼女の体は衰弱しきっていたのである。

「先に手当をしてあげないといけないわね。テツジさん、待ってくれるかしら?」

 と。コナマはアグネスの治療を先に行うことにした。そして、メネフもそれを了としたのだった。だがそれに、魔女が憤然と異議を唱え始めたのだ。

「なぁオーリィちゃん、わかってくれ。あの城にとっとと攻めにいかなきゃならない、それはそうだ。でもコイツも置いてけねぇ、一緒に連れていかないと……」

 ここテバス州はすでに全域がシモーヌの支配下、不死怪物の巣だ。そこにこの娘一人を置き去りにするのは、すなわちただ見殺しにするのと同義。同道させて守るしかないのだ。そう、そのことは無論、オーリィは理解はしている。

「でも!」魔女は言うのである。「時間が無いわ!!あの城はいつ、世界の裏に隠れてしまうのかわからないのでしょう?!」

 世界の「裏」。神々と大精霊の住まう異界であり、定めある命のものは本来、入り込めない。彼の地に住まう大いなる存在に招かれることによってのみ、足を踏み入れることを許されるのだ。

 すなわち、シモーヌがもし、いまこちら側の世界からあの城を、再び世界の裏に引き上げてしまったら。

「あの城には二度と入れなくなってしまうわ!今しかないでしょう?!」

「ねぇオーリィ」するとコナマが言い出した。「シモーヌには出来ないわ。あの城をこちらの世界と世界の裏に出し入れすることは。いくらシモーヌが高位の吸血鬼であっても無理。それはもう神々の業よ。

 ……そう。シモーヌには今、大きな力を持った大精霊が味方についている。シモーヌは『よだか』と言っていたわね?そう、私がお会いした時もそうだった。あの方はいつも、森のよだかの体と口を借りて私と話をなさっていた。

 あの方、森の命の神、『大樹霊ゲゲリ』。私が神裁大師の力と称号を得るための、最後の修行をつけて下さった方」

「何だって?」

 皆の視線がたちまちコナマに食い入る。

「つまり婆さん、あんたとシモーヌは……」

「そう、確かに姉妹のようなものね。あのシモーヌ。あんなとんでもない吸血鬼が、たまたまひとりでに世に現れるなんてあり得ない。誰かが彼女を生み出した、そしてそれは余程強い神の力でなければ。でもゲゲリ様なら……あの方なら確かに出来る。

 オーリィ聞いて。私にはあの方が何をお考えなのかまではわからない。でも、あの方はきっと、私を待っている。私があの城に入るまでは!きっとあの城は消えないわ。だから……」

 たちまち、魔女の顔が困惑に染まる。彼女が誰よりも敬愛して已まないコナマが、誰よりも嫌悪し憎むあのシモーヌと、同じ神との因縁で繋がっていたということに。そしてなるほど、コナマの言葉には説得力があった。その神はあの城でコナマを待っている、それは間違いないのだろう……

 だがその言葉は。コナマの意に反して、オーリィには引き止める綱とはならなかったのだった。

「だったら……だったら余計によ!わたしは、コナマさん、あなたを!もうシモーヌに会わせるわけにはいかないわ!!そのよだかの神が何を考えているとしても、あなたも!!

 ……シモーヌに渡すわけにはいかない!!」

 魔女はいよいよ憤然とそう猛り叫ぶと、最早これまでとばかり皆に背を向け、声だけで言い放つ。

「いいわ!わたしはもう一人で行く!先に行ってシモーヌを倒して、ケイミーさんを取り返す!そうすればもう誰も……

 わたしは!!もう嫌……!!」

「オーリィ様!!」たまらず、それまでじっと耐えてきたテツジが痛みにきしむ半身を起こし呼び止める。だがオーリィは振り返らない。

「テツジ!!わかっているわね、覚えているわね、あの村でわたしが言ったこと!わたしを!!お前がやるべきことは、今はコナマさんをお守りすることよ!!」

 言い放って、魔女はたちまち魔城に向かって滑っていく。その驚くべき速さ。

「オーリィ!」「オーリィちゃん待て!」「オーリィ様!!」

 慌てて呼び止める仲間たち、すると、その中に落ち着き払った者が一人。

「殿下、大師様、旦那!ここはわっしにお任せを」

「ゾルグ?」はっとする一同に、ひらりと立ち上がって声を返す。

「わっしが行って魔女様をおなだめいたしやす。ここはわっししかおりませんや、でゲしょう?」

 そう、テツジは未だ動けず、意識不明のアグネスもいる。ならばコナマはその治療のためここに留まらざるを得ないし、その護衛はどうしても必要だ。それはメネフの他にはいないだろう。

 すなわち今動けるのはゾルグ、彼だけだ。

「ベン!!俺は鎖と剣がありゃいい、俺の矢もナイフも置いてってやるからお前が使え!お前が皆さんをご案内しろ。道中くれぐれも危ないことの無ぇように、目と耳と鼻とヒゲを全部利かせろ!いいな?……そいじゃ皆さん、御免なすって。魔女様をそう深入りはさせやせん。城の中のどっかでまたお会いいたしやしょう」

 そう言葉を残し、すでに姿も小さく見える魔女を、ゾルグはただ一人、猟犬のように追って行った。


(冷たい……!)

 シモーヌの腕の中にきつく抱きしめられたケイミーは、妖魔に体温がまるで無いことに震えていた。不死怪物、それは動く死体。シモーヌがどれほど高位の吸血鬼であったとしても、それは変わらない。そのことをケイミーはまざまざと肌で感じさせられていた。

(どこまで登るのかな、てっぺんまで?)

 今シモーヌはケイミーを抱いたまま、自らの翼を使って、魔城の吹き抜けを飛び上がっていく。

 シモーヌの「大樹魔城」、それは大まかにいえば巨大な一本の塔であり、になっている。塔の中央を吹き抜けが貫き、各階の床は全て、外壁と内壁に挟まれたドーナツ型。飛行能力を持つシモーヌにとっては、城のどこにでもすぐさま直接飛んでいけるという、極めて都合の良い構造だ。無論それは、徒歩で攻め上がる者にとっては極めて不利なのだが。

 そして。妖魔はついにある高さでその翼を止め、吹き抜けから城の内壁にある出入り窓に飛び込む。次いでそこから、妖魔は塔の中心から外に向かって伸びる通路を進んでいく。巨大な樹の姿の城は、ある高さを超えるとそこから、大きな枝が何本も生え分かれている。すなわち幹の中からその枝の一本の中へ、彼女らは通り進んでいるのである。

 連れていかれることしばし、そこに密やかな扉。

(ここって、ここが?)

 城主シモーヌの自室なのだろうか?それとも?ケイミーを固く片腕で抱いたまま、シモーヌがもう片手でその扉を押し、足音もなく室内に滑り込んだ。そして後ろ手にドンと、重い扉を閉じる音。

(寒い)

 高山の鳥であるハルピュイアは、暑さを嫌うが寒さには強い。だがその室内は、そんなケイミーが凍えるかと思うほど。ぞくりと体を震わせた、その時。

「ああ……鳥よ?そんなに震えて……ここがそんなに寒いのかい?」

 長く、自在に回るケイミーの鳥の首。いままでしかし、恐ろしさにシモーヌの面からは目をそらし続けていたケイミーが、その声に驚き振り向いた。

「それとも鳥よ、私が恐ろしいの?ああ鳥よ、そんなに震えないでおくれ……!」

「??」

 妖魔のその声は、まるで幼子をあやすよう。そしてケイミーは見た。

 自分を見つめる妖魔シモーヌの両の瞳が、涙に潤んでいることに。

(続)

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