第17話 上陸
「さ、ロープ、ロープ……まずはわっしが登りますんで、少々お待ちを……」
甲斐甲斐しく崖の登攀の準備を整えるゾルグ。彼が船からロープを運び出すと。
「いや待て、あの上から綱を下ろすのだな?それは俺が行こう」
言い出したのはテツジであった。
「……旦那が?」
ゾルグも他の皆も少しギョッとした顔。これは身の軽いものがするべき仕事ではないか?一様の怪訝顔にテツジはコクリと頷く。
「心配ない。岩山に住み穴を掘って暮らす石巨人は、つまり元より山岳の民。崖登りはお手のもの、山羊にも負けんぞ。任せてくれ」
巨人はゾルグからロープを受け取り、それを手際よく自分の腕に巻き付ける。そして壁面に向き直って、熊手のように爪を立てた形でそこに掌を打ちつけた。
巨人の5本の爪が硬い岩壁にガッキリと刺さる。目を見張る仲間達。
「よし、潮で脆くはなっていないな。これならば……!」
巨人は壁面に飛びつくと、グイと高く伸ばしたもう一方の手の爪でより高いところの岩壁を穿ち掴む。両手でぶら下がると今度は足だ。蹴ったつま先の爪がこれまた岩壁に刺さって足場になる。後はそれら両手両足の回転で、見る間に壁を登って行く。背に背負ったあのシャベル、そして彼の巨体そのものの重さを、彼はまるで苦にしていないようだ。
「なぁオーリィちゃん」
メネフは感心を通り越して呆れ顔。
「あいつにはなんかこう、出来ないことってのはあんのかい?」
「出来ないこと?そうね……お酒が全然呑めないことくらいかしら?」
「酒?酒ねぇ……やれやれ。ま、考えてみりゃ逆にあのロープであいつの体はとても吊るせねぇ。ああやって自分で上がってくれりゃ世話無しで助かるが……」
やがて崖の上に到達したテツジ。その姿は崖に乗り上げて一度消えたが、すぐに顔だけヒョイと下を見下ろして。
「少しだけ待っていてくれ」
そういうと、テツジの姿は再び崖の上に消える。待つことややしばし。
だが妙だ、彼は戻って来ないし、ロープも降ろして来ない。何をしているのか?
「ケック!あたし見て来るよ!」
「ケイミー、私も上に連れていって頂戴」
不安気な皆に代わって、崖の上に飛んでいった二人が、そこで見た物。
積み重なる、打ち砕かれた死骸の数々。数十体にも及ぶであろう不死怪物の、ただしそれらは動きを止めた残骸。
そしておよそ数十歩ほど先で。
「……ムゥン!!」
巨人が一息吠え、腕が、拳が空を切る。彼に飛びかかろうとしていた数体の不死怪物、だがそれらはその一撃で全て宙で粉砕され、互いに激突し、一塊になりながら彼方に弾き飛ばされていく。地に落ちたそれらはもう動かない。
そしてそれが最後の一群れだったのだろう、その場に仮初の平穏が戻る。崖の上は一面、低く生えた草が血生臭い風に空々しく揺られていた。
崖の縁でコナマを吊るしながら羽ばたいているケイミー。テツジは振り返ってその姿をみとめると、のしのしと足早に歩みよった。
「待ち伏せですよ。こんなことだろうと思ったのです。今この場はどうやら片付きましたが、新手が現れる前に急いで皆を引き上げましょう。磯はもう危険だ。お二人は俺の側から離れないように」
「ケケケ……ケック、あ、あの、大丈夫?」
ケイミーのそう問う声は震えている。ドス黒い返り血に染まったテツジの胸、顔、拳。そして垣間見た、彼と不死怪物の凄惨な戦いの光景。
「ケイミーさん恐ろしいですか、俺のことが……?」
「ピャ!!ケック、あの、ごめん……」
「いえ。それでいいのです。俺が、戦が恐ろしい、あなたはそれでいい」
テツジの静かな言葉はいたわりに満ちていた。
「ケイミーさん、俺は城で聞いた、あなたはあなたなりの厳しい覚悟を持ってここに来ている。俺はそれを敬います。ここでは恐ろしい出来事に沢山出合うでしょう、あなたはそれに耐えるつもりですね?それでいい。
ですが、耐えるということと平気になることは違う。平気になってはいけません。
戦は怖ろしいものです。醜くて汚いのです。痛くて苦しくて、そして悲しい。そう感じる、それが本当の人の心の働きというものです。
俺の心はすっかり戦の血で汚れてしまいました。まるで平気なのですよ、この有り様にちっとも心が動かない……俺も半分はあいつらと同じようなものですね。心がどこか少し死んでいるのでしょう。
ケイミーさん、あなたは決してこんな俺のようになってはなりません。心は強く持って下さい、ただし、こうならないようにするために、ですよ」
「クワック……」しゅんとした顔で、ケイミーはそれでも、テツジの足元にコナマを降ろし、自分も傍に降り立つ。そして見下ろすテツジと、コナマの視線が合う。
「テツジさん。私、あなたと色々お話したいわ」
「俺もです。あなたにお伺いしたいことが沢山あります。ただ残念ですが、今は」
「そうね……急ぎましょう、皆をお願い」
巨人は腕に巻いた綱をほどきながら、崖のふちに歩いていった。
「ひゃあ!こいつはてぇへんだ……旦那、あれっぽっちの間にコイツらを全部?」
縄の先に輪を結び、そこに体を通した仲間を、テツジが引き上げる。なるほど、ロープを固定してそれを登るよりこの方が遥かに早い。敵の待ち伏せだけではなく、彼はそこまで考えていたのだった。
そしてベンを背に負って引き上げられたゾルグは、周囲に累々と転がり重なる不死怪物達の残骸に目を剥いて驚く。先に上がっていたメネフと目を見交わして。
「殿下、こりゃこの戦、わっしらの出番はあるんでゲすかねぇ?」
(『夜明けまでに半分、昼過ぎまでで全部』、か)
ゾルグに問われたメネフは、巨人のあの言葉を反芻する。
(あいつの言葉にはいつもハッタリが無ぇ)
思わず気が緩みそうになる。メネフはむしろ自分に対して強いるつもりで。
「そうだな、確かにちょいと怪しくなってきたが……油断するなよ、オーリィちゃんを上げるまでは、そのテツジには頼れねぇからな」
「ガッテンで。ベン、お前もよく周りを見張っとけよ」
「わ、わかった。オレ、見張り頑張る」
そう、最後に崖下の岩場に残ったのはオーリィだった。先に上がれと勧めたメネフの言葉を、何故か彼女は聞き入れなかったのだ。
「ではオーリィ様、よろしいですか、縄に体を……」
テツジが崖下に声をかける。
だが。
「……やっぱり!!テツジ、それを使わせてもらう訳にはいかないみたいよ!」
突如、何かが海面から続々と跳ね上がって来た。醜く腹が膨れ、腐りかけた水死体の群れ。無論それは白魔シモーヌの眷属。
大量の水を飲んでいるのか吸ったのか、それらの死骸の群れは動きは鈍かった。そしてどうやらどこも見ていないらしい。海中から勢いよく飛び出したはいいものの、あるものは見当違いの方向の水に再び沈む。あるものは今は全員降りてしまった船に乗り上げて、水から揚げられたタコのようにのたうつばかり。
(なめられたものね……でもこの場に長居は出来ないわ)
オーリィに油断は無かった。水死体たちは次第に数を増している。いかにでたらめな動きとはいえ、周囲を取り囲まれるわけにはいかない。そして水死体の不死怪物達は、ある種の二枚貝がするように、口から細くそしてかなり遠くまで液体を吹いているのだ。その紫色の禍々しさ。
(きっと何かの毒!そうでしょうシモーヌ!)
「オーリィ様!」崖から大きく身を乗り出すテツジ。魔女は怪物たちをきっと睨み、振り向かずに答える。
「思っていたとおり!心配要らないわ!!
……テツジいいこと?今からわたしは自分でそこに飛び上がる!受け止めなさい!!」
一声叫ぶと、オーリィはその蛇体で大きく伸び上がり、そして海面を覆い被さるように上半身を折り曲げる。
「ハッ!!」
鋭く一声、海面に魔女が投げつけたもの、拳大の灼熱した火の玉。見た目には小さなそれは、しかしどうやら凄まじい熱量を持っていたらしい。たちまち巻き起こる、火山地帯の間欠泉の噴出に見まごうような、海面の大爆発!
そしてオーリィはそれを自分の体でまともに受け止めたのだ。
立ち上る水柱は崖の高さを容易に越え、オーリィの体はそれに乗って宙に舞い上がる。崖の上で見ていた仲間たち、彼らの視線はあっという間に下から上に。皆がここかと見上げた更に上空から、魔女は長い体をきりもみしながら、海水と共に落下してくる。
大雨のような水しぶきをものともせず、テツジはオーリィの体を抱きとめて。
「オーリィ様!何という無茶を……ご無事なのですか?!」
いつもの無表情を流石にかき消されたテツジ。狼狽する彼の腕の中で、オーリィはしかし、やんちゃな薄笑いでその顔を見返す。
「なんてことない。わたしの体にはグロクスの加護がかかっている、こう見えてもあの程度の爆発でどうにかなるような柔な体ではないわ。
わたしは魔女だけれど、飛行の術は持ってないから。前から一度空を飛んでみたかったのよ。船の上で考えてたの、こうすれば出来るんじゃないか?ってね。でもあっけない、あっという間だったわね」
「水の中からやつらが襲ってくると……予感されていたのですか?」
「そう、なんだかそんな気がしたの……それはお前も同じでしょう?ここの露払いは先に済ませてくれたみたいじゃない?そのつもりだってわかってたわ」
オーリィは最初から、この崖登りで従者に偵察と先陣をまかせ、自分は危険なしんがりを務める気だったのだ。既に厳しい臨戦態勢の覚悟を決めていた異形の主従に、メネフはバツの悪そうな顔。
「ゾルグ、やられたな。これじゃオレ達ぁまるで木偶の坊だ。カッコがつかねぇ」
「いいえ殿下?」ゾルグが崖下を覗き込んで言う。
「そうでもねぇでゲす。殿下にしか務まらないお役目が一つ出来やしたぜ。
この戦から帰ったら、侯爵様にどうか、船代のおねだりを。元の持ち主に払ってやりやせんとねぇ……」
彼らが乗ってきた船が海上に跡形もない。どうやら魔女が先ほどのあの一撃で怪物たちもろとも爆沈させてしまったようだ。
メネフは大げさにため息一つ。
「……そいつは任せとけ!」
(続)
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