33:憎悪

 学校はしんと静まり返るかのようだった。


 嵐の前の静けさ、というのだろうか。いつもならば騒がしいはずの生徒玄関も、今は不気味なまでに静かな空気に包まれていた。

 

 そんな静寂の中、聖斗は真紅と二人で歩いていた。周りには誰もいない。いや、近付かない。皆、聖斗と真紅の事を避けていた。


 誰もが皆、息を殺しているように感じる。沈黙のまま敵意の込められた冷たい視線だけが突き刺さってくる。


 その殺意にも似た感情に聖斗は身震いしそうになる。今すぐにでも逃げ出したくなる。


 それでも――逃げるわけにはいかない。聖斗は真っ直ぐに前を見る。

 

(落ち着け、大丈夫だ。こんなの平気だ)


 聖斗は自分に言い聞かせた。ここで怯んでしまえば、甘楽達を終わらせられない。何もかも無駄になる。


 その時だった。ぎゅっと真紅が聖斗の手を握りしめる。

 

 まるで聖斗に勇気を与えるかのように。

 そして――彼女は言った。


「わたしがついています。緋根くんは一人じゃないですよ」

「……ありがとう、黒曜さん」


 聖斗は彼女の言葉に励まされる。そうだ、一人で戦っているわけじゃない。たくさんの想いを背負っている。そして――真紅が傍にいる。


 聖斗達は靴を脱いだ後、新しく用意した内履きに替えて校舎へと入っていく。階段を下って、教室のある階へと向かう。


 足を前に進める度に心臓が高鳴る。呼吸をするのも苦しく感じる。けれど不思議と不安ではなかった。彼らは既に希望を抱いているのだから。


 やがて聖斗達は自分達の教室に辿り着く。


 既に大半の生徒が登校していた。彼らは無言で聖斗達を睨みつけてくる。中には何かを呟いている者もいた。


 しかし、そんな悪意に満ちた彼らの声は聖斗の耳には届かない。聞こえているのは自分の鼓動の音だけだ。


 聖斗は深呼吸をする。震える手で扉を開くと、その先にいる人物を見た。


 高峰 甘楽。彼女が聖斗達の事を待ち構えていた。


 聖斗は一瞬だけ足を止める。けれどすぐに中へと入り、隣を歩く真紅と共に甘楽の前まで歩み寄った。


 甘楽と向き合う。彼女は聖斗の顔を見ると怒りに満ちた表情で口を開いた。


 その声は低く、憎悪の籠められたものだった。


「あれだけ酷い目に合わせてやったのに、今日も来るだなんて良い度胸ね。覚悟しておきなさいよ。今日は昨日がまだ天国だったって思えるくらいの地獄を味合わせてあげるから」

「…………」


 甘楽の言葉に対して聖斗も真紅も何も言わない。ただ黙って彼女を見つめている。その態度が気に入らなかったのか、甘楽は苛立たしげな表情で舌打ちをした。


「ふんっ! 何を企んでいるかは知らないけど、あんたらみたいなクズ共が何をやったって無駄なのよ、無駄! いい加減に現実を受け入れて諦めてもう死ねば!?」

「……」

「ああもう、イラつくわねぇ!」


 甘楽が机を強く叩く。その音に周囲のクラスメイト達がびくりと肩を揺らした。


「何でアンタらみたいに全く価値のないゴミクズがのうのうと生きていられるわけ? さっさと出ていきなさいよ! ここはあんた達みたいなクズが居ても良い場所じゃあないのよ!」


 甘楽の声が響く。それに呼応するかのように聖斗達に敵意を込めた視線が集まる。


 それは殺気に近いものがあった。誰もが今すぐ飛びかかってくるんじゃないかと思うような気配を纏っていた。けれど聖斗は怯えたりしない、臆する事はない。隣に立つ真紅と見つめ合った後、二人は頷きあった。


 聖斗が感じている事を真紅もまた同じ様に感じ取っているようだった。


 二人は背筋を伸ばし、堂々とした姿勢で甘楽を真っ直ぐに見据えた。


「甘楽、お前怖いんだな。学校のアイドルとしての地位が、その全部が崩れ去るのが怖くて仕方ないんだろ?」

「……は、はぁ?」

 

 聖斗の言葉に甘楽は眉間にしわを寄せて睨み返す。そしてそんな彼女を前にして聖斗は淡々と言葉を紡ぐ。その瞳には揺るがぬ決意があった。


「今のお前の発言をそっくりそのまま返させてもらう。ここはお前達みたいな奴らが居て良い場所じゃない、何をやったって無駄だ」

「緋根くんの言う通りです。今まであなた方にとって天国だったようなこの場所が、地獄すら生ぬるい程の場所になります。そして、その破滅的な結末はあなた方が自ら招いたものです」


 真紅は甘楽に語りかける。その口調はどこか楽しそうなものだった。まるでこれから起こる事を全て見透しているかのような、そんな雰囲気さえある。


 けれど、それも当然だろう。何故なら――これは既に確定した未来なのだから。


「ふざけんじゃないわよ……絶対に許さない。どれだけ謝ってももう無駄よ! 絶対に……絶対に潰してやるから覚悟しなさい!」


 甘楽は怒りに満ちた表情を浮かべる。一方で真紅はあの黒い笑みを漏らす。そしてその眼光は甘楽を捉えて離さなかった。


 あれだけ声を荒げていた甘楽がその黒い笑みと刺すような眼光を向けられて息を飲む。その様子はまるで蛇に睨まれた蛙。圧倒的な強者を前にしてただただ甘楽は怯む事しか出来ない。


 教室の中を支配する沈黙。

 聖斗と真紅はお互いに目配せをして意思を確認しあう。


 まだ復讐の時じゃない。聖斗達が選んだ舞台は放課後に行われる全校集会、だから今はただ待つ。この場にいる全員への徹底的で破滅的な復讐を成し遂げるその時まで、聖斗達は待ち続ける。


 甘楽は忌々しげに舌打ちをするとクラスメイト達が集まる空間に紛れ込んでいく。


 その様子を眺めながら聖斗は小さく息を吐く。緊張の糸が切れたように全身が弛緩していた。


「それじゃあ緋根くん。わたし達も席へ」

「ああ、行こう」

 

 真紅が聖斗の手を引いた、教室の窓際のあの席へ二人で歩いていく。

 

 後は耐え続けるだけ。聖斗はそう思っていた、けれどその考えは甘かった。


 甘楽の憎悪。


 聖斗と真紅の二人に向けられる鋭い視線。それは今までとは比べ物にならない程に強烈になっていた。そしてその悪意が牙を剥く。


 甘楽はスマホを手に取った――そしてその向こう側の人物に何かを語りかける。

 聖斗と真紅を今日こそ叩き潰すと、彼女は行動を開始したのだ。

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