17:もう一人の被害者

「緋根くん、ここがその彼の自宅です。学校を去ったのは今年の夏、順番で言えば二人目の被害者になりますね。緋根くんとはクラスが同じになった事がないので、あまり面識はないかと思います」

「そうか……ここが。俺みたいに甘楽から騙された……もう一人の」


 聖斗は見上げる。そこにあったのは2階建ての一軒家だった。


 木造建築のごく普通の家で、庭には家庭菜園をしているのか小さな畑があった。


 玄関先には自転車が置かれているがチェーンは錆びついて、サドルには砂埃が溜まっていた。長い間放置されていた事が伺える。きっとあの自転車を通学に使っていたのだろう。けれど学校を離れて家の中へと閉じこもるようになり、外に出る事がなくなった。だからこの自転車も放置され、雨と風に打たれてぼろぼろになっていったのだ。


 日常を奪われたというのが伝わってきて、それを考えるだけでも聖斗の胸の中がずきりと痛んだ。


 聖斗と真紅の二人は玄関前に立った。彼女がチャイムに手を伸ばした時、聖斗はごくりと息を飲み込む。今から会うのは甘楽の被害者の一人だ。彼は聖斗と同じように甘楽から人生を奪われた被害者なのだ。


 もし彼に会えたら聖斗は何を言えばいいのだろう。どんな言葉を伝えればいいのだろう。頭の中に思い浮かぶのはぐるぐると渦巻くような、言葉にならない感情の数々だった。


 真紅がチャイムを鳴らすと、扉の向こうから物音が聞こえてきた。それはゆっくりと近付いてきて、やがてドアが開かれる。 


 現れたのは血の気のない、青白い顔をした少年だった。痩せ細った身体に顔色は悪く、目の下には大きな隈が出来ている。髪は伸び放題で、着ている服は薄汚れて、どこか陰鬱な雰囲気を纏っていた。


 真紅は一歩前に踏み出すと、そんな彼に向けて穏やかな口調で語りかける。


「おはようございます、加藤くん。黒曜 真紅です」


 彼女がそう挨拶すると加藤と呼ばれた少年は、真紅の顔を見て大きく瞳を見開く。そして震える声で呟いた。


「あ、あ……ああ、ああ! 真紅さん……来てくれたんだね!」


 そう言って彼は真紅の手を取った。震える肩で今にも泣きそうな瞳で、ただひたすら彼女を見つめていた。


「遅くなって申し訳ありませんね、加藤くん。今日はお話を聞きに参りました」

「初めて話を聞いた時には驚いたけど……本当に嬉しいです真紅さん。今日はよろしくお願いします」


「そして加藤くん、一人紹介したい方がいます。メッセージでもお伝えしていた通り、あなたと同じ境遇にある緋根 聖斗くんです」


「あ、えと、どうも。緋根 聖斗です。俺も甘楽から騙されて……学校中で悪者にされていて。今は黒曜さんと一緒にえっと、加藤さん? から色んな話が聞きたくてここまで来ました」


「緋根 聖斗くん……ああ、そうか……きみが例の。辛かったろう、きみも。い……いくらでも力になります……。でも、ごめんなさい……僕ってばこんな姿で。もうずっと家に閉じ籠ってて、こんな格好で、こんな有様で……何もかもめちゃくちゃだ」


 加藤は俯きがちに言う。整っていない自身の身なりを見下ろしながら、居心地が悪そうにしている。


 心を壊され塞ぎ込んで、今までずっと誰かとこうして話すという事が彼の中で失われていたのだろう。


 加藤は今、戸惑い緊張しているのだ。光を失った目が不安げに揺れて、唇を震わせている。


 聖斗はそんな彼の姿を見て、それが自分にもあり得た未来の姿なのだと思った。真紅が隣に居なければ、聖斗も加藤のようになっていたかもしれない。


 甘楽に人生を狂わされた者同士、共通している所はきっとたくさんある。だから聖斗は彼の気持ちがよく分かった。


(辛いよな。こんな風に自分じゃないみたいにされて、学校中が敵だらけになって)


 聖斗は心の中で呟く。甘楽によって本当の自分を嘘で塗り潰され、そんな自分を他人のように語る加藤に、聖斗は親近感を覚えていた。


「見た目なんて関係ないよ、加藤さん。俺達は甘楽に騙された被害者で、同志みたいなものだ。仲良くしよう、一緒に力を合わせて甘楽をやっつけよう」

「……ありがとう。真紅さんの次に頼れる人を見つけた気がするよ……本当に嬉しいな。これでようやく僕も報われるかもしれない……」


 緊張で強張っていた加藤の顔が綻ぶ。その表情には確かに安堵の色があった。


「それじゃあ加藤さん。立ち話もなんだからさ、上がらせてもらっても良いか?」

「あっ、はい。もちろんです……聖斗くん、真紅さん、今日はよろしくおねがいします」


 加藤は二人を家の中に招き入れる。

 玄関の扉が閉まると、家の中はしんとした静寂に包まれていた。

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