18:情報

「だ、出せるものが……お茶くらいしかなくて、すみません……」


 リビングへと招き入れられた聖斗と真紅の二人は、ソファーに座って出されたお茶を飲んでいた。


 加藤は申し訳なさそうに言い、向かい側に座っている。


 聖斗は出されたカップを手に取り、一口飲む。そしてゆっくりと息を吐き出した。


 室内は暖房が効いていて暖かく、外とはまるで別世界のような空気に包まれている。聖斗はその温かさにほっと胸を撫で下ろす。


 聖斗はここに来る前、甘楽に騙された加藤の家がめちゃくちゃになっているのかと思っていた。だが実際は、目の前にいる少年の家はごく普通の一軒家で、何の変哲もない。


 壁紙は綺麗で汚れひとつなく、床にも傷はない。窓の外を見るとベランダが見えて、そこには洗濯物が干してある。しっかりとした生活感を醸し出していた。

 

 聖斗はこの光景を見て、自分が思っていたような事態ではない事に安心を覚える。家庭崩壊まで陥っていて、加藤が八方塞がりになっているのではないかと心配していたのだ。


「僕のお父さんとお母さんは……しっかり者、ですから。カウンセリングなんかも受けさせてくれて……どうにかこうにか、今までの自分を取り戻そうって頑張っています。学校のみんなは信じてくれませんでしたけど……家族だけは、僕のことを信じてくれたから、僕が、学校に行けなくなっても……両親は僕の味方でいてくれました。だから僕は、今もこうして生きていられるんです」


「そっか……じゃあ、甘楽との間に起こった事も、学校での事も全部ちゃんと話したんだな」


「はい。甘楽が何をしてきたか……僕がどんな仕打ちを受けたかを全部話してきました。家族という居場所があったおかげなんでしょうね、騙されたのを知った後……学校中が敵になったあの時でも、何とかして立ち向かおうっていう勇気を……振り絞る事が出来たんです」


 そう言って加藤は弱々しく笑う。そんな彼を真紅はじっと見つめていた。


「加藤くんは頑張ったのですね。絶望の底でもがいてくれた。そしてわたし達に繋げるピースを残してくれたんです、あなたのおかげでわたし達も希望を抱く事が出来ます」


「えへ、そんな事ないですよ。真紅さんに比べたら……僕の方はまだ全然足りません。真紅さん、聖斗くん、きみ達の力が必要です。どうかお願いします、力を貸してくれませんか?」


「もちろんだ。それで教えて欲しい、加藤さんが持っている情報っていうのについて」

「は、はい……でもあまり期待しないでくださいね、見ただけなんです……物的証拠として持っているものは、何一つないので……」

「それでも構わないよ。少しでも手がかりになるなら、なんでも良いんだ。頼む」


 聖斗の言葉を聞いて、加藤は少し考える素振りを見せる。それからぽつりと言った。


「あの……僕がまだ学校を去る前の話です……。今から半年くらい前、ええと……今年の六月の話になります。体育の授業を休んだ事があって。サッカーとかバスケの時、すごくみんな当たりが強くて、乱暴にされるから怖くて……」

「体育、か。俺も考えたな、今の状況で体育とか……きっとめちゃくちゃな仕打ちを受けそうだって。運動を理由に……酷い事されるんだろうなって」


「聖斗くんの場合は……もっと酷いかも分かりません。僕は聖斗くんとはクラスが違う……主犯格である甘楽がいないクラスでも、嘘を信じた生徒達が酷い事をしてきたので……」

「そっか……そうだよな、違うクラスなのにみんな甘楽達の言う事を信じて酷い事をしてくるんだ……。嘘をばら撒いてる本人達のクラスなら……考えたくもない」


「気を付けてください……聖斗くん。それで本題なんですけど……。体育を休んだ時、保健室に行こうって思った時に……誰も居ない教室でたまたま見つけちゃったんです。僕のクラスにも甘楽と仲の良い生徒が居て……その生徒のスマホが……机の上に置きっぱなしになっていて」


「スマホが置いてあった? でもロックされてて他の人には使えないんじゃ?」


「僕もそう思っていたんですけど……ただあの時、少しでも今の状況を覆せる何かを知りたくて……もしかしたらロックを解除出来たりしないかなって。適当に番号入れてみようって……ああいうの、意外と単純なものばかりなので。それでめんどくさがりな人とかがやりがちな数字を入れてみようと思って『0000』ってそしたら……運良く、開いたんです」


「それは……すごい幸運だな」


「はい……ラッキーでした。そこで見つけたんです、甘楽の悪行の証拠を。あいつらはスマホのメッセージアプリのグループトークで……まだ行われていないはずの、一学期の期末テストの答えを共有し合っていました」


「テストの答えを共有か。そんな方法で。やっぱり黒曜さんの予想通りあいつらは……」


「そのグループの参加者達は、見覚えのある名前ばかりでした……だからそれを持って、先生達に見せようと思ったんですけど……僕が出来るのはここまででした。何を嗅ぎつけたか分からないけど……甘楽に見つかったんです。どうして他のクラスで授業を受けているはずの甘楽が居たのかは分からない……。でもとにかく、取り上げられたんです……スマホを」


「甘楽の奴……っ。それで、どうなったんだ?」


「……そのままです。甘楽は……そのスマホを持ち去ってしまった……。僕は何も出来なくて、それを見ているだけで……。ごめんなさい、本当に何も出来なかった……僕にもっと勇気があれば、こんな事にはならなかったかもしれないのに……」


「加藤さんが謝る必要なんてないさ。悪いのは甘楽なんだから」


「そう言ってくれてありがとう……それから甘楽とその周辺の人達のスマホの管理は厳重になったみたいで、パスコードもみんな複雑になって……置き忘れるなんて事もなくなりました。だからもう……聖斗くんや真紅さんが彼らのスマホを手に入れても、それを証拠として扱うのは難しいと……思います」


「なるほど。確かにスマホの管理が厳重化して奪う事も難しくなって、仮に入手出来ても複雑なパスコードで開く事も出来ない、と。指紋認証とか顔認証だって突破出来るものじゃないしな……どうしたもんか」


 彼らがテストの答えを共有しているという不正の証拠、そのやり取りがスマホの中に残されているのなら、聖斗が受けた『甘楽を襲おうとした』といった嘘の口裏合わせが行われた証拠も同様に、彼女達が持つスマホのアプリの中に残されている可能性は高いのだ。


 だがその証拠となるものは、もう既に加藤の手から離れてしまった。


 甘楽はその情報を隠す為に簡単なパスコードを設定していたスマホを加藤から奪った。その行動自体はその場しのぎにしかならないが、二度とこんな事がないようにと仲間達に指示を出し、管理を徹底的にさせるようになった。


 甘楽達の不正の証拠は目の前に転がっているはずなのに、今となっては手を伸ばしても届かないのだ。

 

 聖斗は悔しそうに唇を噛む――けれどその隣で真紅だけは笑っていた。


「し、真紅……?」


「愚かですね。自らの人生を破滅させる可能性すらあるものを、スマホのメッセージアプリで共有だなんて。ふふ、実に幼稚で杜撰です。他にも安全で確実なやりようがいくらでもあるというのに――まるで子供の遊びのようなやり方です。全くもって愚策ですね」


 真紅はそう言って笑う。聖斗は不思議そうに彼女を見ていたが、加藤はすぐに理解する。


「……まさか、真紅さん。あなたならそれが出来るっていうんですか? そんな簡単に……彼らのスマホを開いて、あの中に残されているデータを見る事が……?」


「開く事は出来ません。甘楽さんの指導の元、厳重な管理を徹底されて、安易なパスコードは使わないようにとスマホのセキュリティを高めたというのなら、わたし達が何度挑戦しようともスマホはロックされたまま、中にある不正の証拠に辿り着く事は出来ません」


「ならどうやって……」

「でも、向こうから開かせる、なら話は別ですね。こじ開ける事が出来ないというのなら、鍵を持っている人間に開けてもらえば良い。それだけの話です」


 その言葉に聖斗は大きく首を傾げる他なかった。


 鍵を持っている人間とはスマホの持ち主で、甘楽の不正に関わっている人物だ。つまり聖斗と真紅にとって敵である存在で復讐の対象者。


 そんな彼らが『復讐するのに使うからスマホを開いて不正の証拠を見せて』と頼まれて、おいそれと承諾するはずもなく、当たり前のように拒否される。それが普通の反応だろう。


 しかし、真紅の言葉には確信めいた響きがあった。彼女は紅い瞳で聖斗を見つめながら、あの黒い光を放つ笑みを浮かべる。


「良いですか。緋根くん、世の中にはね、自分だけは助かりたいと願う人間は大勢居るんです。そういう人間は自分の身の可愛さに必死で、他人を平気で見捨てる事が出来る。あのクラスの中で、甘楽さんに加担している腐った人間はそもそも意思の弱い人間。意思が弱いからこそ甘い蜜に誘われ、彼女の協力者になったのです。そんな彼らにはこちら側から『お願い』すればいい。そうすれば彼らは自分の保身の為に喜んで協力してくれるでしょう。自分だけは許して下さい……とね」


「そんな都合の良い話が……」


「彼らは既にもう『終わっている』んです。甘い蜜を啜ろうと集まった時点で、それを行動に移した時点で破滅したも同然。ただ必死にその時間を引き伸ばしているに過ぎない、彼らは既に、自ら進んで破滅の道を選んだ。今となってはもう崖先にまで辿り着いているようなもの、けれど突き落とそうとすれば抵抗するはずです。当たり前ですよね。彼らは終わりたくないと思っているのですから。だから優しく手を差し伸べてあげるんです、それが破滅からの救済だと思わせる――そして必死に堪えていた彼らの内、たった一人でも良い――自分だけは助かりたいと、差し出した手を取る人物が現れたら――後は簡単です。全員を――奈落の底に叩き落とす事が出来る」


「……っ、あ」


 周り全員を犠牲にする代わり、あなただけは助けてあげる。


 悪魔のような囁きと共に、彼女は救いの手を差し出すのだ。目の前に広がっているのは破滅だと分かっている、彼らは怯えている。その中で意思の弱い誰かが、真紅の手を取ってしまえば全てが瓦解する。崖先で必死に堪えていた甘楽達は一斉に破滅という奈落の底に転がり落ちていく。


 聖斗は震えた。この時、初めて真紅に対して、彼女が浮かべる黒い笑みを見て――恐怖を覚えた。


 甘楽の持つ捻じ曲がった悪意とは全く種類が違う。甘楽のように他者を搾取し、不正に手を染め、人を騙して陥れる、自らの利益の為だけに行ってきたような悪辣なものではない。


 甘楽が自らの欲望を満たす為に他者を悪意に満ちたヘドロの底へ引きずり込もうとするのなら、真紅は自身に敵意を向けた者を容赦なく破滅という更に深い深い奈落の底へと叩き落とす――その差はあまりにも明確だった。


 聖斗はようやく理解する、彼女の笑みの向こう側で輝くのは、深い闇に彩られた彼女の正義感を凝縮させたような、そんな闇の結晶。それこそが彼女が『悪魔』と呼ばれる所以だった。


 真紅が聖斗に差し出したあの手は、やはり天使の導きではなかったのだ――あれは悪魔との契約だった。ならば代償は何なのか、聖斗には分からない。けれど一つだけ分かる事がある。

 

 悪魔は決して契約を破らない――真紅が聖斗を裏切る事だけは決して無いのだ。

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