10:容赦しない
教室は静寂に包まれていた。
いつもなら騒がしく談笑しているクラスメイト達は、教室の一箇所に集まり何かを話し合っている。その中心には甘楽の姿があって、涙と共に嗚咽を漏らしていた。クラス中の生徒がそんな甘楽の様子を見守っている。
だが聖斗が教室に入ってくると、それまで静かだった教室にざわめきが起きた。
そして一斉に視線が集まる。誰もが聖斗に非難するような眼差しを向けていた。中には舌打ちする者や指差してくる者までいる始末だ。
その光景を見た聖斗は思わず足を止めてしまう。
(やっぱりこうなるよな……)
けれど予想していたものとは少し違った。生徒玄関で起きたような、罵声を浴びせられる事もなければ、乱暴に蹴飛ばされるような事もない。
ただ黙って睨みつけてくるだけで、その様子からは敵意というよりは、戸惑いの方が強いように感じられた。その理由が一体何なのか――答えは簡単なものだった。
「ふふ、思ったよりも静かですね。皆さん」
聖斗を守るように真紅が隣に立っている事が、彼女達にとって唯一の想定外だったのだ。
真紅はクラスメイト達に向けて黒い笑みを浮かべると聖斗の手を取り、そのまま教室の中央へと歩みを進めていく。そして集まった生徒達に向き合うようにして聖斗と共に立っていた。
「おはようございます、みなさん。今日もいい天気で何よりです。ところで……朝、玄関で騒ぎがあった事はご存知ですか?」
「…………」
「緋根くんが昨晩、甘楽さんに乱暴を働いたという事で生徒の方が激昂されていて。騒ぎの内容はそう言ったものでした。あれ、ご存知ではない? 朝、その激昂する場面を見ていた方もこのクラスで何人かいらっしゃったようですが?」
「…………」
真紅の言葉に生徒達は何も返さない。ただ無言のまま二人を睨みつけるだけだ。
それを見て真紅は口角を上げる。その表情は笑っていたが、彼女の背後に居る聖斗は背筋が凍りつく思いだった。
何故この状況で真紅がここまで余裕でいられるのかが分からない。彼らは聖斗が強姦未遂を犯したとでっち上げた張本人であるはずだ。昨日の間に口裏を合わせ、嘘の内容を学校中にばら撒いた。それに関わったクラスメイト達は皆、聖斗に対して明確な悪意を抱いている。
もちろんその悪意は聖斗を守ろうと立っている真紅にも向けられていた。なのにどうして、そんな彼らを前にして真紅は笑っていられるのか? 聖斗は真紅の考えている事が分からなかった。
「沈黙ですか。ふふ、不安なのですね。怖いのですね。今まで上手くいっていた事が、簡単に捻じ曲げる事の出来た真実が、今回はそうではないと察しているのでしょう?」
それは挑発とも取れる言葉だった。真紅は明確に今『お前達は嘘をついている』と言い放ったのと何一つ変わらなかったのだ。
そしてその挑発に乗った人物が一人――真紅に向けて声を荒げていた。
「あ、悪魔! あんたが強姦魔の聖斗に何を吹き込まれたか知らないけど、これ以上そいつに肩入れするなら容赦しないわよ!」
声を荒げたのは事の元凶である甘楽だった。さっきまでの泣き顔は消え失せている、あれが演技だった証拠でもあるだろう。今の甘楽はその演技も忘れて、ひたすら怒りに震えているように見えた。彼女の目つきはまるで親の仇を見るような鋭いものだ。けれどそんな視線を受けても真紅は動じる素振りを見せない。むしろ笑っている。
それが余計に甘楽の神経を逆撫でしているようで瞳孔が大きく開く。そして一歩前に出た。
「みんな分かってるわよね……! 私を襲おうとした最低な男を、強姦魔の聖斗を悪魔が庇ってるって! あの悪魔は昨日の事を有耶無耶にしようとしてるのよ! ねえみんな、許せるわけないわよね!? お願い、力を貸してよ! こんなめちゃくちゃな奴ら、みんなで力を合わせて追い出しましょう!! 今までみたいに!!」
必死に訴えかける甘楽へ同調するように、他の生徒達も声を上げ始めた。その様子を見て甘楽の顔には勝利を確信したかのような笑みが浮かぶ。
そして同時に聖斗は息苦しさを覚えた。甘楽が平然と嘘をついている事に、昨日まで恋人だったはずの彼女が、自分の事を最低な男だと、強姦魔だと罵っている事に。
(ああ、やっぱり……夢じゃなかったんだな……)
昨日の事は夢だと思いたかった。聖斗が知っている彼女は、いつも明るく元気一杯で、それでいて優しい女の子だと思っていた。しかし、その考えは全て間違いだったのだ。
教室中に響く聖斗と真紅への罵声、耳をつんざく程の怒号。
その声を聞いて、その光景を前にして――それでも真紅は笑っていた。その笑みを見て甘楽は再び怒りに震える。
「何がおかしいのよ! 馬鹿にしてんじゃないわよ!!」
「ふふ……いえ、ここまで救いようのない愚か者なら同情する余地もないと、そう思っただけです。これなら遠慮なくあなた方を破滅させられます」
「なっ……!?」
甘楽の顔が引きつる。恐怖に怯えたように、まるで化け物を見つめるような眼差しで真紅を見た。
そして真紅はゆっくりと前に進み、甘楽のすぐ傍で、彼女の耳元で囁くように言った。
それは普段の聖斗に対する口調とはまるで違うものだった。
まるで別人のように冷たく、淡々とした声で、甘楽を刺すように。
「――わたし、容赦しませんからね」
真紅の言葉に甘楽はただひたすら首を横に振るだけだった。体を震わせながら立ち尽くしていた。
そして真紅は聖斗の方へと振り返ると、今度は優しく微笑んだ。
それは聖斗だけが知る彼女の表情。とても可愛らしく、愛でたくなるような、思わず見惚れてしまう、眩い笑顔。
「そろそろ先生も来る頃です。席に着きましょう、緋根くん」
「そ、そうだな……」
聖斗は手を引かれ窓際の席へと歩いていく。
そして椅子に座りながら、甘楽の恐怖に震えるような表情を、生徒達が慌てふためく様子を目の当たりにして、一体何がどうなっているのか不思議に思った。
何故こんなにも彼女達は真紅を恐れているのか、どうして真紅が悪魔と呼ばれているのか、聖斗の頭の中には疑問ばかりが渦巻いていた。
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