12:積み重なった悪事

 二人は無事にアパートへと帰ってきた。


 聖斗は鍵を取り出し扉を開ける。そして中に入り靴を脱いで、後ろに立っていた真紅に声をかけた。


「それじゃあ上がってよ。以前に来た時と変わらず何もないけれど」

「ではお邪魔しますね。今日はよろしくお邪魔します」

「こちらこそよろしくな」


 聖斗は真紅をリビングへと案内する。三ヶ月前と変わらない何もない部屋、古びたソファーに真紅を座らせた後、初めて彼女を家に上げたあの時のようにコーヒーを用意しようとキッチンへと向かっていく。


 真紅は何もない部屋を見回した後、ふわりと顔を綻ばせてゆっくりとソファーにもたれかかる。


 瞼を閉じて全身の力を抜いてソファーに身を預けるその姿は、まるでお気に入りのクッションに身体を沈めて眠る猫のようで、来る前に彼女が言っていた『緋根くんの部屋が好き。とても落ち着く』という言葉に嘘がない事を、聖斗も実感してしまう程であった。

 

 コーヒーをマグカップに注ぎ真紅の元へ持っていく。すると彼女は目を開けて微笑んでくれた。


「黒曜さんはブラックが好きだったよな?」

「はい。お砂糖とミルクは不要です。覚えていてくれたんですね、ありがとうございます」


「俺が初めて黒曜さんを上げた時もブラックで喜んでたし、昨日飲んでたのもそうだったから」

「良く見ているのですね、流石ですよ。緋根くん」

「え、あはは……なんか、照れるな……」


 二人並んでソファーにもたれかかり、淹れたばかりのコーヒーを味わう。季節は十二月になり随分と寒くなってきた。コーヒーの暖かさが身に染みるようだった。


「それでは早速ですが、本題に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 一息ついたところで真紅が切り出した。紅い瞳で射抜いてくるようなその視線に、聖斗は少し緊張しながらも頷いた。


 今から話される内容は、聖斗の今後に関わる重要なものなのだ。悪魔の誘いか、天使の導きか、どちらにせよ今更迷ったりしない。聖斗は決意を固めるように大きく深呼吸をして、真紅の問いに答えた。


「もちろんだ。教えて欲しい、これから何をするのかを」

「はい。ではよく聞いていてくださいね」


 真紅は改めるように座り直すと、彼女の提案した『徹底的で破滅的な復讐』の全容を話し出す。


「まず、緋根くんは周囲への誤解を解きたいと思っている事でしょう。甘楽さんに騙されていた事を、決して彼女を襲おうとはしていない事を」

「そうだな。このままじゃ学校にも居られない……あんな冷たい視線に暴言に、耐えられる自信はないよ……」


「ですが、それだけでは足りないとわたしは思っています」

「足りないって……どういう事?」


「緋根くんの強姦未遂が虚偽だったと周知させる事が出来たとしても、それは復讐としては物足りません。緋根くんの疑いが晴れたとしても、甘楽さんも我間 風太という男も、それに協力したクラスメイト達ものうのうとした学校生活を送るでしょうから」

「で、でも……黒曜さんは言ってたよな。本当の事が広まったら甘楽だって今までのままじゃ居られないって……」


「確かにそう言いました。けれど、いくら甘楽さんが緋根くんを騙していたと周知しても、言い訳をずらりと並べて正当化しようとするはずです。甘楽さんのイメージ悪化など一時は騒ぎになるでしょうが自然と沈静化していく。彼女には大勢の協力者がいますからね、彼女を擁護して周囲を同情させるなどお手の物。そうして彼女達は何事もなかったかのように日常へ戻っていくのです」


「……っ。一時的な騒ぎにしか、ならない……」


「緋根くんを苦しめた彼女達が――何食わぬ顔で過ごしている。そんな事が許せるはずもないでしょう。だから、この復讐は徹底的にやるのです。もう二度と立ち上がれなくなるくらいに心を粉々に砕く。彼女達を容赦なく破滅にまで追い込む――わたしはそのつもりです」


「で、でも、どうやって……? それこそ俺が甘楽を襲ったっていうのが嘘だって広がって、お金を搾り取られたって周りが知っても……破滅だなんてところまで発展しようがないだろ……?」

「彼女達を破滅にまで追い込む材料があるのです。彼女達がこの学校で積み上げてきた多くの事実がそれを証明してくれます」


 そう言いながら真紅はテーブルの上のマグカップに手を伸ばし、こくりと喉を鳴らす。そして同時に浮かべるのは黒い光を含んだあの怪しげな笑みだ。


「まず甘楽さんが積み上げてきたのは、学園のアイドルというイメージです。彼女は常に学年でもトップの成績で、容姿にも恵まれ、運動神経も抜群。清らかで親しみやすい性格も相まって、それはまさに非の打ちどころのない完璧な存在のように思えるでしょう」


「そ、そうだな。俺も甘楽に告白する前もしてからも、ずっとそうだって思ってた」


「容姿や運動神経は生まれついてのものという事で否定しようがありませんが、彼女の清らかで親しみやすい性格についてはそれが演技でしかなく、緋根くんを騙して金銭を搾り取っていた事を証明出来れば十分覆す事が出来るでしょう。そして一番のポイント――それは彼女が学年トップの成績であるという点です。ここに彼女を破滅させられる大きな要素があります」


「学年の成績が破滅させられる要素? 甘楽の成績を落としてイメージダウンを狙いたいって事なのか? で、でも、入学してからずっとトップなんだぞ?」

「違いますよ。別に彼女の成績を落としたいわけではありません。その程度では破滅など程遠いのですから」


 そう言いながら真紅はスマホを取り出していた。彼女の持つスマホの画面に写っているのは、数字やグラフが記されたレポートのようなものだった。


 聖斗はその画面を覗き込みながら首を傾げた。


「これ……なんだ?」

「わたし達の通うあの高校に在校している2年生――彼らのテストの点数、その一覧です。直近の二学期の中間テストから、以前に在籍していた中学生の頃のデータまで集めました。各教科の平均点、学年全体の順位も記されています」


「高校の成績はともかく……中学までって。こ、こんなものをどうやって……?」

「ふふ、色々とツテがあるのですよ。それを利用させて頂きました」


 真紅は怪しく笑みを浮かべた後、再びスマホの画面に視線を落とす。


「意外かもしれませんが、甘楽さんは高校一年生の頃、初めて行われた中間テストの成績は中の下、と言ったところでした。学年二位に座している我間 風太という男の成績もその時点では芳しいものではありません」

「え……そうだったの? でも確かに……初めてのテストの時は他の人がトップだったような……」


「中学の成績も似たようなものです。ごく一般的、突出した何かがあったわけではない。けれど、甘楽さんと我間 風太の二人の成績が高校一年時の一学期の期末テストで突然跳ね上がります」

「あ……ほんとだ」


 スマホの画面に映し出されているのは甘楽と我間の成績を折れ線グラフにしたもの。


 中学の頃から平らだった一本の線が突如として跳ね上がっていた。


「甘楽さんと我間 風太の成績は、高校一年の期末テストから急激に伸び始め、それから一位と二位を独占しています。そして他にも同様の動きを見せている生徒が複数いるのです」

 

 それはとても分かりやすいものだった。甘楽がいた一年のクラスの成績が急に良くなっている。その生徒達の成績は二年生になって甘楽と別のクラスになっても続いていた。そして一年生の頃は甘楽と別のクラスであった生徒達も二年生になって甘楽とクラスを共にした直後――急に伸び始める。


「これを見て何か感じるものはありませんか、緋根くん?」

「え、えっと……勉強を頑張って成績が良くなった? 甘楽が周りに勉強を教えたから……みんなの成績も良くなった、とか」


「ふふ、まさかそんな回答をしてくれるだなんて。緋根くんは本当に素直で良い子なのですね。悪だくみなど決して出来ないとわたしを安心させてくれます」

「それ褒めてるのか……馬鹿にしてるのか、どっちだよ……」


「どちらもです。緋根くんは優しくて真っ直ぐで嘘をつけない正直者です。だからこそあなたは甘楽さんに付け込まれ、利用されてしまったのですからね」

「確かに……そうだよな、昨日まで全然気付けなかったんだから……」

「でもわたしは好きですよ。緋根くんの真っ直ぐで優しい所」


 真紅は微笑む。とても優しい笑顔で、それを見て聖斗の心臓がどきりと高鳴った。急に真紅から好きだと言われて、それがどうしようもなくむず痒く感じて、頬が熱くなる。


 聖斗は慌てて顔を背け、テーブルの上のコーヒーを一口飲んだ。ブラックコーヒーの苦味でその甘い言葉を、胸の中に広がるむず痒さを追い払おうとした。


 そしてほっと息を吐いた後、再び真紅の方へと顔を向ける。


「大丈夫ですか、緋根くん? お話を戻しますね」

「あ、ああ……頼む」


「以前にお話をしましたが、わたし達のクラスの生徒達は学業に対して熱意があるようには思えません。授業態度は悪く、見えない所で勉強をしている様子もありません。テスト期間なども遊び呆けていましたからね。せいぜい提出物を守る程度でしょうか」


「でも俺はそれが……元からみんなの頭が良くて、勉強が出来るんだと思ってた。でも違うんだな、真紅が見せてくれたデータじゃ、みんな中学の頃から成績は普通で、高校生になってからも甘楽と同じクラスになるまで良い成績じゃなかった」


「そうです。彼女達はごく一般的な学力しか持ち合わせていないのです。それなのに学業を疎かにしても良い成績が取れる――おかしいとは思いませんか?」

「ああ……変だ。俺だって頑張ってるから分かるよ、毎日勉強に打ち込んで、ようやく俺達のクラスの平均点に到達出来るかってレベルだし」


「納得して下さっているようで良かった。では結論から言います、彼女達がテストで良い成績を残している理由、それは――用意されているテストの答えを何らかの方法で入手し、テストが行われるその前に共有し合っているからです」


「んあっ!? テストの……答え!?」


「はい。間違いないでしょうね、甘楽さんと同時期に我間 風太も彼女に続く勢いで成績を上げているのも、恐らく甘楽さんからテストの答えを提供されているからです。甘楽さんと我間 風太の関係は高校に入学した直後から始まったと考えるのが妥当でしょう」

「それじゃあ……俺が告白する前からずっと……」


「そういう事になるでしょうね。緋根くんだけではなく、学校を去った他の男子生徒も告白したその時には甘楽さんと我間 風太の関係に気付けなかったのでしょう」

「ああ……クラスのみんなも甘楽に彼氏が居るだなんて一言も口にした事なかったし」


「何故、クラスメイト達が甘楽さんに協力するのか。その理由はテストの答えという甘い蜜を吸う為です――甘楽さんの人を騙し金銭を搾取するという悪行に手を貸す事で、答えを共有してもらえるのでしょう。だから緋根くんが利用されている事を知っていながら決して声には出さない、甘楽さんに本当の彼氏がいる事を隠している。そして甘楽さんが一声かければ虚偽の内容を周囲にばら撒き、真実を嘘で塗りつぶす」


 聖斗は愕然とする他なかった。甘楽という学校のアイドルが居て輝いていたクラスが、他のクラスよりも遥かに良い成績を叩き出している彼女達が、不正に手を染めているだなんて。その輝きが紛い物だったとはあまりにも現実離れし過ぎている。


 しかし実際に数字として、甘楽の周囲の生徒達の成績は他の生徒達と比べて群を抜いて高いのだ。そして甘楽によって騙された聖斗自身も、クラスメイト達全員が学校中に『聖斗が強姦未遂を犯した』という嘘を広めて回った事を知っている。


「学業に勤しむ必要がないという余裕が、異臭を醸し出しているのでしょうね。その様子から察するに裏ではわたし達の知り得ない様々な悪行が更に積み重なっているはず……。ともかくです、わたし達のクラスは腐っています。あの場所は異臭を放つヘドロが溜まりきった底なのです」


「ちょ、ちょっと待ってくれ……黒曜さんがおかしいって思っているように、先生達だってもしかしたら気付いているんじゃないか? それなのに何も言わないはずが……授業態度だって全く指摘しないじゃないか……?」


「緋根くん、その答えも簡単なものです。まだ行われていないテストの答えという学校にとって決して外部に漏れ出してはならないものが、生徒である甘楽さんの手に渡っているのなら――教師の中にも彼女と通じている人間がいると考えるべきなのです。弱みを握られているのか、何なのか……おそらく教師達ですら声を上げられない何かが渦巻いている」


「そんな……」


「甘楽さんが学園のアイドルという立場を築く為に積み重ねてきたものの正体は善行ではない。腐りきった悪行の数々です。そしてその全ての悪行を白日の下に晒し、証拠を突きつける事が出来れば――あなたを騙していた甘楽さんを、そして同時に我間 風太を、それに協力した方々を破滅させられる」


 聖斗は言葉を失った。目の前の少女の口から出てくる内容はあまりにも非現実的で、自分の想像していたものよりもずっと重たく感じられた。


 甘楽は今までずっと自分自身の為だけに、自らの立場を築く為だけに、悪事を重ね続けていた。その重ねられた悪意の中に、聖斗は知らず知らずの内に巻き込まれていた。彼女の欲望を満たす為の道具として扱われていたのだ。


「緋根くん。これが復讐の全容です。わたしは彼女達に容赦はしない、決して」


 真紅は笑む。とても楽しげに、とても嬉しそうに、とても満足げに。


 それはまるで悪魔が笑っているように見えた。

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