13:あなたを知りたい

 真紅から復讐の全容を聞いた後、聖斗は震える足を抑えながらテーブルの前にたっていた。


 真紅が着いているテーブルの前には、聖斗が用意した夕飯の数々が並んでいる。その料理を前にして彼女はきらきらと紅い瞳を輝かせて、子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。


(こういう時の黒曜さんって……ぜんっぜん悪魔って言葉とは程遠いよな。むしろ純粋無垢な天使みたいに見えるっていうか……)


 復讐の全容を話していた時の真紅は、聖斗の背筋が凍りつくような冷徹な表情を見せていた。だが今は先程の冷酷さなど微塵も感じさせない可愛らしい少女の笑顔を見せている。先程の話が全て幻だったのではと思ってしまう程だ。


 それは聖斗の恐怖心を拭うと同時に、どこか安心感を覚えさせた。


 そして聖斗の胸の奥からじわっと温かい気持ちが広がる。真紅が見せた笑顔のおかげで、聖斗の心の中にあった不安や怯えといった負の感情が和らいでいった。


「緋根くん、夕飯をご馳走してくれてありがとうございます。実はお腹がとてもぺこぺこだったのです」

「今日は本当にお世話になったからさ。そのお礼もしたくて。こちらこそありがとう、黒曜さん」


「ふふ、約束した通りの事をしたまでです。明日も頼って下さい、緋根くんの力になりますから」

「情けない話かもしれないけど……頼むよ。俺には、どうしようもない事ばかりで……」


「そう気負わないで下さい。今は忘れてお腹いっぱいになりましょう」

「本当にありがとう、黒曜さん。それじゃあいただこう」


 聖斗もテーブルに着き、真紅と向かい合いながら並べられた料理に向かって手を合わせる。


 そして聖斗は箸で掴んだ肉じゃがを口の中へと運びながら、頭の中でさっき真紅が話していた事を整理する。


 彼女が語ったクラスに渦巻く異臭の正体は、恐らく、いや間違いなく合っているだろうと聖斗は思っていた。


 けれど彼には分からない事がある。


 聖斗が甘楽に騙されていたと知ったのは昨日の夜の事、それに対して真紅が話した甘楽の悪行の全容と、それに至るまでのデータは一朝一夕で集められるようなものではない。甘楽達の悪行を結論づけるとしても的確で早すぎる。


 それに真紅が転校してきてからまだ三ヶ月しか経っていないのだ、クラスの異常を勘づくにしても普通ならもっと時間がかかっても良いものを――彼女は転校した初日から聖斗のクラスを異常だと言い切った。


『今すぐにでも死んでしまいそうな程に悲しい匂いがしています』


 まるで彼女達が不正に手を染めている事実を以前から知っていたかのような、そんな印象すら受けてしまう。その答えを導き出そうと聖斗が思考の渦に飲み込まれかけた時、真紅が箸を止めてこちらを覗き込んでいる事に気が付いた。


「どうしましたか、緋根くん。お箸が止まっています。考え事ですか?」

「あ、すまん。ちょっと色々と……」


「やはりそうでしたか。緋根くんはとても分かりやすい人ですね」

「分かりやすいって、どうして」


「考え事をしている時の緋根くんは、手も足も止まってしまいますから」

「……そ、そうか?」


「自覚がないのなら尚更です。緋根くんは隠し事が下手なんでしょうね。でもわたし、緋根くんのそういう所、とても好きです」

「……っ」


 真紅は悪戯っぽく笑う。彼女の笑顔を見た瞬間、聖斗は全身の血流が早くなった気がした。


 体が熱くなる。心臓の鼓動が激しくなる。真紅の笑顔を前にすると、どうしてこんなにもドキドキしてしまうのか自分でもよく分からなかった。


 甘楽が浮かべる笑顔を見た時、聖斗が抱いたのはひたすらに『安堵』だけだった。プレゼントをあげた時、頼み事を聞いてあげた時、彼女が浮かべる笑顔を見る度に聖斗の中に生まれたのはいつも『甘楽の彼氏として、この関係を続けられる』という安心感だけ。


 しかし真紅が見せる笑顔を前にして、聖斗の心の中に湧き上がる感情は全く違うものだった。心拍数が上がり、呼吸が荒くなり、体が熱くなる。


 甘楽を初めて見た時に抱いた憧れとも違う。甘楽に告白する直前の緊張とも違う。真紅が見せてくれる笑みは、今まで知らなかった感情を揺り動かすもの。


 これが何なのか、どうすれば治まるのか、聖斗には分からない。


 聖斗は真紅から目を逸らして、その正体不明の感情を誤魔化すように白米を口に運ぶ。


 その様子を見て真紅はくすりと笑い、再び料理に箸を伸ばした。


 それから二人は話を続ける。けれどその内容はさっきの復讐についての事ではない、他愛もない雑談だ。好きな食べ物の話や趣味についてなど、その会話は途切れる事なく続いた。


 その時間は聖斗にとって初めて経験する事で、彼は戸惑いながらも楽しかった。


(甘楽とは……こんな話、したことなかったな……)


 甘楽は付き合ってからずっと自分の事ばかりを話し、聖斗の事なんて見向きもしなかった。付き合っている相手のはずなのに全く興味がないように思えた。


 ただあの時の聖斗は、甘楽とは付き合っているけれど、まだ自分が彼女に相応しい相手になれていないだけなのだと、そう思っていた。だからこれからもっと努力を重ねればきっといつか、と自分に言い聞かせていた。


(黒曜さんは……違うな、何もかも……)


 真紅は聖斗の色々な事を聞いてくる。幼かった頃の話、今の話、将来の話、好きな事、嫌いなもの、楽しかった事、辛かった事、聖斗のありのままを知りたがった。そして答える度に真紅は嬉しそうな顔をしてくれる。

 

 楽しかった。真紅と居るだけで聖斗の空っぽだった心が満たされていく。


 今まで友達も出来ず、クラスの隅っこで小さくなっていた聖斗が、生まれて初めて誰かと一緒に居て楽しいと思った。

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