14:仮病
真紅との楽しい時間も束の間――残酷にも新たな太陽が昇ってくる。
翌日。
聖斗は死んだ魚のような目をしながら、制服の袖に腕を通していた。
こんなにまで学校に行きたくないと思ったのは聖斗にとって初めての事だ。
昨日は『黒曜さんの予想は外れていて、もしかしたら自分の話を信じて味方になってくれる人が現れるかもしれない』と淡い期待を抱いていた分、今よりもまだマシだった。
だが現実は非情だ。聖斗が騙されていたという真実は、既に甘楽達によって嘘で塗り潰されていて、学校中の生徒が聖斗に敵意をぶつけてくる。それを知った今となっては、彼にとって登校するという行為は耐え難い苦行に変わってしまった。
重い足取りで学生鞄に近付いて、大きな大きなため息を漏らした――その直後だった。
来客を知らせるチャイムが響き渡る。
こんな朝から誰だろうと不思議に思いながら玄関へと向かう。
扉に取り付けられた覗き穴から来客者の姿を確認して聖斗は思わず声を上げた。急いで鍵を外して扉の向こうに居る人物と対面する。
「おはようございます、緋根くん。今日もとても良い天気ですね」
「お、おはよう……黒曜さん。え、あれ……? 何で私服……今日、学校だよ?」
聖斗は目を丸くしながら、扉の向こうに立っていた真紅の姿を見つめた。
真紅は暖かそうなもこもことしたコートに身を包んでおり、首には上品な柄のマフラーを巻いている。下は可愛らしいミニスカートを履いていて、黒のタイツに包まれた長い脚が美しいラインを描いている。その手には学生鞄ではない布製のトートバッグを持っていて、まるでこれからどこかへ出かけるような服装だった。
初めて見る真紅の私服姿に見惚れつつ、何故学校があるのに私服姿なのかと動揺していると、彼女も聖斗の制服姿を見て首を傾げていた。
「あれ、緋根くん。昨日、スマホにメッセージを送ったのですがご覧になりませんでしたか?」
「んあ……? メッセージ?」
聖斗はポケットに入っていたスマホを慌てて取り出す。そして電源を入れると確かに真紅からのメッセージが通知画面に残っていた。
彼は昨日スマホを一切見なかった。
その理由は聖斗の元に連絡先を交換していた生徒達からの数え切れない程の暴言メッセージが送られてきたからだ。クラスメイトなら誰でも入れるグループトークではひっきりなしに悪口が書き込まれており、それは聖斗にとって見るに堪えないものだった。だから聖斗はスマホを触らず、電源を切ってそのまま放置していたのだ。
「ごめん、黒曜さん……昨日怖くてスマホが見れなくて……」
「……いえ、わたしの配慮不足です。口頭で伝えれば良いものを、今の状況でスマホを介してやり取りするのは間違っていましたね。ごめんなさい」
「いや、いいんだ。それで結局、黒曜さんはどうして私服なの?」
「今日は学校に行きません。緋根くんにも休んでもらおうと思っています」
「ど、どうして? 甘楽達が不正している証拠を見つける為にも、今日も学校に行く必要があるんじゃ……」
「ええ、その必要はあるのですが学校での証拠集めよりも先に、とある場所に向かって情報収集をしたいと思っています」
「とある場所……? それで黒曜さんは私服って事?」
「そういう事です。一歩一歩前へ進んでいかなければ、わたし達の復讐は成し遂げられません。その為にもありとあらゆる手段を講じる。今日の外出はその第一歩です、緋根くん」
「そっか……ああ、良かった……今日は学校に行かなくて済むんだ」
聖斗は心底ほっとしていた。今の彼にとって学校は苦痛しかない地獄そのもの、けれど復讐を成す為に行かなければならないと思っていた。一日だけでもその地獄から離れる事が出来るのは、聖斗にとって願ってもない事だった。
「それでは緋根くんの方も学校に連絡してもらえれば幸いです。わたしの方は済ませておいたので」
「わ、分かった……でも先生に何て言おう? 俺、本当に風邪をひいて具合が悪い時にしか学校を休まないから、仮病とか使った事無くて……ええと」
聖斗は真面目な生徒だ。それでいて素直で純粋で嘘がつけない。そんな彼が咄嵯に嘘をつくなんて出来るはずもなく、学校への電話の最中に仮病で休もうとしているとボロが出かねない。
うろたえる聖斗を見ながら真紅はくすっと笑みを浮かべる。
「ふふ、緋根くんは本当に可愛いですね」
「か、可愛い……? なんで、このタイミングで? 今の俺に可愛い要素とか、あるの……?」
「真面目で真っ直ぐで嘘がつけない、だからこういう場面に出くわすと慌ててしまう。緋根くんのその姿はまるで幼い子供のように純粋で、とても可愛らしく見えますよ。守ってあげたくなると言いますか、わたしの母性をこれでもかとくすぐってきます」
そう言って真紅は聖斗に向かって慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、聖斗の顔を下から覗き込むように見上げてきた。
上目遣いで自分を見つめてくる彼女の綺麗な紅い瞳を見て、聖斗の心臓の鼓動が一気に高鳴る。
「んああ……黒曜さんは、本当に……もうっ!」
聖斗は顔を真っ赤にしながら視線を逸らす。
真紅は可愛い。その大きな紅い瞳も、桜色に淡く染まる頬も、艶を帯びた柔らかそうな唇も、さらさらとして光沢のある真っ直ぐに伸びた長くて黒い髪だって、その全てが可憐に咲き誇る花のような美しさを持っている。
そんな彼女が自分にだけ『可愛い』と笑顔を向けてくるのだ、それが聖斗の心を激しく揺さぶって仕方がない。
聖斗は気を取り直して真紅の方を見つめ返す。
とにかく電話だ、学校に電話して、今日は休む事を伝えようとスマホをタップした。
「えっと……話を戻すけどさ。学校にどんな理由で休むって伝えたら良いと思う? 参考にしたいんだけど黒曜さんはなんて伝えた?」
「わたしですか、そうですね……」
真紅は唇に触れながら考え込むような仕草を見せる。学校に休む事を伝えた時の内容を教えてくれれば良いだけなのに、何故こんなに悩んでいるのかと疑問に思いつつも聖斗は待つ事にする。
やがて彼女は何か思いついたようで口を開いた。
「分かりました。緋根くんが今日学校を休むという事は、わたしから伝えておきます」
「え? ダメじゃない、それ? だって別家庭だし、黒曜さんが休むって伝えても先生達も不思議がるし納得しないんじゃ……?」
「いえ、大丈夫です。上手にやってくれるはずなので」
「上手にやってくれるって誰が……?」
その発言に首を傾げる聖斗を置いて、彼女はスマホを取り出して通話をし始める。
「もしもし。あの、もう一つ用件があるのですが――はい。緋根 聖斗くんについてです。ええ――自分から電話するのはちょっと、という事で。――そうですね、別にそれで構いません。――大丈夫だと思います。こちらも上手にしますので。はい、では後ほど」
「ちょ……誰に電話してるの……?」
まるで初めから折り合いがついているように思えて、一体どうなっているのかと聖斗の首はますます傾げていく。そんな聖斗を尻目に真紅は満足気に微笑んで言った。
「これで大丈夫です。緋根くんも体調不良という事で今日はお休みというお話になりました」
「いや、あのさ、全然そんな話してなかったよね? 俺が学校に電話をするのを渋っているくらいの内容だったよね?」
「細かい事は気にせず。ともかく緋根くんも私服に着替えましょう。制服姿で外をうろついていると面倒な事になりかねませんので」
「ええと……なんか釈然としないけど……うん」
一体誰と話していたのかと言いたい事は色々とあったのだが、こうして自信満々な笑みを浮かべる真紅を見ていると、本当に大丈夫そうな気がしてくるのも事実。聖斗は言われるがまま真紅を連れてマンションの中へと戻っていくのだった。
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