35:悪魔と呼ばれる理由

 彼らは聖斗の姿を見つけるとニヤリと笑みを浮かべた。その表情を見て聖斗はようやく理解した。

 

 何もしてこなかったのではない。彼らはずっと待っていたのだ。聖斗から真紅が離れるその時を。


 スマホで文字を打ち込む仕草を見せていたのも陰口などではなかった。彼らはスマホを介して聖斗の居場所を共有し、彼が一人で屋上に上がっていった事を確認していた。


 聖斗は立ち上がって後ずさる。しかし直ぐにフェンスへと背中をぶつけてしまう。その衝撃でポケットに入れていたスマホが地面へと落ちてしまった。


 聖斗は慌てて拾おうとするが、それよりも先に一人の生徒が彼の肩を掴んで動きを止める。そして同時に他の生徒が落ちていたスマホを拾い上げ、それを地面に激しく叩きつけ踏み潰した。


 スマホのディスプレイが粉々に砕け、ガラス片が辺りに飛び散る。


「……なっ!?」


 声を上げるがもう間に合わない。

 真紅と連絡を取る手段を奪われ、成すすべもなく男子生徒達に囲まれる。


 真紅は校長室に呼ばれている、すぐには来られない。それを彼らも分かっていた、だからこそ行動に出たのだろう。


 そして我間 風太が聖斗の前に立っていた。


 彼は聖斗を鋭い眼光で見据えながら言った。


「よう、財布くん。元気にしてたか? なあ?」

「我間……何の用だ……?」


「甘楽に頼まれてよ。いい加減終わりにしてえとさ。ったく、甘楽はやり方が甘えんだよなあ。お前みたいなゴミクズ相手に回りくどい真似なんかする必要ねえってのに」

「……」

「ま、俺としてもこれでやっとスッキリするぜ。緋根、てめぇには色々とムカついてたからなぁ!!」


 我間は聖斗の胸ぐらを掴む。そのまま拳を作り、勢い良く振り上げた。


 聖斗はその攻撃を避ける事もせず、ただ黙って受け入れるように目を瞑っていた。


 このまま殴られればそれで良いと思った。加藤がされていたように自分もこうなる可能性があったのは分かっていたからだ。


 むしろここで抵抗して相手に怪我を負わせれば、それをネタに校内にはあらぬ噂を流されて立場を悪くされる。今日の全校集会で復讐を成し遂げる為にも、聖斗はあくまでも潔白の身でなければならない。


 だから彼は大人しく暴力を受け入れようとした。けれどいつまで経っても痛みは訪れない。恐る恐る目を開けると、我間はただひたすらに笑っていた。


「――と、以前のオレならてめえをぼこぼこにしてたんだがよ。そのやり方じゃあ、色々と話とこじれちまうからよ」


 我間が手を離すと聖斗は尻餅をつく。そんな彼を我間以外の生徒達は下卑た笑いを浮かべながら見ていた。


 そして我間だけが不敵な笑みを浮かべたまま、聖斗を見下ろして言う。


 まるで勝者のように、そして敗者を見下すかのように。


「実はオレ達はな。てめえを潰すつもりじゃねんだよ。むしろ助けに来てやったんだぜ……なあ?」

「助けに……? いまさら一体お前らは何を……」


「てめえが強姦魔扱いされてる話はよ、オレらがなかった事にしてやる。学校中の生徒に上手く伝えといてやるよ。そしたらあいつらも多少は溜飲が下がるだろ」

「ふざけた事を言うな……何が目的だ!? 今更になってそれが通じると本気で思っているのか!?」

 

 聖斗の言葉に我間は鼻を鳴らす。


「ぴいぴいうるせえ奴だなあ。良いじゃねえかよ、今までの学校生活が戻ってくるんだぜ? ただ条件はあるけどよ」

「条件……だと?」


「黒曜 真紅だ。あのクソ女だけは絶対に潰す……。緋根、てめえもそれに手伝うんだよ、そしたらてめえだけは助けてやる。どうだ? 悪い話じゃねえだろ? 甘楽の話じゃ学校でも大して接点のなかったてめえと黒曜が、例の一件から急に仲良くなり始めたってよ。てめえがあいつと何を交渉したのか知らねえが、それこそオレ達のような『都合の良い関係』だよなあ?」

「……」


 彼らは知らないのだ。聖斗と真紅の関係が始まったのはつい最近の事ではない、真紅が聖斗の隣に引っ越してきてから既に始まっていた。隣り合わせの部屋でゆっくりと互いの絆を深めていった事は彼らに伝わっていない。


 そして今、我間が聖斗にしようとしている事は、真紅が木下 響にやった事と同じ事。意思の弱い人間は自分が助かる為ならと、周りを犠牲にしてでも生き残ろうとする。


 我間は聖斗が真紅を見捨てて自分だけは助かろうとする、そんな弱い人間だと――そう思っているのだ。


「おい、緋根。てめえは頼る相手を間違ってんのさ、あのクソ女……悪魔に頼るだなんて節穴も良いとこだぜ。初めからオレらに土下座していれば、まだ居場所はあったはずなのによ」

「土下座なんてするわけがないだろ……! 元はと言えばお前達が――」


「ああ!? オレらがなんだって?」

「……っ!」


 我間は乱暴に聖斗の胸ぐらを再び掴み上げる。


「ま、いいや。とにかくだ、黒曜を潰す為に手伝え。そうすりゃてめえの事は許してやる」

「断る……お前らの言いなりになるつもりは、ない……!」


「――はあ?」

「ぐっ……!?」


 聖斗の首を締め上げるように我間は腕に力を入れる。


 我間の提案を決して飲もうとしない聖斗。いくら殴ったとしても彼が首を縦に振らない事は我間も分かっていた。しかし我間は笑っていた。この展開は我間の予想通りだったのだ。


「財布くんのくせに強情だなあ、ああ? まあ知らねえんだよな、てめえは。あのクソ女がどうして悪魔って呼ばれてるのかよ。甘楽があのクソ女とてめえを接触させねえように、今まで上手に隠してきたからな」

「隠してきた、か……」


 周りの生徒達が真紅を悪魔と呼ぶ理由を聖斗だけが知らない。


 甘楽は何が何でも聖斗と聖斗に何らかの繋がりが出来るのを恐れた。甘楽が騙し続けていた聖斗という存在は、真紅が再び悪魔として翼を羽ばたく危険性をはらんでいた。


 だから聖斗には真紅に対して好きでも嫌いでもない、最も遠い感情である無関心であって欲しかった。何らかの接点が聖斗と真紅の間に出来てしまえば、それはいずれ甘楽にとって驚異と成りかねない。


 けれど聖斗は甘楽の知らない所で、真紅との繋がりを既に作っていた。

 アパートの隣人という偶然が、甘楽にとって最も避けたい事態――二人の絆を生み出した。


 そしてその絆を断つ為に、我間 風太は動き出す。


「なあオレらがどうしててめえを許してでもあの女を潰したがっているのか、その理由を教えてやるよ。知りたいんだろ? 聞きてえよなあ、財布くん? オレらも困ってんだぜ……悪魔のせいで、あのクソ女にビビって逃げ出す連中が現れる始末でよ、迷惑してんだぜ、オレらもよ……?」


 我間は笑う。愉快で堪らないといった表情で聖斗を見つめていた。そして彼は言った。


「良く聞けよ。黒曜 真紅がな――悪魔って呼ばれるようになったキッカケはよ、なんだよ」

「は……?」


「分かんねえかなあ? あのクソ女は自分が気に入らないって理由で、罪のない相手を、そいつの弱みに付け込んで殺す最低最悪のクズなんだ、本当にあれは悪魔なんだよ」


「なにを言って……」


「てめえはあのクソ女の事を何も知らねえんだろ? だからそんな風に信じられねえって顔が出来るんだ。だからよ、オレが説明してやる」


 聖斗は混乱していた。まさかこの男がこんな話をするとは思っていなかった。しかも信じ難い事に、その話がまるで本当であるかのように語るのだ。


「黒曜 真紅はな、ある女の弱みを握って脅して追い込んだ。気に入らねえってただそれだけの理由で、そいつの家ごと巻き込んで家庭をめちゃくちゃにした、そして――」


 それは聖斗が知る由もない事実。聖斗を脅しつけるような口調で、我間は言う。


 そして告げた。彼の語った内容は聖斗にとって悪夢の始まりのような言葉であった。


「――最後には首を吊らせて殺したのさ」

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