36:悪魔を宿せ

「黒曜さんが……誰かを、自殺にまで、追い込んだ……?」

 

 黒曜 真紅という人物について、聖斗は知らない事の方が多い。彼女が転校してきたのは三ヶ月前であり、当時からクラスに馴染んではいなかった。


 それでも聖斗は誰よりも真紅の近くで、彼女と共に多くの時間を過ごしている。


 彼女はいつも教室では一人だ。聖斗以外の誰も彼女に近寄ろうとはしなかった。


 彼女と関わる事自体が不吉だとでもいうように、誰もが真紅を避けていた。彼女を悪魔と呼び、誰もが恐れて距離を置いた。


 ――その理由が、本当に、罪のない誰かを自殺にまで追い込んだ、というのなら。


 聖斗は震える。真紅は自身に危害を与える相手に決して容赦しない事を知っていたからだ。あの時もそうだ。徹底的で破滅的な復讐を、悪魔のような囁きと共に聖斗へ手を差し伸べた。彼女は甘楽達を終わらせると約束してくれた。でもそれだけではないのだ、聖斗は真紅の優しい姿も知っている――彼女は自分の友達を大切に想う女の子なのだ。


 悪魔のような黒く光る怪しげな笑みを浮かべる真紅と、天使のような白く輝く無垢な笑みを浮かべる真紅。どちらの彼女も知っているからこそ、聖斗は尚更に混乱した。


 我間の話を信じたくはなかった。だが、もしそれが本当ならば、我間達が黒曜 真紅に怯えて逃げ回っている理由にも納得がいく。聖斗を引き入れる事で真紅を潰そうと思っている理由にも繋がる。


 ――しかし、何故だ。考えれば考える程、我間の話す内容とは真逆のものが聖斗の中で形を成していく。渦巻いていた頭の中の混沌が秩序を帯びていった。


 加藤は真紅を信じた。甘楽に人生を狂わされた彼は、真紅の優しさに頼った。全てを託した。結城は真紅に助けられたと言った。甘楽に利用された彼女も、真紅の優しさに触れた。聖斗に真紅を信じろと想いを伝えた。


 そして聖斗自身も真紅に手を差し伸べられた。悪意に満ちた世界で絶望の底にいた彼は、真紅のおかげで生きる希望を得た。彼女と共に前へ進む事を選んだ。


 そんな彼女が――黒曜 真紅は悪魔と呼ばれるに相応しい人間なのか?


 いや違う。真紅はそんな子ではない――断じて。


 真紅は決して自分だけは裏切らない。だから聖斗も彼女を信じ続けると、そう決めた――聖斗の瞳に強い意志が宿っていた。それは決意の表れだった。


「何だ、その目は? てめえだって気付いてんだろ? てめえもそうだ、あのクソ女に弱味を握られたら終わりだぜ? 利用されてんのさ、都合よく。あの悪魔によ」

「……」


「まだ信じられねえか? とにかくあのクソ女は悪魔なんだ。罪のない相手すら陥れて殺しちまえる化け物なんだよ」

「……」


「おい……なんとか言えよ!?」


「――我間。一つ答えろ」

「ああ?」


「俺はその自殺にまで追い込まれたっていう人の事を知らない。黒曜さんにそこまでの事をしたのかも分からない、だから教えろ。誰だ、そいつは」

「はあ?……まあいいや。教えてやる、そいつの名前はな―― だ」

「結城 香織……?」


 その名前が聖斗の瞳に希望の灯火を宿らせる。


 結城 香織は死んでいない。真紅に追い詰められて自殺に追い込まれたのではない。むしろ結城は真紅によって助けられた、ヘドロの溜まった底から抜け出す事が出来た。甘楽達との関係を完全に断ち切る事が出来た。人生をやり直すきっかけを得たのだ。


 それを望んだのは結城自身で、聖斗に伝えたのも紛れもない彼女本人だ。しかし、甘楽も我間もその周囲の協力者達も、結城が死んでいると思っている。真紅によって殺されたと思い込んで恐れている。ならば今こうして我間が語っている内容は全て、真紅が悪魔と呼ばれ恐れられる為に、真紅によって偽装された死なのだとしたら――。


「てめえのクラスにいただろ? あいつはな、悪魔によって家庭をめちゃくちゃにされて引っ越すはめになってよ。その後、耐えられなくなって首を吊って――って……なんだ、何でてめえ笑って……?」


 我間はそこで言葉を止めた。聖斗が笑っている事に気が付いたからだ。


 聖斗の顔に浮かんでいたものは恐怖ではない。ただ、笑っていたのだ。まるで目の前にいる男が滑稽だとでも言うかのように。


 我間はその表情を見て怒りを湧き上がらせるが、すぐに違和感を覚えた。


 ――こいつはこんな風に笑う奴じゃなかったはずだ。あの時もそうだったろう、甘楽の誕生日に現れたあの時――この男はもっとこう――怯えながら怒りに震えて、――俺を憎むように睨みつけて、それでいて何かを諦めているかのような、そんな顔つきをしていたはずなのに、と。



「て、てめえ! 何だ、何だよ、何を笑ってやがる!? 何がおかしい!?」

「全部だ。お前らの何もかもがおかしくて、それが笑えて仕方がない」


「なっ……」

「いいか、我間。お前らは勘違いをしている。そしてお前らはそれに一生気付けない」


「ふざけんな、何言ってやがる!? ここまで言われてあの悪魔につくってか!? あいつはてめえのクラスメイトの結城 香織を殺したんだぞ!? 怖くねえのか、あの悪魔が!? 自分もそうなるかもって思わねえのかよ!?」


 我間の震える言葉を聞きながら、聖斗は少しだけ分かった気がした。どうして真紅が敵意を向けてくる大勢を前にして、いつも余裕で笑っているのか、その理由を。我間には分からなくても、彼女の気持ちが分かってしまうからこそ、聖斗の心は締め付けられる。


(そうだったんだ、黒曜さん。あなたはずっと演じていたんだ――結城を救ったあの時からそうやって自分を偽ってきた……いや、きっと転校してきたあの時から、本当の自分を隠し続けてきたんだ。悪意の渦巻くこの世界に抗う為に――絶対的な悪魔を演じるその為に)


 あの黒い笑顔の下で、本当の彼女は震えていた。今の自分がそうであるように、目の前の敵意を向けてくる人達が怖くて仕方がなかったはずだ。でも震える体を抑えて真っ直ぐに立つ。そして誰かを救う為に彼女は笑む。決して自身の弱さを見せないように、覆す事の出来ない強者のように振る舞う。それが自分の役目なのだと、自分に言い聞かせるように彼女は悪魔を演じ続けてきた。

 

 そしてその想いこそが、黒曜 真紅という少女の本心なのだと。


 聖斗にはそれが分かる、だってそれは――今の聖斗も同じだからだ。


 彼女のようにこの悪意渦巻く絶望の世界に抗う。決して我間に屈しない。自身に宿った希望を信じる。


 聖斗の胸に熱いものが込み上げてきた。その熱の正体が何なのか、彼は知らない。けれど、彼もまた真紅のようにありたいと思った。


 ――その想いが聖斗に悪魔を宿す。


 希望の灯火を黒く光る笑みへと変えて、自身の前に立ち塞がる敵へとぶつける。


 聖斗は我間に視線を向けたまま、ゆっくりと口を開いた。彼は真紅の本心を知った。ならばもう迷う必要はない。


「――俺は絶対に黒曜さんを裏切らない。そして我間、お前も……ここに居るお前らも、結城のようにしてやるよ。地獄だなんて生ぬるいと思うくらいの――絶望を見せてやる」

「……っ!?」


 我間は絶句した。目の前にいる男の瞳が、まるで別人のようになっていたからだ。


 今の聖斗は我間が知っている彼とは全く違った。その様子はまるで真紅のようで、彼らが悪魔と呼んで恐れる真紅と同じ目をしている。そう思った瞬間に我間の背筋に悪寒が走った。


 その瞳には深い闇が渦巻いていた。


 そして我間は怯えるように一歩二歩と後ずさる、後ろにいた男子生徒達に向けて声を上げた。


「――お、おい、てめえら! 早くこいつを何とかしろ!」

「……」


 しかし返事はない。皆、聖斗を見つめたまま固まってしまっていた。彼らもまた悪魔に怯えるかのように震えていた。自分達よりも矮小で遥かに弱い存在だと思っていた聖斗が、黒い翼を広げて破滅を振りまく悪魔に見えていたのだ。


「や、役立たず共! 一人相手に何をビビってやがる!? 口で聞かねえなら拳で教えてやるだけだろ!? なあ!?」


 我間の必死の声にも誰も反応しない。同時に我間は背筋が凍るような冷たい何かを感じた。その何かが迫ってきているような気がした。我間は振り返りたくないと思いながらも、恐る恐るその冷たい何かを感じる方へと振り向く。


 そこには――真紅が立っていた。


 彼女もまた聖斗のように笑顔を浮かべている。


 狂気をはらむような黒い笑み、それを見た我間の体は凍ったように動かない。我間は何も言えずにただ立ち尽くしていた。自分の体が震えている事に気が付いた。怖いのだ、目の前の少女が――真紅が。


「笑ってやがる……何で、この状況を見て……てめえまで、どうして笑ってられるんだよ!?」


 我間は恐怖に震えながら真紅に問う。多勢に無勢、覆しようがない状況であるはずなのに、真紅は笑っている。それどころか楽しそうですらあった。まるで我間達がどうなるのか分かっているかのように。


 彼には真紅がまるで得体の知れない怪物にしか思えなかった、悪魔が笑っているようにしか見えなかった。そんな我間に向けて真紅はあの黒い笑みを浮かべながら口を開く。その声音もいつも通りだ――無機質のようで、そして刺すように彼女は告げる。


「まだ分かりませんか。今更何をしても無駄だという事に」

「は、はあ……!?」


「あなた方は最後には暴力で相手を屈服させようとしている。けれどもう何もかもが遅いのです、手遅れなんですよ」

「何言ってやがる!? この人数差が見えないのかよ!?」

「ええ、そうですね。でも、それだけです。いくら数を揃えても無駄なのです」


 そう言うと真紅はまた笑った。そして自身の背の方へと視線を向ける。


 我間が動けずにいる間に、屋上の入り口にいる誰かに語りかけていた。


「すみません、余計な事に巻き込んでしまったようです」

「構わん。これも仕事なのだからな」


 真紅の言葉に応える低い男の声が聞こえた。


「……」


 その声を聞いた途端、我間の表情から血の気が引いた。

 真紅の後ろに居たのは青いスーツに身を包み深々と帽子を被った学校の治安を守る警備員。


「け、警備員を連れてきたのか……?」

 

 我間は掠れた声を出す事しか出来ない。

 聖斗への暴行が見られてしまえば、警備員によって我間達は取り押さえられるだろう。有無を言わさず確実に。


「ただならぬ雰囲気ではないか。一人の男子生徒に向けて寄ってたかって、一体何をしている? 答えたまえ」

「そ、それは……あ……っ。ただ、男子で集まって遊ぼうと思っただけで……っ。も、戻るぞ、教室に……!」


 我間は冷や汗を流しながらその場から離れ始める。集まっていた男子生徒達もまるで蜘蛛の子を散らすように、我間に続いて去って行く。


 その後すぐに真紅は聖斗の元に駆け寄った。


「緋根くん、お怪我は!?」

「大丈夫だ。ちょっと胸ぐらを掴まれたくらいで殴られてない」


「そうでしたか……。遅くなってすみません……本当に緋根くんが無事で良かった」

「黒曜さんが無事で俺も安心したよ。それと、俺も気になっている事がある。校長に呼ばれてたよな、でも今度は警備員と一緒って、どういう事だ……?」


「この方がわたし達に必要な最後のピース、わたしが昨日の内に進めていた準備の内容で、今回の復讐についての最後の協力者なのです」

「警備員さんが協力者って……つまり?」


「あ、そうでした。してもらっていたのでした、一緒に居るのを見られるのは色々とまずいですから」

「変装? 警備員に? ますます訳が……って――」


 混乱の渦の中に居る聖斗の前で、その警備員の姿をした人物はゆっくりと帽子を取る。そしてその姿を見て、彼が一体何者なのかを聖斗は理解する。


「――理、理事長!?」


 警備員に扮していたのはこの学校のトップである理事長だった。


 聖斗達の通う私立高校で、学校経営の最高責任者。学校経営に集中する為、学校の運営に関しては校長に任せており、あまり生徒達の前に姿は現さない。いわば校長よりも更に上の立場、この学校の本当の意味でトップの人間だ。


「そうです。理事長先生がわたし達に必要な最後のピースなのです」

「そんな……いつの間に、学校の理事長を協力者に?」

「分からない事だらけですよね、仕方ないです。だからこれから緋根くんに全てをお話しますね。そして今日の全校集会でわたし達が行うプランについても」


 戸惑う聖斗に真紅は優しい笑みを見せると、隣に立つ理事長と共にこれまでの経緯を話し始めた。


 全てが明らかになる。聖斗が抱いていた疑問が全て解けていく。


 真紅は転校してきたあの時から、全てを知っていたかのように振る舞っていた。その行動が示す意味を聖斗は何もかもを理解する。


 何故彼女がこの学校に転校してきたのか。

 どうして彼女が聖斗に手を差し伸べたのか。


 そしてこの復讐の根幹にあるもの――彼女が何を願うのかを。

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