37:二人で前に

 遂にその時が近づいていた。

 午後の授業の全ても終わり、放課後の全校集会がすぐそこまで迫っている。


 そしてそれが意味するもの。

 聖斗と真紅による、甘楽達への徹底的で破滅的な復讐。その結末が訪れる時がやってきたという事。


 真紅の願いを叶える為に、背負ってきたたくさんの人達の想いに応える為に、そして自分自身の為に、聖斗は強い決意を胸に秘めていた。


 多くの生徒達が全校集会の行われる体育館へと向かっていく中、聖斗と真紅の二人はその前にある場所へと向かっていた。


 全校集会が始まっても尚、聖斗と真紅には時間があった。打ち合わせていたその時が来るのを今は待つ他ない。復讐を遂げるその前に二人きりで話がしたいと、聖斗は真紅にとってお気に入りの場所へと共に足を運ぶ。

 

 そこはひと気のない場所――小さな倉庫だった。

 中は片付いていて、部屋の隅には段ボール箱が数個積まれているだけだ。倉庫というよりも空き部屋に近い。窓からは太陽の光が差し込んでいる。


 電気もあるので確かにここならゆっくりとした時間を過ごせるだろうな、と思いながら聖斗は中を眺めていた。


 聖斗は置かれていたパイプ椅子に腰を掛ける。真紅もそのすぐ隣に座って静かに口を開いた。


「ようやくですね、緋根くん」

「……そうだな」


「もうじきこの学校で起きる事は、きっと大きなニュースになるでしょう」

「ああ、そうなるはずだ……。俺は、俺達はここまで来れた」

「はい。ここまで本当に長かったです」


 聖斗は今までの事を思い返していた。


 長いようで短いものだった、聖斗にとって辛く、けれど真紅が居てくれたおかげで、かけがえのない時間を過ごす事が出来た。


 聖斗は彼女の横顔を見ながらずっと考えていた。


「なぁ、黒曜さん」

「どうしました?」


「あのさ、一つ聞きたい事があって」

「はい」


「その、ここまで頑張ってくれたお礼に……黒曜さんに何かしたいと思ってるんだ」

「そうですか、わたしの為に。ふふ、嬉しいです」


 真紅は聖斗の言葉を聞くと嬉しそうに微笑む。彼女のそんな笑みを見ていると自然と聖斗の頬を綻んでいく、復讐を直前にして緊張していた気持ちも少しだけ和らいだ気がした。


「何かリクエストとかあるかな? えっと、黒曜さんがして欲しい事とかさ」

「わたしがして欲しい事……ですか」


 真紅は考え込むように自身の唇を指でなぞる。紅い瞳をぱちぱちと瞬かせながら思案すると、やがて真紅は口を開く。どんな言葉が出てくるのかと、聖斗は固唾を呑んで見守った。そして――彼女は予想外の言葉を聖斗に告げる。


「それじゃあ……わたし、あなたを下の名前で呼びたいです。緋根くんじゃなくて……聖斗くんって。そ、それとわたしの事も真紅って呼んで欲しいのです」

「んあ? それだけで良いの? もっと他に何かあっても良いんじゃ……」

「あ、憧れていたのです。緋根くんの事を、聖斗くんって呼んで……あなたから真紅って呼んでもらうのが……」


 聖斗は唖然とした。もっと大変なお願い事がされるものだと思っていた。


 真紅はこの復讐を成し遂げる為に、聖斗の為に大きな力となってくれた。だから彼女が望むならどんな事でも叶えてあげようと、それが聖斗の出来る唯一の恩返しだと思った。


 でも、真紅が望んだのは名前を呼び合うという簡単な事。拍子抜けしてしまうような、それでいて安心するような不思議な気分を聖斗は味わっていた。


「だ、だめですか? やっぱり……馴れ馴れしいですよね。互いを下の名前で呼び合うだなんて……いきなり」


 真紅は聖斗の顔色を窺うように上目遣いで見つめてくる。その表情を見て聖斗は慌てて首を振った。


「いや、違うんだ。そういう意味じゃないんだ……!」


 嫌だというわけではない。むしろ聖斗にとっても真紅の事を下の名前で呼べるだなんて願ってもない申し出なのだ。しかし聖斗はまだ戸惑っていた。彼女を名前で呼ぶ事に緊張してしまう、どきどきと心臓が跳ね上がってしまうのだ。


 それを誤魔化すかのように聖斗は胸に手を当て、ごくりと唾を飲み込みながら、真紅の顔を真っ直ぐに見据える。震えそうになる声を抑えて言った。


「……真紅」

「聖斗くん」


 名前を呼ばれた真紅は瞳を煌めかせ、聖斗を見つめながら幸せそうに笑う。その笑顔を見た瞬間、聖斗の胸の奥が熱くなった。それは今まで真紅と一緒にいて何度も感じたあの温もりだ。それが胸の中に広がっていく。


「聖斗くん。嬉しいです、一つ夢が叶いました。聖斗くん……ありがとう」


 真紅に名を呼ばれる度に鼓動が激しくなる。同時に安らぎさえも感じてしまう。胸の中から広がるその感情で全身が熱くなって、まるで身体中が溶けてしまいそうな錯覚さえ覚える。


 この感覚が何なのか、今まで聖斗には分からなかった。今までずっと、この心地良さに身を任せているだけだった。でも聖斗はこの時、ようやくその感情の正体を知る。


 真紅が傍にいる。

 隣にいるだけでこんなにも心が満たされていく。


 この感情の名はきっと――。


 その正体に気付いた聖斗の顔が一気に火照っていく。


 彼の顔が紅潮している事に気付いた真紅は小さく微笑むと彼の体に身を寄せた。そのまま甘えるようにして聖斗の手をぎゅっと握り締める。彼女の温もりが伝わってきて聖斗は思わず息を呑んだ。


「……聖斗くんの手、大きいですね。それにとても暖かいです」

「し、真紅……!?」


「ちょっと恥ずかしいですけど……今は二人きりなので。もう少しだけこのままでいさせてください」

「あ、ああ……。うん、真紅が望むなら俺は……」


 真紅から握られた手に汗が滲む。それでも離したいとは思わなかった。


 そして聖斗自身もまた、真紅の事を名前で呼べた事、彼女に寄り添える事を何より嬉しく思っていた。


 二人は互いの体温を感じ合いながら、しばらくの間、何も言わずに寄り添う。二人だけの時間――けれどそれは長くは続かない、復讐の時が近づいている。


「聖斗くん、そろそろ時間です」

「そうだな。行こうか、真紅」

「はい、一緒に成し遂げましょうね」

「最後の最後なんだ、俺達で終わらせよう」


 聖斗は立ち上がると真紅に手を差し伸べる。彼女はその手を掴むと立ち上がり、二人は用意された舞台へと向かう。


 ――さぁ、復讐を始めよう。


 二人で全てを終わらせる為に。二人でまた新たな一歩を踏み出す為に。

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