23:もう二度と

 たった一日、学校に来ていなかっただけでも状況はまた大きく変わっていた。


 一昨日、生徒玄関で起こっていた事を聖斗は思い出す。


 あの時、学校に来た聖斗に向けて周囲の生徒達はひたすらに暴言を浴びせた。背中を蹴り飛ばした後に彼を取り囲み、今にも暴行を加えようとするような幼稚な敵意をぶつけていた。


 けれど今日は違う。状況が改善したのではなかった、それは更に悪化している。陰湿で、卑劣で、残虐性が増した。気持ちが悪い、人はここまで邪悪で愚かになれるのかと吐き気すら帯びてくる。


 聖斗は上履きを取ろうと開いた靴箱の中でそれを見た。


「……っ!?」


 聖斗の上履きは透明なビニール袋の中に押し込まれ、そして袋には一緒に生ゴミなどの汚物が無造作に放り込まれていた。


 驚いて声を上げそうになったが必死に堪える。ここで騒ぎ立てれば、ただでさえ悪い立場を更に悪くしてしまうだけだと理解していたからだ。


 そして同時に手紙のようなものが入っている事に気付く。


 見てはいけないのは分かっていた、けれど手を伸ばしてしまう。聖斗は震える手ではそれを開いて中を見てしまった。


【死ね】


 ぐしゃぐしゃの汚い文字で一言、それだけが書かれていた。


 聖斗はその場で崩れ落ちそうになるのをなんとか耐え、一緒に登校してきた真紅の方を見る。


「こ、黒曜さん……」

「大丈夫です緋根くん。落ち着いてください。こんなもの、取るに足らない些細な嫌がらせです。気にする事はありませんから」


 聖斗をなだめるように優しく微笑む真紅だったが、彼は同時に気付いてしまう。


「……っあ、黒曜さん、それ……」


 聖斗だけではなかったのだ。彼の上履きだけではない、真紅の靴箱の中にも同じ光景が広がっていた。


 汚物まみれになっていた真紅の上履きがビニール袋に入れられ、そして同じような手紙まで入っている。


「俺のだけじゃなく……黒曜さんのものまで……っ!」

「そうですね。緋根くんを庇うわたしの事が気に入らないのでしょう。だからこうしてわたしにも同じ事を。やれやれ、ですね」


 聖斗が自分の上履きが凄惨な状況になっているのを見た時に感じたのは憤りと悲しみだった。けれど真紅のものを見た時の感情は全く違う――激しい怒り。


 どうして自分だけでなく、真紅まで酷い仕打ちを受けなければいけないのか。何故真紅までこんな理不尽な目に遭わなければいけないのか。


 聖斗の心の底からどす黒い感情が湧いて出る。周囲にいる生徒達はひそひそとこちらを見ながら、聖斗と真紅の様子を嘲笑い悪意の籠もった言葉を漏らしていた。


 頭に激しく血が昇る、拳を強く握りしめ、その怒りの矛先を向けようとした――その時だった。


「――緋根くん、大丈夫です。大丈夫ですから」


 真紅がそっと聖斗の手を取っていた。


 その温もりは冷たくなっていた聖斗の心を溶かしていく、真紅が聖斗に向ける瞳の光はとても柔らかく、自然と聖斗の心に落ち着きを取り戻させてくれる。


「黒曜さん……」

「ここで手を出せば甘楽さん達の思うがままになってしまいます。復讐を成し遂げるその時まで我慢してください――」

「……そうだな、ごめん。ついカッとなりそうになった」

 

 そう言って聖斗が握っていた拳を解いた後――彼が全く予想だにしていなかった言葉を、真紅は続けていた。


「――と、天使のように優しく慈愛に満ちた方ならそう言うのでしょうね。ここは抑えてください。我慢の時なのだと。でもね、緋根くん。わたしはそんな善人ではないのですよ。危害を加える方は絶対に排除する、容赦はしないのです」


 え?


 ――と聖斗が真紅の言葉に疑問を抱いた瞬間だった。


 真紅はちょうどこの場所の正面にある生徒玄関の角、その天井の方に向けて指を差す。そして聖斗達にずっと悪意ある言葉を浴びせていた生徒達へと声を上げた。


「実に愚かですね。幼稚で、低俗で、醜悪で、それでいて全くもって頭が悪い。やり方が杜撰なのですよ、あなた方は」

「……黒曜さん、何言って――って、あ!?」


 聖斗が気付いたように、周囲にいた生徒達もそれに気付いていた――その中に居た三人の女子生徒が声を失い、誰の目に見ても明らかな程みるみる内に顔が青ざめていく。


 真紅が指差す先――そこには一昨日には決して無かったものがあった、幻でも夢を見ているわけでもなかった。


 くるりとした大きな丸い目のようなガラスのレンズが――ここで起こった何もかもを刻銘に映し出す監視カメラが、じっと聖斗と真紅のいる場所を覗き込んでいた。


「か、監視カメラが……どうして生徒玄関に? こ、黒曜さん、これを……知ってて?」


「一昨日の朝、生徒玄関で騒動がありましたよね。そのような事案の発生を未然に防ぐ取り組みの一つとして、この学校を経営する理事長が設置を決めたのです。それで一昨日の放課後――生徒達が下校した直後に取り付けたそうですね。超大容量のバッテリー式で工事は不要、それでいて録画の映像はカラーで高解像度です。かなり高額だったようですが」


「んあ……っ!? 一昨日の放課後って……それじゃあ、俺達の上履きをめちゃくちゃにした奴らも……?」

「昨日と今日の内に仕込まれたものなら、しっかりと録画されているでしょう。そして周りの反応を見る限りだと、わたし達が休んでいた昨日の内に上履きを汚物まみれにしたのだと考えられます」


 真紅は監視カメラを指差していた手を下ろす。そして鈍く光る紅い瞳が、顔を歪ませる三人の生徒達を捉えていた。


「――それにしても残念な話です、生徒達が悪さをしないよう、一昨日のような事が二度とないように、それを未然に防ぐ為に設置したはずが……ああ、なんという事でしょう。既にもう手遅れだなんて」


 わざとらしく嘆き悲しむ真紅だったが、それは本心から言っているわけではなかった。むしろ彼女は今この状況を楽しんでいるかのようにすら見えて、そして――次の瞬間にはその表情は一変する。


 三人の生徒達へと向けて、凍えるような視線を送りながら、狂気をはらんだような黒く光る笑みを口元に浮かべた。


 そして三人の生徒達は身体を震わせながら、怒りに顔を歪ませて睨み返し声を荒げる。けれど聖斗にはそれが怯えているようにしか見えなかった。


「あ、悪魔……っ!! 何、それ!? か、監視カメラ……!? そ、そんなの、知らない! 聞いてない!!」

「こ、こんなの横暴だよ!! プライバシーの侵害だわ!!」

「そ、そうよ!! こんなの、こんなのって、ありえないわ!!」


 自分達の悪事を全て見透かされ、挙句に記録されていた事に動揺を隠せない彼女達。


 真紅はその様子を見ながらも、一切の容赦もなく、冷たい言葉を返す。まるでゴミを見るかのような眼差しで彼女達を見ながら――真紅は言う。彼女から放たれた言葉は、本当に悪魔が喋っているように思えた。


「――わたし達に、二度と手を出すな」

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