21:もっと隣に
話し合いを終えた後、食事中の真紅は実に幸せそうだった。
聖斗が家で見た時もそうだが、真紅はとても上品な仕草で食べるのだ。
彼女の箸の持ち方は美しく、咀しゃくする時の音も静かで聞こえない。喋りながら食べる事もなく、そして口に入れたものをしっかりと味わいながら丁寧に飲み込んでいく。
前に一緒に食事をした時もそうだったが、真紅の所作はとても整っている。聖斗はその光景に見惚れるあまり、さっきまで自分が食べていた物が何だったかと、それを一瞬忘れてしまいそうにもなった。
それでいて真紅は実に美味しそうに表情を綻ばせるのだ。まるで子供のような無邪気な笑みを浮かべて食事を楽しむ、その姿を見る度に聖斗は幸せな気分にもなってしまう。
そしてデザートのソフトクリームが運ばれてきた後の聖斗は少しだけ――いや、かなりドキドキしてしまった。
とんがり帽子のような形をしたワッフルコーンの上で、ミルクとバニラの香りを感じさせる濃厚で真っ白なソフトクリームが渦を巻いて伸びている。
それを手に持って、真紅はゆっくりと口元へと近づける。クリームに向けて伸びていく舌が妙に艶めかしくて、聖斗はその様子から目が離せなくなっていた。
長く伸びた柔らかな淡い紅色の舌が、白く滑らかなソフトクリームに触れる。ぺたりと張り付くように舐め取られ、白いクリームがゆっくりと溶けていく。一口、また一口と味わっていく。
小さな唇がソフトクリームに触れ、そのままゆっくりと吸い込まれていき――最後には全てが消えてしまった。
その様子に聖斗の目線は釘付けになっていて、時間も忘れて魅入ってしまう。
そんな時、くすりと真紅が笑みを零した。聖斗を見つめるその紅い瞳は妖しく光るようで、彼女の口元は弧を描いている。
「緋根くん、ぼうっとして大丈夫ですか?」
「あ……ご、ごめん」
「良いのですよ。それより緋根くんの頼んだ方のアイスクリームが溶けてしまいます、ほら」
「ほ、本当だ……ありがとう」
「どういたしまして。それとも――もっと見ていたいですか?」
「え……見ていたいって……?」
聖斗が首を傾げた直後だった。
妖しく笑んでいた真紅は、甘い吐息を漏らしながら、ゆっくりと口を開いて舌を覗かせる。
彼女の長く伸びた淡い紅色の――柔らかで艶めかしい舌が何かを舐め取るように、その舌先がぺろりと動く。聖斗を誘惑するように、淫靡な雰囲気を感じさせながら、可愛らしい舌を伸ばして、挑発するように――。
それは聖斗にはあまりにも刺激的すぎて、思わず目を逸らしてしまう。慌ててテーブルに向けて視線を落とし、彼は大急ぎでコーンスタンドに置かれたアイスクリームに手を伸ばす。
どきどきとして止まらない心臓の鼓動を誤魔化すように、熱を帯びた身体を冷やす為に、溶け始めたアイスクリームを無我夢中で食べていく。
そんな聖斗の姿を見ながら、今度の真紅は子供のように笑った。
聖斗はその笑みをちらりと見ながら心の中で叫んだ。
(や、やっぱり……黒曜さんは悪魔だ……! 俺の心を惑わす悪魔なんだ……!)
そんな事を胸の中で叫びながらも、真紅のそれが自分だけに見せてくれる特別なものだという事実が、不思議な優越感と幸福感を与えてくれるのも確かだった。
こうして聖斗にとって胸中穏やかではないまま進んだ昼食も無事に終わり、二人は会計を済ませようとレジの前に並んでいた。
二人の昼食代がレジの画面に表示されると、聖斗は慣れた手付きで財布から二人分のお金を取り出そうとする。
聖斗にとって一緒に食事をしに来た女性の分も払う事は、日常的で当たり前な事だった。
『男性が女の子と割り勘するとかあり得ない!』
『女の子に財布出させるって恥ずかしい事なんだよ?』
『今までの彼氏は男気があって気前良くみんな払ってくれた!』
そう言って聖斗の恋人を演じていた甘楽は、いつも自分の分を出そうとは決してしなかった。聖斗にとって初めての異性との付き合いだという事もあって、甘楽が言うそれを鵜呑みにしてしまっていた。
だから今も真紅が食べた分を支払おうと思っていたのだが――隣にいる真紅が財布を出している姿を見て、慌ててその手を止めさせていた。
「黒曜さん。俺が全部から払うから良いよ? 財布はほら、片付けて」
「どうしてですか? わたしが食べた分をわたしが払うのは当然の事です」
「いやいや……黒曜さんは女の子なんだから、こういうのは男が払うのが当然っていうか」
「なるほど。緋根くんはわたしに気を遣ってくれているのですね、嬉しいです」
「まあ……それがマナーだと思ってるから。だから気にしないで」
「では、そのマナーとやらを理解した上ではっきりと言わせて頂きます。だめです」
「え……? なんで?」
「緋根くんの負担になってしまうからですよ。わたしは緋根くんを困らせたくないですし――それに」
「それに?」
「――こうして半分ずつ出せば、緋根くんとわたしで、二人で一緒にお昼を食べたって、この楽しかった時間を共有出来た事をより感じられて嬉しいのです」
真紅は少し照れくさそうに笑んで、自分の食べた分の会計をし始める。そんな彼女の横顔を眺めながら、彼女の健気な言葉を聞いて、聖斗は急激に胸の中が熱くなっていくのを感じていた。
(こ、黒曜さん……。それってつまり俺と一緒にご飯を食べれて嬉しかった。みたいな意味だよな……?)
真紅の言葉に揺さぶられる聖斗の心。
(まただ……またこの感じだ……)
聖斗の中にふつふつと湧き上がっていく正体不明の感情。焦がれてしまう程に熱く、胸の奥底から焼くように迫ってくる。それでいて甘くとろけるようで、体中に染み渡っていくような感覚に陥る。
真紅と行動を共にするようになってから感じるようになったその感情、それに再び戸惑いながら、聖斗は誤魔化すように頭を掻いた。
それから店を出た聖斗と真紅。
次はどうするのかと聖斗が訊ねようと思った直後、その日の活動は終了という事になってしまった。というのも真紅のもとに電話がかかってきて、どうやらその相手が彼女の父親からだったらしい。
何やら呼び出しを食らってしまったようで、アパートの方ではなく今日は実家の方に戻らなくてはならないそうだ。しかも、割と急ぎの用事だったようで、その場で解散となって真紅は急いでタクシーへと乗り込んでいく。
だがその前に一言。
「緋根くん、今日は楽しかったです。ありがとうございました」
そう言って、真紅は満面の笑みを浮かべて帰って行った。
聖斗はその笑顔を見て、彼女の乗り込んだタクシーが見えなくなるまで見送っていた。
聖斗は今日、夕方からバイトのシフトも入っている。どちらにせよ遅くまでは一緒に居られなかったので、昼過ぎの解散はちょうど良かったといえばそうなのだが――。
(なんか……ちょっと寂しい気がする)
さっきまで隣に真紅がいた事が嘘みたいに、一人になった途端に心細くなっていた。
真紅が隣に居てくれるから大丈夫だ、という安心感が失われてしまっただけではない。さっきまで感じていた胸の中がじわりと温まって安らぐような、そんな心地良さまで消え失せてしまっていて、それはまるで心にぽっかりと穴が開いたかのようだった。
恋人を演じていた甘楽との一日が過ぎ去れば聖斗に残るのは、『今日も嫌われなくて助かった』という安堵感だけで、むしろ早く家に帰って一人になりたいとさえ思っていたはずなのに。
今の聖斗は真紅と共にいたあの温かい時間が恋しくなってしまう程に、たった一人の帰り道はどこか物足りないようにさえ感じてしまっていた。
(黒曜さん……)
ぽつりと胸の中で彼女の名前を呼んで聖斗はゆっくりと帰路につく。
その足取りは重たくて、軽やかとは言い難かった。学校へ行こうとした時に感じた――不安に押し潰されてしまいそうな感覚とも違う。何故か無性に胸の奥がざわついて仕方がない。
聖斗はただ――真紅ともっと一緒に居たかっただけだった。
それに気付くのは、もうしばらく先の事だ。
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