31:あなただけは

「あの本当にありがとうございます……お話を聞いてくれて」

「まだ信用はしてない。ただ話す価値があるかもしれないって、そう思っただけだ」

「信用されていなくても、良いです……少しの時間でも」

 

 聖斗と結城の二人はフードコートのテーブル席で向かい合って座っていた。

 

 聖斗は目の前にいる少女の事を観察する。やはり結城 香織で間違いない。


 短い黒髪の何処にでもいるような平凡な容姿の少女だ。服装は違えどクラスで何度も見た記憶通りの姿で、聖斗の前で小さくなって座っている。


 彼女は突然、遠い何処かへ転校した。その直後から真紅が『悪魔』と呼ばれるようになった。

 

 もしかすると結城からそれを聞き出せるかもしれない。けれど同時に不安も拭いきれない。何処かで甘楽達が隠れていて、聖斗の様子を伺っているかもしれないと警戒し続けている。


「ともかく、一体何の用なのか答えてくれ。それを聞かなきゃ何も話しようがない」

「あっ……はい。え、ええと……ええと、あれ……おかしいな」


 結城はあたふたと慌てふためいた。どうやら上手く言葉が出て来ないようで、聖斗の顔をチラチラと見てくる。


「あ……えっと、おかしいな……ここに来るまで、あんなに何を話そうかって頭の中でまとめてたのに。いざ緋根さんに会ったら頭が真っ白になっちゃって……」

「大丈夫なのか……?」

「うぅ……すいません……」


 ぺこぺこと何度も頭を下げながら小さくなり続ける結城。余りにも弱々しいその様子に、思わず聖斗はため息を吐く。


 結城は真紅をいじめていた加害者でその中心人物。そのはずなのに今の彼女の様子はまるで違うように見えた。気の弱い小動物のようなそんな雰囲気を醸し出しているのだ。学校でならむしろいじめられる側のような、甘楽達が嫌いなタイプの性格が滲み出ている。

 

 これが演技だとしたら大したものだろう。少なくとも聖斗の目には彼女が嘘を言っているようには見えなかった。


 結城は大きく深呼吸しながら、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。


 そして彼女は意を決したかのように真剣な表情を浮かべて聖斗を見た。


「あの……緋根さん、私は真紅さんの事でお話があってここに来たんです」

「黒曜さんについて、か」


「はい。そもそも緋根さんがどの辺りに住んでいるかも、真紅さんから聞いたんです。それで……公園で緋根さんと真紅さんの二人がお話してるのを見つけて。でもまだ声をかけるタイミングじゃなさそうだったから……待ってたんです」

「……っ。黒曜さんから、聞いた……」


 おかしいとは思っていた。学校でしか接点がなく遊んだ事もなく、話した事だってクラスメイトとしての最低限のものでしかない。そんな結城がどうして聖斗がここに居ると分かったのか。


 甘楽が関係ないというのなら知り得ないはずなのに、それを彼女が知っていた理由は――真紅との繋がりによるもの。そして公園に居た時、二人で話している姿を見つけて、ずっと付いてきていたのなら辻妻が合う。何故結城が聖斗の前に現れる事が出来たかも分かるのだ。


 けれど問題は、どういう理由があって結城が聖斗と接触しようとしたのか。

 真紅の話をする為、その内容は一体何なのか、それが分からなければ意味はない。


 だから聖斗は結城に問いかける。

  

 結城が本当に真紅から助けられたのなら、そして聖斗を騙すつもりがないのであれば、それは聞いておかねばならない事だった。


「まず聞いておこうと思う。結城、お前は黒曜さんから何を助けられた? 彼女をいじめていたはずのお前がどうして?」

「順を追って説明します……。信じてもらえないかもしれないですけど、私……本当は真紅さんの事をいじめたくはなかったんです……」


「いじめたくなかった、だ? だって結城、黒曜さんへのいじめを先陣切って始めたのはお前で、転校する日までずっとしつこくいじめ続けて……」


「そうです……緋根さんが見ていた通り、私は真紅さんをいじめる為に色々な事をあの人にしてしまった……! でも本当に悪いことをしてしまったと思っています……でも私は……怖かった……!」


「怖かった……?」


 皆が真紅を恐れているように、結城も彼女を恐れたからこそいじめてしまったと、彼女はそう言いたいのか?


 聖斗の頭の中にはそんな疑問が分かる。けれどそれに続く内容を聞いて彼の予想とは全く違う事を理解した。

 

 結城の声は震えていた。今にも泣き出しそうで、顔は真っ赤になっている。


「私は……昔から引っ込み思案で、いつも周りの空気を読んで、自分の意見を言うのも苦手で……いつの間にか周りからは暗い奴だと思われていました。それに、女子からもあまり良く思われてなくて……イジメられても仕方ないなって、思ってたんです。そして、ある日……2年生に上がって甘楽と同じクラスになった後でした。誘われたんです、私も。他のみんなのように……あのグループに入らないかって」


「あのグループってもしかして……甘楽達からまだ行われていないテストの答えを共有してもらう為の……?」


「緋根さんと真紅さんはもう全部分かってらっしゃるんですよね……そうです。私は甘楽にそのグループに誘われて……テストの答えを教えてあげるから色々な事に協力しろと、そういう風に言われました。でも……私は断ったんです。悪い事だって分かっていたから……そんな事までしてテストの成績なんて欲しくないって。普段は自分の意見を伝えるのも苦手だった私が勇気を振り絞って断ったんです……」


「断った……他のクラスメイト達はみんな参加しているあのグループに、お前だけ入らなかった?」


「はい、でもそれからは地獄のような毎日でした。緋根さんは気付いていなかったようですけど……私はずっと甘楽達から陰湿ないじめを受けていたんです。きっとあのグループへ入ればこんな事にはならなかったんでしょう。けれど、私は甘楽や生徒達の不正に加担したくなかった。彼女の言いなりになってまで成績をもらって、何になるっていうんでしょうか。あんなに頑張って勉強してきたのに、それを無駄にしてまで順位を上げたくない。そう思ったんです。でも……日に日にいじめはエスカレートしていきました。周りの生徒達には見えないような、本当に陰湿で心がずたずたになりそうな毎日が……ずっとずっと続いていたんです。そんな時……真紅さんが転校してきました」


 その言葉は、聖斗にとって衝撃的だった。甘楽の誘惑に打ち勝った生徒が居た事に、そして陰湿ないじめを受け続けても決して自身を曲げず、耐え続けた結城という少女の存在を知って、聖斗は驚きを隠せなかったのだ。


 だが結城の話は終わっていない。彼女は悲痛に満ちた表情を浮かべながら話を続ける。


 それは聖斗の知らない真実。

 彼女がどれだけ辛かったのか、それを知る事が出来る話だった。


「ここからは緋根さんも知っている通り……真紅さんは転校初日の発言で甘楽から不愉快だと、気に入らない相手だと標的にされました。甘楽は転校してきた真紅さんを目の敵にし続けていました。初めは私のように見えない範囲での陰湿ないじめを繰り返していたんです。でも真紅さんは強かった、いくらいじめられても決して折れなかった」


「そうだったな……何があっても黒曜さんは動じず、いつも通りだった」


「甘楽は何としてでも真紅さんの心を折りたかった、叩き潰そうと思っていた。でも甘楽は学校のアイドルというイメージがあります、だから表立って派手ないじめを行う事は出来ませんでした。だからなんです……甘楽は私を脅した、私を利用しようとした……」


『あんたが黒曜 真紅をめちゃくちゃになるまでいじめるなら、あんたの事は許してあげる。黒曜 真紅を徹底的にいじめ抜きなさい。もし私に逆らうなら……分かるわよね?』


「私の心はあの時もう……既に折れかけていました。少しでも楽になりたかった……私の弱さが悪いんです。私は甘楽の誘いに乗ってしまった……自分が助かる為に真紅さんに酷い事をしてしまったんです。どんなに謝っても許される事じゃない……。緋根さんが見ていたように、私は真紅さんをいじめていた……でも本当は嫌で……でも、怖くて……!」


 聖斗はずっと結城が中心となって真紅をいじめていたのだと、そう思っていた。


 甘楽は見て見ぬ振りをするだけで、まるで無関係を装っていたのに、そうじゃなかった。それは違った。

 

 あのいじめの全ての元凶も甘楽。彼女は結城の心をへし折って、自身の気に入らない相手を潰すために利用していた。見て見ぬ振りをしていたのではない、ずっと心の中では笑っていたのだ。


 結城を使って真紅に様々ないじめを行って、酷い目に合う真紅を見てずっとあざ笑っていた。そして同時に今まで決して自身になびかなかった結城が自身の操り人形となっている様子すらも楽しんでいたに違いない。結城が苦しみながら真紅をいじめる姿を、甘楽はずっとずっと心の中で手を叩きながら笑い続けていた。


 今目の前で泣いている結城はただの被害者だ。彼女を――真紅を本当に苦しめていたのは甘楽だった。


 その事実を知った聖斗の中にふつふつと怒りが湧いてくる。甘楽に対する恨みが募る、あの女だけは絶対に許せないと。


「私は甘楽を恐れて……いじめをやめる事が出来なくて……このままじゃいけないって、そう思っていた矢先に……真紅さんが私に言ってくれたんです。それがあの地獄を抜け出す――救いの言葉でした」


「救い?」

「はい……あの日……私が真紅さんに呼び出されて、屋上に行った時の事です。その時に言われたんです」


 真紅は真っ直ぐにその紅い瞳で結城を見つめる。その時の真紅が浮かべていた表情は怒りでも、恨みでも、あの黒い光を放つような笑みでもなかった。

 

『あなたはどうして怯えているの?』


 真紅は自身をいじめていた相手に怒りをぶつけるわけでもなく、彼女は結城を責めるでもなく、結城を憐れむように優しく言った。


「真紅さんは全部気付いていたんです。私が甘楽に怯えて、本当はしたくもないいじめを強要されている事を。だからあの人は……私を助けようと手を差し伸べてくれた。その時に言ってくれたんです」


『あなたが望むならいくらでも力を貸すつもりです。あなたをヘドロの溜まった底から救い出してあげましょう』


「そうか……その時に、お前は黒曜さんから、あの言葉を……」

「はい……真紅さんは……私にいじめられながら、それでも私を助けてあげたいって、手を伸ばしてくれました……! だから……私は今、人生をやり直すきっかけをもらえました。甘楽の手が決して私に届かないよう手を打ってくれた。そのおかげで新しい場所で、新しい友人に囲まれて、甘楽達とは無関係な平穏な生活を送れています――でも」


 結城は涙を流しながら必死に叫ぶ。


「あの人は私を助けてくれたかわりに……完全に、学校での居場所を失いました……! あの人は今、私を助けた事で『悪魔』なんて酷い呼ばれ方をされているはずです……でもあの人は悪魔なんかじゃない……! 真紅さんは困っている人を見ると放っておけない、優しい人なんです……誰かを助けるためなら、自分を犠牲にしてでも力を貸してくれる素敵な人なんです! だから緋根さん、お願いです……あの人の傍にいる緋根さんだけは、あなただけは何があっても真紅さんを信じてあげてください。私はそれを伝えたくて……ここまで来ました!」


 結城の悲痛に満ちた叫びを聞いて、聖斗は思った。


 彼女の言葉に決して嘘がないことを。彼女が語る真紅は聖斗が見てきた真紅そのものだった。


 優しく温かな笑みと共に真紅は聖斗に手を差し伸べた。絶望の底にいた彼を救い出す為に、真紅は一切の協力を惜しまなかった。


 そして彼は――その手を握り返した。そして真紅は白く小さな細い手で、彼の大きな手で包み込んだ。


 結城もそうだった――真紅に救われた、彼女に生かされた、ヘドロの溜まった底から救い出された一人だったのだ。


 結城は静かに立ち上がる。

 すると結城は涙を拭いて、聖斗に深々と頭を下げた。


「話は全部真紅さんを通して聞いています……もうすぐなんですよね。甘楽達をやっつける為の準備が出来たって、材料が集まったって、私は聞きました。私はもう……何も出来ないかもしれないけど……せめて祈らせて下さい……必ずそれが成功する事を」


 聖斗と真紅はもうすぐ復讐の時を迎える。その日が近づいている。たくさんの想いを背負っている。だから負けるわけにはいかない。


「任せてくれ、結城。辛かったよな、怖かったよな。俺は真紅を信じる、絶対に成し遂げてみせる。だから結城も信じていてくれ。俺達は絶対に勝つって!」

「はい……!」

 

 聖斗の言葉に結城は大きく返事をした。

 全ては明日にかかっている。全ての生徒と教員が集まる、聖斗達にとって舞台。


 徹底的で破滅的な復讐――その時まで、あと少し。

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