27:急所
放課後の屋上。
冷たい風が吹き荒ぶ中で聖斗は緊張していた。
響を屋上のベンチに座らせ、聖斗と真紅は彼女を取り囲むように立っている。
甘楽達と連絡が取れないよう、既にスマホを没収された彼女は震えながらも聖斗と真紅を見つめている。
響の姿はまるで肉食動物に囲まれた小動物のようで、聖斗は少しだけ哀れにも思えた。けれど同情はしない。ここで手を緩めるわけにはいかないからだ。
甘楽達の不正を暴き、徹底的で破滅的な復讐を成し遂げる為にも。
響は聖斗と真紅を見上げながら、恐怖が滲んだ顔で口を開く。
「な、なんなの……!? あたしが何をしたっていうの……!?」
「ふふ、分かっているくせに。知らぬ存ぜぬで通せる程、わたし達は甘くありませんよ。ねえ、緋根くん」
「そうだ、木下。今更ここでしらを切るのは無理だろ。俺達がこうしている理由、分かるはずだ」
「……な、なにそれ? そんなの知らない。あ、あたしの事を脅そうって……そう思ってるの!? ――っ、もしかしてあたしを、結城さんみたいにするつもりなんじゃ……」
結城、という人物の名を口に出した途端、響の顔はより一層歪んでいく。その名前を聖斗は知っていた。
フルネームは『結城 香織』。
彼と真紅のクラスメイト。女子生徒達を先導して中心だって、転校してきたばかりの真紅にいじめを加えていた少女の名前。
けれど突然、その結城は転校してしまう。同時に真紅へのいじめも収まり、平穏な生活が戻ってきたように見えた。だが実際は違った。結城という存在が消えた後、周囲の生徒達は真紅を『悪魔』と呼んで恐れるようになる。そしてその悪魔という呼び名に応えるように、真紅は甘楽達に恐怖を振りまいているようにも見えた。
聖斗にとってその状況は理解出来ないものだった。何故真紅が悪魔と呼ばれるようになったのか、そのきっかけを彼は知らない。誰もが聖斗にだけはその内容を伝えようとしないのだ。
だが響が恐怖で顔を歪ませながら転校してしまった結城 香織の名前を出した直後の反応を見て、真紅が『悪魔』と呼ばれる理由の答えがそこにあるのだと感じていた。
(でも今は……黒曜さんが悪魔と呼ばれる理由よりも、ここで響から甘楽達の不正の証拠を入手する事を優先しないと)
聖斗が一歩前に出ると響はびくりと体を震わせる。聖斗は響に向かって言葉を投げかけた。
「何をそんなに怯えてるんだ、怖いのか? 自分がこの先どうなるのか。それとも……俺から仕返しを受けると思ってるのか?」
「ち、違うもん! 怖がったりなんか……してない!」
「なら何でお前はさっきから震えているんだよ」
聖斗の言葉を聞く響は再び震えている。それは寒さが原因ではない、彼女が抱いている恐怖心が表に出てきているのだ。
「やっぱり駄目だな……俺じゃ怖がらせるだけになりそうだ。黒曜さん、ここからは任せる。頼んだよ」
「はい、任されました」
真紅は頷くと響の正面に立ち、怯える彼女の瞳を覗き込む。
「響さん、もちろんあなたも知っているはずです。わたしをいじめていた結城さんがどうなったのか、それを良くご存知だと思います」
「や……やっぱりじゃあ、甘楽さんが言っていたのは本当で……」
「ええ、そうです。結城さんが転校する事になった理由、その後にどうなったのかは聞いたでしょう。そして同時に理解しているはずです。わたしがどのような人間なのか、わたし達に敵意を向けた人間がどうなってしまうのか……あの時だってそうだったじゃないですか。ねえ響さん」
真紅がそう口にした瞬間、響の表情が一瞬にして凍りつく。彼女の脳裏で何かが浮かび上がっている。真紅を悪魔と呼ばせる何かを、彼女は思い出している。
そんな響に向けて真紅は悪魔のような黒い光を放つ笑みを見せた。
「響さん、結論からお話しましょう。あなた達も結城さんと同じ結末を辿る事になる、あの子のような破滅的な最後が待っています」
「あたしが結城さんみたいな、破滅……っ? やだ……いやだ、そんなの嘘だ!」
「嘘ではありません。だってわたし達はもう知っているのです――あなたが甘楽さんから共有されている甘い蜜の事を、今まで上手に隠し通せていたつもりでしたか? けれど何もかもが無駄になります、積み上げてきた悪行の数々と共に、あなたは地獄ですら生ぬるい程の破滅を迎える。わたし達の手によってね」
「そんな……甘楽さんからの――って、なんで、なんで悪魔がそれを知って……?」
「さあ、どうしてでしょう。甘楽さん達の周囲に漂う『不正』という甘い蜜の香りを嗅ぎ取り、その香りが何処から発せられているのかという正体を突き止めた、と言えば少しは納得しますか?」
「ふ、不正って……何で、どうして……」
くすりと笑う真紅を前にして、響はただただ絶望に染まっていく。真紅の瞳はまるで全てを見透かすかのように輝いていた。
響は震えながらも真紅の視線から逃れようと目を逸らすが、それでも真紅の鋭い眼差しからは逃れられない。やがて彼女は耐えきれずに口を開いた。
「な、なんで、なんであたしなの……? あたしは、グループの中でも……他のみんなに比べたら、ぜ、全然で……! そ、そう! あたしはマシな方! 周りはもっとめちゃくちゃな事してる! あたしは全然そんなじゃない!!」
声を荒げる響を見つめながら『ああ、真紅の推測は当たっていたんだ』と聖斗は思う。
自身を守る為に、自分はマシだと他はもっと酷かったと周りの人間達を貶める。周囲を切り捨てでも助かろうとする――哀れで惨めな弱い人間。
まるで真紅が未来を知っていたかのように、全てが彼女の筋書き通りに進んでいく。
絶望に染まる響に向けて――真紅は希望を抱く天使のようにそっと手を差し伸べた。
「ええ、だからあなたなのです。響さん、あなたはまだ他の方に比べれば救いようがある。だからこそあなたを選んだのです」
「あ、あたしを選んだ……? 救いようがある……って?」
「先程も言ったようにわたし達は既に甘楽さんによる悪行の数々の証拠を掴んでいます。テストの不正に始まり、緋根くんを潰す為に学校中に嘘をばらまいた。甘楽さんに協力する事でテストの答案という甘い蜜をすする為に、グループを形成して色々な悪行に手を染めていた事を知っています」
「一体どうやって……っ、でもあたしは……みんなが、やろうって……絶対に大丈夫だからって。ばれないからって……誘われただけで……」
「そうなのです、響さんは誘われただけ。本当はあんな事したくなかった、けれどあの時はどうしようもなかった。断れば自分がどうなるのか、知っていたからこそそうせざるを得なかった。そうでしょう?」
「……あっ、え……真紅さん、知って、あたしがどうして巻き込まれたのか……それまで知って……? そ、そんな」
「ええ、知っています。だからあなたを選んだのです、あなたは悪くない、あなたも被害者なのです。だからわたしはあなたに手を差し伸べる。どうかわたしの手を取ってください」
真紅が優しく囁く。その囁きに応えるように響の震えが止まっていく。彼女は何かを言おうとして口を開こうとするが、その前に真紅が先に言葉を紡いだ。
「さあ、今ならまだ間に合いますよ。このままではあなたの人生が終わってしまう、周囲の方々があなたを強引に誘いさえしなければ良かったはずなのに、彼らのせいであなたは決してあり得なかったはずの破滅的な最後を迎えてしまう。でもあなたは大丈夫なのです、この手を取ってわたし達に付いて下さい。そうすればあなたは、あなただけは――守ってあげます、響さん」
それは悪魔の囁きのはずだった。彼女達を破滅に追い込む為の罠だったはずだ。けれど今の響には目の前にいる真紅が自身を救い出す天使にしか見えていなかった。
絶望に染まっていた瞳に輝きが戻っていく。この手を取りさえすれば自分だけは助かるのだと、それを信じて疑わない。
そして差し出されたその手に向けて、自身を破滅させるはずの真紅に向けて、響は震える右手を伸ばす。
「た、助けて……ください、真紅さん。あたしまだ……終わりたくない……」
涙を浮かべながら、響は真紅に助けを求めた。それが全てを終わらせる破滅への最後の一歩なのだと知らずに、彼女はただ救われたい一心で彼女の手を掴む。
その瞬間を聖斗は忘れない。
それは、悪行の数々を積み重ね、多くの人達の人生を狂わせてきた甘楽達の破滅が、逃れられない未来として確定した瞬間でもあった。
急所は撃ち抜かれた、後はただ――終わるだけだ。
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