25:寒空の下で
午前の授業を何とか乗り越え、昼休みがやってくる。
いつもなら教室で弁当を広げて昼食を取る聖斗だったが、彼が今置かれている状況では普段通りの食事は無理だった。
聖斗の周りは敵だらけ。悪意渦巻く教室に残っていればせっかく朝から用意した手作りの弁当が、甘楽達の妨害によってめちゃくちゃにされかねない。弁当はロッカーに入れて鍵をかけているから何かを仕掛けて来る事は不可能だろうが食事の最中となれば話は別だ。
食事という癒しの時間を妨害されるのは流石に辛いものがあると、聖斗は逃げるように教室を飛び出していた。
「一昨日……トイレに籠もって弁当を食べたのは失敗だったな。あれだけは二度としない……」
前回の教訓を活かしながら、聖斗は新たに思い付いた目的地へと歩き出す。
真紅はというと――彼女はいつも昼休みになると一人で何処かに姿を消してしまう。
彼女にとっても食事の時間は特別ものなのだと思う、誰にも邪魔されずにゆっくりと過ごしたいのだろうと聖斗は勝手に解釈していた。だから彼女を食事に誘う事はなく、昼休みくらいは一人で何とかしようと、聖斗は学校の屋上へと向かう事にしていた。
暖かな時期なら生徒達にとって人気の休憩スポットなのだが、今は十二月。寒空の広がる屋上で自分以外に食事をしている者は一人もいないはず。あそこなら安心して昼休みを堪能出来るだろうとランチクロスに包まれた弁当箱を片手に階段を登っていた。
「それにしても……痛っ。加藤さんから聞いてたけど……確かに体育の授業はもうめちゃくちゃだな」
聖斗は階段の途中で足を止める。服の下に出来た青あざを撫でながら大きなため息をついていた。
今日の体育の時間、女子は体育館でバスケが行われ、男子はグラウンドでサッカーをしていたのだが、これが聖斗にとって最悪なものだった。
クラスメイト達から行われるラフプレーの数々、体をぶつけられるのはまだいい方で、時にはボールを顔面に当てられ、足を思いきり踏みつけられる。複数のクラスが参加して合同で行われる授業だが、参加した男子生徒達は皆一様に聖斗へ集中的に陰湿な嫌がらせを加えてきた。
聖斗としては彼らが必ず何かを仕掛けてくるだろうと思っていたが、まさかここまで露骨だとは思っておらず、たった一度の体育の授業で全身がぼろぼろになるのは想定外。
「次の体育の授業は明日か……こんなの繰り返されたら身体が保たないぞ……」
何とかして自身に被せられた汚名を返上し、甘楽達への復讐を成し遂げなくては、近い内に聖斗は肉体的な負傷を理由に学校生活を送れなくなるかもしれない。精神面では真紅が居てくれるという心強さもあって耐える事が出来ているが、彼女の手が届かない男女別の体育の授業となれば話は別だ。
この地獄から脱する為にも、甘楽達にとって急所と成り得る人物――木下 響と接触して不正の証拠を引き出さなければならない。急ぐ必要があった。
聖斗は寒さと痛みに身を震わせながら、再び階段を登っていく。
そしてようやくたどり着いた屋上への扉を開ける。その先に広がっていた光景を見て聖斗は思わず声を上げた。
扉を開けた直後、その先で佇んでいた少女が聖斗の方に振り向く。艶やかな長い黒髪がさらりと揺れ動き、紅い瞳が煌めく。初めは驚いていた少女だが、それが聖斗だと気付くと潤んだ桜色の唇が柔らかく弧を描いた。
その笑顔に触れた瞬間、聖斗の胸が熱くなる。体中の痛みが飛んでいくようだった。
「――黒曜さん、どうしてここに?」
聖斗が問いかけると真紅は優しい笑みを浮かべたまま、彼の元へと駆け寄ってきた。
「緋根くんもわたしも考える事は一緒だった、という事ですね」
「それじゃあ黒曜さんも人目を避けてここでゆっくりする為に……?」
「ええ。今日も天気が良くて晴々としていますが、肌寒い今の季節となれば屋上で食事をしようと思う生徒はいないだろうと」
「そっか。そうだよな、俺もここが一番って思ってさ」
真紅も一緒だった。聖斗が教室を飛び出して、屋上へと一直線に向かったように、彼女もこの場所を選んだのだ。
「何だか嬉しいですね。わたしと緋根くんで考えている事が同じだなんて」
「う、嬉しい……か。ああ――うん。俺も嬉しいよ。それに黒曜さんと一緒に学校でお昼休みを過ごすなんて、初めてだから」
「ふふっ、その通りですね。もしよろしければこれからは毎日一緒にお昼を食べませんか? 二人で一緒に、美味しいご飯を食べるんです。きっと楽しいですよ」
そう言って真紅は楽しげにはしゃぐ。その様子はまるで子供のようでとても可愛らしい。彼女の言葉を聞いただけで聖斗の頬は自然と緩んでしまう。
「それは良い考えだな。黒曜さんが構わないっていうなら、ぜひお願いするよ」
「では決まりですね。晴れた日はこの屋上で、もし雨が降るようでしたらわたしのお気に入りの場所に案内します」
「黒曜さんのお気に入りのスポット? そこ、何だかとっても居心地が良さそうだな」
「はい、屋上のような広々とした場所ではないですが、きっと緋根くんも気に入ってくれると思います」
「楽しみにしてる。明日にでも雨が降ってこないかなって、早速期待しておくよ」
「あはっ、わたしも今同じ事を考えていました。雨の降る日が待ち遠しいですね」
聖斗と真紅は互いに笑みを浮かべながら、屋上のベンチへと座り込む。
肩を並べて隣り合って、ゆっくりとお弁当を開いていった。
聖斗と真紅はまだ互いの事をよく知らない。けれど、こうして一緒に過ごす時間が増えれば自然と分かり合えていく。
何より――聖斗は真紅の事を、真紅は聖斗の事を、もっともっと知りたいと思っていた。
どんな人なのか、何を考えているのか、どうしたいと思っているのか。
誰もいない、静かな空間。二人きりの世界で、そんな想いが通じ合ったのか――二人は視線を交わす。
そしてどちらからともなく笑い合って昼食を共にする。
それは二人にとってかけがえのない、幸せな時間だった。
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