03:きっかけ

 真紅は転校初日の発言で、女子達からのいじめのターゲットになっていた。あの発言だけでもクラスの女子達から嫌われるのには十分なものだった。


 結城 香織ゆうき かおり、という女子が中心になって真紅へのいじめが毎日のように行われる。


 教科書を隠されるとか、上履きに画鋲を入れられているとか、そんな幼稚なものから始まり……酷い時にはノートをめちゃくちゃにされたり、鞄の中に生ゴミを入れられたり、体操着が泥まみれになっていた事もあったらしい。

 

 それはクラスにおいて周知の事実であったのだが、男子生徒達も初日の発言が気に入らなかったのか彼女を庇おうとしなかった。

 

 そして聖斗も真紅と関わる事はほとんど無かった――関われない理由があった。


『隣の席だからって黒曜 真紅と仲良くすればどうなるか分かるよね? あんたの為を言ってるのよ、聖斗。同じ目に合いたくないでしょ? あの女に関わるのだけは止めなさい』


 それが恋人である甘楽からの忠告だった。

 庇えば今度は自分が標的にされかねない。聖斗に忠告をした甘楽も見て見ぬふりをしていた、無関係である事が自分達に出来る最善の策なのだと言い聞かせるように。


 席は隣なのにその間には深い溝のようなものが横たわっていた。そのせいで聖斗は真紅に声をかける事すら出来なかったのだ。


 しかし、ある日。

 その深い溝が一気に埋まるような出来事が、聖斗と真紅の距離が縮まるきっかけが唐突に訪れた。


 いつものようにバイトを済ませた聖斗が一人暮らしをしているアパートに帰ろうとしていた時――彼が住んでいる部屋のすぐ隣に何故か真紅の姿があった。


(どうしてあの子がこんな所に?)


 聖斗のアパートの隣室は空き部屋で昨日まで誰も住んでいなかったはずで、それなのに彼女は当たり前のような顔で扉の前に立っていたのだ。


 真紅はこちらに気付いた様子もなく、ただ黙って立ち尽くしたまま動こうとしない。


 何となく嫌な予感がした。このまま無視しても良かったのだが、一応クラスメイトだし挨拶くらいはしておくべきだろうと思い、意を決して声を掛ける事にした。


 聖斗が部屋の前まで近付くと、彼女はふいに振り返った。そして目の前にいる人物が聖斗だと分かると、少しだけ驚いた表情を浮かべる。


 だがそれも一瞬の出来事であり、直ぐに元の無愛想な表情に戻っていた。


「こ、こんばんは。黒曜さん」

「緋根くん、こんばんは」


 彼女は冷めた口調で挨拶を返す。

 その声音はどこか無機質な感じがしたのだが、不思議と耳に馴染むように思えた。


「どうしてこんな所に……? そこ空き部屋、だよな?」

「今日引っ越してきたのですが、頂いた鍵で扉が開かず困っている所です」


「……引っ越してきた?」

「ええ。本当は先に引っ越してきてから、転校する予定だったのですが色々とズレてしまって。申し訳ありません」


「べ、別に謝らなくても……。でもそうだったんだ。黒曜さんの隣って俺の住んでる部屋なんだ。じゃ、じゃあこれからよろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」


 彼女は淡々とした態度のまま返事をする。鍵が合わないらしいけど、どうするつもりなんだろうか? アパートの管理会社に問い合わせた方が良いんじゃないかとか、色々と考えてみたものの、わざわざ訊ねる程の勇気もなかった為、結局何も言わないまま聖斗は自分の家へと戻ったのだった。


 それから夕飯を作っている最中、大切な調味料が切れている事に気付く。別に無くても何とかなるのだが、近くにコンビニもあるしちょっとした散歩気分で買いに行くことにした。


 ジャージの上にパーカーを着て、ポケットに財布とスマホを突っ込んで、いざ外に出た瞬間――だった。


「緋根くん、お出かけですか?」

「んあ……っ!?」


 あれから一時間以上は経っているはずなのだが、真紅はまだ引っ越してきたという隣室の扉の前に立っていた。


 制服姿のまま、両手で通学鞄と大きめのトートバッグを持ち、さっき見た時と何一つ変わらない様子で立ち続けていた。


「え、えっと……黒曜さん、何してるの?」

「頂いた鍵で扉が開かず困っている所です」


「いやそれさっき聞いたし……管理会社に連絡したりとか、した? もしかしたら部屋の番号を間違えてるとか?」

「部屋はこちらで合っています。それに管理会社の電話番号も調べました。でも電話は繋がらず、メールを送っても返信が来ません」


「マジ……? なら親から迎えに来てもらうとか……」

「娘の旅立ちを涙ながらに見送ってくれた両親に、鍵が合わないので迎えに来てくださいとは言えません。わたし達親子にとって、今日という日は特別なものなのです」

「そ、そうなんだ……じゃ、じゃあ……頑張って」


 聖斗は思わず苦笑いを浮かべると、真紅に背を向けて歩き出す。


 全くもって訳が分からない。学校でもそれ以外でも、真紅という少女はめちゃくちゃだ。言っている事もやっている事も聖斗には何一つ理解出来ない、出来るわけがない、これ以上は関わらない方がいい。聖斗は今までずっとそうやってきた、それが恋人である甘楽からの忠告でもあった。


(きっと買い物を済ませて戻る頃には、黒曜さんも諦めて何処かで時間を潰しているはずだ。そうしたらまた明日、いつも通り学校に行けばいい)


 聖斗は自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟いていた。だが、その予想は外れてしまう事になる。コンビニでの買い物を済ませて、アパートへと戻っていた後、再びその光景を目の当たりにした。


「黒曜さん……まだ残っているだなんて……」


 買い物を済ませた後も変わらず、真紅は扉の前に立っている。さっき会話した時と何一つ変わらない様子で、流石に見るのが三度目になると驚きはない。だが扉の前に立ったままの姿が気になって仕方がないのだ。


 彼女は相変わらず鍵が合わないのか、扉の前で佇んでいるだけだ。時折首を傾げたり、ドアノブを捻ったりしているが、それでも扉は開かない。


 その光景を見ていた聖斗は大きなため息をつきながら、真紅の元へと歩み寄っていた。


 その足音に気付いたのか真紅は聖斗へ視線を向ける。


「おかえりなさい、緋根くん」

「た、ただいま。ていうか、その……どうしても開かないか?」

「ですね。引いても押しても、鍵をいくら差し込んでも開きません」


「家に帰るつもりは?」

「ちっともありません。仕方ないので今日はこのまま朝まで待っていようかと」


「朝までって……こんな所にいつまでもいる訳にはいかないだろ?」

「ですが扉が開かないのでどうしようもありませんね」

「んああ……本当に黒曜さんは……」

 

 聖斗は頭を掻きながら彼女の顔を見つめた。


 凛とした顔立ち、真っ直ぐ前だけを見る紅い瞳、さらりとした綺麗な長い黒髪、そして透き通るような白い素肌。どれをとっても文句の付けどころのない美少女である事は間違いない。


 だけどその性格が全てを台無しにしている。いわゆる天然なのか、ともかくめちゃくちゃな性格である事には違いない。


 けれど彼女はクラスメイトで、隣の部屋に越してきて、今こうして困っている。いくら甘楽からの忠告があったとしても、困っている隣人を放っておける程、聖斗は冷めた人間ではなかった。


 聖斗は大きく深呼吸を繰り返す。

 それから持っていた鍵で自分の部屋の扉を開けていた。


「寝泊まりする場所が無いっていうなら……黒曜さんが嫌じゃなかったら、一晩なら俺の部屋……貸すけど?」


 その言葉に真紅は振り向きながら瞳を輝かせる。

 二人の関係を変えていく始まりの瞬間だった――。

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