08:悪魔の囁き
「なるほど。付き合っていたはずの甘楽さんとの関係は紛い物で――緋根くんはただ利用されていた、そういう事なのですね」
真紅の部屋を訪れた聖斗は、今日起こった出来事を、今までの甘楽との関係を全て話していた。
ソファーに座りながら俯く聖斗。その隣に腰をかける真紅は、テーブルの上のマグカップへと手を伸ばす。
湯気の立つコーヒーの香りを楽しんだ後、こくりと喉を鳴らす。
一口飲んだ後、再び聖斗の方を見てから、真紅は微笑みを浮かべた。
彼女が浮かべている表情は普段と何ら変わることの無い優しい笑顔だ。
しかし彼女の紅い瞳の奥からは、何か得体の知れないものが感じられた。
――それは、まるで深い海の底を覗いているような感覚だった。
「緋根くん。あなたは上手く隠していたつもりだったのかもしれませんが、あなたと甘楽さんとの関係をわたしは知っていましたよ」
「え……転校して三ヶ月の黒曜さんが? ずっと一緒にいるクラスのみんなも気付いていないっていうのに……?」
「気付いていない、と思っているのは緋根くん。あのクラスの中であなただけです」
「それって……どういう?」
「緋根くんと甘楽さんの関係はクラスメイト達にとっては周知の事実だった、という事です。皆が気付かないふりをしていたのですね」
その言葉に聖斗は絶句する。自分の中では絶対に気付かれていないはずだった。
学校で甘楽と話をする事はない。甘楽が『聖斗が私と付き合ってるのがバレたら、聖斗が男子全員から嫉妬されて大変な事になっちゃうから』と言っていたからだ。
だから決して匂わせないようにと、学校では互いにただの同級生であるように接していたはずだし、出来る限り他人を装っていた。
「そっか……じゃあ、俺と甘楽が外に出かけていた時とか……それを、他のみんなに見られて……」
「ふふ、ならば校内で噂になっても良いものです。けれどそのような話は一切ありませんでした。他のクラスの方は緋根くんと甘楽さんの関係に全く気付いていないようですし」
「あ、ああ……確かに。噂になっているなんて話は全く……」
「緋根くん。甘楽さんの本当の恋人だという我間 風太という人物との関係もそうですが、あなたが思っている以上に事は複雑なのかもしれないですね」
「複雑って。甘楽が俺に付き合っているふりをして、本当は我間っていう彼氏がいて。実はただ金を搾り取る為に俺を利用していただけで……それだけじゃ、ないのか?」
「よく考えてみて欲しいのです。甘楽さんがあなたに行った行為は、実のところはかなりリスクのあるものだった。男の子の純情を踏みにじり、ただ金銭を目的にして騙し続けていた。そのような事が校内に知れ渡ってしまえば……いくら学園のアイドルという立場にある甘楽さんでも、今まで通りにはいかないはずです」
「確かにそうだよな……むしろ元のイメージが良い分、化けの皮が剥がれたってなれば……余計に」
「そう。それに甘楽さんの本当の彼氏という風太という人物も、学校内では知らない人はいない程の人気者です。その二人の関係を隠しつつ――緋根くんとの関係も隠して利用し続ける、あまりにも難しい話だとは思いませんか?」
「うん……そう、だよな。普通に考えれば、そんな無茶苦茶な事をするのは無理だって分かる」
「緋根くん。あなたの周りで起きている一連の出来事は、ただの高校生二人が成すにしては無謀過ぎるものなのです。であれば協力者がいると考えるのが妥当です」
「きょ、協力者って……甘楽と我間の二人だけの仕業じゃないって事なのか……?」
「ええ。転校初日に感じた事ですが、あのクラスからは異臭がします。実に気持ち悪い臭いでしたが、こうしてあなたの話を聞いた事で更に納得がいきました。きっとそうでしょうね、緋根くんへの搾取は甘楽さんを主導にしてクラス全体で行われていた――と」
「……っう~!?」
真紅の言葉に聖斗は息を詰まらせる。クラスメイト全員が協力者……? そんな大それた話を簡単に信じられるはずがない。
「ねえ緋根くん。今まで甘楽さんの周りで、何人かの方が不登校になって、それから学校を自主退学したとか、そういう話をご存知ありませんか?」
「え……あ、知ってる。甘楽にしつこくストーカーをしてきた男子とか他にも弱みを握って脅迫してきた奴がいて……友人達と協力してやっつけた、みたいな話」
「ふふ、お気づきではありませんか? そのストーカー行為に及んだ男子、脅迫したという彼……甘楽さんの本性を知った今のあなたなら分かりますよね。彼らがどうして学校に来なくなったのか、何故学校を去ってしまったのか、その理由を」
「そんな、まさか……」
「彼らは甘楽さんによって人生を狂わされた被害者です。あなたのように利用されていた方は他にもいたのですよ。そして彼らもあなたのようにそれに気付いた。けれど彼らの言葉は届かなかった――潰されたのです、甘楽さんと我間 風太、そしてクラスメイト達の協力によって」
「黒曜さん……何でそこまで、知って……」
「さあどうしてでしょうね? ともかく間違いないと言って良いでしょう。緋根くん、あなたが受けた仕打ちは、他の方と同様に全て甘楽さん達の計画によるもの。そしてその真実に気付いたあなたの言葉が届くことはない、それどころか明日の学校では大きな噂になっているでしょうね。緋根 聖斗が学校のアイドルである高峰 甘楽に何かをしでかしたと」
真紅の言葉に聖斗は目を見開く。全身から冷や汗が流れ出し、身体が震え出す。
聖斗は甘楽に利用された被害者だ。なのに、学校中のありとあらゆる人間が敵となり、軽蔑され、見下される事になっていたら――そんな事があって良いはずがない。
「あ、明日の学校でちゃんと言うよ! 俺が甘楽から騙されてたって……ちゃんと!」
「きっと他の方もそうだったのでしょうね。自分は悪くないと、騙されたことを周りに声を荒げて伝えたでしょう。けれど誰もその言葉を信じなかった。甘楽さんという人気のある立場の人間による証言と、それに同調するクラスメイト達の発言――それに対するはたった一人の男子生徒による悲痛な叫び。周囲の生徒達はどちらを信用しますか? どちらの味方につこうと思いますか?」
「そ、それは……でも俺を……信じてくれる人が、一人くらい……」
「なら緋根くん。あなたは甘楽さんに騙されたという男子生徒の言葉を信じましたか?」
「……っ」
「そうでしょう。そうなのです、騙され続けていたあなたでさえ、彼らの悲痛な叫びを信じなかった。甘楽さんの言葉を疑わなかった。どんな真実でも通用しない、彼女達の嘘に塗りつぶされるだけなのです」
聖斗は顔を伏せる。堪えていた瞳からは涙が流れ落ち、膝の上で作った拳の上に落ちた。
聖斗には真紅の言っていることがよく理解できた。彼女の言う通りなのだ。
自分の訴えが受け入れられる事はないのだ。だって、今までそうだったのだから。甘楽から騙された男子達の叫びが届かなかったように、聖斗の言葉が届く事は決してなかった。
それが聖斗にとっての現実だ。
聖斗の絶望に満ちた表情を見て、真紅は微笑むと口を開く。
「けれど、学校を去るという悲劇的な最後を迎えた彼らと、あなたでは決定的な違いがあります」
「……違い? そんなの、ない……いなくなっていった奴らはそうだ、俺もそうだ、クラスの隅にいて、冴えないような奴で、友達もいなくて……あんな最低な甘楽の、ただ可愛いっていう外見にだけ惹かれて、好きっていう気持ちを利用されて……最後には切り捨てられる……結局、同じなんだ」
「いいえ。あなたは違うでしょう緋根くん」
「え……?」
「彼らの傍には誰も居なかった――でも、あなたの隣にはわたしが居ます。わたしは言いました。あなたが望むならいくらでも力を貸すつもりだと。あなたをヘドロの溜まった底から救い出してあげましょう、と。さあ――わたしの手を取って下さい」
それはまるで『悪魔』のような甘い囁きだった。
「わたしとあなたで――彼女達に、徹底的で破滅的な復讐を成し遂げましょう」
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