第17話 伝説の唐揚げ。
今日も会社の入っているビルの地下駐車場まで送ってもらい、そこで夏希さんとは別れた。
あいかわらず家を出た途端、冷徹になって怖くなったが、慣れてきた、気がする。多分。
エレベーターを昇り、そしてフロアに到着し、暗証番号を入力する。
そして、ガチャリと開くロック。時刻を確認すると午前八時十五分。ちょうどよいくらいだろう。
カーペットを踏みつけ、腕に力を入れてドアを開く。昨日とは違い、すこし控えめにおはようございます、とあいさつをして入る。
もちろんラッキースケベなんてあの二回以降は一度も起こっていない。
もう既に何人かはパソコンと向き合っていたり、書類と睨めっこしていたりしていた。
そんな人たちを尻目に、俺は営業部へと向かう。すこしすると【営業部】と看板が釣り下がったデスク群に着く。
飯島先輩も奈那子さんも、まだいない。特に俺はすることがなく、椅子に座り手持ち部沙汰で背もたれに寄っかかる。
ふぅ。どうしようかとため息をつくと同時に、肩をぽん、と軽く叩かれる。
「あ、真奈美さん。おはようございます」
俺はすぐに後ろを振り向くと、そこには真奈美さんの姿。カジュアルなパンツに、白いシャツ。そこに黒色のジャケットを羽織っている。
「うん。おはよう。新太君、今日は特にすることないでしょう? 早速雑務お願いできるかしら?」
と、言って真奈美さんはどさり、と大量の書類を俺の机に乗せた。
「えーと、こっちがコピーをお願いする分と、そしてこっちがデータ入力の分。大体のやり方は怜ちゃんから聞いてるでしょう?」
「あ、はい」
「じゃあ、お願いね。それと、確か午後から怜ちゃん営業あるから、それにもついて行ってね」
「わかりました。ありがとうございます真奈美さん」
「いいえー。それじゃあ頑張ってねー」
そういって颯爽に席へと戻る真奈美さん。その後ろ姿は出来るOLそのものだ。実際めちゃくちゃできるのだが。
もちろん、夏希さんも社長モードの時は出来る人だけど、どうにもオフの時を知っているからか、完璧と言う印象はどうにも薄い。
まぁ、関係ないことを考えることはここまでにしよう。
気持ちを入れ替え、俺は書類と向き合った。
※
コピーをするためにデスクとコピー機を何往復したり、データ入力などしたり、電話対応をしたりしていたら、気づけば時計の針はすでに11時55分を指していた。
椿堂では、昼休憩は12時から1時までの一時間だ。それぞれ弁当を食べたり、外で食べたり、かなり自由らしい。
右隣の飯島先輩はぐっと背伸びをして、俺の方へと向き直る。
「どう、後どれくらいで終わりそうなの」
「あと、一時間程度あれば完璧に終わります」
「そう、わかった。三時から営業いくからそれまでには終わらせて準備しといてね」
「はい」
「それじゃ」
前よりはましにはなったが、社長に負けず劣らずの冷たさで、業務的に言い渡す飯島先輩。
だが、飯島先輩も冴木先輩には弱いようで。
「ねーねー冴木せんぱーい。今日はどこいきますー?」
「そうね。じゃあ、この前怜ちゃんが紹介してくれたローストビーフ丼の店に行く?」
「え! ホントですか! やったぁ!」
と、きゃいきゃいと、笑顔を存分に振りまきながら冴木先輩と付き添うように歩いている。そんな顔面お花畑になっている飯島先輩をぼーっと見ていたら目が合ってしまった。
すると、もしかして俺って大罪人だったのか? と勘違いするほどにはえげつない視線が送られてきた。なんかごめんなさい。
俺はすぐに俯き、何とかその目を逸らす。そして、それと同時になるスマホのバイブ。
スマホを開くと【今日も社長室】というメッセージが夏希さんから入っていた。
またあの視線を受けるのか。ま、まぁ、新入社員たるもの、いっぱい社長に呼び出される物だとでも考えておこう。
そうでもしないと耐えられない。
俺は自動歩行ロボットにでもなったつもりで社長室まで歩く。ロボットは視線なんて気にしないからな。
俺はロボット俺はロボット俺はロボット。
と、数十回脳内で唱えるようにしていると、あいかわらず煙がかったガラスに囲まれた部屋に着く。俺は二回ノックをして、返事を待つ。
「どうぞ」
と冷たくも感じられる声色が耳に届いたことを確認してガラスのドアを開く。そして、部屋に入ると昨日とは違い、リラックスした様子で高そうなチェアに腰かける夏希さん。
湯気の出るマグカップに一度口をつけ、コトン、とマグカップを置く。そして口を開く。
「今日もお弁当作ってきたから。食べましょう」
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。それじゃあいつものところに座っておいて」
「はい。ところでちゃんと飲めるようになったんですね。熱い飲み物」
「っっっっっ!!! そ、そんなの当たり前じゃない! な、何言ってるの!?」
お弁当をバックから取り出すために膝を曲げていた夏希さんの顔が真っ赤に染まる。
よほど恥ずかしかったのか、それともいつかの記憶がフラッシュバックしたのか、お弁当を持つ手をぷるぷると震わせながら立ち上がる。
「も、もしかして、お、お弁当いらないの!?」
「あ、いや、食べたいです。ごめんなさい」
「そしたらもっと言う事があるんじゃないの!?」
「今後は言わないようにします」
「ふんっ! そ、それでいいわよ」
相変わらず冷たそうな感じを装ってはいるが、その冷たさに反比例するように顔は真っ赤なままだ。なんだか、社長モードの時の扱い方が分かった気がする。
耳まで真っ赤に染めた夏希さんは俺の前に弁当を置き、そして自分も俺の横に座る。
一応そこには座るんだな、なんて思いつつも夏希さんに合わせて弁当箱を開く。色とりどりの食材が使われていて、相変わらずめちゃくちゃおいしそうだ。
そして、相変わらず夏希さんの弁当は茶色い。だけど、進歩と言うべきか、緑は少しだけあった。枝豆だけど。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」
かなり赤みの引いてきた夏希さんと、弁当を食べる。めちゃくちゃうまい。量もちょうどお腹が満たされるくらいで、すべてが満点だ。
こんな人がお嫁さんだったらなぁ、なんて一瞬考えたが、俺はたまたま拾われたペットだと自分に言い聞かせ、その思考を消し去る。
そして、ふと夏希さんの弁当を覗くと、黄金色に輝く伝説の食べ物があった。
その名も唐揚げ。
唐突だが、俺は唐揚げが好きだ。幼稚園の時に初めて食べたその味に魅了され、一時期はちょっと……いやかなりぽっちゃりになってしまうくらいには食べていた。
だが、夏希さんの唐揚げは俺が今までに食べてきた唐揚げの中でも異彩を放っていた。
異彩と言っても極限まで黄金色に近い茶色なのだが。そんな唐揚げにしばらく目を奪われていると、ほっぺをごはんで膨らませた夏希さんがこちらを見る。
「ほうひひゃの」
「いや、あの、まずは飲み込みましょう?」
声色は社長モードなのだが、ご飯を口いっぱいに頬張っているせいで、どうにも締まらない。
しばらく夏希さんはもぐもぐして、ごくりと飲みこみ、ペットボトルの緑茶を一口。
けほん、と軽い咳ばらいをした後、改めて俺の方を向く。
「もしかして、あなた唐揚げ好きなの?」
「大好き、という言葉に収まり切れないほどには愛してます」
「愛して!? え、あ、そ、そうなの……よかったら……いる?」
コクリ、と頭をすこし傾けて聞いてくる夏希さん。俺は、間もできぬほど即座に返す。
「欲しいです!!」
自分の弁当があるではないか、と言われればそれはそうなのだが、俺は唐揚げを愛しているんだ。だからそこには目を瞑ってほしい。
俺は、唐揚げを箸で持つ夏希さんを見て、今か今かと自分の弁当に置かれるのを待った。のだが。
「はい、あーん」
髪を耳に掛けながら、箸でつかんだ唐揚げを俺の手元にある弁当ではなく、俺の口元へ運んできたではないか。
「え、ちょっ」
「もしかしていらない?」
「いや、欲しいです」
「でしょ?」
いや、でしょ? じゃないんだよな。
しかし、夏希さんの箸は俺の口答えを止めるように向かってくる。これは仕方のないことなのだ。唐揚げを食べるために必要なこと。そう、これは義務なのだ。
そう自分に言い聞かせ、夏希さんの箸で唐揚げを頂いた。
そして一噛み。
しゅごい。この唐揚げしゅごい。この唐揚げ、お弁当クオリティじゃない。
噛んだ瞬間にさくりと衣の小気味良い音が鳴り、肉自体もじゅわりと肉汁が出て、すべてが高水準。いや、完璧だ。とりあえず今まで食べてきた唐揚げの中で最高だった。
「どうかしら?」
言葉こそ社長モードだが、声質は気の抜けた、いつも家に居るときの夏希さんだ。
「めちゃくちゃおいしいです。人生で一番おいしかったです」
「もう、そんなお世辞いいわよ。でもありがとうね」
「いえ、本音ですよ」
「そう。まぁ、こんどから唐揚げいっぱい日田君の弁当箱に入れてくるとして」
あ、入れてくれるんですね。
「不平等だとは思わない? 私の少ない弁当をあげて、対価がなにもないのは」
「と、言いますと?」
なぜか、体をすこしだけもじもじさせながら、頬を少し朱色に染める。
「私にも、日田君の弁当食べさせて……?」
「え。あ、別に全然いいですけど、食べさせて?」
「……うん。なんでもいいから。お願いね」
そう言って夏希さんは目を閉じ、口を開ける。なんだか背徳感がすごい。
変な気持ちになってきそうだったから、俺は適当に温野菜を選び、いれますよ、と、これまた背徳感にあふれる言葉を言って、夏希さんの口の中に入れる。
一瞬ビクッと、体が跳ね、そして口に入ったことを確認し、綺麗な口を閉じた。
そして、目を開くと、まるでにがい薬を飲まされた子供のように綺麗な顔を歪めている。
うぐぅ、うぐぅ、と一噛みごとに声を少し漏らしながら、やっと飲み込んだ。
「うぅ、なんで寄りによって温野菜をチョイスしちゃうのかしら……まぁ、生野菜よりかはましだけど……。やっぱり野菜本来の味がわかるものは苦手だわ」
緑茶を流し込み、口の中の野菜を消すように夏希さんは、残った自分の弁当を食べ始める。
何か引っかかるなぁ、なんて思いながら俺も自分の弁当に手を付け始める。そして、弁当が残り三分の一ほどになった時。
ふと、冷静になった俺は思った。さっきのって……
「間接、キス……なんじゃ……」
「…………あ」
いつもの社長モードになっていた夏希さんの顔はみるみる内に、ぼぅっと、頭から湯気を出し、一瞬で耳まで赤く染まり上がった。
もちろん俺も例外ではなく。
この後の雰囲気は言うまでもないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます