第21話  ほんとすいません



 俺は勢いのままに飯島先輩の手をひく。さっきまでのことを忘れさせるような勢いで、なおかつこけないように。


 しばらくひいて走るとエレベーターに到着する。俺は下へ行くボタンを押し、到着するのを待つ。


 お互いの沈黙が気まずいな、と思う前にエレベーターが到着し、先に飯島先輩をエレベーターに乗せる。俺は種田が追ってきてないことを確認し、遅れて乗り込む。


 飯島先輩は俺の手を握っていないほうの手でハンカチを使い、瞼を拭う。擦るようにして何度も拭った後は、疲れたのかその手を下ろす。


 飯島先輩は俯いたまま、僅かに震えながら、絞り出すようにうわずる声を出した。


「……す、すごいね日田……なにかスポーツしてた?」


「はい、護身術だとか、塾だとか、将来に必要なことは一通りやらされましたからね……はは」


 正直あまり思い出したくはない思い出だ。と言うのも、あまりにも陰キャ過ぎて友達と遊ぶことも無かった俺を心配した両親は、放課後の時間や休日のほぼすべてを習い事で埋め尽くしてしまったのだ。


 まぁ、今ではかなり感謝している。こうやって身を守れたり、守ってあげたりすることが出来るのだから。


 しばしの沈黙。今しかないだろう。多分。謝るのなら。


「飯島先輩」


 俺は改めてエレベータの中で飯島先輩に向き直り、それに驚いた先輩は俺と目を合わせる。先輩の瞼は赤くて、少し腫れていて、メイクなんて原型を保っていない。


 だけど、ぱっちりとした瞳や、けっして高くはないけれど形の良い鼻は、変わることなくそこにあり、飯島先輩の美しさを物語っていた。


「えっ、なに?」


「まず、あんな事しかできなくてすいませんでした!!」


「…………え?」


「それと、先輩の商談勝手に潰してしまって本当にすいませんでしたぁっっ!!!!」


 俺は少し広さのあるエレベーターの中で思い切り頭を下げる。セットした髪の毛が崩れたが、そんなこと今はどうでもいい。


「…………へ?」


「証拠っていうか、ああいったセクハラは証拠がないとどうにもできないと思って、咄嗟に思いついたのがあの方法しかなくって。ほかにもやり方はあったかもしれないのに……本当にすいません。それと二つ目は言葉の通りです」


 俺はぽつりぽつりと垂れてくる前髪を気にすることなく頭を下げ続ける。


「え、いや、え? どういうこと?」


「とにかく、自分の不手際で——」


「いやいやいやいや!?!? どこが不手際なの!? どこが!?」


「……へ?」


 俺は思わぬ言葉に謝罪の姿勢を崩して顔をあげる。いつもの飯島先輩なら怒ってきそうなものを、まったくきつくない口調でそう言って来たのだから。


「わ、私は、感謝してる。……正直一瞬捨てられたかと思ったし……」


「す、捨てるなんて……そんなことするわけないじゃないですか……」


「で、でも、私、日田にきつく当たっちゃったし……」


「いやいや、社長に比べたら全くですよ。はは。僕なんて毎回社長室で説教されてますし」


「え、そうなの……なんか、日田も意外と大変だね」


「まぁ?」


 俺は飯島先輩と顔を見合わせ、次第にどこから出てきたのかわからない笑いがエレベーターを満たす。


 嘘も方便、というやつだ。


 エレベーターが開き、俺と飯島先輩は今度はゆっくりと歩き始めた。手はつないだままに。




 フロム百貨店の地下駐車場。相変わらず、冷たくて湿っているハズなのに、俺の胸はいつになく熱かった。


「ちょ、ちょっと、飯島先輩。そろそろいいんじゃないですか……?」


「まだ」


「は、はい……」


 声から震えは消え去り、いつの間にかいつもの飯島先輩の声に戻って——って、そんなことはどうでもいい。


 なぜこんな状況に、飯島先輩が運転席から助手席にいる俺の方に乗り出して、俺の胸に顔をうずくめているのだ。


 いや、なぜ、というのはわかる。地下駐車場に到着して、飯島先輩の車に乗り込んだらちょっと胸を貸して、と言われて、突っ込んできて。


 毎秒最大心拍数を更新している。それに、飯島先輩のボディミスト? の香りがずっと俺の鼻腔を刺激してきてもどかしい。


 早く退いてくれないかぁ、なんて思いつつ、僅かに鼻をすする音と、小さな、小さな嗚咽が聞こえてきたのでそのまま頑張ることにした。


 そして数分後。


「ありがとう。それじゃあ行きましょ」


「あ、はい。氷とかはいらないですか?」


「あー、途中コンビニ寄る」


「わかりました。それじゃあ、お願いします」


「うん」


 エンジンの唸りが地下駐車場に響き、それを切り裂くように車は発進する。


 濡れた俺のシャツの胸部分は、俺と飯島先輩だけの秘密だ。



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