第8話 ドМさんは怖いです。
現在時刻午前8時。出社の時間だ。
夏希さんにはビルの地下駐車場にまで送ってもらい、そこからは別々に出社することになった。
それもそうだ。ばれたら面倒なことになるのは目に見えてるし。
俺はそんなことを考えながらエレベーターに乗り込み、会社があるフロアに向かう。
扉が開くと、昨日見たばかりの椿堂株式会社と刻印された看板が目に入る。
暗証番号を入力すると、機械音が鳴り、ロックが開く。そして、一息ついて一気にドアを開ける。
昨日は二人だけだったけど、今日はきっと何人かいるだろう。そう思い大きく息を吸う。
「おはようございますっ! 新入社員の日田新太です! 宜しくお願いします!」
しっかりと通る声で挨拶をして返事が返ってくることを期待したのだが、返ってきたのは。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
何故か悲鳴。
俺は何事かと思い、顔をあげる。そしてデジャブ。
少し地味目な下着を大きな双丘につけた眼鏡の女の人がいた。ただし、おっきかったが。
※
俺は慣れた動きで滑らかに空を切る。そして頭を地面につける。
「すいませんっしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
なぜだ。なぜこうなってしまうのか。普通に採用された会社に出社しようとしているだけなのに。
「ちょっ、ちょっと、だれなんですかぁっ!!」
すいません。こっちのセリフです。
「ぼ、僕は新入社員の日田新太です!! 宜しくおねがいしますっ!!」
「こんな状況で自己紹介なんてしないでくださいよっ! それにこの会社には男性社員さんなんて入りませんっ!! 要するにあなたは不審者です!!」
「いや、本当に不審者とかではなく——」
と、言いかけた瞬間。
「なんだか騒がしいけれどだいじょ……なんてタイミングの悪い」
「僕もそう思います」
「しゃっ! 社長!! おはようございます!!」
「えぇ、おはよう奈那子ちゃん。色々言いたいことはあるのだけれど、まず、この人は本当に新入社員よ。色々と被っちゃったから言いそびれてはいたけれど」
「あ、え、そうなんですか?」
「そして、次に。なんで奈那子ちゃんが下着姿なの? 今までそんなことなかったわよね?」
「あっ、いやぁ、そのー」
俺は夏希さんに手を引かれ、立ち上がる。視界が開き、奈那子というらしい人物が目の前で下着姿のまま赤面でもじもじしている。
「あなたはじろじろ見ない」
「あ。目隠しどうも」
これ以上目に入れると経験値が息子に入って愚息に自動進化してしまう。正直助かった。
「で、どうして奈那子ちゃんが?」
「あー、えーと。その、飯島さんとか、やってたからやってみたかったというか、その好奇心で……すいません」
「え、好奇心……あ、ま、まぁ、この通り男性社員さんも入ることだから今後はやめて頂戴ね?」
「す、すいませんでした……」
……もしかしなくても痴女?
咄嗟に考え付いた疑問ももちろん口から出せるわけもなく。目隠しされたまま、衣擦れの音が聞こえてすこしした後、目隠しを解かれた。
一瞬眩しさで目を細める。そして、奈那子さんという人は、先ほどまでの痴女染みた格好とは違い、カジュアルな洋服に身を包んでいた。
「本当にごめんなさい」
目が合った瞬間に頭を下げる奈那子さん。
「い、いえ、急に来た僕も悪いですし……その、よろしくお願いします」
「はい、それと遅くなりましたが私の名前は石中奈那子です。よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします。僕の名前は日田新太です。夏希さんの言う通り新入社員で——」
「夏希……さん?」
「え?」
石中さんが信じられないものを見るような目で俺を見てくる。
あ、もしかして。
夏希さん、もとい、社長の顔を恐る恐る覗く。その表情はなんとも言えないが、芳しい表情ではないことは確かだった。
「日田君。誰が私の下の名前で呼んでいいと許可したんですか?」
家に居るときとは違う、冷え切った声色。ついさっきまで甘えてくる子猫のような声色だったのに。
少しの疑問と、驚きが渦巻き、頭が一つの結論を出す。昨日は様々な衝撃が走りすぎて考えることが出来なかったこと。
……もしかして、夏希さんって会社と家では別人なのか? 二人いるのか?
なわけないか。
あるわけの無い妄想に杭を打つ。
「……なぜ黙っているの? 早く答えなさい」
「あ、すいま……」
俺は見てしまった。
ほんのりと顔を赤くして、奈那子さんから見えないように「何かいい感じに説明して!」と懇願する夏希さんを。やっぱり同一人物みたいだ。
「……す、すいません。女の方はいつも下の名前で呼んでしまう癖があって。以後気を付けます、社長」
「それでいいわ」
若干声が震えていた気もするが、誤差だ。多分。それにしても女の人を下の名前で呼ぶ主義なんて、知らない人が聞いたらただのヤリ〇ンじゃないか。
こちとら高校が男子校だったせいで童貞+彼女いない歴=年齢だぞ。
奈那子さんが、口を押えながら「ヨウキャコワイ」って呟いている。聞こえてますよ。
「あ、それと奈那子ちゃん。奈那子ちゃんは日田君と同じ部署になるから、午前は社内を案内してあげて」
「えっ!? い、いや! 私こんなヤリ〇ン陽キャを案内なんてできませんっ! 犯されちゃいますっ!!」
と、体は嫌だいやだと社長に縋りつく奈那子さん。でもなぜか表情は紅潮し、はぁはぁ、と湿り気のある吐息を漏らしている。
まるで一応拒否はしますけど、ならせてくださいと懇願するような……。その姿はまるでドМ……。
しかし、今回ばかりは社長のピュアさが勝った。いや、負けたのか?
「言っていることはよくわからないけれど、案内頼むわよ。昼休憩前くらいに日田君を社長室に連れてきて頂戴。それじゃあ」
そう言って颯爽と社長室へ向かう夏希さん。そして、取り残された、俺と奈那子さん。
「え、えっとぉ、とりあえず暗くて二人っきりになれる場所があるんですけど、良きましゅか……えへへ」
「遠慮しておきます」
「え?」
さぞかし残念そうな奈那子さん。だって仕方がないじゃないですか。危険しか感じないんだもん。
「普通に案内お願いしてもいいですか? 奈那子先輩」
「あ、はい……」
そうして俺は奈那子さんに案内をしてもらうことになった。
追記
奈那子さん、案内をしてくれるのはありがたかったんですけど、ことあるごとに「ここ、いま、二人っきりだね。えへへ。今、私襲われても抵抗できないなぁ、えへへ」
みたいなことを暗くて二人っきりになる部屋に入るたび言ってきて怖かったです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます