第9話 昼休憩は冷徹に。



「へへ、ここでも二人っきりだね……へへ」


「いや、普通に皆さん始業してますけど……」


 もうこの人怖い。狂気だ。毎回毎回言ってくるせいでバグってる。


「あ、え、本当だ……」


 奈那子さんは高級感のある、かわいらしい腕時計を確認し、俺の方へ向き直る。


「残念なことにもうお昼休憩の時間です……社長室へ行ってください」


「どこが残念なのかよくわかりませんけど、案内、ありがとうございました。同じ営業部と言う事なので、これからもよろしくお願いします」


「あ、よろしく……」


 俺は奈那子さんに一礼して社長室の方へ向き直る。そして決心した。


 営業部への配属、取り消してもらおう、と。



 白く、煙がかったガラスに囲まれた部屋をノックする。カンカンと、少し高い音が鳴る。


 後は社長が出てくるのを待つだけなんだが。


 視線が痛い。なんせ社長室がオフィスのど真ん中にあるから、きっと社長室に向かうだけで注目されるんだろうけど。


 だけど、多分それだけではない気がする。確信に近い何かが確かに俺を見る視線に交じっている。生憎それがなにかはわからないが。


「はい。どうぞ」


 夏希さん、というか、社長の時の声が中から聞こえる。


「失礼します」


 ガラスの壁につけられた取っ手を引くと、社長は真向かいに設置されたデスクの上の山のような書類にペンを走らせていた。


 その形相はなかなかすごかった。家に居るときとのギャップがすごい。小並感。


「ごめんなさいね。今見ての通りだから、キリのいいところで切り上げるから、座って待ってて頂戴」


「はい、わかりました」


 えらく座り心地の良いソファに座り、時を待つ。時折、社長の後ろに構える外の景色を眺めながら、数分。


「ふぅ、終わったわ。待たせてしまってごめんなさいね。そろそろご飯を食べましょう」


「はい……って、昼ご飯用意してませんけど、どこかへ食べに行くんですか?」


「あぁ、それなら大丈夫。私が作ってきたから」


「え?」


「ん? どうしたの日田君。何か変なこと言ったかしら? それともスモーク越しの見えない視線が気になるの?」


「い、いえそういえわけではないんですけど」


 そういうわけでもなかったのだが、確かに意識すると気まずくなってきた。見えない視線がここまで苦に感じられたのは初めてだ。って、今はそうじゃなく。


「じゃあどうしたの?」


「その、本当に社長って料理できるんですね……」


 一瞬、呆気にとられたような顔をして、むすっと頬を膨らませ、感情をあらわにしている。少々目力が強い気もするが。


「何よ? 朝ごはんも作ったじゃない。もう記憶が飛んでしまったのかしら?」


「あ、いえ……」


「朝も言った通り、一人暮らしだったから自然と身に着いたのよ。それに昼ご飯の度に外食に行くのも効率が悪いし。まぁいいわ、食べましょう」


 そう言ってデスク横に置いてあったカバンから布に包まれた弁当箱を二つ取り出した。


 一つは少し大きめの青い布に包まれた弁当箱。もう一つはピンクの布に包まれた気持ち小さめな弁当箱。そしてそれらをデスクの前にある、両端をソファに囲まれた膝丈くらいの大きな平机に置く。


 俺は夏希さんに指示されるがままソファに着き、夏希さんも俺の真横に座り込む。って、真横?


「え、なつ……社長? どうしたんですか?」


「何? 何かおかしいことをしたかしら?」


「い、いえ、滅相もございません」


「それじゃあいただきましょう?」


 ふと、横目で夏希さんをとらえる。表情までは見えなかったが、僅かに赤く染まった耳が確認できた。やっぱり、社長モードでも、夏希さんなんだなぁ、と感心に似た感情を持つ。


 横に座ってきた意味は未だによく分からないが。


「いただきます」


「いただきます」


 色とりどりの、如何にもバランスを考えられたような弁当に、箸を突きながらふと思う。


 もしかしたら、夏希さんは俺のことをペットのように思っているのではないか、と。


 昨日からそう感じる節はあったし、何より、ペットとはいつも一緒に居たいものだろう? 飼い主って。


 人間を買うのはどうかと言う意見もありそうだが、タワマンの最上階を二人で住むために、いや、一人と一匹で住むためだけに買う人だ。感覚が狂っていても何らおかしくない。


 それに、下着姿で目の前に出ても問題ないと思われるということは、そもそも男として見てもらえていない。


 要するに、俺は夏希さんを癒すためのペットとして就職した飼われた、という事なのだろう。我ながら名推理だ。このためだけに大学四年間勉学を励んだのだと思う。


 だから何だという話なのだが、とりあえずこれで証明完了ってことかな。ワン。


「口に合わなかったかしら?」


 心配そうな夏希さんの声で、耽った思考の海から抜け出す。あまり心配してくれているようにも思えない夏希さんの口調に何か裏があるのではないかとペットなりに考えたが、何も思いつかなかった。


「あ、あぁ! とてもおいしいです! こんなペットのことまで考えてくれてありがとうございます!」


「そう、良かったわ」


 そう言うと、再び夏希さんは自分の弁当を食べ始めた。すっごく茶色い弁当を。


「え?」


「何?」


「いや、すっごく、あのー、おいしそうだなぁ、と。それと、チョーっとだけ、茶色いなぁって……」


「……生野菜は嫌い」


「えぇ」


 若干むすっとしながら答える夏希さん。気のせいか、手が僅かにプルプルと震えている。


「そ、その話はやめにしましょう。えぇ。そうそう、私、毎回のことなのだけれど、肩がすごく凝るのよね。どうしてかしら」


 自爆、なのでは? 茶色くておいしい物ばかり食べていたら、当然脂肪もつくわけで、それが夏希さんの場合双丘の養分になって……。


「社長が頑張ってるからじゃないですかね?」


 あはは、と辺り触りの無い笑みを送りながら言う。脂肪がたくさんお胸に言ってるからですよーなんてペットの分際で言えるわけないじゃないか。いや、ペットでなくとも無理だ。


「そ、そうかしら。で、でもそんなこと言っても給料は上がらないわよ。あげてほしいんだったら営業成績で見せて頂戴っ!」


「あ、あはは、そうですよねー」


 給料の話なんてしていないし、何なら今日がほぼ初日ですが? まだ営業もくそもないんですが? 


 まぁ、これも胸の奥にしまい込むのだが。


 そんな風に談笑? ペットと飼い主のじゃれ合い? をしながら俺と夏希さんは弁当を食べていた。



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